トースト

森山 藍

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〈第3話〉

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 「まあ、北海道からいらっしゃったんですか? 」

母さんがすっとんきょうな声を上げたので、先生はちょっとイラっとしたみた
いだったけど、すぐにそれを笑顔で押し隠して言った。

「はい、普段は叡智大学で教鞭をとっております。しかし、研究対象を探して全国・全
世界を渡り歩くことも多く… 」˙

 「えっ、エッチ大学!? 」

思わず、声が出てしまった。エッチな大学なんて、世の中にあっていいものだろうか? 
ふと見ると、高知先生が苦しそうに笑いをこらえている。

「いや、太梧ちゃん、エッチじゃなくてえいち 」

「太梧! すみません、この子ったら物知らずで…… 」

 偉い先生は少し気分を害した様子だったけど、困っている母さんにおっとり笑いかけながら言った。

「いいえ、北海道の大学の名前なんて、このあたりのお子さんには耳慣れないでしょ
うから 」

そして、おもむろに立ち上がると、オレの方にやってきて、また四角いカードを差し出した。

「どうぞ、あなたにもこれを 」

 適当に受け取って目を凝らして見たけれど、難しい漢字ばっかり並んでいて、何が何だか分からない。佳奈がのぞきこんできて指さしてくれたところを読もうとしても、えらく難しい字で読み方の見当もつかなかった。それで、オレは恥を忍んで一つ下の妹に聞いた。もちろん、小声で。

「これ、なんて読むんだ? 」

佳奈も、小声で言ってくれた。

「だから、エイチでしょ? 」

なんだ、やっぱりエッチじゃないか。

「あ、あ~~~、エッチ、エッチ大学ね! 分りました、ヤマダ先生! 」

 みんな、一斉にこけた。なんで? 訳が分からなくてキョロキョロしていると、ヤマダで
はないらしい偉い先生が、テーブルのそばの床から起き上がりながら、勝ち誇ったよう
に叫んだ。

「やっぱりだ! この子、今、我々と同時にこけましたよね!? 」

えっ? この子って、誰のこと?

 母さんが、おもむろに言った。

「ほんとにお恥ずかしい息子で、申し訳ありません。私どももいつも困っておりまのよ。ほほほほほ。」

「いや、息子さんじゃありません。その犬、トーストです! 」

「ええ? そうですか? 私は…… 」

「いや、こけました。ねえ、君も見ただろう、高知くん 」

「さ、さあ…… 」

 高知先生は困ったように、何度も首を傾げた。でも、偉い先生の勢いは止まらない。

「いや、私は見た。はっはっはっ、とうとう発見したぞ! 」

母さんが、うろたえているのを必死に隠しながら言った。

「な、何を発見されたんです? 」

「言葉を操る犬、天才犬です! 」

「えっ、まあ言葉? トーストが? 」

「そうです、言葉です! 」

 高知先生は、困っておろおろしていたけれど、母さんとオレと佳奈は、前から練習していたとおり、一斉に大笑いをして見せた。そして、母さんが笑い過ぎて出てきた涙を拭くふりをしながら言った。

「まあ、何をおっしゃるかと思えば! いくら家(うち)の犬だって、言葉ぐらいわかりますわ
よ。ねえ? 」

 「うん! 」

オレは大げさにうなずいて見せると、トーストに向かって人差し指を立てた。

 「トースト、お座り! 」

トーストが完璧なお座りをすると、今度は佳奈が代わって立て続けにコマンドを出し
た。

「伏せ! 立て! ハウス! 」

トーストは体操選手のような美しいポーズで次々と命令に従い、最後は二本足ですた
すた歩いて、リビング奥のハウスの中に入った。

 「おおお、これはすばらしい! 」

「トーストちゃん、すご~い! 」

高知先生と中井さんが一生懸命拍手をしてくれたから、オレと佳奈はハモリながらお礼を言った。

 「ありがとうございま~す! 」

母さんもおどけてエプロンの裾をつまみながら、バレリーナのようなお辞儀をした。

 「おそまつさまでした~! 」

それから、みんなは精一杯楽しそうに笑った。

 笑い終わって恐る恐る偉い先生の方を見てみたら、そのヤマダじゃない先生は、ゆっくりと拍手をしながら余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)とこう言ったんだ。

「ははははは、なかなかよく練習していらっしゃるようだ 」

それは確かにそうだけど、高知先生を見たらがっくりしてるのが丸わかりだったから、どうやらオレたちは失敗したらしい。

 その時、偉い先生は急に何かを思い出したように手を打って、自分のカバンの方へ歩いて行った。そして、紙包みを取り出しながらこう言った。

「ああ、私(わたくし)としたことが失礼いたしました。お土産をお渡しするのを、すっかり忘れておりました。北海道名物『甘い恋人』です。少しですが、どうぞお召しあがりください 」

 「あ、あ、どうも、ありがとうございます 」

母さんがぎこちなくお菓子の箱を受け取ると、偉い先生はにこにこしながらまたカバンに手を入れて、小さい箱を取り出した。

 「ちゃんと、トーストちゃんのもありますからね。もちろん、犬用です 」

 それから、その先生は、軽い足取りでいそいそと部屋の奥へ行き、トーストのハウスの前でかがみこむと、急に声を低くして言った。

「やっと見つけたよ、トースト。こっちへおいで 」

 トーストはハウスの中で伏せていたけど、そう言われると鼻づらを上げて先生の顔をじっと見た。先生は慣れた様子で、トーストの目の前に自分の手の甲を差し出した。
 
「ほら、嗅いでごらん。おじさんは怪しい者じゃないよ 」 

 それを見て、母さんがたまりかねたように高知先生を玄関へ引っ張っていったから、オレもドアの所まで付いていった。

「ちょっと、高知先生、これどういうことですか? 」

「いや、ですから先ほど申しあげましたように、あの方は私の恩師でして、今朝突然病院を訪ねてこられたんです。昔から、言い出したらもう誰にも止めようがなくて…… 」

「その大学の偉い先生がトーストを見つけたって、まさか…… 」

「その、まさかなんです…… 」

「そんな……それじゃ先生、あの方にトーストのことを? 」

「とんでもない! 私は言ってません、断じて! 」

「それなら誰が…… 」

 その時、ハウスの方から、偉い先生の声が聞こえた。

「さあ、トースト、おじさんとおしゃべりしよう。君はクッキーが好きだろう? 」

その声があんまり不気味だったから、オレは思わずトーストのところへ飛んでいって、「おじさん」との間に割って入った。

「はい、大好きです! 」

「君じゃない! 私はトーストに聞いてるんだ。少し静かにしていたまえ! 」

 オレがびくっとなって後ずさりすると、中井さんが佳奈を玄関の方へ押しやりながら、ちょっと大きな声でゆっくりと言った。

「どうかなさいましたかあ、八岐先生? 」

ああそうか、やっと分かった。この人はヤマタっていうのか。

 「うちの子が何か!? 」

 「先生! 」

 慌てて飛び込んできた母さんと高知先生を見て、ヤマタ先生は我に返ったようだ。

 「ああ、すみません。つい夢中になってしまって。早くこの子の声が聞きたくてたまらなかったものですから 」

 そのとき、トーストがいきなりヤマタ先生に向かって吠え始めた。
 
「ワン! ワンワンワンワンワン! 」

でも、先生は少し目を細めると、落ち着き払った低い声でこう言った。

「トースト、君は分かっているだろう? 私が聞きたいのはそんな声じゃないよ 」

それでもトーストは、勇敢に吠え続けた。

「ワンワンワンワンワンワン! 」


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