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9巻
9-2
それはさておき、その鋼鉄イモムシが俺の手の中で蠢いている。元気いっぱいに。
さっきから、よこせだとかなんとか変な声がしてたような気がしていたんだが、こいつが犯人だったか。
「俺だけ留守番なんてひでぇことしやがって! 俺だって外に出たかったんだぞ!」
「……ええはいそうでしたねー」
「置いていかれた連中の愚痴を俺が全部聞いたんだ! 俺が独りで! ふざけんなっての!」
「……はいはいごめんねごめんねー」
「やっと外に出られたと思ったらなんだよここ! 魔素がねぇ! 空が暗ぇ! なんか臭ぇ!」
冷たいイモムシが俺の手の中から逃げ出そうと、右に左にうごうご暴れ、次から次に文句が出る出る。
暴走した古代狼対策のため俺が地下墳墓から召喚したのは、リピとリンデだけのはずだった。ドラゴニュートの英雄であり魔王クレイと良い勝負ができるリンデ。彼一人でじゅうぶんだったのだが、何故かもう一人の英雄レザルもついて来た。
だがしかし、おかげで古代狼を疲れさせ、他の暴走モンスターたちも一掃することができた。
これでヘスタスまでついて来たら、主にクレイの精神が持たなかっただろう。
「でも風があるな! 臭ぇけど! あはははっ!」
ぐねぐねと蠢き、大笑いをするヘスタスは、とてもリザードマンの間で語り継がれる勇者ヘスタスとは思えなかった。
リザードマンが伝説の勇者と謳う、ヘスタス・ベイルーユ。彼が竜騎士を目指していたから、クレイも竜騎士を目標としたらしいのだが。
伝説の勇者の本性は残念なお調子者だったなんて、クレイが知ったらどう思うか。俺だったら嘆く。
「ところでタケル、お前なに伸びてんだ?」
鋼鉄イモムシであるヘスタスはひとしきり笑ったところで、やっと俺の状態に気がついてくれた。
拘束するのも面倒だと俺が手の力を緩めれば、イモムシはぐねぐねもぞもぞと動いて俺の頭上へ。
何故ここにヘスタスがいるのか、考えるのはあとにしよう。
考えるのも疲れる。酷い頭痛だ。
「魔素が、足り、ない」
なんとか喋ることができるようになり、ゆっくりと瞬きを繰り返す。
全身から力を抜いて静かに呼吸を繰り返せば、次第に力が戻ってくる。今回は意識を失わなかっただけマシだ。こんなだだっ広い何もないところで無防備になれば、獰猛なモンスターにさあさ食い殺してくださいと言っているようなもの。いや、今は実際に無防備なんだけども。
「それな。魔素な。やべぇくれえ少ねぇよな。なんでだろうな? でもよ、俺はお前の魔力を吸ってから動けるようになったぞ!」
「……どゆこと?」
「初めはな、動けなかったんだ。お前が直した俺が動けなくなるなんて、ありえないよな? でもな、動けなかったんだよ」
そもそもヘスタスはどうやってここに来たのか。
ヘスタスが言うには――
地下墳墓の最奥にあるミスリル魔鉱石で造った魔素発生装置、あそこに設置していた転移門が開いた。ヘスタスは悪知恵を働かせ、リピたちが帰還するのと同時に転移門に飛び込み、外に出ようとした。だが、機械人形の身体は巨大すぎてすぐにバレる。それだったら核である鋼鉄イモムシのまま外に出ればいいじゃない、ということで飛び出た、とのことだった。
勝手に地下墳墓の外に出てこんな辺鄙なところに来て、こりゃヘスタスはリピに叱られるな。墓守であるリピの言うことを守れなかったのだから、説教だけじゃ済まないかも。百年間イモムシのままでいろ、とか言いそう。
「そんで、やっと外に出られたと思ったら魔族の気配がしたろ? その時にごっそりと魔素を持っていかれちまってさ」
「魔族の気配?」
「アイツらの気配は独特だからな。嫌味か、っつうくれぇ主張しやがる」
「その魔族に、魔素を……持っていかれた?」
「ああ。周りの連中も魔素を抜かれてたな」
「魔族ってそんなことできるの?」
「詳しくは知らねえけど、魔族だからな。魔力を巧みに操る一族だ。何をしやがるかわかったもんじゃねえ」
うん??
ヘスタスの言葉に引っかかる。
「魔族って、魔力を巧みに操る一族のこと?」
「ああん? ほかに魔族はいねぇだろう」
えっえっ。
なにそれ。
俺が考えていた魔族って、サタンとかベルゼバブとか、そういう邪悪な世界の住人のことかと。
まさか「魔力を巧みに操る一族」を省略して「魔族」と呼んでるだなんて、想像もしなかった。
なんとか落ち着いてきた呼吸と腹の痛み、ぐるぐるとしていた思考も戻ってきたようだ。もう一度落ち着いて辺りを見回す。
灰色の空。乾いた空気。赤茶色の大地。分厚い雲に山の頂上が隠れていた。時々遠くから雷の音が聞こえる。どこかで見たことのある光景だなと記憶をたどれば、ハワイ島のキラウエア火山を思い出した。
そうか。あの山は活火山で、あの空は火山雲で覆われているのか。ともすれば、雷の音だと思っていたのは火山雷と。
マデウスに来てから活火山を見たのは初めてだな。
「ところでヘスタス、なんで最初から出てこなかったんだ。俺が意識を失っていた時もいたんだろう? ここに」
「それがよ、お前がさっき魔法を使ったろ? その時にぶちかました大量の魔力を、俺がいただいたってわけだ」
「ふー、やれやれよっこいしょ。それで動けるようになったのか」
「そうだ」
腕に力を入れて上体を起こし、ゆっくりと座る。よし、どこも痛くない。
魔素がないと思っていた乾いた大地でも、ほんのわずかな魔素が漂っていたらしい。治りはいつもより格段に遅いが、痛みが延々と続かなくて良かった。
俺も鋼鉄イモムシのように魔素を多く吸収できる体質なんだけど、普通の人間ってそんなことできるのか? なんて考えてはいけない。聞いたことはないが、できるもんはできる。それでいい。
乾いた大地の上で胡坐をかき、落ち着いて深呼吸。ヘスタスが臭いと言っていたが、特に気になる匂いはしなかった。あるとすれば、独特の硫黄の匂いかな。
喉の渇きを覚え、つい鞄を探してしまう。常に傍らにあった鞄だけど、あれは俺を転生させた「青年」にもらった魔道具の一種。魔素を糧とし、俺の魔力によって維持されていた。盗まれても即座に戻ってきたとてもお利口な鞄だが、今この場にないということは――
俺がいる場所の魔素が薄くて魔力が足りないから、鞄の機能を発揮できないということだろうか。
「鼻くそ程度の魔素しか漂っていねぇってのに、もう動けるのか? 相変わらずヘンテコな身体しやがって」
「薄い魔素を鼻くそにたとえるな。なあなあヘスタス、こんなにも魔素がうっすい土地ってほかにもある?」
「何百年か前のことならわかるぜ? そん時は聞いたこともなかったな」
そうでした。
ついつい聞いてしまったが、ヘスタスは大昔に亡くなっていたんだ。今こうして存在しているのは、俺が機械人形として生き返らせたからに過ぎない。
ヘスタスは俺の頭の上を動き回り、髪の毛の中に潜り込みながら続けた。
「こんな乾いた土地なんざ、なんも生きられねぇだろうよ」
数百年前に亡くなり、数百年間地下墳墓から出なかったヘスタスだ。マデウスの大地がどう変動したのかなんて、彼がわかるわけもないが、滞在期間わずか一年弱の俺が知るよしもない。
ああでも。
「トロ……トロブ? セロ? トロブ、セロ火山って聞いたことある?」
死にそうな目にはあったが、せっかく調査先生が教えてくれた情報だ。たとえヘスタスに心当たりがなくても、なんらかの情報に繋がるかもしれない。
ヘスタスはしばらく沈黙すると、小さな手で俺の髪の毛を数本引っ張った。地味に痛い。
「トロブセロ?……トロブ……トロブセラ、だろうそれ。あれだ。神が棲んでいるってぇ言われている山だ。船で行くことができない、誰も寄りつかない謎の大陸」
「謎の大陸……なんだそれ。この石がトロブセラ? 溶岩石。魔族にとっては有難い代物なんだって」
「ああ! ああ、ああ、ああ! それか! 魔族な! そうだったそうだった! トロブセラは北の大陸であるパゴニ・サマクにあるはずだ。俺が生きていた時には爆発したって話は聞いてねぇから……」
俺が死んでから爆発したんだな、と。ヘスタスは興奮して俺の髪の毛の中を這いずり回り、ゲラゲラと笑った。
「気持ち悪いからそこで暴れるなって」
「おいこらタケル! 気づけよ! 俺たちは北の大陸にいるんだぞ! 俺が生きていた頃は、大陸を渡るだなんて考えもしなかった! できなかった! はははっ、すげえ! 俺は! 今! グラン・リオよりもずっとずっと彼方にあった海の向こうにいるんだ!」
鋼鉄よりも硬いミックス魔鉱石の身体であることを忘れたヘスタスは、容赦なく俺の頭の上で飛び跳ねる。俺の毛根と頭皮がとてもとても心配だが、ヘスタスの興奮も理解できた。
いきなりこんな場所に連れてこられ、仲間たちと離され、訳もわからず放置されたけれど、俺たちは北の大陸――パゴニ・サマクにいるんだ。
クレイさえも来たことがない未知の世界。元冒険者で今はトルミ村雑貨屋のおっさんジェロムや、ベルカイムのギルド「エウロパ」の元Aランク冒険者のギルドマスターである巨人族のおっさんすらも、北の大陸には行ったことがないと言っていた。いやむしろ行く手段がないというか、北の大陸に行くまでの海路がとても危険で命を賭してまで行くところではないと言われてはいたが。
そんな場所に俺たちはいるわけだ。
「おら、立てタケル! こんな、なんもねぇところでグズグズしてんじゃねえよ! 何があるかはわかんねぇけど、きっと何かあるに違ぇねえ!」
そうだよな。うん。
何があるかはわからない。だが、こんなところで呆けている場合でもない。それならまず水を探そう。喉が渇いた。
便利な鞄がない。頼れる仲間もいない。だけど、俺は生きている。
生きているならなんとかなる。俺はそうして生きてきた。
きっと大丈夫だ。俺は簡単に死なない。
「よし、行くぞヘスタス。誰も寄りつかなかった北の大陸の素材だ。珍しいものがたくさんあるに違いない」
「おおそうだ! 金目のモンがゴロゴロあるだろうぜ!」
北の大陸は未知の大陸。ということは、この地にあるものは低ランクであったとしても、ほかの大陸には出回らない希少価値が高いものばかり。もしもこの溶岩石をアルツェリオ王国の王都に持ち込んだら、珍しい石ということで貴族たちは先を競って欲しがるんじゃないか?
そうなったら、蒼黒の団の食費が稼げる。
それだけじゃない、トルミ村の更なる発展の費用に充てられるし、王都で俺たちが流行らせた握り飯弁当の店舗を全国展開させることも夢じゃない。ああそうだ、小人族とオグル族が住む合同村に風呂を設置しないとな。エルフたちの力を借りて、ドワーフたちは酒で釣って……
「ふひ。ふひひっ」
「おおっ? お前、なんか腹の黒いこと考えていやがるな? へへへっ、その意気だ!」
俺の頭上で飛び跳ねる鋼鉄イモムシに誘われるまま、山に向かって歩くことにした。
2 その頃、蒼黒の団は1
「ピュイィィ……ピュィィィィ~~~」
「いい加減に泣くのをやめなさい、鬱陶しい」
「ピュイ! ピュイッ!」
「いくら泣き叫んだところでタケルは戻りません。魔族に勾引かされたのですから」
東大陸グラン・リオの最西に位置する半島、オゼリフ。
その半島の中央に広がる深い森、通称「王様の森」にある小人族とオグル族が住まう合同村で、泣き叫ぶ小さな黒い竜ビーと、不愉快そうに眉根を寄せる白銀髪の美女ホーヴヴァルプニルが口論を続けていた。
先ほどまで笑顔で採取の支度をしていた素材採取家、タケルが何者かに連れ去られたのだ。
これには誰もが震撼した。
突然強烈な眠気が襲ってきたと思ったら、村の大恩人でもあるタケルが消えていた。はじめは何が起きたのかわからず、どんな魔法を使ったのだと面白がっていた小人族だったが、ビーの狼狽と嘆きを目にし、これはビックリドッキリショーなどではないと焦った。
小さな犬になってしまった古代狼は、強烈な魔力に逆らえず現在も安眠中である。無理に抗おうとすれば、魂をすり減らし今度こそ消滅の危機である――と、古代馬が言った。
こうした事態に、チーム「蒼黒の団」のリーダーであり、唯一の常識人とも呼ばれているドラゴニュートのクレイストンは、大地に拳を叩きつけて己の失態を恥じた。
「くそっ……! 俺が傍にいながら、なんたることだ!」
「クレイストン、そう己を責めるな。わたしも彼奴の魔法に抗うことはできなかったのじゃ。わたしは曲がりなりにもハイエルフじゃぞ? そのわたしすら……」
大地がひび割れるほどに拳を振り下ろすクレイストンを宥めたのは、ハイエルフ族のブロライト。
ハイエルフはドラゴニュートであるクレイストンよりも魔力が高く、また魔力に対抗する力も強い種族である。不意を突かれたとはいえ、ハイエルフの魔力を凌駕する種族が存在するとは思えなかった。
膨大な魔力を操るタケルは別格だ。アレは、人間であるかすら怪しい。それにもかかわらず、呆気なく連れ去られてしまった。
「プニ殿、タケルを連れ去ったのは確かに魔族なのか?」
クレイストンは切り株に座っていたホーヴヴァルプニルに問うと、ホーヴヴァルプニルは不愉快そうに、口惜しそうに深く頷いた。
「……確かに魔力を巧みに操る一族の気配がしました。それは、間違いありません」
魔族。
ホーヴヴァルプニルの言葉に、その場で話を聞いていた一同は顔色を変えた。
しばらく沈黙が続いたあと、恐る恐る口を開いたのは小人族のスッスであった。
「魔族って、アレっすよね。北の大陸にいる、恐ろしい種族っすよね」
「正直、俺は魔族に出会うたことがないのだ。ゆえに、恐ろしいのか否かはわからぬ」
「栄誉の旦那も見たことがないんすか?」
各地を旅して回った「栄誉の竜王」の二つ名をいただくクレイストンすら、出会ったことのない種族。そんな謎の種族が、どうしてタケルを連れ去ったのだろうか。
「彼奴が使うたのは空間術じゃろう。タケルが得意とする、転移門のような」
「すまんブロライト、俺はそこまで詳細に記憶しておらんのだ」
「わたしとプニ殿とビーだけが最後まで覚醒しておったからな。そこは仕方がない。あれほどの魔力、わたしの母ですら抗うことはできぬ」
ブロライトの母――ハイエルフの王女が抗うことのできない魔力。
そんな常識外の魔力を持つ者が、タケル以外にも存在するとは。
再び言葉を失ってしまった彼らに、ビーが叫ぶ。
「ピュイ! ピュピュー! ピュイィッ! ピュ!」
「すまぬビー、タケルがおらぬとお前の言葉がわからぬのだ」
「ピュイィ! ピュピュ!」
クレイストンが宥めようとするも、ビーが何かを訴えようとタケルの鞄を叩いている。
そういえば、この鞄はタケルが持つ異能によって存在を成していると聞かされていた。タケル自身も鞄について詳しいことはわからないらしいが、「私物確保」という異能が働いていると皆に伝えていた。
それならば、鞄はタケルと共にあるべきなのだが。
「鞄がここに残されているということは……どういうことなのじゃ?」
「いや、俺に問われてもわからぬ」
ブロライトとクレイストンは互いに首を傾げた。
「ピュイィィ……ピュイィィィ……」
ビーは大きな目に大粒の涙を浮かべ、肩を震わせ泣き続ける。そして、不貞腐れたままのホーヴヴァルプニルをじとりと睨んだ。
「言葉を発することのできぬ未熟な己を恨むのです。そもそもお前は古代竜であるというのに、魂の成長が遅すぎます。ヴォルディアスの加護を受けしあの者に甘えすぎているのではありませんか」
「ピュイ! ピューーイッ!」
「むっ、誰が甘えているのですか! わたくしは人の子に甘えたことなど一度も……」
「ピュピュピュー」
「それとこれとは話が別です! わたくしはより良い供物を求めているに過ぎません!」
「ピュ! ピュピュー? ピュッピュピューィ」
「ハッ! ……それもそうです。どうして気づくことができなかったのでしょう。あの者がおらねば、わたくしはじゃがバタそうゆーを食べられぬではありませぬか!」
ビーの言葉はホーヴヴァルプニル以外誰も理解できなかったが、二人の口論を聞くことでなんとなく察することができた。
つまり、タケルがいなければ美味い飯を食えないぞと、ビーがホーヴヴァルプニルを脅したらしい。
くだらない口論だが、「美味い飯を食う」というのがチーム蒼黒の団最大の目標であり、その最大の目的が根底から崩壊してしまったのだ。
ブロライトとクレイストンはタケルが作る素晴らしい料理の数々に慣れ、今ではタケルと出会う前に食べていた冒険者御用達である保存食、硬い干し肉とすっぱい葡萄酒を嫌悪するほどになっている。
あの優秀すぎる素材採取家であり、蒼黒の団唯一の料理人であるタケルがいなくては、美味い飯を食うことができない。美味い飯はトルミ村やベルカイムにもあるが、そもそもタケルがいなくては空間術を使うことができない。となると、しばらくは美味い飯を食うことができないのだ。
団員の心は一つとなった。
「人の子たちよ! わたくしの供物を! とびきりの供物をよこすあの者を捜すのです!」
「ピュー!」
「クレイストン! 今すぐにでもタケルを捜しに行くのじゃ!」
「当たり前だ! 魔族の住処を探すのだろう? それならば、北の大陸に赴かねばならぬぞ! ブロライト、旅支度だ!」
素材採取家であるタケルの仲間たちは、拳を高々と突き上げ次の目的地を目指すことになった。
3 原住民は、白いもじゃもじゃ
「はっ! ビーが鼻汁噴射させながら号泣している気がする!」
「なんだそれ面白ぇな」
ふと感じたビーの泣き声。
あのちびっこ竜、俺がいなくなって慌てていないだろうか。いや、きっと慌てている。泣き叫んでいるだろう。
ビーは古代竜の子供ではあるが、精神は人間の子供と変わりがない。不安になったり寂しくなったり眠くなったりすると、ぐずる。拗ねる。
何かしらの食べ物を与えれば大人しくなるが、さてどうしているだろうか。
プニさんと喧嘩しているんだろうなあ。くっだらないことで言い合って、クレイに迷惑をかけているんだろうなあ。
……俺が戻ったら全員から文句を言われそうだ。俺、被害者なのに。
「あっとぅい……」
行けども行けども、乾いた大地。
カラカラの風にカラカラの砂が空を舞い、容赦なく俺の目玉に飛び込んでくる。
目薬欲しい。キーンと、キターとなる、ハードな目薬が欲しい。
せめて顔を洗いたい。水に顔面を入れて瞬きをすれば、ゴロゴロとした不快な眼球を洗えるはず。
それから汗を拭きたい。その前に水が飲みたい。できれば冷えたやつ。
冷えているのなら冷えた酒が飲みたい。氷を入れたリザードマン特製の潤酒が飲みたい。温泉に浸かりながら雪見酒でキュッと一杯……
「おおうい、タケル! こんなところで寝ぼけんじゃねぇよ! オラ、歩け歩けっ!」
鋼鉄イモムシが俺の頭の上でがちゃがちゃとやかましく跳ね飛び、俺を夢の世界から現実へと叩き落とす。
少しくらい白昼夢を見てもいいじゃないか。歩いても歩いても歩いても、砂と岩とごろごろした溶岩ばかりなんだから。
俺は重たい身体をなんとか動かし、トロブセラ火山の麓を目指している。
火山に近づくなんて危険かもしれないが、なんとなく身体の向かうほうへ歩いていたら、それが火山の麓だったわけで。
知らない土地に頼れる仲間はいない。それならば自分の勘を信じよう。
マデウスに来てから道に迷ったことは一度もないのだ。ベルカイムにある迷路のような職人街でも、迷ったことがない。方向音痴は冒険者として命取りだからな。前世ではスマホのナビに頼りきっていました。
「なあヘスタス。お前が知っている限りでいいから、魔族について教えてくれ」
頭上ではしゃぐヘスタスに問うと、ヘスタスは飛び跳ねながら俺の肩へと着地。
「うーんとな、俺もレザルから聞いた話だからな? 魔族は生活のほぼすべてを魔力に頼っているらしいな。何をするにも魔法を使うから、簡素な生活を好むとかなんとか。それで、魔族が住む国のことを魔族の世界って呼んでいたらしいんだ」
それって略して魔界。
あれかな。箒にまたがった魔女が逃亡者を石に変えたりするのかな。帰らずの原とかあるのかな。
おどろおどろしい世界だったらどうするかな。食人習慣なんてあったらどうしよう。俺、絶対におかしくなる。
「魔族っていうのは……見た目は? クレイの顔とどっちが怖い?」
クレイの顔をやっと見慣れてきたんだ。あれを超える怖い見た目だったら逃げ出す自信がある。
「見た目なんか知らねぇよ。俺はヴォロガの戦いに参加した時、遠目で確認できた程度で、魔力がやたらと多い種族だなーと思ったくらいだ」
ですよねー。
ヘスタスの返答に肩を落とし、それでも歩みは止めない。
さっきから、よこせだとかなんとか変な声がしてたような気がしていたんだが、こいつが犯人だったか。
「俺だけ留守番なんてひでぇことしやがって! 俺だって外に出たかったんだぞ!」
「……ええはいそうでしたねー」
「置いていかれた連中の愚痴を俺が全部聞いたんだ! 俺が独りで! ふざけんなっての!」
「……はいはいごめんねごめんねー」
「やっと外に出られたと思ったらなんだよここ! 魔素がねぇ! 空が暗ぇ! なんか臭ぇ!」
冷たいイモムシが俺の手の中から逃げ出そうと、右に左にうごうご暴れ、次から次に文句が出る出る。
暴走した古代狼対策のため俺が地下墳墓から召喚したのは、リピとリンデだけのはずだった。ドラゴニュートの英雄であり魔王クレイと良い勝負ができるリンデ。彼一人でじゅうぶんだったのだが、何故かもう一人の英雄レザルもついて来た。
だがしかし、おかげで古代狼を疲れさせ、他の暴走モンスターたちも一掃することができた。
これでヘスタスまでついて来たら、主にクレイの精神が持たなかっただろう。
「でも風があるな! 臭ぇけど! あはははっ!」
ぐねぐねと蠢き、大笑いをするヘスタスは、とてもリザードマンの間で語り継がれる勇者ヘスタスとは思えなかった。
リザードマンが伝説の勇者と謳う、ヘスタス・ベイルーユ。彼が竜騎士を目指していたから、クレイも竜騎士を目標としたらしいのだが。
伝説の勇者の本性は残念なお調子者だったなんて、クレイが知ったらどう思うか。俺だったら嘆く。
「ところでタケル、お前なに伸びてんだ?」
鋼鉄イモムシであるヘスタスはひとしきり笑ったところで、やっと俺の状態に気がついてくれた。
拘束するのも面倒だと俺が手の力を緩めれば、イモムシはぐねぐねもぞもぞと動いて俺の頭上へ。
何故ここにヘスタスがいるのか、考えるのはあとにしよう。
考えるのも疲れる。酷い頭痛だ。
「魔素が、足り、ない」
なんとか喋ることができるようになり、ゆっくりと瞬きを繰り返す。
全身から力を抜いて静かに呼吸を繰り返せば、次第に力が戻ってくる。今回は意識を失わなかっただけマシだ。こんなだだっ広い何もないところで無防備になれば、獰猛なモンスターにさあさ食い殺してくださいと言っているようなもの。いや、今は実際に無防備なんだけども。
「それな。魔素な。やべぇくれえ少ねぇよな。なんでだろうな? でもよ、俺はお前の魔力を吸ってから動けるようになったぞ!」
「……どゆこと?」
「初めはな、動けなかったんだ。お前が直した俺が動けなくなるなんて、ありえないよな? でもな、動けなかったんだよ」
そもそもヘスタスはどうやってここに来たのか。
ヘスタスが言うには――
地下墳墓の最奥にあるミスリル魔鉱石で造った魔素発生装置、あそこに設置していた転移門が開いた。ヘスタスは悪知恵を働かせ、リピたちが帰還するのと同時に転移門に飛び込み、外に出ようとした。だが、機械人形の身体は巨大すぎてすぐにバレる。それだったら核である鋼鉄イモムシのまま外に出ればいいじゃない、ということで飛び出た、とのことだった。
勝手に地下墳墓の外に出てこんな辺鄙なところに来て、こりゃヘスタスはリピに叱られるな。墓守であるリピの言うことを守れなかったのだから、説教だけじゃ済まないかも。百年間イモムシのままでいろ、とか言いそう。
「そんで、やっと外に出られたと思ったら魔族の気配がしたろ? その時にごっそりと魔素を持っていかれちまってさ」
「魔族の気配?」
「アイツらの気配は独特だからな。嫌味か、っつうくれぇ主張しやがる」
「その魔族に、魔素を……持っていかれた?」
「ああ。周りの連中も魔素を抜かれてたな」
「魔族ってそんなことできるの?」
「詳しくは知らねえけど、魔族だからな。魔力を巧みに操る一族だ。何をしやがるかわかったもんじゃねえ」
うん??
ヘスタスの言葉に引っかかる。
「魔族って、魔力を巧みに操る一族のこと?」
「ああん? ほかに魔族はいねぇだろう」
えっえっ。
なにそれ。
俺が考えていた魔族って、サタンとかベルゼバブとか、そういう邪悪な世界の住人のことかと。
まさか「魔力を巧みに操る一族」を省略して「魔族」と呼んでるだなんて、想像もしなかった。
なんとか落ち着いてきた呼吸と腹の痛み、ぐるぐるとしていた思考も戻ってきたようだ。もう一度落ち着いて辺りを見回す。
灰色の空。乾いた空気。赤茶色の大地。分厚い雲に山の頂上が隠れていた。時々遠くから雷の音が聞こえる。どこかで見たことのある光景だなと記憶をたどれば、ハワイ島のキラウエア火山を思い出した。
そうか。あの山は活火山で、あの空は火山雲で覆われているのか。ともすれば、雷の音だと思っていたのは火山雷と。
マデウスに来てから活火山を見たのは初めてだな。
「ところでヘスタス、なんで最初から出てこなかったんだ。俺が意識を失っていた時もいたんだろう? ここに」
「それがよ、お前がさっき魔法を使ったろ? その時にぶちかました大量の魔力を、俺がいただいたってわけだ」
「ふー、やれやれよっこいしょ。それで動けるようになったのか」
「そうだ」
腕に力を入れて上体を起こし、ゆっくりと座る。よし、どこも痛くない。
魔素がないと思っていた乾いた大地でも、ほんのわずかな魔素が漂っていたらしい。治りはいつもより格段に遅いが、痛みが延々と続かなくて良かった。
俺も鋼鉄イモムシのように魔素を多く吸収できる体質なんだけど、普通の人間ってそんなことできるのか? なんて考えてはいけない。聞いたことはないが、できるもんはできる。それでいい。
乾いた大地の上で胡坐をかき、落ち着いて深呼吸。ヘスタスが臭いと言っていたが、特に気になる匂いはしなかった。あるとすれば、独特の硫黄の匂いかな。
喉の渇きを覚え、つい鞄を探してしまう。常に傍らにあった鞄だけど、あれは俺を転生させた「青年」にもらった魔道具の一種。魔素を糧とし、俺の魔力によって維持されていた。盗まれても即座に戻ってきたとてもお利口な鞄だが、今この場にないということは――
俺がいる場所の魔素が薄くて魔力が足りないから、鞄の機能を発揮できないということだろうか。
「鼻くそ程度の魔素しか漂っていねぇってのに、もう動けるのか? 相変わらずヘンテコな身体しやがって」
「薄い魔素を鼻くそにたとえるな。なあなあヘスタス、こんなにも魔素がうっすい土地ってほかにもある?」
「何百年か前のことならわかるぜ? そん時は聞いたこともなかったな」
そうでした。
ついつい聞いてしまったが、ヘスタスは大昔に亡くなっていたんだ。今こうして存在しているのは、俺が機械人形として生き返らせたからに過ぎない。
ヘスタスは俺の頭の上を動き回り、髪の毛の中に潜り込みながら続けた。
「こんな乾いた土地なんざ、なんも生きられねぇだろうよ」
数百年前に亡くなり、数百年間地下墳墓から出なかったヘスタスだ。マデウスの大地がどう変動したのかなんて、彼がわかるわけもないが、滞在期間わずか一年弱の俺が知るよしもない。
ああでも。
「トロ……トロブ? セロ? トロブ、セロ火山って聞いたことある?」
死にそうな目にはあったが、せっかく調査先生が教えてくれた情報だ。たとえヘスタスに心当たりがなくても、なんらかの情報に繋がるかもしれない。
ヘスタスはしばらく沈黙すると、小さな手で俺の髪の毛を数本引っ張った。地味に痛い。
「トロブセロ?……トロブ……トロブセラ、だろうそれ。あれだ。神が棲んでいるってぇ言われている山だ。船で行くことができない、誰も寄りつかない謎の大陸」
「謎の大陸……なんだそれ。この石がトロブセラ? 溶岩石。魔族にとっては有難い代物なんだって」
「ああ! ああ、ああ、ああ! それか! 魔族な! そうだったそうだった! トロブセラは北の大陸であるパゴニ・サマクにあるはずだ。俺が生きていた時には爆発したって話は聞いてねぇから……」
俺が死んでから爆発したんだな、と。ヘスタスは興奮して俺の髪の毛の中を這いずり回り、ゲラゲラと笑った。
「気持ち悪いからそこで暴れるなって」
「おいこらタケル! 気づけよ! 俺たちは北の大陸にいるんだぞ! 俺が生きていた頃は、大陸を渡るだなんて考えもしなかった! できなかった! はははっ、すげえ! 俺は! 今! グラン・リオよりもずっとずっと彼方にあった海の向こうにいるんだ!」
鋼鉄よりも硬いミックス魔鉱石の身体であることを忘れたヘスタスは、容赦なく俺の頭の上で飛び跳ねる。俺の毛根と頭皮がとてもとても心配だが、ヘスタスの興奮も理解できた。
いきなりこんな場所に連れてこられ、仲間たちと離され、訳もわからず放置されたけれど、俺たちは北の大陸――パゴニ・サマクにいるんだ。
クレイさえも来たことがない未知の世界。元冒険者で今はトルミ村雑貨屋のおっさんジェロムや、ベルカイムのギルド「エウロパ」の元Aランク冒険者のギルドマスターである巨人族のおっさんすらも、北の大陸には行ったことがないと言っていた。いやむしろ行く手段がないというか、北の大陸に行くまでの海路がとても危険で命を賭してまで行くところではないと言われてはいたが。
そんな場所に俺たちはいるわけだ。
「おら、立てタケル! こんな、なんもねぇところでグズグズしてんじゃねえよ! 何があるかはわかんねぇけど、きっと何かあるに違ぇねえ!」
そうだよな。うん。
何があるかはわからない。だが、こんなところで呆けている場合でもない。それならまず水を探そう。喉が渇いた。
便利な鞄がない。頼れる仲間もいない。だけど、俺は生きている。
生きているならなんとかなる。俺はそうして生きてきた。
きっと大丈夫だ。俺は簡単に死なない。
「よし、行くぞヘスタス。誰も寄りつかなかった北の大陸の素材だ。珍しいものがたくさんあるに違いない」
「おおそうだ! 金目のモンがゴロゴロあるだろうぜ!」
北の大陸は未知の大陸。ということは、この地にあるものは低ランクであったとしても、ほかの大陸には出回らない希少価値が高いものばかり。もしもこの溶岩石をアルツェリオ王国の王都に持ち込んだら、珍しい石ということで貴族たちは先を競って欲しがるんじゃないか?
そうなったら、蒼黒の団の食費が稼げる。
それだけじゃない、トルミ村の更なる発展の費用に充てられるし、王都で俺たちが流行らせた握り飯弁当の店舗を全国展開させることも夢じゃない。ああそうだ、小人族とオグル族が住む合同村に風呂を設置しないとな。エルフたちの力を借りて、ドワーフたちは酒で釣って……
「ふひ。ふひひっ」
「おおっ? お前、なんか腹の黒いこと考えていやがるな? へへへっ、その意気だ!」
俺の頭上で飛び跳ねる鋼鉄イモムシに誘われるまま、山に向かって歩くことにした。
2 その頃、蒼黒の団は1
「ピュイィィ……ピュィィィィ~~~」
「いい加減に泣くのをやめなさい、鬱陶しい」
「ピュイ! ピュイッ!」
「いくら泣き叫んだところでタケルは戻りません。魔族に勾引かされたのですから」
東大陸グラン・リオの最西に位置する半島、オゼリフ。
その半島の中央に広がる深い森、通称「王様の森」にある小人族とオグル族が住まう合同村で、泣き叫ぶ小さな黒い竜ビーと、不愉快そうに眉根を寄せる白銀髪の美女ホーヴヴァルプニルが口論を続けていた。
先ほどまで笑顔で採取の支度をしていた素材採取家、タケルが何者かに連れ去られたのだ。
これには誰もが震撼した。
突然強烈な眠気が襲ってきたと思ったら、村の大恩人でもあるタケルが消えていた。はじめは何が起きたのかわからず、どんな魔法を使ったのだと面白がっていた小人族だったが、ビーの狼狽と嘆きを目にし、これはビックリドッキリショーなどではないと焦った。
小さな犬になってしまった古代狼は、強烈な魔力に逆らえず現在も安眠中である。無理に抗おうとすれば、魂をすり減らし今度こそ消滅の危機である――と、古代馬が言った。
こうした事態に、チーム「蒼黒の団」のリーダーであり、唯一の常識人とも呼ばれているドラゴニュートのクレイストンは、大地に拳を叩きつけて己の失態を恥じた。
「くそっ……! 俺が傍にいながら、なんたることだ!」
「クレイストン、そう己を責めるな。わたしも彼奴の魔法に抗うことはできなかったのじゃ。わたしは曲がりなりにもハイエルフじゃぞ? そのわたしすら……」
大地がひび割れるほどに拳を振り下ろすクレイストンを宥めたのは、ハイエルフ族のブロライト。
ハイエルフはドラゴニュートであるクレイストンよりも魔力が高く、また魔力に対抗する力も強い種族である。不意を突かれたとはいえ、ハイエルフの魔力を凌駕する種族が存在するとは思えなかった。
膨大な魔力を操るタケルは別格だ。アレは、人間であるかすら怪しい。それにもかかわらず、呆気なく連れ去られてしまった。
「プニ殿、タケルを連れ去ったのは確かに魔族なのか?」
クレイストンは切り株に座っていたホーヴヴァルプニルに問うと、ホーヴヴァルプニルは不愉快そうに、口惜しそうに深く頷いた。
「……確かに魔力を巧みに操る一族の気配がしました。それは、間違いありません」
魔族。
ホーヴヴァルプニルの言葉に、その場で話を聞いていた一同は顔色を変えた。
しばらく沈黙が続いたあと、恐る恐る口を開いたのは小人族のスッスであった。
「魔族って、アレっすよね。北の大陸にいる、恐ろしい種族っすよね」
「正直、俺は魔族に出会うたことがないのだ。ゆえに、恐ろしいのか否かはわからぬ」
「栄誉の旦那も見たことがないんすか?」
各地を旅して回った「栄誉の竜王」の二つ名をいただくクレイストンすら、出会ったことのない種族。そんな謎の種族が、どうしてタケルを連れ去ったのだろうか。
「彼奴が使うたのは空間術じゃろう。タケルが得意とする、転移門のような」
「すまんブロライト、俺はそこまで詳細に記憶しておらんのだ」
「わたしとプニ殿とビーだけが最後まで覚醒しておったからな。そこは仕方がない。あれほどの魔力、わたしの母ですら抗うことはできぬ」
ブロライトの母――ハイエルフの王女が抗うことのできない魔力。
そんな常識外の魔力を持つ者が、タケル以外にも存在するとは。
再び言葉を失ってしまった彼らに、ビーが叫ぶ。
「ピュイ! ピュピュー! ピュイィッ! ピュ!」
「すまぬビー、タケルがおらぬとお前の言葉がわからぬのだ」
「ピュイィ! ピュピュ!」
クレイストンが宥めようとするも、ビーが何かを訴えようとタケルの鞄を叩いている。
そういえば、この鞄はタケルが持つ異能によって存在を成していると聞かされていた。タケル自身も鞄について詳しいことはわからないらしいが、「私物確保」という異能が働いていると皆に伝えていた。
それならば、鞄はタケルと共にあるべきなのだが。
「鞄がここに残されているということは……どういうことなのじゃ?」
「いや、俺に問われてもわからぬ」
ブロライトとクレイストンは互いに首を傾げた。
「ピュイィィ……ピュイィィィ……」
ビーは大きな目に大粒の涙を浮かべ、肩を震わせ泣き続ける。そして、不貞腐れたままのホーヴヴァルプニルをじとりと睨んだ。
「言葉を発することのできぬ未熟な己を恨むのです。そもそもお前は古代竜であるというのに、魂の成長が遅すぎます。ヴォルディアスの加護を受けしあの者に甘えすぎているのではありませんか」
「ピュイ! ピューーイッ!」
「むっ、誰が甘えているのですか! わたくしは人の子に甘えたことなど一度も……」
「ピュピュピュー」
「それとこれとは話が別です! わたくしはより良い供物を求めているに過ぎません!」
「ピュ! ピュピュー? ピュッピュピューィ」
「ハッ! ……それもそうです。どうして気づくことができなかったのでしょう。あの者がおらねば、わたくしはじゃがバタそうゆーを食べられぬではありませぬか!」
ビーの言葉はホーヴヴァルプニル以外誰も理解できなかったが、二人の口論を聞くことでなんとなく察することができた。
つまり、タケルがいなければ美味い飯を食えないぞと、ビーがホーヴヴァルプニルを脅したらしい。
くだらない口論だが、「美味い飯を食う」というのがチーム蒼黒の団最大の目標であり、その最大の目的が根底から崩壊してしまったのだ。
ブロライトとクレイストンはタケルが作る素晴らしい料理の数々に慣れ、今ではタケルと出会う前に食べていた冒険者御用達である保存食、硬い干し肉とすっぱい葡萄酒を嫌悪するほどになっている。
あの優秀すぎる素材採取家であり、蒼黒の団唯一の料理人であるタケルがいなくては、美味い飯を食うことができない。美味い飯はトルミ村やベルカイムにもあるが、そもそもタケルがいなくては空間術を使うことができない。となると、しばらくは美味い飯を食うことができないのだ。
団員の心は一つとなった。
「人の子たちよ! わたくしの供物を! とびきりの供物をよこすあの者を捜すのです!」
「ピュー!」
「クレイストン! 今すぐにでもタケルを捜しに行くのじゃ!」
「当たり前だ! 魔族の住処を探すのだろう? それならば、北の大陸に赴かねばならぬぞ! ブロライト、旅支度だ!」
素材採取家であるタケルの仲間たちは、拳を高々と突き上げ次の目的地を目指すことになった。
3 原住民は、白いもじゃもじゃ
「はっ! ビーが鼻汁噴射させながら号泣している気がする!」
「なんだそれ面白ぇな」
ふと感じたビーの泣き声。
あのちびっこ竜、俺がいなくなって慌てていないだろうか。いや、きっと慌てている。泣き叫んでいるだろう。
ビーは古代竜の子供ではあるが、精神は人間の子供と変わりがない。不安になったり寂しくなったり眠くなったりすると、ぐずる。拗ねる。
何かしらの食べ物を与えれば大人しくなるが、さてどうしているだろうか。
プニさんと喧嘩しているんだろうなあ。くっだらないことで言い合って、クレイに迷惑をかけているんだろうなあ。
……俺が戻ったら全員から文句を言われそうだ。俺、被害者なのに。
「あっとぅい……」
行けども行けども、乾いた大地。
カラカラの風にカラカラの砂が空を舞い、容赦なく俺の目玉に飛び込んでくる。
目薬欲しい。キーンと、キターとなる、ハードな目薬が欲しい。
せめて顔を洗いたい。水に顔面を入れて瞬きをすれば、ゴロゴロとした不快な眼球を洗えるはず。
それから汗を拭きたい。その前に水が飲みたい。できれば冷えたやつ。
冷えているのなら冷えた酒が飲みたい。氷を入れたリザードマン特製の潤酒が飲みたい。温泉に浸かりながら雪見酒でキュッと一杯……
「おおうい、タケル! こんなところで寝ぼけんじゃねぇよ! オラ、歩け歩けっ!」
鋼鉄イモムシが俺の頭の上でがちゃがちゃとやかましく跳ね飛び、俺を夢の世界から現実へと叩き落とす。
少しくらい白昼夢を見てもいいじゃないか。歩いても歩いても歩いても、砂と岩とごろごろした溶岩ばかりなんだから。
俺は重たい身体をなんとか動かし、トロブセラ火山の麓を目指している。
火山に近づくなんて危険かもしれないが、なんとなく身体の向かうほうへ歩いていたら、それが火山の麓だったわけで。
知らない土地に頼れる仲間はいない。それならば自分の勘を信じよう。
マデウスに来てから道に迷ったことは一度もないのだ。ベルカイムにある迷路のような職人街でも、迷ったことがない。方向音痴は冒険者として命取りだからな。前世ではスマホのナビに頼りきっていました。
「なあヘスタス。お前が知っている限りでいいから、魔族について教えてくれ」
頭上ではしゃぐヘスタスに問うと、ヘスタスは飛び跳ねながら俺の肩へと着地。
「うーんとな、俺もレザルから聞いた話だからな? 魔族は生活のほぼすべてを魔力に頼っているらしいな。何をするにも魔法を使うから、簡素な生活を好むとかなんとか。それで、魔族が住む国のことを魔族の世界って呼んでいたらしいんだ」
それって略して魔界。
あれかな。箒にまたがった魔女が逃亡者を石に変えたりするのかな。帰らずの原とかあるのかな。
おどろおどろしい世界だったらどうするかな。食人習慣なんてあったらどうしよう。俺、絶対におかしくなる。
「魔族っていうのは……見た目は? クレイの顔とどっちが怖い?」
クレイの顔をやっと見慣れてきたんだ。あれを超える怖い見た目だったら逃げ出す自信がある。
「見た目なんか知らねぇよ。俺はヴォロガの戦いに参加した時、遠目で確認できた程度で、魔力がやたらと多い種族だなーと思ったくらいだ」
ですよねー。
ヘスタスの返答に肩を落とし、それでも歩みは止めない。
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