トースト

森山 藍

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〈第7話〉

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 ヤマタ先生の目は、狂気を帯びてギラギラ光っていた。あまりの剣幕に、みんなはもう言葉も出ない。高知先生は目に恐怖の色を浮かべて、恩師の顔を見つめていた。母さんが、絞り出すような声で言った。

「そ、それでトーストを…… 」

「その通りです、西都さん! ははははは! ついに見つけたぞ、トースト! お
前は私が名付けた新たな種、カニス・ルプス・スピーカーリスの始祖となる身なのだ。さあ、一緒に行こう! 」

 その声に弾かれたように、オレの体はヤマタ先生の前に飛び出していた。

「え、え、でも、まだ初対面だし…… 」

「また……何度言えば分る? 私はトーストに言ってるんだ! 」

真上からねめつけるような目で言われて、さすがのオレも思わず後退った。その時、丸山社長が突然大きな笑い声をたてて、オレと入れ替わるようにぐっと進み出た。

「お~~ほっほっほっ! 八岐准教授、お話は良~~く分かりましたわ。さすが大学の先生、説明がと~ってもお上手なのね。でも、だからといってトーストちゃんを自由にできると思ったら、それはちょっと違うんじゃありません? 」

「自由にって、私は何も、無理やり連れて行こうとしているわけじゃない。もちろん、トーストと飼い主である西都さんの了解が得られたら、の話ですよ 」

「まあ、そうでしたの? これは失礼。あんまりすごい剣幕でいらっしゃるから…… 」

「あなたこそ、無理やりトーストをタレント犬に仕立て上げて、一儲けしようとたくらんでるんじゃないですか、丸山社長? 」

「あ~~ら、その通りですけど、それのどこがいけませんかしら? あたくしだってもちろん、トーストと西都さんの了解を得て、の話ですわよ? 」

 そう言うと、社長さんはやおら母さんの手を両手で握り、涙目になって言った。

「奥様、西都家の方々ってホントにお優しい方ばかりなのね。あたくし感動してしまいましたわ。普通、トーストちゃんみたいな天才犬をお持ちになったら、自慢して吹聴(ふいちょう)したりお金儲けしようとしたりするのが当たり前ですもの。それをトーストちゃんのために、何年も世間に隠し通していらしたなんて…… 」

 それから、社長のおばさんは、いきなりオレの肩をぐいっと抱き寄せて言った。

「ああ、でも、太梧ちゃんをお責めになってはいけませんわ。あたくし、太梧ちゃんのお気持ちもよ~~く分りますの。お友達にそんなふうに言われて、さぞ悔しかったでしょうねえ…… 」

社長さんはそう言いながら、スーツのポケットから派手な模様のハンカチを出して、そっと目頭を拭いた。と思うと、ぱっとオレから手を離して、急に大声になって言った。

「でも、みなさん! こうなった以上、世界中の人にトーストのことが知れてしまうのは時間の問題ですわ! あたくしだって、トーストちゃんのことを知った時は、もう興奮してしまって! ねえ、杏美ちゃん? 」

 急に振られても、杏美ちゃんはにこにこして言った。

「そうでしたね~~。押さえるのが大変でした~~ 」

社長さんはちょっと吹き出すと、杏美ちゃんを制するように手を振って言った。

「もう、まるであたくしが動物みたいに! でもまあそんな感じで、朝になるのを今か今かと待って、こうしてタクシーを飛ばしてまいりましたのよ! ねえ! 」

 杏美ちゃんも、大きくうなずいた。
 
「はい! あたしも、もう、早くトーストちゃんに会いたくって~~~! 」

 杏美ちゃんはそう言いながらトーストに駆け寄ると、すうっと屈んで、愛おしくってたまらないといったようすで、トーストの首をしっかり抱きしめた。トーストは、びっくりして目をくるくるしている。
 でも、ヤマタ先生は勝ち誇ったように言った。

「はは、もちろん私も同じです。いや、しかし、私も運が良かった! 昨日たまたま出
張で東京に出てきてなければ、あなた方に先を越されてしまうところでした。北海道からでは、どんなに頑張ってもこの時間に到着するのは無理でしたからな 」

 丸山社長は、目を細めてにやりと笑い、斜め下からヤマタ先生をにらみ上げながら言った。

「あら、運が良かったかどうかは、まだ分かりませんわよ。先ほども申し上げましたでしょ? 早いもの勝ちって決まってるわけじゃないって 」

 そう言われてもヤマタ先生は平気なようすで、にやりと薄気味悪く笑いながらこう言った。

「ああ、条件ね。では伺いますが、あなた方はいったいどんな条件でどんなふうにトーストを? 」

すると、丸山社長は、元々反り返り気味だった背筋をさらに伸ばし、ぐいっとあごを上げて言った。

「もちろん! あたくしと会社の総力を挙げて、トーストちゃんをスターにして差し上げます! それも世界的大スターに!! これがあたくしどもの条件ですわ! 」

 それから、急に母さんにすり寄ると、声をひそめてこう言った。

「ねえ、奥様。どうせ世間に騒がれて普通の生活ができなくなるんなら、いっそ天才タレント犬として大々的に売り出してしまうほうが、よっぽどいいと思いません? トーストちゃんなら、あたくしCM一本、最低でも相場の十倍以上、一千万円は稼がせてあげられると思いますわ~~~! 」

 母さんは、のどをつまらせたような声で言った。

「い、一千万円!? トーストが!? 」

みんなもびっくりして、ぽかんと口を開けて顔を見合わせている。さすがのヤマタ先生も、目を丸くして二の句が継げないようだ。え? 一千万円って、千円札何枚?

 社長さんは、その様子を見て満足そうににっこりしながら、さらにたたみ掛けた。

「はあい。でもこれ、CM一本、最低の見積もり額ですわよ。他にもモデルに映画にテレビ出演………あ、みなさんの体験記とか記録映画とかも作るといいわ! うまくいけば年収一億円、いえ,二億円だって夢じゃないかも! 」

 母さんとオレと佳奈が、同時に言った。

「二億円!? 」

社長さんは、してやったりという顔でヤマタ先生をじろじろ見ながら、ゆっくりと言った。

「はあい。そのお金があれば、ガードマンをやとって誘拐に備えることもできますし、ほら俗に有名税って言いますでしょ? 有名になることで起こるいろいろな困りごとに、お金の力で対応することができますわ 」

 母さんはもう放心状態で、うつろな声でやっと答えた。

「は、はあ…… 」

 社長さんは、ここぞとばかりに、まだまだたたみ掛ける。

「それに、さっきも申しあげましたけど、あたくし、西都さんご一家とトーストちゃんの深~~い絆に感動してしまいましたの。ですから、みなさんがずっとトーストちゃんと一緒にいられるように、大悟ちゃんと、この際佳奈ちゃんもタレントとしてデビューしちゃいましょうよ。あたくしが、責任を持ってご指導させていただきますわ~~! 」

 あ、さっき言ってたやつ? とたんに佳奈が、すっとんきょうな声を上げて飛び上がった。

「きゃああ! すごい! 佳奈、杏美ちゃんと一緒のプロダクションに入れる
の!? 」

 佳奈があんまりうれしそうだったから、オレもついまねしてしまった。

「うおお! すごい! 大悟、杏美ちゃんと一緒のプロダクションに入れるの!? 」

杏美ちゃんが、びっくりするほどやわらかい手でオレたちの手を握って言った。

「そうよ、佳奈ちゃん、大悟ちゃん! 一緒に頑張ろう!! 」

 オレたちは三人で手を取り合いながら、ぴょんぴょん飛び跳ねて叫んだ。

「きゃああああ! 」

 「うおおおおお! 」

 社長さんは、そんなオレたちを満足そうに眺めて大きくうなずくと、母さんに言った。

「そうと決まったら、奥様、善は急げと申しますわ! 」

「え、で、でも…… 」

 その時、ヤマタ先生が大声で言った。

「ちょっと待ちなさい! 」

そして、母さんの肩に両手を置いてゆすりながら、母さんの目を見据えて言った。

「騙(だま)されてはいけませんよ、西都さん! ほら、お母さんがしっかりしなきゃ!! 」

「あ……は、はい。はい! 」

 母さんは、まるで、今、目が覚めたというような顔をしている。社長さんが、いきり立って叫んだ。

「まあ!誰が騙(だま)すですって!? 」

 でも、ヤマタ先生は、丸山社長にはちっともかまわず、母さんのそばに立って、言い聞かせるようにしゃべり続けた。

「いいですか、西都さん。この女のペースにはまって判断力を失ってはいけません。よく考えてください。トーストはすでに十四歳だ。残念ですが、どんなにがんばっても……たとえ突然変異でもしや、ということを考慮しても、寿命は後五・六年が限界でしょう。その間(あいだ)、トーストと世界中を駆けずり回ってへとへとになって、犬がよぼよぼになって気付いた時には仕事もなくなって、お子様方ともどもポイだ。そりゃあ、かなりなお金は儲かるかもしれないが、ろくに勉強もさせてもらえないうちに、わずか十八やそこらで仕事がなくなったら、トーストはともかく、お子様方二人のその後の人生はどうなりますか? 」

「え…そ、それは…… 」

母さんは、目を白黒している。

 そこへ、丸山社長がするりと割って入った。 

「奥様~~、こんな得体のしれない学者の口車に乗ってはいけませんわ~~! 」

そして、つんとした顔でヤマタ先生を見ると、

「八岐さん。お言葉ですけど、お二人はあたくしの力で、この先ず~~っと仕事のできる立派なタレントに育てて差しあげます。ど~~ぞ、ご心配なく。それに、トーストの子孫を残せば、後(あと)の仕事だってもっとたくさん見込めますでしょ! 」

 今度は、ヤマタ先生が鼻で笑った。

「ふん!これだから素人は。あなた、何も分かっちゃいない!さっきは興奮して始祖とかなんとか口走ってしまったが、突然変異体が一頭出ても、子孫が残せるかどうかは不確実です。それに、そもそもあなたの業界でそんな先の約束など通用するものですかね? 」
 
 それから、また母さんに近寄ると、低い落ち着いた声で言った。

「西都さん、こういうことは、私どものようなちゃんとした専門家にお任せくださるのが一番です。何といっても、明治以来の伝統をもつ叡智大学は、獣医学だけでなくあらゆる分野において、日本で最も権威のある最高学府の一つです。私にトーストをお預けくだされば、優秀な国際研究チームを作り、多くの国家予算を得て、万全の態勢で研究を進められます。もちろん警備も十分します。トーストに悪いようなことは決してしませんから、どうぞ安心してお預けください 」

母さんは、どこを見ているか分からないような目で、つぶやくように言った。

「あ…そ、それは……どうも…… 」

 その時、丸山社長がすっとんきょうな大声を上げた。

「あら~~、奥様、しっかりなすってくださいませね! ちょっと八岐先生!あなた、聞いたふうなことおっしゃいますけどね、そんな白い灯台かなんかみたいなところに入っちゃったら、トーストちゃんがどうなったって、素人にはもう何も言えなくなっちゃいますわよねえ? ああ、怖い! 気をつけなきゃいけませんわ~~、ねえ、奥様~~ 」

そう言いながら、社長さんは母さんの背中に手を当てて、ヤマタ先生からかばうようにそっと寄り添った。

 それを見た先生は、まっすぐな背筋をさらに伸ばして言い放った。

「いいえ! トーストは、毎日西都さんの元(もと)へお返しします! 」

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