うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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「セシリア様、ロレンツォさんから本が届いていましたよ。」


セシリアが事業から退いた後、本来の家庭教師の役目に戻ったイニゴは、セシリアに古語こごを教えた。

帝国語も、その年頃の子女が履修していてしかるべき算術も、地理も、セシリアはすでに完全に習得していたから。


「王都で流行りの話のようですよ。」

大きな包を開くと十冊ほどの本が並んでいて、そのどれもが王都で流行りの恋愛小説だった。

「面白いのかしら?」

恋愛など自分にはあまりにも縁がなく、想像も理解も及ばないセシリアは興味なさげに本の表紙を指でなぞった。

「それから、こちらも───」

イニゴはセシリアに数枚の書類を渡した。

「王都にある貴族学園と王立女学校の資料です。」

「学園?」

「貴族学園は十三歳から十八歳までの男女が通えます。貴族学園、とありますが優秀な平民も在籍しています。いずれにしても女性は少ないですが。」

書類を読んでいるセシリアにイニゴは説明を続けた。

「王立女学校は五年前にできたばかりで、もちろん女性しか通えません。」

「私が、学校に行くの?」

「そうです、セシリア様は学校へ行ってみたくはないですか?」

セシリアは全く想像もしていなかった話に、ただ驚いて言葉が出てこない。

「本当なら、セシリア様ほどの学力なら帝国へ留学した方が有益なのですが。」

「帝国───」

セシリアはますます理解が追いつかなくなった。

「でも私、結婚してしまっているわ…」

「貴族の子女には幼年ようねんで結婚することもありますから、珍しいことではありませんよ。」

実のところは女性が学校に通うこと自体がまだまだ少なく、婚姻している女性が通学している可能性は極めて低い。

でもイニゴはそんなくだらない理由でセシリアに未来を手放してほしくなかった。

「私が学校に…でも、なんのために?」

心底不思議そうな顔をするセシリアに、イニゴは胸の奥が痛くなった。

「ご自分のためですよ。本来、学問とは自分のためのものですから。」


セシリアは今まで自分の将来を考えたことはなかった。

他の貴族の子供と同じように親の決めた道を進んで行く。そのことを自覚する前に、セシリアはニールスに嫁がされていた。

エルムンドに来てからの勉強は、全てニールスとエルムンドの役に立つためだった。

自分のために学ぶ。

そんな自由が自分に許されるのか、そう考えた時セシリアの胸の奥がくすぐられたように小さくねた。

 





「どう思う?学校に通うなんて考えたこともなかったわ。」

花の無い冬の庭園で、剪定されて丸裸になった薔薇を、指先でそっと触れた。

「素敵だと思います。セシリア様なら実り多そうです。」

マルタが我が事のように喜んだ。

「王都に住むことになるのよね?」

「当然そうなりますね。」

ビョルンの言葉に、セシリアはハッとした。

王都に住む。
エルムンドを出る。

心の底から解放感が湧き上がってくる。

(私、思っていたよりエルムンドに愛着がなかったのね。)

セシリアはなぜか後ろめたい気持ちになった。

「戦勝式典で春になったら王都に行くでしょう?」

セシリアは名残惜しそうにもう一度薔薇をそっと撫でてから、庭園を西の方へ移動した。

「その時に一度、学園の見学をしてみたらどうかって、イニゴが。」

綺麗に刈り込まれたイチイの生垣を通りながら、セシリアの声が弾む。

「楽しみですね。」

マルタはセシリアよりも嬉しそうにはしゃいでいる。

「王都に行ったら王妃様にも久しぶりにお会いになれますね。」

エウラリアがそう言うと、セシリアが立ち止まった。

「伯母様に?───」

セシリアは指先から、感覚がなくなった気がした。

「また、お会いできるの?伯母様に。」

「セシリア様?」

呆然ぼうぜんと立ちすくむ主人の様子に、エウラリアは慌ててその手を握りしめた。

「会ってくださるかしら……」

「もちろん、お会いくださいますとも。」

エウラリアが確信を込めて言うと、セシリアは水色の瞳に涙を溜めて、微笑んだ。


 王都に行ったらここへ行こう、これをしようと、話しながら歩いていると、庭園を抜けて軍の本部につながる小さな石橋あたりまで来ていた。

小さく弓形ゆみなりになった橋の真ん中で軍の建物を背にして立つと、大きなもみの木越しに綺麗に夕陽が見える。
セシリアのお気に入りの場所だった。

いつも通りに橋の中程なかほどまで進む。

西の空はまだ青く、夕陽を見るにはまだ早かったようだ。
日一日ひいちにちと、日の入りが遅くなり、着実な春の訪れを感じさせた。

セシリアの後ろでビョルンが何かに反応した気がして、セシリアは振り返った。

軍の建物の側に、ニールスと部下らしき兵士が数名付きしたがい歩くのが見えた。

セシリアのいる位置から、大きな声で呼び掛ければ聞こえる距離にいる。

(伯爵様も学園に途中まで通っていらしたと聞いたわ。学園のことをお聞きしてみようかしら?)

セシリアはニールスの仏頂面を思い出し、頭に浮かんだ考えを打ち消すように頭を振った。

学校へ通えるかもしれない、王都へ行けるかもしれない、エルムンドを出られる。その喜びに、はしゃぎすぎたようだと自嘲じちょうする。

そもそも、話す時間もない。


ニールスは、セシリアの事業を引き継ぐ形となり、事務官たちがそのほとんどの作業をこなしているとはいえ、慣れない仕事にますます多忙を極め、セシリアと顔を合わせることはほとんどなくなった。

「ラース先生に聞いてみようかしら…」

つぶやいてきびすを返し、セシリアは夕陽を待たずに屋敷へ引き返した。







「伯爵様、副官から報告書が上がっております。」

ニールスは事務官にせき立てられ軍本部の入り口へ向かって急いだ。

寝不足が続き、慢性的まんせいてきにぶい頭痛がして、目がかすんだ。

本部入口の石段に足をかけた時、西から小さく笑い声が聞こえた。

もみの木の手前、小さな石橋に人影が見えて、その中に小さな背中があった。

臙脂えんじ色の厚手の外套コートの背中に、淡い金髪が柔らかそうに揺れている。

西陽を跳ね返すように艶やかに揺れる毛先が、楽しそうに笑っているように見えた。


「この後は、何か予定があったか?」

隣にいた事務官に聞くと「特にはないです。」と返事が返ってきた。

屋敷に、セシリアと晩餐ばんさんを共にと知らせるように使いを頼もうと、ニールスが口を開くのを、他の声が遮った。

「伯爵様、こちらでしたか。」

いつの間にかカールがニールスの目の前にいた。

「報告書の件で───」

「報告書は読んでおく、話は明日以降にしてくれ。」

「しかし伯爵様、軍需ぐんじゅ工房の誘致の件もそろそろ話を詰めませんと。」

珍しく仕事を後回しにしようとするニールスに、カールは言いにくそうにしながら、待ったを掛ける。

「戦勝式典で王都に向かうまでに、まとめておきませんと…」

「分かった───」

遠慮がちに言うカールに、ニールスはため息混じりに返事をした。

西側を見上げると、モミの木の前を金の髪が通り過ぎ、大柄な護衛の背中に隠れて見えなくなった。

まともに顔を合わせたのはいつだったか、ニールスは記憶を辿たどりながら、晩餐を諦め軍の陰鬱いんうつな建物に入って行った。

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