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8巻
8-3
焼きおにぎりと肉巻きジュペで腹を満たしたプニさんは、尻尾をふりふり上機嫌で馬車を引いてくれた。
猛吹雪をものともせず、人っ子一人歩いていない街道を浮かれ気分で走る。しかし、人目がないからと馬がスキップするのは止めてもらいたい。雪が積もってから馬車で移動することはなかったから、久しぶりの感触が嬉しいのはわかるけど。
畑も森も街道も、境目がわからないほどの雪が降り積もり、こりゃプニさんがいなければどこにも行けなかったなと改めて思う。馬神様様だ。
いつもなら風を感じられる程度の結界が張ってある馬車だが、今回はプニさんの視界の邪魔にならないよう加熱しつつの結界。結界そのものに熱を持たせ、雪が積もらず瞬時に溶ける仕組み。
傍から見れば蒸気を放ちながら進む不審車両だが、「こんな吹雪に外へ出る馬鹿者はいない」と言うクレイの言葉に従い、自重せず――
「冒険者は季節関係なく活動するものだと思っていた」
御者台に乗って流れる景色を楽しんでいた俺は、背後の窓から顔を出すクレイに聞いた。
「王都近辺の冒険者はそうであろう。ルセウヴァッハ領は雪深いことでも知られているゆえ、冬場は王都へ移動する冒険者が数多おるのだ」
だが、交通手段や金銭がない者も少なくなく、そうした者は移動せず屋内で静かに過ごすのだ。ギルドから屋内でできる手仕事依頼などが出されるため、冬場は日々食えるだけの小銭を稼ぐのだとか。
「タケルの故郷では如何にして冬を過ごしておったのじゃ」
「ピュイ」
同じく窓から顔だけを外に出したブロライトが、頭にビーを乗せたまま問う。
「俺の故郷? そうだなー……季節は関係ないな。雪が積もっても会社……勤め先には行くし、家の中で静かに過ごすことはない。毎日仕事してた。公共の交通機関が止まっても関係なかったなあ」
積雪があっても自ら雪かき、時間に遅れてもバスは走り、雪が積もっても電車は行くよどこまでも。革靴と靴下が雪で濡れ、冬用コートはびっしょびしょ。それでも平日は仕事に行くのが当たり前。俺は都内の職場に通っていたから、どんなに交通機関がマヒしても会社には来いと言われていたっけ。雪が降ったら家から外に出ないトルミ村に比べ、過酷な環境にあったのだなと自嘲。
「……タケルはとんでもない環境で働いておったのじゃな」
「うむ……たまに数日眠れぬほどに多忙だとも言っておったな」
「ピュィ……」
あれれ。
そんな暗くなるような話題じゃないんだけども。
俺が当たり前に思っていたことがマデウスでは非常識で、マデウスでは当然のことが俺にとってありえないことになる。そろそろこの価値観の違いに慣れてきたと思ったが、まだまだだな。
馬車は軽やかに街道を進み、一路ダヌシェへ。
ご機嫌でスキップをしていたプニさんのおかげで、僅か半日でダヌシェに到着。プニさんは走り足らないと不貞腐れていたが、美味しい魚でも食いなよと誤魔化す。
ダヌシェの港に移動した俺たちは、トルミ村との気温の差に改めて驚いていた。
雪は降っていないし、風もそれほど寒くない。
港は相変わらず行商人たちで賑わい、今が真冬だとは思えないほど活気がある。
「さすがはダヌシェであるな。この気温ならば海にも入れよう」
「乱獲はするなよ」
クレイとブロライトに魚の捕獲を頼み、俺は漁業組合を回って各種手続き。
冒険者ギルドに寄ろうと思ったが、グリッドが俺たちに依頼を発注した翌日にダヌシェに到着していました、なんてことがバレたら不審がられるのでやめておいた。
ダヌシェの港からは海路で進むことになるが、人目がなければ馬車で海上を進んでもらうのもありかもしれない。プニさんの引く馬車は少し浮いているので、海上であろうと関係ないのだ。
それを言ってしまえば、トルミ村からオゼリフ半島まで直接馬車で行けば効率が良かったのだが、ダヌシェの港に寄らなければならない理由がある。海産物を買い、小人族の村で俺たちを歓迎してもらうための賄賂にするのだ。
小人族がどんな食べものを好むのかは知らないけれど、小人族であるスッスに食べられないものはなかったはず。俺が考案したベルカイムにある屋台村の料理などは、美味い美味いと叫びながら食べていた。どんな種族であれ、胃袋を掴んでしまえばこっちのものだ。
俺の作る料理が口に合わない種族だったとしたら……
それはその時に考えよう。
俺は海沿いにある蒼黒の団が所有するあばら家へと移動し、地下に設置した転移門が反応しなかった理由を探った。
プニさんが言うには魔素が不安定になっているらしい。一定の魔素を取り込まなければ、空間魔法のような大量の魔素を必要とする魔術は使えなくなる。
魔素が不安定な理由はわからないが、転移門が使えなくなるのは困るな。
そう思った俺は、転移門を起動するための地点にミスリル魔鉱石の砂粒を振りかけ、一定の魔素が取り込めるよう改良しておいた。足りない魔素を、ミスリル魔鉱砂が補ってくれる仕組みだ。数年に一度砂の補給は必要になるかもしれないが、仕方ないだろう。
そもそも魔素が不安定になっているのは一時的なことかもしれない。季節が関係しているのだろうか。
俺が転移門の調整をしていると、プニさんが声をかけてくる。
「ひひん。あそこの帆がたくさん付いている船になさい。わたくしはあの船に乗ります」
プニさんは手を腰に当てて仁王立ち、港に停泊中の帆船を指さしている。
ダヌシェに来るまではもっと馬車を引っ張らせろとぶちぶち文句を言っていたくせに、いざ港に着いて帆船を目にすると、一番立派で巨大な帆船に興味を示したらしい。
俺もあれに乗ってはみたいが、たぶん行き先が違う。以前ダヌシェに来た時に俺も乗ってみたいと思い、どこへ向かう船なのか港で働いている人に聞いたのだ。あれは、グラン・リオ大陸の西にある、エポルナ・ルト大陸へと向かう船だったはず。
「プニさん、今はあの船に乗れないけど、そのうちあれに乗ってストルファス帝国ってところにも行ってみよう」
「そこには何があるのです?」
「きっと王都エクサルにはない食いものがあるよ。なんせ大陸が違うんだ。文化もアルツェリオ王国とは違うだろう」
「ひひん。きっと行くのですよ。絶対に行くのですよ」
「ピュイ」
今すぐにでも馬に化けて飛んでいってしまう勢いのプニさんを串焼き肉で大人しくさせ、オゼリフへと向かう船を探すことにした。
港にはたくさんの船が停泊しているうえに、様々な人たちが忙しそうに動き回っている。
人相の悪い冒険者がいるなと思ったが、彼らは用心棒として船に乗船するらしい。船の上でのんびりとくつろぎ、木製のジョッキを掲げて大笑いをする様はまるで海賊のよう。
オゼリフへと向かう船はどこから出ているのか聞こうと、港にいた船舶管理事務所の職員に話を聞いたらば――
職員は困ったような顔をし、すまなそうに話した。
「あすこは今大変なことになっているさぁ。異常なくらいの雪雲に覆われちまって、船がなかなか近寄れねぇっさぁ。陸路は豪雪でとてもじゃねぇが馬が近寄れなくてさぁ、海すら凍っちまってさぁ。ここふたつきくらい、貨物便が届けられていないんさぁ」
あらあ。
それは大変。
職員のゆったりとした口調のせいであまり危機感が伝わらなかったが、異常なくらいの雪雲に海すら凍るなんて。
オゼリフってダヌシェと同じく、雪には縁がない場所だと聞いていたんだけど。
職員はどうすればいいのか悩んでおり、すぐにでも荷物を届けないとオゼリフに住む少数民族たちが飢え死にしてしまうと言った。
もしかして、この異常天候のせいでスッスがオゼリフから出られないのか。
オゼリフの住人は基本的に自給自足で、足りない生活用品は定期的に来る貨物便を頼りにしているという。自給自足ということは、きっと畑を耕しているのだろう。何を育てているのかは知らないけれど、豪雪で畑の作物は育つのだろうか。
白米の原料であるエペペンテッテという草は、雪だろうが曇りだろうがしれっと育つ植物。トルミ村のレインボーシープ牧場がある隣の空地には、雪をものともしないエペペ穀がもりもりと育っている。握り飯弁当を食べた村長が、これは美味いとんでもない、村でも育てようそうしようと空地を開墾してくれたのだ。
エペペ殻なら大丈夫かもしれないが、オゼリフにエペペ穀があるのかはわからない。もしもあったとしても、食用だとは思われていないのだろう。
「ピュイ、ピュピュー?」
「もちろん諦めない。海が凍ろうと陸が雪で閉ざされようと、なんとかなるって」
どうする? と心配そうに聞いてくるビーの頭を撫で、さてどうするかと思案。
雪のせいで交通機関が麻痺し物資が届かないとなると、物資を頼りにしている人たちは死んでしまうかもしれない。
小人族のスッスはギルドエウロパにとって大切な職員。俺たち蒼黒の団にとっても、貴重なカニ情報を持つ情報屋。
俺の旅話を目を輝かせながら聞いてくれるスッスを思い出し、なんとしてもオゼリフに行かなくてはならないなと強く思う。
のんびり船を探している場合じゃないようだ。一刻も早く小人族の村へ行かないと。
「そうだ。プニさん、夜中に馬車を引いてくれたら……」
「タケル、わたくしはあの船に乗ります。赤い船です」
プニさんはどうしても船に乗りたいようだ。
3 烈風、垣根に虎落笛
ほぼ捨て値に近い金額で売られていたエペペ穀を全て買い占め、魚や肉の干物、野菜に山菜、各種調味料、小麦粉うどん粉もろもろと、食材を大量に買い込んだ。
各自に加熱魔石を装備させているとはいえ、ペラッペラの装備だけだと見ているだけで凍えそうになる。クレイには動きやすい冬装備を。ブロライトとプニさんにはもこもこフードの付いたもこもこ防寒着を装備させた。
「タケル、わたくしはこちらが良いです」
「潮汁じゃなくて暖かい装備を買うの。手袋いる?」
「それではこちらを」
「芋煮じゃなくて長靴を買うの。マフラー……襟巻も買っておこうか。クレイの襟巻はぽんぽん付きの桃色。帽子もぽんぽん付きにしてやれ」
買い物のさいにひと悶着あったが、概ね希望通りの装備を揃えることができた。
あとは、トルミ村の住人である編み物名人のエリザに貰った冬用靴下を履けば完璧。ビーはレインボーシープの着ぐるみを着せればいいだろう。温かい料理も買えるだけ買っておくことにする。
クレイとブロライトは海ではっちゃけ、相変わらず馬鹿みたいにでかい魚を何匹も捕まえてくれた。魚を食えば冬場に不足しがちなビタミン類は摂取できる。
オゼリフが閉ざされて既にひと月半が経過している。飢えているかもしれない小人族のため、トルミ村の倍の規模の村を想定して必要となるだろうものを用意しておくことにした。新鮮な肉などは現地調達すればいい。
足りなかったとしてもオゼリフに転移門地点を置いてしまえば、ダヌシェだろうとベルカイムだろうと、食材を買いに行くことができる。
さすが交易が盛んな港町。様々な大陸から様々な交易品が運び込まれてくるため、今は冬であるのに物資は夏と変わらず豊富にあるようだ。
「そんじゃあ、運んでもらう荷物の目録がこいつさぁ」
「ここに受け取りの名前を貰えばいいんですね」
「そうっさぁ。沖に出ると海はちいと荒れるっさぁ。荷を落とさないように気ぃつけるんさぁ」
「わかりました」
船舶管理事務所の職員にオゼリフまで船を出してもらうよう頼んだら、はじめは渋られた。
ついでに溜まっている貨物を運ぶよと言ったのだが、はあ? 何言ってんの? 得体の知れないやつが何を言うんさぁ、と怪しまれた。
俺たちが荷物だけを持ってトンズラしてしまう心配をしたのだろう。実際、そんな真似をやらかす連中はたくさんいるようだ。
だが、俺たちはギルド「エウロパ」に所属する冒険者チームであり、つい最近アルツェリオ王国から黄金竜の称号をいただきましたのオホホと言ったら――それならば是非ともと目の色を変え、ギルドを通した正式な依頼にしてくれたのだ。
これぞ手のひら返し。おかげでダヌシェのギルドに所在登録をするはめになったが、背に腹は代えられない。ダヌシェで王都やベルカイムのような目にあったとしても、俺たちは速攻でオゼリフを目指すからな。
大量の荷物を船で運び、無事に届けられたら三万レイブ。なかなかの報酬だが、凍っている海はなんとかしてね、という無責任なところもある。
まあ、なんとかできるから引き受けたわけで。
用意してもらった船はクレイが五人も乗り込めば沈みそうな、一本マストの小型船だった。小型といっても、港に停泊している船の中では普通のサイズ。クレイがでかいせいで船が小さく見えるだけ。
運搬を頼まれた荷物が船に積まれると、船は嫌な音を立てて傾いた。
「こりゃ沖に出たら荷物を全部鞄の中に入れるかな。クレイ、船の操縦できるの?」
「ああ。風を掴むことはできるが、この季節の風は少し扱いにくい。ビー、ブロライト、風精霊に頼めるか」
「ピュイ!」
「了解じゃ!」
プニさんは真っ先に船に乗り込み、揺れに身を任せて大海原を眺めていた。船が小さいだの狭いだの文句を言われなくて良かった。
海が凍ってしまうほどの極寒は経験したことがない。マデウスの海も塩辛い海水だから、融点はマイナス一・八度くらいだろう。ということは、体感気温はもっと低いはず。
いつもなら雪が降らない場所に、異常なまでの雪。
これはきっと、アレかな。
魔素的なあのアレが影響しているってことかな。
+ + + + +
港を出てから数十分。
荷物の一部を俺の鞄の中に収納し、船を軽くしたことでスピードが出た。
だが、穏やかだった海はあっという間に荒れ出した。身体は右へ左へと大きく傾き、大波小波が遠慮なしにばっしゃんばっしゃん襲いくる。絶叫マシンのアトラクションのようだ。ビーとブロライトが風精霊に頼んで船のバランスを保ってくれたものの、そうしなければ船は転覆してしまったかもしれない。
クレイはベテランの冒険者であるから船に乗り慣れているし、ブロライトはぐねぐね動く巨大ミミズを移動手段にしていた。プニさんとビーは自ら飛べるから例外として、俺もまったく船酔いをしなかった。これだけ揺れまくっている船に乗っているというのに、酔わないというのはとてもありがたい。数々の恩恵よ、ありがとう。
左手にグラン・リオ大陸の陸地が見えている状態で進んでいくと、やがて正面にうっすらと陸地が見えてくる。
あれがオゼリフ半島だ。
陸地が近づくにつれ、気温がどんどん下がっていく。吐く息は白く、冷たい風で頬と耳がちりちりと痛む。
「ピュゥー……」
「ビー、寒かったらローブの下に入っておけよ」
「ピュイ」
レインボーシープの着ぐるみを着たビーは、曇天のなかキャッキャと飛び回っている。
ここに来るまでの俺は、凍るほどの寒さを体験してみたいと思っていた。どれほどのものなのかと。凍ったバナナで釘を打ちたくなるのは本能に近いだろう。
だが実際は、それどころではなかった。呼吸をするたび肺の中が凍ってしまいそうなのだ。
ビーとプニさんは神様であるから、暑さ寒さはほとんど感じないようだ。それでも、ここまでの寒さとなると睫毛すら凍る。というか見ているだけでこっちが寒い。
もこもこ防寒着を着ていたプニさんにぽんぽんの付いたもこもこの襟巻を渡すと、それが気に入ったのか頭からかぶり甲板の上でくるくると回った。
俺たちは携帯懐炉をそれぞれ起動させ、暖を取る。それでも寒いような気がするのは、灰色と白の景色しか見えないから。
分厚い雲から小雪が舞い降りてきたと思ったら、その雪は次第に大きくなり――
「ここまでの雪、見たことないんだけど」
「わたしもじゃ! 見てみろビー、お主の頭より大きな雪粒じゃ」
「ピュイィィ」
とんでもない大きさのふかふかの雪が、これでもかというほど降り出した。
雪粒とは言えないサッカーボールサイズの雪は、二つ、三つでビーの身体を覆い隠すほど。こんなでかい雪、はじめて見た。
重たそうに見えて軽い。というか、重さを感じない。マデウスすげえ。
せめて雪を楽しもうと雪粒を集めて固め、雪だるまを作製。これは面白いとビーとブロライトが喜び、甲板には大小さまざまな形の雪だるまが作られるというシュールな光景。クレイとブロライトが競った挙句、雪だるまとはかけ離れた謎の物体Xな雪像が複数鎮座することに。呪われそうな雪像を作るんじゃない。
船はあっという間に雪にまみれ、海には氷が浮かぶようになった。船尾にごつんごつんと鈍い音が響く。
このまま進めば船に氷が当たって破損し、浸水する。それよりも進む方向を失い、外洋へと出てしまうだろう。
そんな心配をしていると、プニさんが文句を言ってくる。
「タケル、なんとかなさい」
「なんとかって言ってもな。うーんと、まず船を結界で覆う。それから馬車にやったみたいにして、船の周りにだけ加熱をすればいいかな。船の進行方向の氷が溶ければいいだろう」
「ピュィー……」
本来なら船を修復してから船底を補強し、ついでに魔石で風を起こして自走できるよう改造したかったが、これは借り物の船。
船首にカニのオブジェがあれば恰好良かったんだけど、それも勝手には付けられない。残念。とても、残念。
船を結界で覆ってから船底に加熱を追加。分厚い氷が船に当たっても瞬時に溶けすいすい進めるよう、温度を高く設定。そのせいで船の周りは溶けた氷や海水が蒸発し水蒸気だらけになり、景色なんて楽しむどころではなくなった。
泳いでいる魚が見られないだの青い空がないだのとぶちぶち言うプニさんを黙らせるため、鞄の中からほかほかのじゃがバタ醤油串タイプを取り出した。
携帯懐炉で身体の表面は温まるが、内臓は寒いまま。内臓が冷えると身体の動きが鈍くなると、ぽんぽんの付いた桃色の防寒帽子をかぶったクレイが言うので、気がついたら温かいものを食べたり飲んだりするようにしている。
といっても今は船を結界で覆っているから、これ以上冷えることはない。
「しかし……この雪は酷いな。俺は世界を全て見て回ったわけではないが、ここまで大きい雪の粒は見たことがない」
クレイは分厚い雲に覆われた空を見上げ、巨大雪玉がぼこぼこ落ちてくる異常な景色を眺めていた。
結界で覆われている部分に雪がもっさりと溜まり、空はどんどん見えなくなっていく。
「え。マデウスの雪ってこれが普通じゃないの?」
「阿呆。トルミ村で降りし雪を見たであろう。あれが普通の雪だ。こんな雪、神の悪戯でもない限り降ってたまるか」
ですよねー。
神の悪戯ならありえるのかなと、口いっぱいにじゃがバタ醤油を頬張るプニさんを見た。プニさんは俺の視線に気づき、眉根をきゅっと寄せる。
「もぐもぐひひん。わたくしは豊穣の神でもあります。閉ざされた氷の世界で何が実ると言うのです。わたくしへの供物が少なくなるようなことなどいたしません。このような雪を降らすのは、眠ることを忘れた愚かな神でしょう」
「え。雪を降らせる神様なんているの?」
「古代狼――冬の神オーゼリフ。わたくしと同じ、創世の時を生きた古き神」
「ピュ」
冬の神様、オーゼリフ。
プニさんはつまらなそうに、不愉快そうに目を閉じた。
とんでもない大きさの雪は降るわ海は凍るわ、ダヌシェの魔素は乱れるわ――まるでオゼリフ半島そのものが何かを拒絶しているようだ。
こちらに来るなと。入ってくるなと。
もしもこの異常なまでの寒さが神様のせいだとしたら。
やっぱり魔素が原因?
猛吹雪をものともせず、人っ子一人歩いていない街道を浮かれ気分で走る。しかし、人目がないからと馬がスキップするのは止めてもらいたい。雪が積もってから馬車で移動することはなかったから、久しぶりの感触が嬉しいのはわかるけど。
畑も森も街道も、境目がわからないほどの雪が降り積もり、こりゃプニさんがいなければどこにも行けなかったなと改めて思う。馬神様様だ。
いつもなら風を感じられる程度の結界が張ってある馬車だが、今回はプニさんの視界の邪魔にならないよう加熱しつつの結界。結界そのものに熱を持たせ、雪が積もらず瞬時に溶ける仕組み。
傍から見れば蒸気を放ちながら進む不審車両だが、「こんな吹雪に外へ出る馬鹿者はいない」と言うクレイの言葉に従い、自重せず――
「冒険者は季節関係なく活動するものだと思っていた」
御者台に乗って流れる景色を楽しんでいた俺は、背後の窓から顔を出すクレイに聞いた。
「王都近辺の冒険者はそうであろう。ルセウヴァッハ領は雪深いことでも知られているゆえ、冬場は王都へ移動する冒険者が数多おるのだ」
だが、交通手段や金銭がない者も少なくなく、そうした者は移動せず屋内で静かに過ごすのだ。ギルドから屋内でできる手仕事依頼などが出されるため、冬場は日々食えるだけの小銭を稼ぐのだとか。
「タケルの故郷では如何にして冬を過ごしておったのじゃ」
「ピュイ」
同じく窓から顔だけを外に出したブロライトが、頭にビーを乗せたまま問う。
「俺の故郷? そうだなー……季節は関係ないな。雪が積もっても会社……勤め先には行くし、家の中で静かに過ごすことはない。毎日仕事してた。公共の交通機関が止まっても関係なかったなあ」
積雪があっても自ら雪かき、時間に遅れてもバスは走り、雪が積もっても電車は行くよどこまでも。革靴と靴下が雪で濡れ、冬用コートはびっしょびしょ。それでも平日は仕事に行くのが当たり前。俺は都内の職場に通っていたから、どんなに交通機関がマヒしても会社には来いと言われていたっけ。雪が降ったら家から外に出ないトルミ村に比べ、過酷な環境にあったのだなと自嘲。
「……タケルはとんでもない環境で働いておったのじゃな」
「うむ……たまに数日眠れぬほどに多忙だとも言っておったな」
「ピュィ……」
あれれ。
そんな暗くなるような話題じゃないんだけども。
俺が当たり前に思っていたことがマデウスでは非常識で、マデウスでは当然のことが俺にとってありえないことになる。そろそろこの価値観の違いに慣れてきたと思ったが、まだまだだな。
馬車は軽やかに街道を進み、一路ダヌシェへ。
ご機嫌でスキップをしていたプニさんのおかげで、僅か半日でダヌシェに到着。プニさんは走り足らないと不貞腐れていたが、美味しい魚でも食いなよと誤魔化す。
ダヌシェの港に移動した俺たちは、トルミ村との気温の差に改めて驚いていた。
雪は降っていないし、風もそれほど寒くない。
港は相変わらず行商人たちで賑わい、今が真冬だとは思えないほど活気がある。
「さすがはダヌシェであるな。この気温ならば海にも入れよう」
「乱獲はするなよ」
クレイとブロライトに魚の捕獲を頼み、俺は漁業組合を回って各種手続き。
冒険者ギルドに寄ろうと思ったが、グリッドが俺たちに依頼を発注した翌日にダヌシェに到着していました、なんてことがバレたら不審がられるのでやめておいた。
ダヌシェの港からは海路で進むことになるが、人目がなければ馬車で海上を進んでもらうのもありかもしれない。プニさんの引く馬車は少し浮いているので、海上であろうと関係ないのだ。
それを言ってしまえば、トルミ村からオゼリフ半島まで直接馬車で行けば効率が良かったのだが、ダヌシェの港に寄らなければならない理由がある。海産物を買い、小人族の村で俺たちを歓迎してもらうための賄賂にするのだ。
小人族がどんな食べものを好むのかは知らないけれど、小人族であるスッスに食べられないものはなかったはず。俺が考案したベルカイムにある屋台村の料理などは、美味い美味いと叫びながら食べていた。どんな種族であれ、胃袋を掴んでしまえばこっちのものだ。
俺の作る料理が口に合わない種族だったとしたら……
それはその時に考えよう。
俺は海沿いにある蒼黒の団が所有するあばら家へと移動し、地下に設置した転移門が反応しなかった理由を探った。
プニさんが言うには魔素が不安定になっているらしい。一定の魔素を取り込まなければ、空間魔法のような大量の魔素を必要とする魔術は使えなくなる。
魔素が不安定な理由はわからないが、転移門が使えなくなるのは困るな。
そう思った俺は、転移門を起動するための地点にミスリル魔鉱石の砂粒を振りかけ、一定の魔素が取り込めるよう改良しておいた。足りない魔素を、ミスリル魔鉱砂が補ってくれる仕組みだ。数年に一度砂の補給は必要になるかもしれないが、仕方ないだろう。
そもそも魔素が不安定になっているのは一時的なことかもしれない。季節が関係しているのだろうか。
俺が転移門の調整をしていると、プニさんが声をかけてくる。
「ひひん。あそこの帆がたくさん付いている船になさい。わたくしはあの船に乗ります」
プニさんは手を腰に当てて仁王立ち、港に停泊中の帆船を指さしている。
ダヌシェに来るまではもっと馬車を引っ張らせろとぶちぶち文句を言っていたくせに、いざ港に着いて帆船を目にすると、一番立派で巨大な帆船に興味を示したらしい。
俺もあれに乗ってはみたいが、たぶん行き先が違う。以前ダヌシェに来た時に俺も乗ってみたいと思い、どこへ向かう船なのか港で働いている人に聞いたのだ。あれは、グラン・リオ大陸の西にある、エポルナ・ルト大陸へと向かう船だったはず。
「プニさん、今はあの船に乗れないけど、そのうちあれに乗ってストルファス帝国ってところにも行ってみよう」
「そこには何があるのです?」
「きっと王都エクサルにはない食いものがあるよ。なんせ大陸が違うんだ。文化もアルツェリオ王国とは違うだろう」
「ひひん。きっと行くのですよ。絶対に行くのですよ」
「ピュイ」
今すぐにでも馬に化けて飛んでいってしまう勢いのプニさんを串焼き肉で大人しくさせ、オゼリフへと向かう船を探すことにした。
港にはたくさんの船が停泊しているうえに、様々な人たちが忙しそうに動き回っている。
人相の悪い冒険者がいるなと思ったが、彼らは用心棒として船に乗船するらしい。船の上でのんびりとくつろぎ、木製のジョッキを掲げて大笑いをする様はまるで海賊のよう。
オゼリフへと向かう船はどこから出ているのか聞こうと、港にいた船舶管理事務所の職員に話を聞いたらば――
職員は困ったような顔をし、すまなそうに話した。
「あすこは今大変なことになっているさぁ。異常なくらいの雪雲に覆われちまって、船がなかなか近寄れねぇっさぁ。陸路は豪雪でとてもじゃねぇが馬が近寄れなくてさぁ、海すら凍っちまってさぁ。ここふたつきくらい、貨物便が届けられていないんさぁ」
あらあ。
それは大変。
職員のゆったりとした口調のせいであまり危機感が伝わらなかったが、異常なくらいの雪雲に海すら凍るなんて。
オゼリフってダヌシェと同じく、雪には縁がない場所だと聞いていたんだけど。
職員はどうすればいいのか悩んでおり、すぐにでも荷物を届けないとオゼリフに住む少数民族たちが飢え死にしてしまうと言った。
もしかして、この異常天候のせいでスッスがオゼリフから出られないのか。
オゼリフの住人は基本的に自給自足で、足りない生活用品は定期的に来る貨物便を頼りにしているという。自給自足ということは、きっと畑を耕しているのだろう。何を育てているのかは知らないけれど、豪雪で畑の作物は育つのだろうか。
白米の原料であるエペペンテッテという草は、雪だろうが曇りだろうがしれっと育つ植物。トルミ村のレインボーシープ牧場がある隣の空地には、雪をものともしないエペペ穀がもりもりと育っている。握り飯弁当を食べた村長が、これは美味いとんでもない、村でも育てようそうしようと空地を開墾してくれたのだ。
エペペ殻なら大丈夫かもしれないが、オゼリフにエペペ穀があるのかはわからない。もしもあったとしても、食用だとは思われていないのだろう。
「ピュイ、ピュピュー?」
「もちろん諦めない。海が凍ろうと陸が雪で閉ざされようと、なんとかなるって」
どうする? と心配そうに聞いてくるビーの頭を撫で、さてどうするかと思案。
雪のせいで交通機関が麻痺し物資が届かないとなると、物資を頼りにしている人たちは死んでしまうかもしれない。
小人族のスッスはギルドエウロパにとって大切な職員。俺たち蒼黒の団にとっても、貴重なカニ情報を持つ情報屋。
俺の旅話を目を輝かせながら聞いてくれるスッスを思い出し、なんとしてもオゼリフに行かなくてはならないなと強く思う。
のんびり船を探している場合じゃないようだ。一刻も早く小人族の村へ行かないと。
「そうだ。プニさん、夜中に馬車を引いてくれたら……」
「タケル、わたくしはあの船に乗ります。赤い船です」
プニさんはどうしても船に乗りたいようだ。
3 烈風、垣根に虎落笛
ほぼ捨て値に近い金額で売られていたエペペ穀を全て買い占め、魚や肉の干物、野菜に山菜、各種調味料、小麦粉うどん粉もろもろと、食材を大量に買い込んだ。
各自に加熱魔石を装備させているとはいえ、ペラッペラの装備だけだと見ているだけで凍えそうになる。クレイには動きやすい冬装備を。ブロライトとプニさんにはもこもこフードの付いたもこもこ防寒着を装備させた。
「タケル、わたくしはこちらが良いです」
「潮汁じゃなくて暖かい装備を買うの。手袋いる?」
「それではこちらを」
「芋煮じゃなくて長靴を買うの。マフラー……襟巻も買っておこうか。クレイの襟巻はぽんぽん付きの桃色。帽子もぽんぽん付きにしてやれ」
買い物のさいにひと悶着あったが、概ね希望通りの装備を揃えることができた。
あとは、トルミ村の住人である編み物名人のエリザに貰った冬用靴下を履けば完璧。ビーはレインボーシープの着ぐるみを着せればいいだろう。温かい料理も買えるだけ買っておくことにする。
クレイとブロライトは海ではっちゃけ、相変わらず馬鹿みたいにでかい魚を何匹も捕まえてくれた。魚を食えば冬場に不足しがちなビタミン類は摂取できる。
オゼリフが閉ざされて既にひと月半が経過している。飢えているかもしれない小人族のため、トルミ村の倍の規模の村を想定して必要となるだろうものを用意しておくことにした。新鮮な肉などは現地調達すればいい。
足りなかったとしてもオゼリフに転移門地点を置いてしまえば、ダヌシェだろうとベルカイムだろうと、食材を買いに行くことができる。
さすが交易が盛んな港町。様々な大陸から様々な交易品が運び込まれてくるため、今は冬であるのに物資は夏と変わらず豊富にあるようだ。
「そんじゃあ、運んでもらう荷物の目録がこいつさぁ」
「ここに受け取りの名前を貰えばいいんですね」
「そうっさぁ。沖に出ると海はちいと荒れるっさぁ。荷を落とさないように気ぃつけるんさぁ」
「わかりました」
船舶管理事務所の職員にオゼリフまで船を出してもらうよう頼んだら、はじめは渋られた。
ついでに溜まっている貨物を運ぶよと言ったのだが、はあ? 何言ってんの? 得体の知れないやつが何を言うんさぁ、と怪しまれた。
俺たちが荷物だけを持ってトンズラしてしまう心配をしたのだろう。実際、そんな真似をやらかす連中はたくさんいるようだ。
だが、俺たちはギルド「エウロパ」に所属する冒険者チームであり、つい最近アルツェリオ王国から黄金竜の称号をいただきましたのオホホと言ったら――それならば是非ともと目の色を変え、ギルドを通した正式な依頼にしてくれたのだ。
これぞ手のひら返し。おかげでダヌシェのギルドに所在登録をするはめになったが、背に腹は代えられない。ダヌシェで王都やベルカイムのような目にあったとしても、俺たちは速攻でオゼリフを目指すからな。
大量の荷物を船で運び、無事に届けられたら三万レイブ。なかなかの報酬だが、凍っている海はなんとかしてね、という無責任なところもある。
まあ、なんとかできるから引き受けたわけで。
用意してもらった船はクレイが五人も乗り込めば沈みそうな、一本マストの小型船だった。小型といっても、港に停泊している船の中では普通のサイズ。クレイがでかいせいで船が小さく見えるだけ。
運搬を頼まれた荷物が船に積まれると、船は嫌な音を立てて傾いた。
「こりゃ沖に出たら荷物を全部鞄の中に入れるかな。クレイ、船の操縦できるの?」
「ああ。風を掴むことはできるが、この季節の風は少し扱いにくい。ビー、ブロライト、風精霊に頼めるか」
「ピュイ!」
「了解じゃ!」
プニさんは真っ先に船に乗り込み、揺れに身を任せて大海原を眺めていた。船が小さいだの狭いだの文句を言われなくて良かった。
海が凍ってしまうほどの極寒は経験したことがない。マデウスの海も塩辛い海水だから、融点はマイナス一・八度くらいだろう。ということは、体感気温はもっと低いはず。
いつもなら雪が降らない場所に、異常なまでの雪。
これはきっと、アレかな。
魔素的なあのアレが影響しているってことかな。
+ + + + +
港を出てから数十分。
荷物の一部を俺の鞄の中に収納し、船を軽くしたことでスピードが出た。
だが、穏やかだった海はあっという間に荒れ出した。身体は右へ左へと大きく傾き、大波小波が遠慮なしにばっしゃんばっしゃん襲いくる。絶叫マシンのアトラクションのようだ。ビーとブロライトが風精霊に頼んで船のバランスを保ってくれたものの、そうしなければ船は転覆してしまったかもしれない。
クレイはベテランの冒険者であるから船に乗り慣れているし、ブロライトはぐねぐね動く巨大ミミズを移動手段にしていた。プニさんとビーは自ら飛べるから例外として、俺もまったく船酔いをしなかった。これだけ揺れまくっている船に乗っているというのに、酔わないというのはとてもありがたい。数々の恩恵よ、ありがとう。
左手にグラン・リオ大陸の陸地が見えている状態で進んでいくと、やがて正面にうっすらと陸地が見えてくる。
あれがオゼリフ半島だ。
陸地が近づくにつれ、気温がどんどん下がっていく。吐く息は白く、冷たい風で頬と耳がちりちりと痛む。
「ピュゥー……」
「ビー、寒かったらローブの下に入っておけよ」
「ピュイ」
レインボーシープの着ぐるみを着たビーは、曇天のなかキャッキャと飛び回っている。
ここに来るまでの俺は、凍るほどの寒さを体験してみたいと思っていた。どれほどのものなのかと。凍ったバナナで釘を打ちたくなるのは本能に近いだろう。
だが実際は、それどころではなかった。呼吸をするたび肺の中が凍ってしまいそうなのだ。
ビーとプニさんは神様であるから、暑さ寒さはほとんど感じないようだ。それでも、ここまでの寒さとなると睫毛すら凍る。というか見ているだけでこっちが寒い。
もこもこ防寒着を着ていたプニさんにぽんぽんの付いたもこもこの襟巻を渡すと、それが気に入ったのか頭からかぶり甲板の上でくるくると回った。
俺たちは携帯懐炉をそれぞれ起動させ、暖を取る。それでも寒いような気がするのは、灰色と白の景色しか見えないから。
分厚い雲から小雪が舞い降りてきたと思ったら、その雪は次第に大きくなり――
「ここまでの雪、見たことないんだけど」
「わたしもじゃ! 見てみろビー、お主の頭より大きな雪粒じゃ」
「ピュイィィ」
とんでもない大きさのふかふかの雪が、これでもかというほど降り出した。
雪粒とは言えないサッカーボールサイズの雪は、二つ、三つでビーの身体を覆い隠すほど。こんなでかい雪、はじめて見た。
重たそうに見えて軽い。というか、重さを感じない。マデウスすげえ。
せめて雪を楽しもうと雪粒を集めて固め、雪だるまを作製。これは面白いとビーとブロライトが喜び、甲板には大小さまざまな形の雪だるまが作られるというシュールな光景。クレイとブロライトが競った挙句、雪だるまとはかけ離れた謎の物体Xな雪像が複数鎮座することに。呪われそうな雪像を作るんじゃない。
船はあっという間に雪にまみれ、海には氷が浮かぶようになった。船尾にごつんごつんと鈍い音が響く。
このまま進めば船に氷が当たって破損し、浸水する。それよりも進む方向を失い、外洋へと出てしまうだろう。
そんな心配をしていると、プニさんが文句を言ってくる。
「タケル、なんとかなさい」
「なんとかって言ってもな。うーんと、まず船を結界で覆う。それから馬車にやったみたいにして、船の周りにだけ加熱をすればいいかな。船の進行方向の氷が溶ければいいだろう」
「ピュィー……」
本来なら船を修復してから船底を補強し、ついでに魔石で風を起こして自走できるよう改造したかったが、これは借り物の船。
船首にカニのオブジェがあれば恰好良かったんだけど、それも勝手には付けられない。残念。とても、残念。
船を結界で覆ってから船底に加熱を追加。分厚い氷が船に当たっても瞬時に溶けすいすい進めるよう、温度を高く設定。そのせいで船の周りは溶けた氷や海水が蒸発し水蒸気だらけになり、景色なんて楽しむどころではなくなった。
泳いでいる魚が見られないだの青い空がないだのとぶちぶち言うプニさんを黙らせるため、鞄の中からほかほかのじゃがバタ醤油串タイプを取り出した。
携帯懐炉で身体の表面は温まるが、内臓は寒いまま。内臓が冷えると身体の動きが鈍くなると、ぽんぽんの付いた桃色の防寒帽子をかぶったクレイが言うので、気がついたら温かいものを食べたり飲んだりするようにしている。
といっても今は船を結界で覆っているから、これ以上冷えることはない。
「しかし……この雪は酷いな。俺は世界を全て見て回ったわけではないが、ここまで大きい雪の粒は見たことがない」
クレイは分厚い雲に覆われた空を見上げ、巨大雪玉がぼこぼこ落ちてくる異常な景色を眺めていた。
結界で覆われている部分に雪がもっさりと溜まり、空はどんどん見えなくなっていく。
「え。マデウスの雪ってこれが普通じゃないの?」
「阿呆。トルミ村で降りし雪を見たであろう。あれが普通の雪だ。こんな雪、神の悪戯でもない限り降ってたまるか」
ですよねー。
神の悪戯ならありえるのかなと、口いっぱいにじゃがバタ醤油を頬張るプニさんを見た。プニさんは俺の視線に気づき、眉根をきゅっと寄せる。
「もぐもぐひひん。わたくしは豊穣の神でもあります。閉ざされた氷の世界で何が実ると言うのです。わたくしへの供物が少なくなるようなことなどいたしません。このような雪を降らすのは、眠ることを忘れた愚かな神でしょう」
「え。雪を降らせる神様なんているの?」
「古代狼――冬の神オーゼリフ。わたくしと同じ、創世の時を生きた古き神」
「ピュ」
冬の神様、オーゼリフ。
プニさんはつまらなそうに、不愉快そうに目を閉じた。
とんでもない大きさの雪は降るわ海は凍るわ、ダヌシェの魔素は乱れるわ――まるでオゼリフ半島そのものが何かを拒絶しているようだ。
こちらに来るなと。入ってくるなと。
もしもこの異常なまでの寒さが神様のせいだとしたら。
やっぱり魔素が原因?
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