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縮まる距離
2-4.思い出の一部
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見つめられると居心地は悪いのに、心はふわふわと浮かれそうになる。
胸がいっぱいで、空腹はあまり感じない。
そんな中でも、タルトはちゃんと最後まで美味しかった。
甘い空気の流れる中で甘いお菓子を味わいながら食べ、香りのよい紅茶と一緒に楽しむ。
どのくらいゆっくりしていたのかは分からないが、体感時間が随分と短くなっていたらしい。ダニスに「そろそろ行こうか」と言われて店を出ると、いつの間にか太陽が傾き始める時間となっていた。
(時間が経つの、凄く早い気がする)
それほど長居したつもりはなかったが、もうそろそろ帰らなくてはいけない時間だろうか。デートの時間も終わりが近い。
帰る場所は同じはずなのに、なんだか少しだけ寂しさを感じてしまう。そう思ってしまうくらいに、いつもとは違う特別な時間だった。
楽しかったなぁという気持ちと同じくらいに、まだ終わらなければいいのにという気持ちが湧いてしまう。
(でも、これだけ楽しませてもらったばかりなのに、終わるのが寂しいなんて口にしたくないな)
今日は楽しかったです、ありがとうございました。また一緒に出掛けたいです。
そう伝えて今日を綺麗に締めくくるべきだと、リーシャが口を開いた瞬間だった。
カランカランと、どこかで響いた澄んだ音がリーシャ達の耳に届く。
「……? 今の音……」
「ああ、この近くに小さな鐘があるんだ。行ってみる?」
訊ねながら手を差し出され、寂しくて沈みかけた気持ちがまた浮かぶ。
まだ少しこの時間が続くのが嬉しいと、そんな気持ちが滲んでしまったせいだろうか。反射のように口にしたリーシャの返事は、自分で思っていた声量よりも随分と元気なものになってしまった。
「……っはい! 行きたいです」
差し出された手に自分の手を重ね、体温が触れる。
恥ずかしいけど嬉しくて、口元が緩んでしまうのが抑えられない。そんなリーシャを見て、ダニスも楽しそうに瞳を細めた。
*****
少し歩いて長い階段を登った先。簡易的な柵で囲われた場所は意外にも広く、森を上から見下ろすことが出来る。石畳が敷かれて広場のようになっているが、広さの割には人が少なかった。
自由に鳴らすことの出来る鐘はあるけれど、ベンチも店もない場所だ。長い階段を登ってまで遊びに来る人は少ないのだろう。
鐘を鳴らしている恋人が一組と、柵に手をかけて景色を楽しんでいる人が数人。広場を走り回っている子供が二人と、その様子を見守る両親がいるだけ。今までいた街の中と比べると、随分と静かな場所に思える。
しかし不思議と、寂しい場所だとは感じなかった。活気のある場所ではないけれど、ゆっくりと今日のお礼を伝えるのにはぴったりの場所である。
空気が澄んでいて、ここから見える景色も綺麗だ。
「オレンジ色になってて綺麗ですね」
「うん。ちょうど夕日が落ちる時間だね」
もっとよく見える場所へ誘導するようにダニスに手を引かれ、目的であったはずの鐘を素通りし柵へと近付く。
きっと、この時間でなくとも景色を楽しめる場所なのだろう。昼間なら青空の下に広がる深い緑の森を一望でき、夜は建物に遮られない広い星空を眺めることができる。
しかし、昼と夜の境目のこの時間帯も特別だ。暗くなっていく最中の、オレンジに染まった景色。
この時間にしか見ることのできない色が、リーシャの胸をじんわりと熱くさせた。
(光ってるみたいで、すごく綺麗)
――ああ、そうだった。
子供の頃のリーシャも、この色を特別だと思ったのだ。
「……ここ、結婚の約束した場所だ」
細かいことを思い出したわけではない。ただ、不思議とそう思った。
誰かに聞かせるつもりもない、ポツリと溢したリーシャの独り言。しかし、隣にいたダニスの耳には、それがしっかりと聞こえていたらしい。
「ああ、そっか。そうだね。ここでリーシャと約束した」
返事があったことに驚いて隣を見上げると、優しく微笑みを浮かべたダニスと目が合う。
サァッと吹き抜けた風に髪を乱されたあと、リーシャの髪を優しく撫でたダニスが続けて口を開いた。
「リーシャが忘れていった鞄を届けたあとの話だよね。そのお礼に綺麗な景色が見られる場所を教えてあげるねってリーシャが連れてきてくれて……約束したのもその時。折り紙で作った指輪を交換して、結婚しようって約束をした」
「あ……」
見覚えのある景色の中。当時の状況をダニスが細かく説明してくれて、いろいろ忘れていたリーシャも少しだけ過去のことを思い出す。
忘れ物の鞄を届けてもらったあとに、夕日に染まる景色を見た。折り紙で指輪をふたつ作って、片方を自分の指に填めた。
――確かに、そんなことがあった気がする。
その程度のぼんやりとした記憶ではあるけれど、共通の思い出に少しだけ触れられた気がした。
(何が必要か分からなくて、いつもパンパンに膨れた鞄を持ってたな)
今は決まった物しか持ち歩いていないけれど、子供の時はごちゃごちゃといろんなものを鞄に入れていたのだ。
ダニスが言った折り紙もそのうちのひとつで、それは当時の父がくれた魔道具だった。新商品の試作として作ったが、売れないという結論が出て商品にするのを止めたらしい。
形状を保存する魔法がかけられた折り紙は、形を作ってしばらく経つとそのまま固定され、濡れても潰しても簡単には壊れなくなるというものだった。
今より小さい自分の手が、石畳の上で折り紙を押さえつけていた様子を思い出す。
折って丸めて指輪の形に整えて、ふたつ作ったうちの片方を相手に渡したのだ。鞄を届けてくれたお礼にアクセサリーをあげると、そんな感じのことを言った気がする。
そうしたら、相手の男の子が指輪を受け取りながら笑って言った。
「指輪の交換するなんて、結婚する時みたいだね」
厳密に言えば交換ではなかったし、きっとその言葉に深い意味なんてなかったのだろう。
それを言われた幼いリーシャも、深い意味を考えずに返事をした。
「じゃあそうしようか。結婚は契約だから契約書を書かなくちゃね」
そんな、幼かった時の会話をぼんやりと思い出す。
あの頃のリーシャは、とにかく契約書を書く遊びにハマっていたのだ。
買い物に連れて行ってくれると言った母に、おもちゃを買ってくれると言った父に、アップルパイを作ってくれると言った祖母に。
何かある度に手書きの契約書を作り、得意げな顔で相手に渡していた。
下手な字で、なんでもない約束を認めた契約書。大人はどういう気持ちで、あれを受け取ってくれていたのだろうか。子供のごっこ遊びとはいえ、今思うと少しだけ恥ずかしい。
渡したのが折り紙の指輪だけだった方が、まだ子供らしくて可愛げがある。
(そういえば、あの指輪はどうしたんだっけ……?)
いくら考えても思い出せず、幼い自分は簡単になくしてしまったのだろうなという結論に至る。そこまで考えたところで、ふと、泣きながら契約書を片付けた記憶が頭を過った。
泣きながら帰って、本棚に近付いて、せめて契約書はなくさないようにしようと、お気に入りだった絵本に一枚の紙を挟んだような……そんな記憶が薄らとリーシャの脳に蘇る。
「あの、ダニス様、私いま……」
「お久しぶりですダニス殿下!」
契約書を片付けた場所が分かったかもしれませんと、そう言いかけたリーシャの言葉は、急に響いた女性の大きな声に掻き消された。
殿下と呼ばれたのが耳に入ったのだろう。広場にいた数人の視線がダニスの方を向く。
「……ああ、フリシアラ嬢」
フリシアラと名前を呼ばれた女性は、嬉しそうに笑ってダニスに近付く。隣にいるリーシャには一瞥もくれず、まるで見えてもいないようだった。
その少し後方では、今までずっと姿を隠していた護衛の人達が今日初めてリーシャ達の視界に現れる。
頑張って撒こうとしたのですがとでも言いたげに、申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
(全然、謝られることではないけど……)
自分のことを全く見ない女性に、リーシャはちらりと視線を向ける。
身なりからして、どこかのご令嬢なのだろう。綺麗なブロンドがふわりと揺れて、長い睫毛に縁取られた瞳はキラキラとダニスを見つめていた。
会えて話せることが嬉しいと、全身から放つような笑顔だ。
「今日、殿下が街に来ていると噂になっていましたので、是非お会いしたくてわたくしも来てしまいました」
「ああ、そうでしたか。探してくださってありがとうございます」
にこりと笑って返すダニスは、物腰も表情も柔らかい。けれど、どこまでも他人行儀な話し方だ。さきほどまでリーシャに向けられていた声とは全然違って聞こえる。
「せっかくお会いしたのですが、今日はもうそろそろ帰ろうと思っていたところです。申し訳ないのですが、フリシアラ嬢とはまたの機会に」
「そんなぁ、ほんの少しだけでもお時間いただけませんか? ほら、先日お話したパートナーの件も、まだお返事いただけてないですし」
やんわりと笑顔で躱そうとしたところを、フリシアラが悲しげな声を出して食い下がる。
きっと、あまり無下にはできない相手で、それなりに交流のある人なのだろう。
何か話をするのならここにリーシャがいるのは不自然だし、邪魔になってしまうかもしれない。いろいろな横のつながりが大切だということくらい、リーシャだって知っている。
「あの、お話があるなら私は先に……」
「ううん。すぐ終わる話だから、リーシャはここにいて」
耳打ちされた声は近く、親しげに砕けた口調に少しだけ嬉しくなってしまう。
こんなに綺麗な人を前にしても自分を大切にしてくれて安心したとか、これはそんな可愛い感情ではなかった。
私にだけ優しくしてくれて嬉しいと、そんな優越感に似た仄暗くて汚い感情だ。
自分の中に湧いたその感情にリーシャが戸惑うのと同時に、フリシアラの視線が初めてリーシャの方へと向けられる。
嬉しくて緩みかけた表情をフリシアラに見られたような気がして、ぐっと胸の辺りが苦しくなった。今の自分は、見る人が見たら悪役のような顔をしていそうだ。そんな顔を誰かの記憶に刻みたくはない。
思わず俯いてしまったリーシャを庇うようにして、ダニスが少し体勢を変える。気を遣わせるような態度をとってしまったと気付き、また少しだけ呼吸がしづらくなった。
「もともと長居するつもりのなかったパーティーですし、やはり俺ではフリシアラ嬢のエスコート役はできそうにありません。では、そろそろ戻らなくてはいけない時間なので」
それだけ言うとリーシャの手を引き、ダニスはフリシアラに背を向けて歩き出した。フリシアラの横を通り過ぎた一瞬、睨むような視線がリーシャの方に向けられが、手を引かれたままのリーシャは足を止めることもできない。
それ以上はフリシアラに引き止められることもなく、広場を後にしたリーシャとダニスは、そのまま帰りの馬車に乗り込んだのだった。
胸がいっぱいで、空腹はあまり感じない。
そんな中でも、タルトはちゃんと最後まで美味しかった。
甘い空気の流れる中で甘いお菓子を味わいながら食べ、香りのよい紅茶と一緒に楽しむ。
どのくらいゆっくりしていたのかは分からないが、体感時間が随分と短くなっていたらしい。ダニスに「そろそろ行こうか」と言われて店を出ると、いつの間にか太陽が傾き始める時間となっていた。
(時間が経つの、凄く早い気がする)
それほど長居したつもりはなかったが、もうそろそろ帰らなくてはいけない時間だろうか。デートの時間も終わりが近い。
帰る場所は同じはずなのに、なんだか少しだけ寂しさを感じてしまう。そう思ってしまうくらいに、いつもとは違う特別な時間だった。
楽しかったなぁという気持ちと同じくらいに、まだ終わらなければいいのにという気持ちが湧いてしまう。
(でも、これだけ楽しませてもらったばかりなのに、終わるのが寂しいなんて口にしたくないな)
今日は楽しかったです、ありがとうございました。また一緒に出掛けたいです。
そう伝えて今日を綺麗に締めくくるべきだと、リーシャが口を開いた瞬間だった。
カランカランと、どこかで響いた澄んだ音がリーシャ達の耳に届く。
「……? 今の音……」
「ああ、この近くに小さな鐘があるんだ。行ってみる?」
訊ねながら手を差し出され、寂しくて沈みかけた気持ちがまた浮かぶ。
まだ少しこの時間が続くのが嬉しいと、そんな気持ちが滲んでしまったせいだろうか。反射のように口にしたリーシャの返事は、自分で思っていた声量よりも随分と元気なものになってしまった。
「……っはい! 行きたいです」
差し出された手に自分の手を重ね、体温が触れる。
恥ずかしいけど嬉しくて、口元が緩んでしまうのが抑えられない。そんなリーシャを見て、ダニスも楽しそうに瞳を細めた。
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少し歩いて長い階段を登った先。簡易的な柵で囲われた場所は意外にも広く、森を上から見下ろすことが出来る。石畳が敷かれて広場のようになっているが、広さの割には人が少なかった。
自由に鳴らすことの出来る鐘はあるけれど、ベンチも店もない場所だ。長い階段を登ってまで遊びに来る人は少ないのだろう。
鐘を鳴らしている恋人が一組と、柵に手をかけて景色を楽しんでいる人が数人。広場を走り回っている子供が二人と、その様子を見守る両親がいるだけ。今までいた街の中と比べると、随分と静かな場所に思える。
しかし不思議と、寂しい場所だとは感じなかった。活気のある場所ではないけれど、ゆっくりと今日のお礼を伝えるのにはぴったりの場所である。
空気が澄んでいて、ここから見える景色も綺麗だ。
「オレンジ色になってて綺麗ですね」
「うん。ちょうど夕日が落ちる時間だね」
もっとよく見える場所へ誘導するようにダニスに手を引かれ、目的であったはずの鐘を素通りし柵へと近付く。
きっと、この時間でなくとも景色を楽しめる場所なのだろう。昼間なら青空の下に広がる深い緑の森を一望でき、夜は建物に遮られない広い星空を眺めることができる。
しかし、昼と夜の境目のこの時間帯も特別だ。暗くなっていく最中の、オレンジに染まった景色。
この時間にしか見ることのできない色が、リーシャの胸をじんわりと熱くさせた。
(光ってるみたいで、すごく綺麗)
――ああ、そうだった。
子供の頃のリーシャも、この色を特別だと思ったのだ。
「……ここ、結婚の約束した場所だ」
細かいことを思い出したわけではない。ただ、不思議とそう思った。
誰かに聞かせるつもりもない、ポツリと溢したリーシャの独り言。しかし、隣にいたダニスの耳には、それがしっかりと聞こえていたらしい。
「ああ、そっか。そうだね。ここでリーシャと約束した」
返事があったことに驚いて隣を見上げると、優しく微笑みを浮かべたダニスと目が合う。
サァッと吹き抜けた風に髪を乱されたあと、リーシャの髪を優しく撫でたダニスが続けて口を開いた。
「リーシャが忘れていった鞄を届けたあとの話だよね。そのお礼に綺麗な景色が見られる場所を教えてあげるねってリーシャが連れてきてくれて……約束したのもその時。折り紙で作った指輪を交換して、結婚しようって約束をした」
「あ……」
見覚えのある景色の中。当時の状況をダニスが細かく説明してくれて、いろいろ忘れていたリーシャも少しだけ過去のことを思い出す。
忘れ物の鞄を届けてもらったあとに、夕日に染まる景色を見た。折り紙で指輪をふたつ作って、片方を自分の指に填めた。
――確かに、そんなことがあった気がする。
その程度のぼんやりとした記憶ではあるけれど、共通の思い出に少しだけ触れられた気がした。
(何が必要か分からなくて、いつもパンパンに膨れた鞄を持ってたな)
今は決まった物しか持ち歩いていないけれど、子供の時はごちゃごちゃといろんなものを鞄に入れていたのだ。
ダニスが言った折り紙もそのうちのひとつで、それは当時の父がくれた魔道具だった。新商品の試作として作ったが、売れないという結論が出て商品にするのを止めたらしい。
形状を保存する魔法がかけられた折り紙は、形を作ってしばらく経つとそのまま固定され、濡れても潰しても簡単には壊れなくなるというものだった。
今より小さい自分の手が、石畳の上で折り紙を押さえつけていた様子を思い出す。
折って丸めて指輪の形に整えて、ふたつ作ったうちの片方を相手に渡したのだ。鞄を届けてくれたお礼にアクセサリーをあげると、そんな感じのことを言った気がする。
そうしたら、相手の男の子が指輪を受け取りながら笑って言った。
「指輪の交換するなんて、結婚する時みたいだね」
厳密に言えば交換ではなかったし、きっとその言葉に深い意味なんてなかったのだろう。
それを言われた幼いリーシャも、深い意味を考えずに返事をした。
「じゃあそうしようか。結婚は契約だから契約書を書かなくちゃね」
そんな、幼かった時の会話をぼんやりと思い出す。
あの頃のリーシャは、とにかく契約書を書く遊びにハマっていたのだ。
買い物に連れて行ってくれると言った母に、おもちゃを買ってくれると言った父に、アップルパイを作ってくれると言った祖母に。
何かある度に手書きの契約書を作り、得意げな顔で相手に渡していた。
下手な字で、なんでもない約束を認めた契約書。大人はどういう気持ちで、あれを受け取ってくれていたのだろうか。子供のごっこ遊びとはいえ、今思うと少しだけ恥ずかしい。
渡したのが折り紙の指輪だけだった方が、まだ子供らしくて可愛げがある。
(そういえば、あの指輪はどうしたんだっけ……?)
いくら考えても思い出せず、幼い自分は簡単になくしてしまったのだろうなという結論に至る。そこまで考えたところで、ふと、泣きながら契約書を片付けた記憶が頭を過った。
泣きながら帰って、本棚に近付いて、せめて契約書はなくさないようにしようと、お気に入りだった絵本に一枚の紙を挟んだような……そんな記憶が薄らとリーシャの脳に蘇る。
「あの、ダニス様、私いま……」
「お久しぶりですダニス殿下!」
契約書を片付けた場所が分かったかもしれませんと、そう言いかけたリーシャの言葉は、急に響いた女性の大きな声に掻き消された。
殿下と呼ばれたのが耳に入ったのだろう。広場にいた数人の視線がダニスの方を向く。
「……ああ、フリシアラ嬢」
フリシアラと名前を呼ばれた女性は、嬉しそうに笑ってダニスに近付く。隣にいるリーシャには一瞥もくれず、まるで見えてもいないようだった。
その少し後方では、今までずっと姿を隠していた護衛の人達が今日初めてリーシャ達の視界に現れる。
頑張って撒こうとしたのですがとでも言いたげに、申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
(全然、謝られることではないけど……)
自分のことを全く見ない女性に、リーシャはちらりと視線を向ける。
身なりからして、どこかのご令嬢なのだろう。綺麗なブロンドがふわりと揺れて、長い睫毛に縁取られた瞳はキラキラとダニスを見つめていた。
会えて話せることが嬉しいと、全身から放つような笑顔だ。
「今日、殿下が街に来ていると噂になっていましたので、是非お会いしたくてわたくしも来てしまいました」
「ああ、そうでしたか。探してくださってありがとうございます」
にこりと笑って返すダニスは、物腰も表情も柔らかい。けれど、どこまでも他人行儀な話し方だ。さきほどまでリーシャに向けられていた声とは全然違って聞こえる。
「せっかくお会いしたのですが、今日はもうそろそろ帰ろうと思っていたところです。申し訳ないのですが、フリシアラ嬢とはまたの機会に」
「そんなぁ、ほんの少しだけでもお時間いただけませんか? ほら、先日お話したパートナーの件も、まだお返事いただけてないですし」
やんわりと笑顔で躱そうとしたところを、フリシアラが悲しげな声を出して食い下がる。
きっと、あまり無下にはできない相手で、それなりに交流のある人なのだろう。
何か話をするのならここにリーシャがいるのは不自然だし、邪魔になってしまうかもしれない。いろいろな横のつながりが大切だということくらい、リーシャだって知っている。
「あの、お話があるなら私は先に……」
「ううん。すぐ終わる話だから、リーシャはここにいて」
耳打ちされた声は近く、親しげに砕けた口調に少しだけ嬉しくなってしまう。
こんなに綺麗な人を前にしても自分を大切にしてくれて安心したとか、これはそんな可愛い感情ではなかった。
私にだけ優しくしてくれて嬉しいと、そんな優越感に似た仄暗くて汚い感情だ。
自分の中に湧いたその感情にリーシャが戸惑うのと同時に、フリシアラの視線が初めてリーシャの方へと向けられる。
嬉しくて緩みかけた表情をフリシアラに見られたような気がして、ぐっと胸の辺りが苦しくなった。今の自分は、見る人が見たら悪役のような顔をしていそうだ。そんな顔を誰かの記憶に刻みたくはない。
思わず俯いてしまったリーシャを庇うようにして、ダニスが少し体勢を変える。気を遣わせるような態度をとってしまったと気付き、また少しだけ呼吸がしづらくなった。
「もともと長居するつもりのなかったパーティーですし、やはり俺ではフリシアラ嬢のエスコート役はできそうにありません。では、そろそろ戻らなくてはいけない時間なので」
それだけ言うとリーシャの手を引き、ダニスはフリシアラに背を向けて歩き出した。フリシアラの横を通り過ぎた一瞬、睨むような視線がリーシャの方に向けられが、手を引かれたままのリーシャは足を止めることもできない。
それ以上はフリシアラに引き止められることもなく、広場を後にしたリーシャとダニスは、そのまま帰りの馬車に乗り込んだのだった。
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