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「どうしてですか!なぜヤラン軍曹を免職に?」
エルムンドの東にある補給倉庫の管理棟、執務室にカールの声が響いた。
「補給倉庫で起こった薬物の盗難事件は私に一任してくださったのではないのですか?」
カールは興奮のあまり息を切らしている。
「リューデル少尉に一任した。───それをお前にも念のため探っておいて欲しいと頼んだはずだが。」
ニールスは机に肘をつき、眉間を指で揉み込んだ。
「ですから、きちんと調べて───」
「別の筋から報告が上がったんだ、ヤラン軍曹が夜間責任者の月だけ薬品の数が帳簿と合わない、と。」
「別の筋とは何ですか?その報告の信憑性は?」
「弁えろ、カール副官。軍曹一人の処分になぜそこまで熱くなる?」
周りの冷めた反応を無視してニールスに詰め寄るカールに、アルヴェが止めに入る。
「責任者、と名乗るからには責任を取らせる。リューデル少尉も責任をとった。」
やはりニールスは机に肘をついたままカールに言った。
「納得いきません!───」
「お前の納得など必要ないだろう?これは伯爵様のお決めになったことだ。」
アルヴェはカールの言葉を遮って、言い捨てた。
執務室を出ると、カールは怒りに任せてドスドスと歩いた。
(急に何なんだ!ここに着くまで何も言ってなかったじゃないか!)
秋に起こったエルムンド東部の補給倉庫での薬物の流出は、夜盗の仕業ということで手打ちになった。
その結果、補給倉庫の責任者であるリューデル少尉が責任を取り、半年間の減俸と軍本部への異動になった。
あれから半年近く、ニールスがその件について調べている様子はなかった。
そもそもニールスは忙しすぎて考える余裕もなかったはずだった。
(アルヴェだ!あいつが余計なことをしたに違いない!)
アルヴェとカールは初めて会った頃から馬が合わなかった。
カールは、貴族出身で剣の腕が立つアルヴェに劣等感を抱いていたし、アルヴェはカールが大した功績もなく、ただニールスの幼馴染ということと、平民兵士達からの歪んだ尊敬を盾に出世したことに不快感を隠さなかった。
(報告書なんてどこから上がったんだ?部下の兵士たちに命じて帳簿も書き換えたし、夜間責任者の名前も書き換えておいたはずなのに。どこから漏れた?)
カールは管理棟の外に出ると、そばにあった木箱を持ち上げ、力任せに地面に叩きつけた。
大きな音と共に砕けた木箱の破片をさらに足で踏みつける。
「ちくしょう!!」
カールのあまりの剣幕に居合わせた兵士達は慌てて逃げ出した。
「くそっ!くそっ!」
カールは平民兵士達の希望の象徴だった。
伯爵家の私兵軍とはいえ常備兵だけでも八百人を下らないエルムンド軍の副官にまで上り詰めた。
剣の腕も頭脳もいたって凡庸なカールにとって、部下からの信仰心に近い信頼だけが力だった。ほぼそれだけで上り詰めてきた。
ヤラン軍曹の薬物の横流しを見逃してやり、証拠ももみ消してやった。目障りだった鼻持ちならないリューデルも追い出せた。
平民兵士からのカールへの信は最高潮に達しようとしていたのに。
「台無しにしやがって!」
足元の木片を力いっぱい蹴り飛ばした。
白鳥が湖に戻り、食卓に皮の柔らかいジャガイモが並ぶ頃、エルムンドの屋敷は、王都へ向かう準備に慌ただしさを増していた。
工房の火災以来、セシリアに付いて離れなかったエウラリアとマルタ、オラフとビョルンも、準備の為にセシリアのそばを離れることが増えた。
セシリアは部屋で一人、淡い水色の瑪瑙を手に乗せて、窓の日差しに透かして眺めた。
半月もしないうちに王都へと旅立つ。
エルムンドに戻るのは、夏を過ぎるはずだ。一月後のクララの誕生日の贈り物を出立までに届けたかった。
エルサにブラシをかける時に、抜けた毛を溜めておいたものを編み「友情」の意味がある水色の瑪瑙をそれに通す。
灰色のエルサの尻尾を編んでみると、水色の瑪瑙と良く合った。
瑪瑙に通して自分の顔の前に翳して、なかなかの出来栄えだと満足して腕に通してみる。
腕に巻いたままくるりと回してみると、穴が大きすぎたのか瑪瑙がずれた。
ほんの少しずれるだけで、気にするほどではなかったが暇を持て余したセシリアは気になった。
セシリアは一人で部屋を出た。
冬の間、刺繍と読書と庭園の散歩以外、セシリアはほとんど何もしていない。
工房の一件以来、領地もおいそれと出歩けなくなったし、クララのいる修道院にも行けない。
ビョルンとの夜遊びも、例年になく雪が多かったこともあって一度出かけただけだった。
修道院の裏手の入り口の前に、大きな雪だるまを扉を塞ぐように置いた。
その扉からクララは出入りさせてもらえない、井戸はそこからの方が近いのに。
クララとは、短い手紙をビョルンを通してやり取りしたり、毎週水曜日は街にお使いに出るクララと、人気のない小さな池のほとりで落ち合って、わずかな時間を過ごしていた。
セシリアはできるだけ早足で厩舎を目指した。
できるだけ目立たないように、なるべく自然に。
まるで、侵入者のように慎重に素早く厩舎へ向かった。
扉の外にいるはずの屋敷付きの護衛は見当たらなかった。
使用人たちも忙しそうに立ち回っていて、セシリアに気づかない。
セシリアはビョルンとの夜遊びを思い出し、気持ちが高揚していた。
屋敷から厩舎まで歩いていると、わずかにドレスの裾に土がついているのに気が付いた。
(いけない、エウラリアにこっそり一人で部屋を出たことがばれてしまうわ。)
後できちんと土を払っておかなくては、と証拠を隠滅する算段をつけながら歩いていると、大きな楢の木が見えてきた。
楢の木を越えれば、斜面に木杭と横板だけで作った粗末な土の階段がある。そこを下りれば馬場があり、それに並ぶように厩舎がある。
楢の木のそばに、今日セシリアの警護についているはずの兵士と、つい最近入ったばかりの若いメイドが何やら親密そうに話し込んでいるのに気付いた。
慌てて物陰を伝うようにして、いつもの階段から少し離れた、厩舎に近い位置に降りられる階段へ向かった。
厩舎側の階段へ辿り着くと、馬場を見下ろした。人影はない。
この階段は傾斜が強く、段差が大きいので普段は使わない。
階段の一番上から、生垣の向こうを背伸びして覗き込んだ。
セシリアが立っている位置からは、楢の木は見えるが逢瀬を楽しんでいた使用人は見えなかった。
セシリアは安心して階段に一歩足を下ろした。
足が地面につくより早く、背中に殴られたような衝撃を感じた。
その勢いで体は一気に押し出され、頭と腕が後ろに引っ張られたようになり、息が詰まった。
目には空の青い色だけが映って、セシリアは自分が空に浮かんでいるのだ、と思った。
ゆっくり空が回転し、斜面に咲くクロッカスの紫色が近づいてきた。
嗅いだことのある匂いと、背中の痛みを感じながらセシリアの世界は暗転した。
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