うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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 診察台の上の汚れたマントを開くと、顔がつぶれた軍曹がうっすらと戻った意識のもとで、苦しそうに息をしていた。

「軍曹か?」

ニールスが軍服の袖口を見てつぶやいた。

鼻はへしゃげて折れ曲がり、目は腫れあがって開いていない。

顔から人物を特定することはむずかしい。

ニールスは軍曹をマントから出すために、両肩を持ち上げた。

アルヴェが一気にマントを引き抜くと、軍曹は「うぐっ」と、声を上げた。


「じゃあ、頼んます。」

ビョルンはマントをつかみ上げて診察室を出て行こうと背を向けた。

「おい、軍人に怪我をさせたんだぞ、どういうことかわかっているのか?」

ニールスが肩をつかむと、ビョルンは不遜ふそんな顔つきで振り返った。

「軍人に手を出して罪に問われるのは、王国軍おうこくぐんの話ですよ。」

「王国軍なら法にのっとって裁かれるが、わがエルムンドの軍人に手を出したものは、領主である俺の采配さいはいでどうとでも出来るが。」

ニールスはるような視線をビョルンに向けた。


「構いませんよ、どうぞ領主様のご差配さはいに従います。」

ビョルンは不遜な態度はくずさずに、けれど素直に言った。

「酒場を出たところで、こいつが俺にベタついて来たんで、払いのけただけなんですけどね。あいにく俺にそちらの気はないもんで。」

ビョルンの声色は愉快なことを語るようにはずんで聞こえたが、顔は少しも笑ってはいなかった。

「それともなんです?エルムンドの兵士にはどうあってもご奉仕せよ、そういうことですか?」

ビョルンがニールスとアルヴェに、どうなんだと視線を投げても、二人は何も答えなかった。

ビョルンはいつもの飄々ひょうひょうとした様子に戻ると肩をすくめて、今度こそ診察室を出た。 







「待て。」

ビョルンが病院の暗い廊下を、入院中の兵士の目をさけて裏口を目指していると、低い声で呼び止められた。

仕方なく立ち止まり振り返ると雲の切れ間から月明かりが差し、けわしい顔のニールスが近付くのが見えた。

「なぜ酒場にいた?」

「俺だって気晴らしに酒ぐらい飲むし、女に触れたい夜もありますよ。」

「本当にそれだけか?」

月明かりはまた雲に隠され、廊下は完全な暗闇になった。

「お前の耳目じもくは、誰のために使っている?」

地を這うようなニールスの声が、廊下に響いた。

「本気ですか?」

目が暗闇に慣れて、ビョルンの怒気どきはらんだ表情がニールスにははっきりと見えた。

ビョルンは素早くニールスとの間合まあいを詰めた。

「負傷兵がうじゃうじゃいるこんな場所で、セシリア様に対する誤解を招くような言い方はやめませんか?」

ビョルンの言葉にニールスは、ハッとして自分の口に手を当て暗闇に続く廊下の先の兵士達が眠る大部屋の方を見た。










 病院の裏手に来ると物干しが並んだ広場をぬけ、雑木林に入った。

うすく積もった雪の白に木のみきが黒っぽく見えて、明かりがなくても木の根につまずくことは避けられた。


前を歩く長身の男の足取りは暗がりでも危なげなく、足音もほとんどしない。

セシリアの輿入こしいれをに、護衛として騎士あがりや傭兵ようへいあがりの中からこの男を選んだ。

それにはいくつか理由があったが、この男の出自しゅつじがはっきりとしていて確かなものだったことと、兵卒との打ち合いに圧勝したこと。これが、決め手となった。


ニールスは軍曹のつぶれた顔を思い出した。


軍曹全員の顔を思い出せるわけではなかった。
だがニールスがすぐに思い出せる軍曹達は皆、武器を持たずとも簡単に倒されるほどひよわな者はいないはずだった。




「男と二人きりで暗がりなんて、俺の趣味ではないんですけど。」

雪混じりの土を踏む足音がぴたりと止まり、声が聞こえた。

「先ほどの答えを聞こうか?」

ニールスははんの木に背を預けて、声の方を向いた。

「俺の目と耳は、セシリア様のためだけに使ってますよ。」

ビョルンはあっさりと答えた。

「ヴァルクレン侯爵閣下とは連絡を取っていないのか?」

「はっ。親父おやじの密偵だとでも思ってたんですか?馬鹿ばかしい。」

ビョルンは心底馬鹿らしいと、鼻で笑った。

「俺を護衛として雇う時、調べたんでしょう?親父おやじのことも、うちが属する派閥のことも。」

ビョルンの生家であるヴァルクレン侯爵家が、セシリアの生家のローゼンクランツ伯爵家と同じ第一王子派閥であることも、護衛として採用する理由の一つになった。

「たった三年でそこまでの忠誠心をセシリアに?」

「たった───そう言う感じなんですね。」

ビョルンのささやきにも似た声は、深夜の雑木林の静けさのおかげでニールスの耳にしっかりと届いた。

「三年は長かったんですよ。俺にとっても、十歳の少女にとっても。───」

ふくろうの短い鳴き声が、すぐ近くで聞こえてビョルンの言葉が途切れた。

「そんなに納得がいきませんか?セシリア様への忠誠心が。」

ニールスはなぜか心臓がぎりっと音を立てて軋むのを感じた。

「あなた様にとって、セシリア様は余程の理由がないと忠誠心を示すにあたいしない、そういう人ですか?」

ビョルンの声が少し大きくなって、大きな羽音はおとを立ててフクロウが飛び立った。

「後悔しますよ、伯爵様。」

その声は常につかみどころのない軟派なんぱなビョルンの、心からの同情の声に聞こえた。

「色々と失礼な発言をいたしました、お許しを。」

雲間から月明かりが一瞬差し込んで、ビョルンが慇懃いんぎんに頭を下げているのが見えた。


ビョルンはまた足音をほとんど立てずに、歩き出した。



「後悔ならもうとっくにしている。」

ニールスは漆黒の空を見上げながらつぶやいた。


不意に、見上げた木々の輪郭りんかくがはっきりと見え、ニールスは西の方へ顔を向けた。

病院の建物越しの一角が明るく見える。

ニールスが声を出す前に、一気に火柱が上がり空が茜色あかねいろに染まった。

「工房の方角だ!」

ビョルンが叫んだ。




二人は雑木林から、広場を一気に突っ切って病院の外につないでおいた馬に飛び乗った。

ニールスは馬にまたがりながら、病院にいた兵士に「動ける者を総動員せよ」と司令を出し、病院から工房までのわずかな距離を、馬に鞭を入れ急いだ。

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