うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

文字の大きさ
26 / 74

26


 汚らしい酒場さかばの扉を開けると、入り口付近に座っている男達の視線が一斉に向いた。 

おもての冷たい空気が店に入り込んで男達があからさまに嫌な顔をし、中には舌打ちする者もいる。

ビョルンはマントで顔を隠しながら店の奥の様子をうかがった。

いつもの席に人がいないのを確認すると、一番奥の薄暗い席に向かった。


狭い店内を座っている男達の背中の間をうようにして進んでいると、見知った顔が突然見えて、ビョルンはマントの中で顔をそむけながら、するりと男の隣をすり抜けた。

すれ違うほんの一瞬、男の体が緊張したように感じたが、ビョルンの全身を眺めたあと男はすぐに緊張をき店から出ていった。



「お客さん、何飲む?」

お目当ての席に座るとすぐに、給仕の女が声をかけてきた。

「エールを。」

女はうなずいて調理台へ向かっていった。


ビョルンはなるべく自然に見えるように店中を見渡した。

いつも通り暖炉に近い席は兵士達が陣取じんどってがなり声をあげて騒いでいる。

上官が顔を出したことで場が盛り上がり興奮しているのか、いつもより声が大きい。

娼婦を何人かはべらせて、上機嫌でつばを飛ばして騒ぎたてていて、商人風の男は離れた席で、兵士たちを迷惑そうに渋い顔で見ている。



「お待たせ。」

ビョルンの前にエールの入ったジョッキを置いた女は、れた様子でとなりに座りしなだれかかった。

「危なかったわね。」

女の息がビョルンの耳をくすぐった。

「カール副官ご本人がいらっしゃるとはな。」

ビョルンは女の顔を覗き込むようにして、口元を隠しながら話した。

すれ違った男の目つきの悪さを思い出すと、無性にしゃくにさわった。

したがおだてて連れて来たみたい。ちゃんと話は聞いておいたわよ。」

女はビョルンの首にからまるようにしがみついて耳元で言った。

「言いたい放題だったわよ───」

「ひとつも漏らさず教えてくれ。」

ビョルンは女の肩にあった手を腰にまわし、抱きしめるようにした。







 奥のうす暗い席の女のあごのほくろが、蝋燭の灯りに照らし出されたようにはっきりと見える。

いつも少し素っ気なく、二階の客室に誘っても素知らぬふりの女が、男にしなだれかかるように甘えている。


兵士は副官のカールが皆に振る舞った、エールを煽った。

いつも飲むエールとは比べ物にならない深い味わいが口に広がる。



暖炉から離れた奥の席は冷えるのか、女は旅装りょそうの男のマントの中に滑り込むようにして膝の上に座り、男の首に細い腕を回した。

男はこたえるように女をマントに包み背中を撫でているようだった。

「チッ!」

思わず舌打ちして、またジョッキを煽るが中身はもう空だった。

「ちくしょう、馬鹿にしやがって。」

ジョッキを乱暴に卓の上に叩きつけた。


「カール副官の言う通り、女は男の言うことをだまって聞いてればいいんだ!」

「そうだ!」

酔いのまわった兵士達は同じ話を繰り返し始めた。

「ヒュドラ贔屓びいき小生意気こなまいきな子供は、どこか領地のすみにでも追いやってしまえ!」

「そうだ!アンネとなら跡継ぎもすぐに産まれるんだ。役立たずは消えてしまえばいいのさ!」

兵士達の声に混じって、娼婦の下品な高笑たかわらいが混じる。


「お前達、ほどほどにな。どこで誰が聞いているか分からないんだ、気をつけろ。」

兵士達の白熱するセシリア批判を、やんわりいさめた。

「しかし、軍曹───」

「子供でも貴族なんだ、もしものことがあれば副官にご迷惑がかかる。」

「はい…」

口答えしてきた兵士は渋々しぶしぶ口を閉じ、エールを一気に飲んだ。


(本当に馬鹿な奴らだな…この、エールの味もろくに分からんのだろうな。)

軍曹と呼ばれた兵士は部下達を鼻白んでながめた。

(貴族である伯爵様と、字も読めないアンネが一緒になれるわけがない。)

馬鹿は気楽でいい、そう思いながら軍曹はまた、奥の席を眺めた。


女が楽しそうに男に何か耳打ちすると、男が体の角度を変える。

女はうれしそうに笑って、男のマントの中に顔を隠した。

口付けをしているように見える。

軍曹は、膝の上で拳をにぎりしめた。


軍曹は女にれているわけではない。ただ、自分になびかない女が、みすぼらしい身なりの流れ者に微笑むのが我慢ならなかった。

伯爵の私兵軍とは言え平民の身で軍曹にまでなった男の矜持がそれを許さなかった。

マントから女が顔を出した時、男の横顔が鼻のあたりまで、ほんのつかだったが見えた。

(どこかで会ったか?)

ふと心当たりがあって、記憶をたどってみるものの思い出せない。


男は女の赤茶けた巻き毛を指でもてあそんでいる。

その光景を苦々にがにがしくながめながら、軍曹は必死に記憶をたどった。



何か思い出せる。

そう思った時、男が席を立って店内を横切って行った。

(二階に女を連れ込むなら、部屋に入るまでにマントを脱ぐかもしれない。)

軍曹も席を立った。


先ほどまで、セシリアをろすのに必死だった兵士達は、今はもう娼婦との卑猥ひわいな話に夢中で軍曹が席を立ったことに気付かない。

軍曹は静かに男の後を追った。


男は軍曹の予想とは違い、二階には行かず店の外に出た。



これでは顔を確かめるのは無理だ、と諦めようとしたが、奥の席に残っていた女が去ってゆく男を名残惜なごりおしげに見ている気がして、頭に血がのぼった。


(なんでもいい理由なんて必要ない。無理矢理にでも男の顔を確かめてやる。抵抗してくればこっちのものだ、ぶちのめしてやる。)


店の扉を男が開き、すぐ後ろを軍曹が続いた。

店の看板についたランタンの明かりが、男の肩越しに軍曹の歪んだ笑みを照らしていた。









「こっちを見てる人がいるわよ。」

女に言われてマントからのぞき見れば、いちばんえらそうな兵士がこちらを見ていた。

「俺を見てるのか?」

女の腰にまわした手を、まさぐるように動かしてやれば、男の拳が膝の上で真っ白になるほどにぎられて、小刻みに震えている。


ビョルンは、笑うのをこらえて静かに店を出た。


兵士がそれほど距離を置かず酒の臭いを漂わせながらついてきた。



路地に体をすべらせれば、ドタドタと追いかけてくる。

「止まれ!」

「何か用か?」

ビョルンは振り向かずに兵士に言った。

「お前をどこかで見た気がする。顔を見せろ。」

「お前のおふくろと寝た男だよ───」

「流れもの風情ふぜいがふざけるな!」

軍曹が飛びかかる。

ビョルンは背を向けたまま右足を後ろに高く上げ、軍曹の頭をり飛ばした。
軍曹の体が狭い路地で壁にぶつかり、ずるりと下に落ちた。

軍曹は薄く積もった雪に手をつきながら立ち上がり、ビョルンの背後から肩に手をかけた。


ビョルンの肘が軍曹の鼻に音を立ててめりこんだ。
軍曹が鼻を押さえてしゃがみこもうとしたところを、ビョルンは膝で腹を蹴り上げ、顔面を片手で掴むように目をふさいで持ち、壁に後頭部を打ちつけた。

軍曹は路地から逃げようとなんとか立ち上がり、よたつきながら歩き出す。

ビョルンは軍曹の首を背後から腕で締め上げた。

「物欲しそうに女を見ている顔は傑作けっさくだったぞ。」

耳元でささやいてやる。

軍曹の体から力が抜けて泥だらけの路地に倒れ込んだ。


あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

【完結】あなたに嫌われている

なか
恋愛
子爵令嬢だった私に反対を押し切って 結婚しようと言ってくれた日も 一緒に過ごした日も私は忘れない 辛かった日々も………きっと……… あなたと過ごした2年間の四季をめぐりながら エド、会いに行くね 待っていて

【完結】あなたは、知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢セラヴィは婚約者のトレッドから婚約を解消してほしいと言われた。 理由は他の女性を好きになってしまったから。 10年も婚約してきたのに、セラヴィよりもその女性を選ぶという。 意志の固いトレッドを見て、婚約解消を認めた。 ちょうど長期休暇に入ったことで学園でトレッドと顔を合わせずに済み、休暇明けまでに失恋の傷を癒しておくべきだと考えた友人ミンディーナが領地に誘ってくれた。 セラヴィと同じく婚約を解消した経験があるミンディーナの兄ライガーに話を聞いてもらっているうちに段々と心の傷は癒えていったというお話です。

私の婚約者は誰?

しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢ライラは、2歳年上の伯爵令息ケントと婚約していた。 ところが、ケントが失踪(駆け落ち)してしまう。 その情報を聞き、ライラは意識を失ってしまった。 翌日ライラが目覚めるとケントのことはすっかり忘れており、自分の婚約者がケントの父、伯爵だと思っていた。 婚約者との結婚に向けて突き進むライラと、勘違いを正したい両親&伯爵のお話です。