猫とランチ

ゆい

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ランチの時間は静かに

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神戸の坂道を登りきったところに、ひっそりと佇む古い洋館がある。外観はアイボリー色の塗り壁に深緑の木製扉。表札も看板もなく、唯一目印といえば、玄関前に並べられたテラコッタ鉢のラベンダーがやさしく揺れるくらいだった。

猫のミロは、しっかりとネイビーのスリーピーススーツを着こみ、細身の銀縁メガネをかけていた。短く刈り込んだ髭が整い、靴の代わりに履いた黒革の足袋が、彼の静かな足取りを一層洗練されたものにしている。

扉を開けると、真鍮のベルがやさしく鳴った。音は乾いていて、店の空気にすっと溶けた。中は広すぎず狭すぎず、ミロのような客にとってちょうどいい空間だった。

床は深みのあるオーク材。踏みしめるたび、微かに軋む音がして、それがむしろ落ち着きを与える。壁はミルクティーのような淡いベージュで、ところどころに古いヨーロッパの地図が額装されている。天井からは、チェコ製のアンティークシャンデリアが吊るされ、やわらかな光が琥珀色の陰影を生んでいた。

カフェの中央には、一枚板のマホガニー製テーブル。角が丸く、木目が深く波打つように美しい。椅子はそれぞれ違うデザインで、曲げ木のアールヌーヴォー調や、北欧風のシンプルなものなど、すべてが調和していた。ミロは、窓際の青灰色のベルベット張りチェアに腰を下ろす。

運ばれてきたランチは、白磁のプレートにのせられていた。ふちにだけ金のラインがひかれ、繊細な模様が浮かぶその器は、光の加減でほんのり温かみを帯びて見えた。ミロはナイフを手に取り、丁寧に切り分ける。ナイフが料理の表面にすっと入る感覚。そのやわらかさと温もりに、思わず目を細めた。

ひと口含むと、豊かな香りが鼻に抜け、舌の上で食材が静かにほどけていく。しっかりとした旨味の奥に、わずかに甘く、香ばしい余韻が残る。それはまるで、誰かの思い出にそっと触れるような味だった。

店内にはジャズが流れていた。古いレコードの針が、時折パチッと音を立てるのも愛おしい。カウンター奥には、無口なマスターがひとり。ネルドリップでコーヒーを淹れる手つきは、まるで茶道のように静かで、リズムがある。

ミロは時計を見た。そろそろ仕事に戻る時間だ。だが、席を立つのが惜しい。店に満ちる空気が、日常からほんの少し離れたところに連れて行ってくれる気がした。

彼はカフスを整え、そっと立ち上がる。マスターに一礼すると、再び静かな坂道へと戻っていった。

玄関先のラベンダーが、少しだけ揺れていた。
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