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縮まる距離
2-6.バルコニーの一幕
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多忙なダニスがリーシャとゆっくり出かけるような時間はなく、二度目のデートはまだ出来ていない。
しかし、リーシャがそれを寂しく思うこともなく、パーティーまでの二週間、ダニスほどではないけれどリーシャもいろいろと忙しくしていた。
商会の仕事の一環として社交の場に出ることは今までにもあったし、礼儀作法の心得はある。それでも、関係者の顔と名前を覚えておこうと思ったら資料を揃えるところから始めなくてはいけないし、ドレスや靴のサイズ合わせなど細々とした準備にもそれなりに時間を要した。
お互いに自分のやるべきことをこなしているうちにあっという間に二週間は過ぎ、気がついたらもうパーティーの当日だ。
「うん、いいね。いつもより綺麗でドキッとする」
リーシャの準備が終わったと使用人から聞き、部屋まで迎えに来てくれたダニスの言葉に嬉しくなる。
今からパーティーに行くのだから当然なのだが、普段よりも着飾ったダニスはいつも以上に素敵に見えた。思わずドキッとしてしまったのは、リーシャだって同じだ。
知ってる人のはずなのに、見慣れない格好のせいでなんだか少し照れ臭い。
「ダニス様も、いつも以上にかっこいいです」
「ありがとう。リーシャも似合ってる」
いつもと同じ表情で優しく笑いかけられると、顔が緩むのを抑えられない。
リーシャのこの顔を、ダニスはもう見慣れているのだろう。リーシャが笑う度にダニスが嬉しそうに目を細めるのはいつも通りの反応だった。
確かに二度目のデートは出来ていないけれど、それはただ日中一緒に外出する時間が取れなかっただけ。一緒に食事をしたり、食後に話をしたりと、二人きりで過ごす時間は十分にあった。
そういう時間を重ねていくうちに、ダニスとの距離はさらに近くなったように思う。
出会ったばかりの頃と比べて、リーシャもずいぶんとダニスの側にいることに慣れた。
「ダニス様に似合うって言ってもらえてよかったです。この格好、どこも問題なさそうですか?」
「うん。ああ、でも……ちょっと待って」
「え……?」
軽く顎を持ち上げられ、急にダニスとの距離が近くなる。そのまま形をなぞるようにして、ダニスの親指がリーシャの唇に触れた。
「あ、あの……?」
「ああ、少し色が濃い気がして、このくらいの方がいいと思う」
あまりにも自然に唇に触れられて、詰められた距離にドキドキしてしまう。
自分でも少しだけルージュの色が濃い気がしていたから、細かいことまで気付いてもらえるのは正直に嬉しい。それでもさすがに、この距離で顔を覗かれるのは恥ずかしくなる。
「……う、あの……直りましたか?」
「うん、このくらいの色の方が似合ってる」
「えっと、ありがとうございます」
「ふふっ、そんなに可愛い顔をされると、外に出したくなくなっちゃうな」
「えっ……⁈」
「ごめん、気にしないで。じゃあ行こうか」
ダニスがこういう言い方をするのも嬉しそうにリーシャも見つめるのも、いつも通りと言えばいつも通りだ。それでも、いつも以上に甘いように感じるのはリーシャの気のせいなのだろうか。
恭しくエスコートされ、ダニスと共に馬車の元まで移動する。熱くなった顔を冷やしてくれるようで、冷たいはずの夜風が気持ち良く感じられた。
*****
ダニスと共に会場へ足を踏み入れた瞬間は少しざわついた気もしたが、不思議と関係を詮索されることはなかった。リーシャも数人と挨拶をすることはあったけれど、本当に挨拶程度の話をして終わりだ。商会長によろしく言っておいてくださいと、そんなことを数人に言われただけである。
どうやらダニスはリーシャのことを「彼女はクラウディア商会のご令嬢です。ちょうど城に滞在している最中だったので、交流も兼ねて同行してもらっています」とだけ伝えてくれているらしい。
商売をしている人間が顔を売りに交流の場に訪れるのは珍しいことではないし、聞いた人はそれで納得してくれたのだろう。クラウディア商会には普段から世話になっているからと、父の知り合いだという人達にリーシャは何度か声をかけられた。
誰かと話をしている時も、基本的にはダニスがリーシャの隣にいる。それでも「少し挨拶をしてくるから」とダニスがリーシャから離れる時間はあり、その間は一人でダニスが戻るのを待つことになる。
見知った顔にリーシャが声をかけられたのは、ちょうどダニスが離れたタイミングだった。
「ねぇ。少しお話をしたいのだけれど、一緒に来てくださる?」
リーシャに近付いてきたのは、二週間前に初めて顔を合わせた美しい女性だ。
以前会った時はまともに挨拶も出来なかったが、ダニスから教えてもらったのでもう名前を知っている。
「フリシアラ様……」
「あら。わたくしのこと、ダニス殿下から聞いていらっしゃるのかしら。まあ、挨拶をしにきたわけではありませんし、とりあえず着いて来てくださる?」
「あ、え? え、あの……?」
背を向けて歩き出したフリシアラの方向へ進ませるように、リーシャの後ろにピタリと張り付いた人物に背中を押される。いまリーシャのことを押しているのは、フリシアラの付き人か何かなのだろう。
連れて行かれたのがそこまで遠い場所ではないということもあり、半ばむりやり移動させられる形となってしまった。
会場から数分もかからないうちに到着した、白い柵に囲われたバルコニー。室外の狭い空間に押し出されると同時に、リーシャの後ろで扉が閉まる。
ただ外の空気を吸うために用意された空間は狭く、リーシャとフリシアラ以外に人はいない。扉を閉められてしまうと、パーティー会場とは完全に隔たれた空間となった。
頬に触れる夜風が冷たい。しかしそれ以上に、目の前に立つフリシアラの眼差しの方が冷たかった。
扉の向こう側には、リーシャをここに連れてきたフリシアラの付き人が立っているのだろう。リーシャが手で押してみても微塵も動かず開かない。
「ああ、少しお話がしたいだけだからお時間は取らせないわ。先日お会いしたあとに調べさせたのだけど、あなた、クラウディア商会のご令嬢ですのね?」
「……ええ、そうですけど」
「ダニス殿下の方があなたをもてなしているようでしたから、少し疑問だったの。勘違いしていたら可哀想ですし、どうして親切にされているのか教えて差し上げた方がいいと思って」
フリシアラの桃色の瞳が、リーシャを嘲笑するように細くなる。長い睫毛が目元に影を落とし、それだけでフリシアラの迫力が増したように感じた。
「あなた、殿下からいきなり婚約しようとか言われていたりしません? ほら、クラウディア家と言ったら有名な魔法使いの一族でしょう?」
「え……」
どうしてフリシアラがそれを知っているのだろう。
子供のころに約束をしたという事実はあるけれど、確かに最初はいきなりすぎるプロポーズから始まった。
フリシアラの問いにどう返事をしていいのか分からず、両手を胸の前で組んだままリーシャは固まってしまう。
「ああ、やっぱりそうですの? まあ、ダニス殿下は魔法が苦手らしいものね? それ以外は完璧だからこそ、魔法が使えないことを気にしていらっしゃるんじゃないかしら。だから補える存在が欲しかったのね」
「え、っと……? どういう……」
「ですから、魔力のある血筋のあなたと婚約すれば、魔法が使える後継が生まれる可能性が高いでしょう? ダニス殿下に足りないとすればそこだけでしょうし、正式に王位を継承する前に完璧にしたかったのではないかしら。それにしては、選んだ相手があなただなんて見る目がないけれど」
じっとりとした喋り方がいやに耳につく。品定めをされるように上から下まで視認され、居心地の悪さに怯みそうになった。
「あなた、魔法陣を描いてようやく簡単な魔法を発動できる程度なのでしょう? 魔法使いの一族なのに商人になった父親と同じ、あなたにも才能がない気がするけれど……まあ、血筋ってだけで大きいわよね? そういうアピールをして取り入るところは、商人らしくちゃっかりしているの?」
「……っ」
「どう取り入ったのか知らないけれど、こんなところまでついてくるなんて随分とみっともない真似を……」
「はい、おしまい。本当、リーシャもそんなの素直に聞いていなくてもいいのに」
「えっ……?」
変わらず扉は閉まったままで、バルコニーへの入り口は閉ざされている。そんな状況にもかかわらず、リーシャとフリシアラの間に急にダニスが姿を現す。
そのまま数歩歩いたダニスは、フリシアラと対峙するようにしてリーシャの隣に立った。
「いろいろと考えてくれたみたいだけど、そんなくだらない理由じゃないよ」
「あっ、え、ダニス殿下……!」
「俺が近くにいること分かってるはずなのに、リーシャを呼び出してこんなこと言うなんて勇気があるよね」
分かりやすく狼狽えるフリシアラを前に、ゆったりとした口調でダニスは話す。焦っているわけでも怒っているわけでもないようだが、機嫌はあまり良くなさそうだ。
「とりあえず、あまり見当違いなことを彼女に聞かせないでくれる? そんな話のために外に連れ出すのも、リーシャの体が冷えるから止めて欲しいな」
そう言ったダニスが、抱き寄せるようにリーシャの肩に腕を回した。
今の状況が理解できないまま、リーシャの目の前で話が勝手に進んでいく。
「ああ、そうだ。別に使う必要がなかっただけで、俺は魔法が使えないわけでも苦手なわけでもないよ」
ダニスがそう宣言すると同時に、囁くような声量での詠唱がリーシャの耳に届く。その声が途切れると同時に、リーシャとダニスの体は白い光に包まれていた。
あたたかい魔力が肌に触れ、転移魔法だと気付いた時には景色が変わっている。
光が消えて足が着いた場所は、いつもお茶をするのに使っているダニスの私室だった。
見慣れた場所に安心すると同時に、自分のせいでパーティーを抜け出すことになったのだと気付いて、リーシャからさっと血の気が引いた。
「え? あっ、こんな……ごめんなさい。早く会場に戻らないと」
「必要な挨拶は全部済ませたあとだし、このまま戻らなくても何も問題ないよ。もともと今日はすぐに帰る予定だった」
「でも……」
「今ので伝わってると思うけど、誤解されると嫌だからちゃんと言っておくね。俺が魔法を使えないなんてことはないし、魔力が欲しくてリーシャに近付いたわけじゃないから」
わざわざ言葉にしなくても、魔法が苦手でないことは今の転移魔法で十分に伝わった。それでも、ダニスが優しく否定してくれると安心する。
こうやって先回りのフォローをしてくれる優しさに、リーシャは何度も救われてきた。
「……あ。あの、ありがとうございます。いつも優しく気遣っていただいて」
「気を遣って言ってるわけじゃないよ。ただリーシャに勘違いされたくないだけなんだけど、ちゃんと伝わってる?」
「……っあ、もちろん、ちゃんと伝わってます。誤解も勘違いもしてないので、大丈夫……」
不安そうな顔でじっと見つめられると、なんだか胸の辺りがおかしくなる。思わず目を伏せてしまったが、そんなリーシャの返事を聞いたダニスは、「それならいいんだけど」とほっと息を漏らした。
(フリシアラ様にはいろいろと言われたけれど、私が知ってるダニス様は魔法使いの血筋を欲しがるような人じゃない)
確かに、ダニスが魔法を使うところを見たのは今日が初めてだ。ほとんど力を使わないのだから、使えないと勘違いする人がいてもおかしくないし、だからこそ生じた誤解なのだろう。
しかし、ダニスは王族なのだから、もともと魔法が使える血筋なのだ。
歴史の勉強をしていれば誰でも知っていること。いまさら驚くようなことではない。
──はるか昔、まだ国という概念もなかった時代は、魔法を使える人間が絶大な権力を持っていた。不思議で便利な力が使えるというだけで崇められていた時代である。
自分の望みを優先しろと争う人々をまとめあげるため、絶大な人気を誇っていた魔法使いは国を作り政治を始めたのだ。その血筋が今の王族として続いている。
リーシャの祖先も魔法が使えたわけだが、誰もが人の上に立ちたがるわけではないのだろう。クラウディア家のように、王族ではないけれど、歴代多くの魔法使いが生まれる家系というものも存在する。
人の上に立ち、政治を行いたい魔法使いは王族となり一国を築き上げた。
人前に立ちたくなかったり、ただ魔法の研究をしていたかった者は細々と好きなことに没頭し、その結果現在は魔法使いの一族と呼ばれている。
ダニスも長く続く王家の血筋で魔力を有していると、それだけのことだ。
必要ないという言葉通り、魔法を使わなくても不便がないから普段はその力を使わないだけなのだろう。それでも、フリシアラの言葉を否定するために魔法を使ってくれたのだと思うと、そのことがリーシャは嬉しかった。
笑いながらもう一度お礼の言葉を口にすると、ダニスが困ったように微笑む。伸ばされた指先がリーシャの頬を撫で、近い距離で視線が交わった。
「俺のことなんて何も知らずに、心無い言葉をかけてくる奴がいると思う。できる限り守るから、なんでも言って」
「……っ」
どこまでも優しい声が、直接心臓に触れたような気がした。咄嗟に返事ができず、ぶわりと広がった感情をどう表現していいのか分からない。
喉の奥で言葉が詰まり、短い息だけがリーシャの口から漏れる。
この瞬間に、また変わった。さらに深いところに落とされてしまったのだと自覚して、触れられた頬に熱が溜まる。
しかし、リーシャがそれを寂しく思うこともなく、パーティーまでの二週間、ダニスほどではないけれどリーシャもいろいろと忙しくしていた。
商会の仕事の一環として社交の場に出ることは今までにもあったし、礼儀作法の心得はある。それでも、関係者の顔と名前を覚えておこうと思ったら資料を揃えるところから始めなくてはいけないし、ドレスや靴のサイズ合わせなど細々とした準備にもそれなりに時間を要した。
お互いに自分のやるべきことをこなしているうちにあっという間に二週間は過ぎ、気がついたらもうパーティーの当日だ。
「うん、いいね。いつもより綺麗でドキッとする」
リーシャの準備が終わったと使用人から聞き、部屋まで迎えに来てくれたダニスの言葉に嬉しくなる。
今からパーティーに行くのだから当然なのだが、普段よりも着飾ったダニスはいつも以上に素敵に見えた。思わずドキッとしてしまったのは、リーシャだって同じだ。
知ってる人のはずなのに、見慣れない格好のせいでなんだか少し照れ臭い。
「ダニス様も、いつも以上にかっこいいです」
「ありがとう。リーシャも似合ってる」
いつもと同じ表情で優しく笑いかけられると、顔が緩むのを抑えられない。
リーシャのこの顔を、ダニスはもう見慣れているのだろう。リーシャが笑う度にダニスが嬉しそうに目を細めるのはいつも通りの反応だった。
確かに二度目のデートは出来ていないけれど、それはただ日中一緒に外出する時間が取れなかっただけ。一緒に食事をしたり、食後に話をしたりと、二人きりで過ごす時間は十分にあった。
そういう時間を重ねていくうちに、ダニスとの距離はさらに近くなったように思う。
出会ったばかりの頃と比べて、リーシャもずいぶんとダニスの側にいることに慣れた。
「ダニス様に似合うって言ってもらえてよかったです。この格好、どこも問題なさそうですか?」
「うん。ああ、でも……ちょっと待って」
「え……?」
軽く顎を持ち上げられ、急にダニスとの距離が近くなる。そのまま形をなぞるようにして、ダニスの親指がリーシャの唇に触れた。
「あ、あの……?」
「ああ、少し色が濃い気がして、このくらいの方がいいと思う」
あまりにも自然に唇に触れられて、詰められた距離にドキドキしてしまう。
自分でも少しだけルージュの色が濃い気がしていたから、細かいことまで気付いてもらえるのは正直に嬉しい。それでもさすがに、この距離で顔を覗かれるのは恥ずかしくなる。
「……う、あの……直りましたか?」
「うん、このくらいの色の方が似合ってる」
「えっと、ありがとうございます」
「ふふっ、そんなに可愛い顔をされると、外に出したくなくなっちゃうな」
「えっ……⁈」
「ごめん、気にしないで。じゃあ行こうか」
ダニスがこういう言い方をするのも嬉しそうにリーシャも見つめるのも、いつも通りと言えばいつも通りだ。それでも、いつも以上に甘いように感じるのはリーシャの気のせいなのだろうか。
恭しくエスコートされ、ダニスと共に馬車の元まで移動する。熱くなった顔を冷やしてくれるようで、冷たいはずの夜風が気持ち良く感じられた。
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ダニスと共に会場へ足を踏み入れた瞬間は少しざわついた気もしたが、不思議と関係を詮索されることはなかった。リーシャも数人と挨拶をすることはあったけれど、本当に挨拶程度の話をして終わりだ。商会長によろしく言っておいてくださいと、そんなことを数人に言われただけである。
どうやらダニスはリーシャのことを「彼女はクラウディア商会のご令嬢です。ちょうど城に滞在している最中だったので、交流も兼ねて同行してもらっています」とだけ伝えてくれているらしい。
商売をしている人間が顔を売りに交流の場に訪れるのは珍しいことではないし、聞いた人はそれで納得してくれたのだろう。クラウディア商会には普段から世話になっているからと、父の知り合いだという人達にリーシャは何度か声をかけられた。
誰かと話をしている時も、基本的にはダニスがリーシャの隣にいる。それでも「少し挨拶をしてくるから」とダニスがリーシャから離れる時間はあり、その間は一人でダニスが戻るのを待つことになる。
見知った顔にリーシャが声をかけられたのは、ちょうどダニスが離れたタイミングだった。
「ねぇ。少しお話をしたいのだけれど、一緒に来てくださる?」
リーシャに近付いてきたのは、二週間前に初めて顔を合わせた美しい女性だ。
以前会った時はまともに挨拶も出来なかったが、ダニスから教えてもらったのでもう名前を知っている。
「フリシアラ様……」
「あら。わたくしのこと、ダニス殿下から聞いていらっしゃるのかしら。まあ、挨拶をしにきたわけではありませんし、とりあえず着いて来てくださる?」
「あ、え? え、あの……?」
背を向けて歩き出したフリシアラの方向へ進ませるように、リーシャの後ろにピタリと張り付いた人物に背中を押される。いまリーシャのことを押しているのは、フリシアラの付き人か何かなのだろう。
連れて行かれたのがそこまで遠い場所ではないということもあり、半ばむりやり移動させられる形となってしまった。
会場から数分もかからないうちに到着した、白い柵に囲われたバルコニー。室外の狭い空間に押し出されると同時に、リーシャの後ろで扉が閉まる。
ただ外の空気を吸うために用意された空間は狭く、リーシャとフリシアラ以外に人はいない。扉を閉められてしまうと、パーティー会場とは完全に隔たれた空間となった。
頬に触れる夜風が冷たい。しかしそれ以上に、目の前に立つフリシアラの眼差しの方が冷たかった。
扉の向こう側には、リーシャをここに連れてきたフリシアラの付き人が立っているのだろう。リーシャが手で押してみても微塵も動かず開かない。
「ああ、少しお話がしたいだけだからお時間は取らせないわ。先日お会いしたあとに調べさせたのだけど、あなた、クラウディア商会のご令嬢ですのね?」
「……ええ、そうですけど」
「ダニス殿下の方があなたをもてなしているようでしたから、少し疑問だったの。勘違いしていたら可哀想ですし、どうして親切にされているのか教えて差し上げた方がいいと思って」
フリシアラの桃色の瞳が、リーシャを嘲笑するように細くなる。長い睫毛が目元に影を落とし、それだけでフリシアラの迫力が増したように感じた。
「あなた、殿下からいきなり婚約しようとか言われていたりしません? ほら、クラウディア家と言ったら有名な魔法使いの一族でしょう?」
「え……」
どうしてフリシアラがそれを知っているのだろう。
子供のころに約束をしたという事実はあるけれど、確かに最初はいきなりすぎるプロポーズから始まった。
フリシアラの問いにどう返事をしていいのか分からず、両手を胸の前で組んだままリーシャは固まってしまう。
「ああ、やっぱりそうですの? まあ、ダニス殿下は魔法が苦手らしいものね? それ以外は完璧だからこそ、魔法が使えないことを気にしていらっしゃるんじゃないかしら。だから補える存在が欲しかったのね」
「え、っと……? どういう……」
「ですから、魔力のある血筋のあなたと婚約すれば、魔法が使える後継が生まれる可能性が高いでしょう? ダニス殿下に足りないとすればそこだけでしょうし、正式に王位を継承する前に完璧にしたかったのではないかしら。それにしては、選んだ相手があなただなんて見る目がないけれど」
じっとりとした喋り方がいやに耳につく。品定めをされるように上から下まで視認され、居心地の悪さに怯みそうになった。
「あなた、魔法陣を描いてようやく簡単な魔法を発動できる程度なのでしょう? 魔法使いの一族なのに商人になった父親と同じ、あなたにも才能がない気がするけれど……まあ、血筋ってだけで大きいわよね? そういうアピールをして取り入るところは、商人らしくちゃっかりしているの?」
「……っ」
「どう取り入ったのか知らないけれど、こんなところまでついてくるなんて随分とみっともない真似を……」
「はい、おしまい。本当、リーシャもそんなの素直に聞いていなくてもいいのに」
「えっ……?」
変わらず扉は閉まったままで、バルコニーへの入り口は閉ざされている。そんな状況にもかかわらず、リーシャとフリシアラの間に急にダニスが姿を現す。
そのまま数歩歩いたダニスは、フリシアラと対峙するようにしてリーシャの隣に立った。
「いろいろと考えてくれたみたいだけど、そんなくだらない理由じゃないよ」
「あっ、え、ダニス殿下……!」
「俺が近くにいること分かってるはずなのに、リーシャを呼び出してこんなこと言うなんて勇気があるよね」
分かりやすく狼狽えるフリシアラを前に、ゆったりとした口調でダニスは話す。焦っているわけでも怒っているわけでもないようだが、機嫌はあまり良くなさそうだ。
「とりあえず、あまり見当違いなことを彼女に聞かせないでくれる? そんな話のために外に連れ出すのも、リーシャの体が冷えるから止めて欲しいな」
そう言ったダニスが、抱き寄せるようにリーシャの肩に腕を回した。
今の状況が理解できないまま、リーシャの目の前で話が勝手に進んでいく。
「ああ、そうだ。別に使う必要がなかっただけで、俺は魔法が使えないわけでも苦手なわけでもないよ」
ダニスがそう宣言すると同時に、囁くような声量での詠唱がリーシャの耳に届く。その声が途切れると同時に、リーシャとダニスの体は白い光に包まれていた。
あたたかい魔力が肌に触れ、転移魔法だと気付いた時には景色が変わっている。
光が消えて足が着いた場所は、いつもお茶をするのに使っているダニスの私室だった。
見慣れた場所に安心すると同時に、自分のせいでパーティーを抜け出すことになったのだと気付いて、リーシャからさっと血の気が引いた。
「え? あっ、こんな……ごめんなさい。早く会場に戻らないと」
「必要な挨拶は全部済ませたあとだし、このまま戻らなくても何も問題ないよ。もともと今日はすぐに帰る予定だった」
「でも……」
「今ので伝わってると思うけど、誤解されると嫌だからちゃんと言っておくね。俺が魔法を使えないなんてことはないし、魔力が欲しくてリーシャに近付いたわけじゃないから」
わざわざ言葉にしなくても、魔法が苦手でないことは今の転移魔法で十分に伝わった。それでも、ダニスが優しく否定してくれると安心する。
こうやって先回りのフォローをしてくれる優しさに、リーシャは何度も救われてきた。
「……あ。あの、ありがとうございます。いつも優しく気遣っていただいて」
「気を遣って言ってるわけじゃないよ。ただリーシャに勘違いされたくないだけなんだけど、ちゃんと伝わってる?」
「……っあ、もちろん、ちゃんと伝わってます。誤解も勘違いもしてないので、大丈夫……」
不安そうな顔でじっと見つめられると、なんだか胸の辺りがおかしくなる。思わず目を伏せてしまったが、そんなリーシャの返事を聞いたダニスは、「それならいいんだけど」とほっと息を漏らした。
(フリシアラ様にはいろいろと言われたけれど、私が知ってるダニス様は魔法使いの血筋を欲しがるような人じゃない)
確かに、ダニスが魔法を使うところを見たのは今日が初めてだ。ほとんど力を使わないのだから、使えないと勘違いする人がいてもおかしくないし、だからこそ生じた誤解なのだろう。
しかし、ダニスは王族なのだから、もともと魔法が使える血筋なのだ。
歴史の勉強をしていれば誰でも知っていること。いまさら驚くようなことではない。
──はるか昔、まだ国という概念もなかった時代は、魔法を使える人間が絶大な権力を持っていた。不思議で便利な力が使えるというだけで崇められていた時代である。
自分の望みを優先しろと争う人々をまとめあげるため、絶大な人気を誇っていた魔法使いは国を作り政治を始めたのだ。その血筋が今の王族として続いている。
リーシャの祖先も魔法が使えたわけだが、誰もが人の上に立ちたがるわけではないのだろう。クラウディア家のように、王族ではないけれど、歴代多くの魔法使いが生まれる家系というものも存在する。
人の上に立ち、政治を行いたい魔法使いは王族となり一国を築き上げた。
人前に立ちたくなかったり、ただ魔法の研究をしていたかった者は細々と好きなことに没頭し、その結果現在は魔法使いの一族と呼ばれている。
ダニスも長く続く王家の血筋で魔力を有していると、それだけのことだ。
必要ないという言葉通り、魔法を使わなくても不便がないから普段はその力を使わないだけなのだろう。それでも、フリシアラの言葉を否定するために魔法を使ってくれたのだと思うと、そのことがリーシャは嬉しかった。
笑いながらもう一度お礼の言葉を口にすると、ダニスが困ったように微笑む。伸ばされた指先がリーシャの頬を撫で、近い距離で視線が交わった。
「俺のことなんて何も知らずに、心無い言葉をかけてくる奴がいると思う。できる限り守るから、なんでも言って」
「……っ」
どこまでも優しい声が、直接心臓に触れたような気がした。咄嗟に返事ができず、ぶわりと広がった感情をどう表現していいのか分からない。
喉の奥で言葉が詰まり、短い息だけがリーシャの口から漏れる。
この瞬間に、また変わった。さらに深いところに落とされてしまったのだと自覚して、触れられた頬に熱が溜まる。
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