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初恋の人
3-5.子供の部屋
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クリスと久しぶりに会ったということで、アンネにも積もる話があったのだろう。アンネの仕事が終わってからも三人で話をする流れとなり、聞きたいことが聞けないまま、クリスが帰る時間となってしまった。
気になることは、正直たくさんある。しかし、聞いても意味のないことかもしれないと思うと、クリスと二人で話す時間が欲しいとは言い出せなかった。
それに加え、クリスの帰る時間は決まっていて、あまり長くは滞在できないのだ。昔馴染みと楽しく話をしている中で、取り留めの無い質問に時間を使わせてしまうことは何だか気が咎めてしまう。
夕方には城を出なくてはいけないと言っていたから、使用する交通機関の時間が決まっているのだろう。
これからクリスが戻ることになるマラハカは、大陸の南部に位置する国だ。ルビリアからはかなりの距離があり、一番早い移動手段である飛行船を使っても、三日はかかってしまう場所にある。一本でも便を逃したら大変だ。
「ああ、もうそろそろ時間ですね」
チラリと時間を確認したクリスが、残念そうに言いながら立ち上がる。
てっきりこのまま飛行場かどこかに向かうものかと思っていたが、クリスが部屋から出る気配はなかった。
それどころか、「本当はもっとゆっくりしたかったんですけど、三十分後には魔導院で先生と会う約束があるから行かないと」なんて溜め息交じりに言いながら床に両手を置き始めた。
まるで、この距離を魔法で移動するつもりみたいだ。予想もしていなかった光景にリーシャが「え?」と声を漏らすと、その声に反応してクリスの瞳がリーシャの方を向く。
「えっと……あれ? 何か驚かせることをしてしまいましたか?」
「あ、その、三十分後に魔導院って言うものだからびっくりして……。クリスくん、もしかして魔法で帰るの?」
「はい。そうしないと時間が作れなかったので」
船や馬車を使わずに一瞬で行う移動は確かに便利だけれど、普通なら魔法でこの距離を移動しようなんて思わない。
長距離を移動する転移魔法は大量の魔力を消費するし、魔力のコントロールが難しくて転移先の座標がズレてしまう事も多いのだ。
しかしそれを難なくこなせる実力があるのならば、確かに魔法で移動した方がいいのだろう。
人並み程度にも魔法が得意とは言えないリーシャからすれば、あの距離を一発で移動するなんて想像も出来ないけれど。
「ああ、そうだ。リーシャさん、よかったらこれをどうぞ」
「え?」
「回復用のポーションです。ルビリアに移動するだけで魔力を使い切ってしまう可能性を考えて、念のため用意していたのですが今回は必要なかったので」
「えっと……もらってもいいの?」
「はい、よかったら受け取ってください。リーシャさん、少し疲れた顔をしていますし、僕にはもう必要ないので」
疲れているように見えたとすれば、それは心労的なものだろう。
子供の頃のダニスがしたというプロポーズや、リーシャが結婚の契約書を書いたこと。喧嘩別れしたという話や、ダニスの機嫌が悪かったらしい時期。一体どういう時系列なのだろうかと、この短時間でぐるぐると考えすぎてしまった。
結婚の契約書を交わしたのが最後になるのか。それとも結婚の約束をした後に喧嘩をして、そこから会わなくなってしまったのか。
子供の頃にどういう別れ方をしたのかで、ダニスの中でのリーシャの印象が結構大きく変わる気がする。
とりあえず、一人で悶々と考えすぎて、少し疲れてしまったことは確かだった。
「ありがとう。また使わせてもらうね」
お礼を言いながら差し出された小瓶を受け取ると、クリスも笑顔で返してくれる。
「それでは、また婚約パーティーの当日に」
それだけ言って、再度クリスが床に両手を突く。数秒も経たないうちにクリスが光に包まれ、リーシャが瞬きをした瞬間にはクリスはいなくなっていた。
長距離を魔法で移動することは、クリスにとって大きな問題ではないのだろう。魔力の量もコントロールも、並の魔法使いとはレベルが違う。
船での移動も馬車での旅も好きだけれど、本当に息をするように魔法を自由に使っているのを見ると、少しだけ羨ましく感じてしまった。
(転移魔法、私もできないわけではないけど……)
クリスがいなくなったあと、仕事を終えたアンネも帰ってしまい、部屋で一人になったリーシャはチラリと時間を確認した。
ダニスが帰ってくるまで、まだ3時間はある。魔法で移動するのであれば十分な時間だ。
「……一度、家に帰ろうかな」
ポツリと溢した独り言に当然返事などない。
ただ、クリスにポーションをもらった時に、ふと思い付いてしまったのだ。
商人である父と共に外国に訪れることが多かったが、リーシャにも生まれ育った家がある。現在、母親と叔母が暮らしているその家には、一応リーシャの部屋も残されていた。
リーシャの部屋と言っても、それは子供の頃のリーシャの持ち物が狭い室内に詰め込まれるようにして置かれているだけの部屋で、言い方を変えればただの物置だ。
しかし、その部屋の中にはきっと、結婚の契約書を挟んだ絵本が片付けられている。
自分でも、どうしてこんなに気が急いているのか分からない。
ただ、あまりにもダニスのことを思い出せなくて、それが少しだけ怖いのだ。
喧嘩した記憶も、プロポーズされた記憶もなく、唯一思い出せたのは、夕日の中で指輪と契約書を交わした思い出だけ。
何も思い出せない中で、契約書を片付けた場所は思い出せたのだ。今でもあの本を捨てていないのであれば、挟んだ紙を確認することができる。
家に戻れば子供の頃の持ち物を見ることだってできるし、それを見て何か思い出せることが増えるかもしれない。たとえ思い出せなかったとしても、あの時に交わした契約書を見れば少しは安心できるだろう。
家に帰るには海を挟むし国境も跨ぐ。船を使って丸一日はかかってしまう距離だが、リーシャの転移魔法でもどうにか飛ぶことができる距離ではあった。
実家に帰って、本を探して、そのまま真っ直ぐここに帰って来るだけならば、ダニスよりも先に戻ることができるだろう。行くだけで魔力をかなり消費するけれど、もらったばかりのポーションを使えば、ルビリアに帰る魔力分の回復は可能だ。
小さく息を吐き出して、リーシャは腰に巻いているツールボックスに手を伸ばす。バッグから取り出したチョークで、開いた床に大きく魔法陣を描き始めた。
気になることは、正直たくさんある。しかし、聞いても意味のないことかもしれないと思うと、クリスと二人で話す時間が欲しいとは言い出せなかった。
それに加え、クリスの帰る時間は決まっていて、あまり長くは滞在できないのだ。昔馴染みと楽しく話をしている中で、取り留めの無い質問に時間を使わせてしまうことは何だか気が咎めてしまう。
夕方には城を出なくてはいけないと言っていたから、使用する交通機関の時間が決まっているのだろう。
これからクリスが戻ることになるマラハカは、大陸の南部に位置する国だ。ルビリアからはかなりの距離があり、一番早い移動手段である飛行船を使っても、三日はかかってしまう場所にある。一本でも便を逃したら大変だ。
「ああ、もうそろそろ時間ですね」
チラリと時間を確認したクリスが、残念そうに言いながら立ち上がる。
てっきりこのまま飛行場かどこかに向かうものかと思っていたが、クリスが部屋から出る気配はなかった。
それどころか、「本当はもっとゆっくりしたかったんですけど、三十分後には魔導院で先生と会う約束があるから行かないと」なんて溜め息交じりに言いながら床に両手を置き始めた。
まるで、この距離を魔法で移動するつもりみたいだ。予想もしていなかった光景にリーシャが「え?」と声を漏らすと、その声に反応してクリスの瞳がリーシャの方を向く。
「えっと……あれ? 何か驚かせることをしてしまいましたか?」
「あ、その、三十分後に魔導院って言うものだからびっくりして……。クリスくん、もしかして魔法で帰るの?」
「はい。そうしないと時間が作れなかったので」
船や馬車を使わずに一瞬で行う移動は確かに便利だけれど、普通なら魔法でこの距離を移動しようなんて思わない。
長距離を移動する転移魔法は大量の魔力を消費するし、魔力のコントロールが難しくて転移先の座標がズレてしまう事も多いのだ。
しかしそれを難なくこなせる実力があるのならば、確かに魔法で移動した方がいいのだろう。
人並み程度にも魔法が得意とは言えないリーシャからすれば、あの距離を一発で移動するなんて想像も出来ないけれど。
「ああ、そうだ。リーシャさん、よかったらこれをどうぞ」
「え?」
「回復用のポーションです。ルビリアに移動するだけで魔力を使い切ってしまう可能性を考えて、念のため用意していたのですが今回は必要なかったので」
「えっと……もらってもいいの?」
「はい、よかったら受け取ってください。リーシャさん、少し疲れた顔をしていますし、僕にはもう必要ないので」
疲れているように見えたとすれば、それは心労的なものだろう。
子供の頃のダニスがしたというプロポーズや、リーシャが結婚の契約書を書いたこと。喧嘩別れしたという話や、ダニスの機嫌が悪かったらしい時期。一体どういう時系列なのだろうかと、この短時間でぐるぐると考えすぎてしまった。
結婚の契約書を交わしたのが最後になるのか。それとも結婚の約束をした後に喧嘩をして、そこから会わなくなってしまったのか。
子供の頃にどういう別れ方をしたのかで、ダニスの中でのリーシャの印象が結構大きく変わる気がする。
とりあえず、一人で悶々と考えすぎて、少し疲れてしまったことは確かだった。
「ありがとう。また使わせてもらうね」
お礼を言いながら差し出された小瓶を受け取ると、クリスも笑顔で返してくれる。
「それでは、また婚約パーティーの当日に」
それだけ言って、再度クリスが床に両手を突く。数秒も経たないうちにクリスが光に包まれ、リーシャが瞬きをした瞬間にはクリスはいなくなっていた。
長距離を魔法で移動することは、クリスにとって大きな問題ではないのだろう。魔力の量もコントロールも、並の魔法使いとはレベルが違う。
船での移動も馬車での旅も好きだけれど、本当に息をするように魔法を自由に使っているのを見ると、少しだけ羨ましく感じてしまった。
(転移魔法、私もできないわけではないけど……)
クリスがいなくなったあと、仕事を終えたアンネも帰ってしまい、部屋で一人になったリーシャはチラリと時間を確認した。
ダニスが帰ってくるまで、まだ3時間はある。魔法で移動するのであれば十分な時間だ。
「……一度、家に帰ろうかな」
ポツリと溢した独り言に当然返事などない。
ただ、クリスにポーションをもらった時に、ふと思い付いてしまったのだ。
商人である父と共に外国に訪れることが多かったが、リーシャにも生まれ育った家がある。現在、母親と叔母が暮らしているその家には、一応リーシャの部屋も残されていた。
リーシャの部屋と言っても、それは子供の頃のリーシャの持ち物が狭い室内に詰め込まれるようにして置かれているだけの部屋で、言い方を変えればただの物置だ。
しかし、その部屋の中にはきっと、結婚の契約書を挟んだ絵本が片付けられている。
自分でも、どうしてこんなに気が急いているのか分からない。
ただ、あまりにもダニスのことを思い出せなくて、それが少しだけ怖いのだ。
喧嘩した記憶も、プロポーズされた記憶もなく、唯一思い出せたのは、夕日の中で指輪と契約書を交わした思い出だけ。
何も思い出せない中で、契約書を片付けた場所は思い出せたのだ。今でもあの本を捨てていないのであれば、挟んだ紙を確認することができる。
家に戻れば子供の頃の持ち物を見ることだってできるし、それを見て何か思い出せることが増えるかもしれない。たとえ思い出せなかったとしても、あの時に交わした契約書を見れば少しは安心できるだろう。
家に帰るには海を挟むし国境も跨ぐ。船を使って丸一日はかかってしまう距離だが、リーシャの転移魔法でもどうにか飛ぶことができる距離ではあった。
実家に帰って、本を探して、そのまま真っ直ぐここに帰って来るだけならば、ダニスよりも先に戻ることができるだろう。行くだけで魔力をかなり消費するけれど、もらったばかりのポーションを使えば、ルビリアに帰る魔力分の回復は可能だ。
小さく息を吐き出して、リーシャは腰に巻いているツールボックスに手を伸ばす。バッグから取り出したチョークで、開いた床に大きく魔法陣を描き始めた。
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