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30 夜会準備
しおりを挟む日がほとんど沈みかけた頃。
サラの屋敷前。
玄関前広場に1台の馬車が止まった。
馬車から降りたのは、長袖水色ワンピースを着た1人の女性。
つばの広い白の帽子を深くかぶっていた。
屋敷内から出てきたサラの侍女が応対する。
「エリーゼ・コストナー様、お待ちしておりました。お嬢様のお部屋へご案内いたします」
「ありがとうございます」
エリーゼは長い赤茶色の髪を軽く後ろに流した。
侍女の後ろについてエリーゼが屋敷内の廊下を歩いていると——。
「——エリーゼさん!」
待ちきれなかったサラは、部屋から出てきてエリーゼのもとへ駆け寄る。
「サラさん、こんばんわ」
エリーゼは照れながら挨拶した。
「素敵なお召し物ですわね。よくお似合いですわ」
「ありがとうございます。サラさんのドレスも素敵です」
サラが着ていた夜会用の真紅のドレスは、白い肌によく似合っていた。
「さぁ、こちらにいらして!」
サラは嬉しそうにエリーゼの手を引っ張った。
「は、はい!」
*
サラの部屋。
「ここは私しかいませんから、くつろいでくださいね」
「はい、では……」
エリーゼは帽子とカツラを脱いだ。
「ふふふ。ケリーさん、エリーゼとしてなれましたか?」
ショートヘアーの髪を手櫛で整えながら、ケリーは眉根を寄せる。
ケリーがエリーゼとして変装したのは今回で3回目だ。
前の2回はアリスと寮でこっそりと行っていたので、公にするのは今回が初めてだった。
「まだですね……。この女性っぽい声に違和感しかないです。学院を出た後、別のところで着替えないといけないのも大変ですねー。それより、本当にあの部屋を使ってもいいんですか?」
ケリーは中心街にある集合住宅のことを言っていた。
そこの一室はサラが個人的に借りている部屋で、しばらく自由に使っていいとのことだ。
「構いませんわ。対価ですもの。エリーゼさんとしての生活拠点も必要でしょ? アダムを連れ込んでも構いませんので」
ケリーはそれを聞いて顔を赤くする。
「ふふふっ。照れたところがお可愛いですわ」
「……ですが、対価としてもらい過ぎな気がしますよ?」
「あら、直接口からもらっているのです。ちょうどいいと思いますよ」
「それならいいですが……。着替える前に対価をお渡ししますね」
「ありがとうございます!」
サラはケリーの言葉で一気に高揚した。
「あれから、私の恋人にもお願いするようになったのですよ。やはり、いつもより美味しく感じますね……」
「そうなんですか」
ケリーはそう言いながらワンピースの肩のボタンを外し、左肩を露出させる。
サラは少し息を荒げながら、後ろから優しく噛み付いた。
「はぁ、あ……」
ケリーは声を漏らす。
その表情はうっとりとしていた。
血を吸われることでリリスから浄化されるような感覚に陥り、ケリーにとって快感でしかない。
*
「——さあ、今からお着替えですわ!」
サラは目を輝かせながら、ケリーを大きな衣装部屋へ引っ張って行った。
「うわ~! すごい数のドレスですね!」
100着を超える色とりどりのドレスが隙間なく掛けられており、ケリーは驚いていた。
「お好きなものを選んでください。試着し放題ですわ」
「迷います……」
ドレスをほとんど着たことがないケリーは、選ぶ基準がさっぱりわからず、キョロキョロするだけだった。
「それなら、カツラを被った方がよさそうですわね。どれが似合うかわかりやすいと思いますわ」
「それもそうですね」
ケリーは奥にある鏡の前で手に持っていたカツラ身につけ、魔法で定着させた。
「ふふふ、私が選んだだけありますわ。そのカツラはとてもお似合いです」
サラは意味ありげな視線をケリーに送る。
そのカツラはエバを連想させる髪だった。
「ケリーさんは鏡の前でそのまま立っていてください。選んで差し上げます」
「お願いします」
「う~ん……ピンク色が良いかもしれませんわ! でも、淡いグリーンもいいですわね~」
サラは片っ端からドレスを手に取り、興奮気味にケリーに合わせていく。
「人の衣装合わせなんて初めてですけど、とても楽しいわ! ケリーさんだからかしらねっ」
「よかったです」
ケリーはサラに合わせて微笑んでいたが、内心はそれを楽しむ余裕はなかった。
アダムに嫌われた時のことが頭から離れず、ずっと気持ちは沈んだままだ。
こんな状況の中、別人を装ってアダムと普通に話せるだろうか、と不安が募っていた。
「——ケリーさん、怖いのですね。でも、今日は仮面があります。気にする必要はありませんよ」
最初からその不安に気づいていたサラは、ケリーにドレスを当てながらそう呟いた。
「やっぱりバレてましたか」
「ええ、私の前では無理しなくていいのですよ」
サラは普段、人の感情に敏感すぎてわざと空気が読めないような態度をとっている。
ケリーを含んだ一部の人間の前でしか今のような本性を現していない。
「サラさんは私に優しすぎます。つい、甘えてしまいます……」
ケリーの目には涙がうっすら溜まっていた。
「まだ出発までに時間はあります。今のうちに負の感情を流しておくのも悪くないと思いますわ」
「はい……」
ケリーはその場に立ったまま、声を殺して泣いた。
*
「——ケリーさん、このドレスが1番似合うかと」
ケリーの涙が落ち着いた頃を見計らって、サラはドレスを手渡した。
ケリーはそれを前に当て、鏡を眺める。
「すごく素敵なドレスです」
スモーキーピンク色のドレスで、フワッと広がる素材。
肩やデコルテは露出され、ケリーの豊満な胸を強調したデザインだ。
背中は薄茶色のリボンでレースアップし、腰より下のスカート部分は大きく広がっていた。
「ケリーさん、ヘアメイクは私が愛する侍女のアイリスにお願いいたしますわ」
「はい」
サラは、先ほどケリーを案内してくれた侍女——アイリスを呼び、隣にあるヘアメイク部屋へ移動した。
*
アイリスはケリーの髪を髪留めで数カ所固定し、メイクから始めた。
ベースメイクでのっぺりした状態から、徐々に鮮やか色が付け加えられていく。
ケリーはアイリスの邪魔にならないよう口をずっと閉じたままだ。
——まるで私が私でなくなっていくみたい……。
化粧の経験がほどんどなかったケリーは、鏡に映る自分を不思議そうに眺めていた。
「ふふふっ、エリーゼさんったら……どんどんお美しくなっていきますわ~」
サラは側で紅茶を飲みながら楽しんでいた。
メイクを終えたアイリスは、ケリーの髪を整え始める。
あえて赤茶の髪を目立たせるため、サラの指示でハーフアップに。
そして、ケリーは見事に美しい女性に変身した。
「エリーゼさん、とてもお美しいですわ!」
ケリーは鏡をじっと見つめる。
——本当にこれが私? 自画自賛で恥ずかしいけど、鏡に映る自分は本当に綺麗……。
「サラさん、アイリスさん、ありがとうございます!」
サラとアイリスは笑顔を返す。
「これで殿方はイチコロですわ~! ほほほほほっ」
「サラさん、今日は仮面を被ったままですよ?」
「そうですが……。万が一仮面が外れてしまっても、誰も気になさらないと思いますわ」
サラは悪戯な笑みを浮かべた。
「ならいいんですが……」
「さあ! この仮面を被って会場へ向かいましょう!」
「はい!」
——アダム、待ってて!
ケリーは心の中でそう叫んだ後、金色の羽の装飾がついた白い仮面を被った。
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