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汚らしい酒場の扉を開けると、入り口付近に座っている男達の視線が一斉に向いた。
表の冷たい空気が店に入り込んで男達があからさまに嫌な顔をし、中には舌打ちする者もいる。
ビョルンはマントで顔を隠しながら店の奥の様子をうかがった。
いつもの席に人がいないのを確認すると、一番奥の薄暗い席に向かった。
狭い店内を座っている男達の背中の間を縫うようにして進んでいると、見知った顔が突然見えて、ビョルンはマントの中で顔を背けながら、するりと男の隣をすり抜けた。
すれ違うほんの一瞬、男の体が緊張したように感じたが、ビョルンの全身を眺めたあと男はすぐに緊張を解き店から出ていった。
「お客さん、何飲む?」
お目当ての席に座るとすぐに、給仕の女が声をかけてきた。
「エールを。」
女はうなずいて調理台へ向かっていった。
ビョルンはなるべく自然に見えるように店中を見渡した。
いつも通り暖炉に近い席は兵士達が陣取ってがなり声をあげて騒いでいる。
上官が顔を出したことで場が盛り上がり興奮しているのか、いつもより声が大きい。
娼婦を何人か侍らせて、上機嫌で唾を飛ばして騒ぎたてていて、商人風の男は離れた席で、兵士たちを迷惑そうに渋い顔で見ている。
「お待たせ。」
ビョルンの前にエールの入ったジョッキを置いた女は、慣れた様子でとなりに座りしなだれかかった。
「危なかったわね。」
女の息がビョルンの耳をくすぐった。
「カール副官ご本人がいらっしゃるとはな。」
ビョルンは女の顔を覗き込むようにして、口元を隠しながら話した。
すれ違った男の目つきの悪さを思い出すと、無性に癪にさわった。
「下っ端がおだてて連れて来たみたい。ちゃんと話は聞いておいたわよ。」
女はビョルンの首に絡まるようにしがみついて耳元で言った。
「言いたい放題だったわよ───」
「ひとつも漏らさず教えてくれ。」
ビョルンは女の肩にあった手を腰にまわし、抱きしめるようにした。
奥のうす暗い席の女のあごのほくろが、蝋燭の灯りに照らし出されたようにはっきりと見える。
いつも少し素っ気なく、二階の客室に誘っても素知らぬふりの女が、男にしなだれかかるように甘えている。
兵士は副官のカールが皆に振る舞った、エールを煽った。
いつも飲むエールとは比べ物にならない深い味わいが口に広がる。
暖炉から離れた奥の席は冷えるのか、女は旅装の男のマントの中に滑り込むようにして膝の上に座り、男の首に細い腕を回した。
男は応えるように女をマントに包み背中を撫でているようだった。
「チッ!」
思わず舌打ちして、またジョッキを煽るが中身はもう空だった。
「ちくしょう、馬鹿にしやがって。」
ジョッキを乱暴に卓の上に叩きつけた。
「カール副官の言う通り、女は男の言うことをだまって聞いてればいいんだ!」
「そうだ!」
酔いのまわった兵士達は同じ話を繰り返し始めた。
「ヒュドラ贔屓の小生意気な子供は、どこか領地の隅にでも追いやってしまえ!」
「そうだ!アンネとなら跡継ぎもすぐに産まれるんだ。役立たずは消えてしまえばいいのさ!」
兵士達の声に混じって、娼婦の下品な高笑いが混じる。
「お前達、ほどほどにな。どこで誰が聞いているか分からないんだ、気をつけろ。」
兵士達の白熱するセシリア批判を、やんわり諫めた。
「しかし、軍曹───」
「子供でも貴族なんだ、もしものことがあれば副官にご迷惑がかかる。」
「はい…」
口答えしてきた兵士は渋々口を閉じ、エールを一気に飲んだ。
(本当に馬鹿な奴らだな…この、エールの味もろくに分からんのだろうな。)
軍曹と呼ばれた兵士は部下達を鼻白んでながめた。
(貴族である伯爵様と、字も読めないアンネが一緒になれるわけがない。)
馬鹿は気楽でいい、そう思いながら軍曹はまた、奥の席を眺めた。
女が楽しそうに男に何か耳打ちすると、男が体の角度を変える。
女はうれしそうに笑って、男のマントの中に顔を隠した。
口付けをしているように見える。
軍曹は、膝の上で拳をにぎりしめた。
軍曹は女に惚れているわけではない。ただ、自分になびかない女が、みすぼらしい身なりの流れ者に微笑むのが我慢ならなかった。
伯爵の私兵軍とは言え平民の身で軍曹にまでなった男の矜持がそれを許さなかった。
マントから女が顔を出した時、男の横顔が鼻のあたりまで、ほんの束の間だったが見えた。
(どこかで会ったか?)
ふと心当たりがあって、記憶をたどってみるものの思い出せない。
男は女の赤茶けた巻き毛を指でもてあそんでいる。
その光景を苦々しくながめながら、軍曹は必死に記憶をたどった。
何か思い出せる。
そう思った時、男が席を立って店内を横切って行った。
(二階に女を連れ込むなら、部屋に入るまでにマントを脱ぐかもしれない。)
軍曹も席を立った。
先ほどまで、セシリアを扱き下ろすのに必死だった兵士達は、今はもう娼婦との卑猥な話に夢中で軍曹が席を立ったことに気付かない。
軍曹は静かに男の後を追った。
男は軍曹の予想とは違い、二階には行かず店の外に出た。
これでは顔を確かめるのは無理だ、と諦めようとしたが、奥の席に残っていた女が去ってゆく男を名残惜しげに見ている気がして、頭に血がのぼった。
(なんでもいい理由なんて必要ない。無理矢理にでも男の顔を確かめてやる。抵抗してくればこっちのものだ、ぶちのめしてやる。)
店の扉を男が開き、すぐ後ろを軍曹が続いた。
店の看板についたランタンの明かりが、男の肩越しに軍曹の歪んだ笑みを照らしていた。
「こっちを見てる人がいるわよ。」
女に言われてマントからのぞき見れば、いちばん偉そうな兵士がこちらを見ていた。
「俺を見てるのか?」
女の腰にまわした手を、まさぐるように動かしてやれば、男の拳が膝の上で真っ白になるほど握られて、小刻みに震えている。
ビョルンは、笑うのをこらえて静かに店を出た。
兵士がそれほど距離を置かず酒の臭いを漂わせながらついてきた。
路地に体を滑らせれば、ドタドタと追いかけてくる。
「止まれ!」
「何か用か?」
ビョルンは振り向かずに兵士に言った。
「お前をどこかで見た気がする。顔を見せろ。」
「お前のおふくろと寝た男だよ───」
「流れもの風情がふざけるな!」
軍曹が飛びかかる。
ビョルンは背を向けたまま右足を後ろに高く上げ、軍曹の頭を蹴り飛ばした。
軍曹の体が狭い路地で壁にぶつかり、ずるりと下に落ちた。
軍曹は薄く積もった雪に手をつきながら立ち上がり、ビョルンの背後から肩に手をかけた。
ビョルンの肘が軍曹の鼻に音を立ててめりこんだ。
軍曹が鼻を押さえてしゃがみこもうとしたところを、ビョルンは膝で腹を蹴り上げ、顔面を片手で掴むように目を塞いで持ち、壁に後頭部を打ちつけた。
軍曹は路地から逃げようとなんとか立ち上がり、よたつきながら歩き出す。
ビョルンは軍曹の首を背後から腕で締め上げた。
「物欲しそうに女を見ている顔は傑作だったぞ。」
耳元でささやいてやる。
軍曹の体から力が抜けて泥だらけの路地に倒れ込んだ。
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