トースト

森山 藍

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〈第8話〉

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 みんな、びっくりして顔を上げた。社長さんは、さっと先生に詰め寄って言った。

「なんですって、北海道から!? 」

「それは無理です 」

「じゃ、ダメじゃん 」
 
 ところが、ヤマタ先生はすました顔で言った。

「お母さんが、お子さんを連れて北海道にお越しになればいいのです 」

社長さんは、またすっとんきょうな大声を上げた。

「え~~~っ、それじゃ、お父さんは? 一家バラバラ!? 」

それでも、ヤマタ先生はすました顔で言った。

「じゃ、お父さんもご一緒に 」

「え~~~~っ、パン屋さんはど~~するんですか? 」

「 叡智(えいち)大学の学食に開けばよろしい 」

「はあ~~~? 」

「あ、ちょっと失礼 」

 あきれ果てている社長さんを尻目に、ヤマタ先生はつかつかとテーブルに歩み寄ると、母さんが真ん中に置いてあったかごから、ベーカリーSaitoでも一番人気の「朝焼きロールパン 」をつまんで、ぱくっと口に放り込んだ。そして、もぐもぐ食べながらこう言った。

「いや、なかなかおいしい。これだったら、学食でもよく売れます。今、パンは大手メーカーの袋入り製品しか入っ
ていませんから。叡智(えいち)大学の学生は約一万八千人、教職員は四千人。合計約二万二千人が、毎日広いキャンパスで生活している勘定(かんじょう)です。わざわざ外まで買いに行かなくても、キャンパス内にこんなおいしいパン屋があれば、みんなきっと喜んで買います。平均で一人が月に八十円分も買ってくれれば、十分経営は成り立つでしょう? 百二十円分なら、お二人で年収約一千万になります。大丈夫,私が事務室に交渉します。そうなったら、もちろん獣医学部の学生は三食全部パンにさせますよ! はははははは! 」

 みんなは、あっけにとられて口をぽかんとあけていた。

「は、ははは…… 」

母さんだけが笑っていたけど、どうも訳は分かっていないみたいだ。もちろん、オレもちっとも分からない。

  社長さんが、先生をにらみつけながら、喉から絞り出すような声で言った。

 「ちょっと先生!黙って聞いてりゃ、ずいぶん勝手なことおっしゃいますけど、あなた、こちらのお店ご覧になりましたわよね? 」

先生は、すまして答えた。

 「ええ、外観はひと通り。正面に白いバルコニーがあって、レトロ・モダンといいますか、見た目にも夢のある立派なお店ですな 」

 「あ、ありがとうございます 」

母さんが、ぎくしゃくしながら小さな声でお礼を言った。

 それを見た社長さんは、しかめっ面をさらにしかめてまくし立てた。

「あら、分かっていらっしゃるんじゃありませんか! じゃあ、あのバルコニーが、このあたりのランド・マークになるくらい有名だっていうこともご存じですわよね? 朝焼きパンだって行列ができるくらい人気だし、今でも十~~分儲(もう)かっていらっしゃるごようすですのに、何のためにわざわざ、こ~~んなすてきなお店をたたんで、北海道くんだりまで行かなきゃなりませんの? 引っ越しから新しいお店の開店費用まで、いったいいくらかかると思います? それに、トーストちゃんの寿命はあんまり長くないっておっしゃったのは、あなたのほうじゃありませんか! 」

 ヤマタ先生は、少しも動じず、胸を張って答えた。

「教育のためです 」

「は? 」

社長さんは、面食らってますます顔をしかめた。みんなも、予想もしなかった答えに顔を見合わせた。

「私の条件は、出店だけではありません。むしろそれは付随(ふずい)事項で,中心はお子様

二人の教育です 」

 「はあ…… 」

母さんは、目を真ん丸にしている。

 「あ、あたし!? 」

「オ、オレ? 」

オレたちは、同時に言った。

 ヤマタ先生は、少しの間びっくりしているオレたち二人の顔をまじまじと見つめると、おもむろに言った。

「ふむ。お嬢さんはともかく、息子さんのほうはかなり手ごわそうですが、獣医学部の学生で無理なら教育学部の応援も頼んで、必ずお二人を叡智(えいち)大学に入学させてみせます。大丈夫、私が責任をもって指導させますから! そうそう、こちらのお店は居抜きで売り払うか賃貸に出すとよいでしょう。これほどのお店だ。買い手でも借り手でもすぐに付きます。大学の店のほうは、学食の一部として増築させますよ。イート・イン・コーナーも付ければ、学内の人気スポットになること間違いなしだ。西都さん、われわれに不可能はありません。トーストも一緒にご家族そろって美しい北海道でゆったりと暮らして、ゆくゆくはお子様お二人ともが叡智(えいち)大学を卒業してご希望の職業に就く。もちろん、お父さんのパン屋さんをさらに大きくするのもよいでしょう。その場合は、フランスにでも留学されますかな? いやあ、素晴らしい人生じゃありませんか! なんて運のいいご一家なんだ! ははははは! 」

 社長さんは、苦り切った顔で吐き捨てるように言った。

「ばかばかしい! それこそ何の保証もない口約束じゃありませんか! 」

それから、母さんにすり寄ると、猫なで声で言った。

「お母様、騙(だま)されちゃいけませんわ。この太梧ちゃんが叡智(えいち)大学を卒業するなんて、万が一にもあり得ないのは、お母様が一番良くご存じでしょう!? 」

「は、はい! 万が一にも……って、何もそこまでおっしゃるこ……

 母さんが言い終わらないうちに、社長さんはさっと母の手を取って、いっそう甘ったるい声で言った。

「いいえ、奥様。現実をきちんと見つめて方策を立てなきゃいけないのは、ビジネスも子育ても同じですわ。どうかあたくしを信じて、お二人とトーストちゃんをお預けください 」

「あ……でも……お、夫に…… 」

 そうだ、父さんを呼んでこよう!なんで今まで、気が付かなかったんだ!? オレは、玄関に向かって猛ダッシュした。そこに、店の裏に続くドアがある。でも、その時、背中に丸山社長の肩が思い切りぶつかってきた。

「ぎゃあ! 」

社長さんは、大声を上げた。

「わあ! 」

オレはソファに倒れ込むと、もんどりうって床に落ちた。

 どうやら、ヤマタ先生が社長さんを突き飛ばしたらしく、今度は血走った目をした先生が、母さんの肩を両手でがっしりつかんで、こう叫んだ。

「西都さん!私を信じてください! 」

母さんは、顔をゆがめておびえている。

「痛っ……痛い! 」

丸山社長が、先生の背中に怒鳴った。

「何すんのよ、おっさん!! 」

驚いたヤマタ先生が、振り返って言った。

「お、おっさん!?……とうとう正体を現したな、このペテン師が! 」

社長さんは、乱れた髪を両手で後ろにはね上げるようにして直しながら、また怒鳴った。

「うるさいわね! じゃまだって言ってんのよ、おっさん! 四の五の言わずに出ていきな! 」

先生も、社長さんにぐいっと詰め寄って怒鳴った。

「何の権利があって!? あんたこそ、出て行きなさい!! 」

「准教授だか何だか知らないけど、偉そうに言うんじゃないよ、このとんちき! 」

言うか早いか、社長さんは猛獣のようにヤマタ先生につかみかかった。もちろんヤマタ先生も負けてはいない。たちまち激しいもみ合いになった。

「誰がとんちきだと!? 失礼にもほどがある! この、いかれ女めが! 」

「き~~~~~っ!! 」

その時、高知先生が後ろから飛びついて、ヤマタ先生を羽交い締めにしながら言った。

「せ、先生! 落ち着いてください!! 」

「離しなさい!これが、落ち着いていられるか!? 」

 「でも、先生、お立場が…… 」

  「社長~~! 」

杏美ちゃんは、社長さんの後ろで、おろおろしているような、応援しているような声を出した。すると、社長さんは赤くて長い爪でヤマタ先生の顔を無茶苦茶にひっかき始めた。これでは、先生もたまらない。

「き~~~~~~~~! 」

「痛い! やめろ! 離せ、高知! 」

「いいえ、離しません! 」

高知先生は、歯を食いしばっている。

 「痛いっ! 痛いっ! 高知!! 」

中井さんが、高知先生の後ろにすっと寄ってきて言った。

「麻酔剤打ちましょう! 」

高知先生は、歯を食いしばりながら聞いた。

「ど、どっちに!? 」

「両方!! 」

高く突き上げられた中井さんの手には、いつの間にかあの薬瓶が握られていた。アル、アル……なんだっけ?
 すると、社長さんが、急にひっかくのをやめて、乱れた髪を直しながらソファの上のバッグを手に取って言った。

「ふん、こうなったらしょうがないわ 」

それから、社長さんは、おもむろにバッグのファスナーを開けると、中から黒光りのするピストルを取り出して、ゆ
っくりとヤマタ先生に向けて構えたんだ。

「きゃああああああっ!! 」

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