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1巻
1-2
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2 魔法は地味でした
眼を瞑ったのはほんのわずか。
肌で感じる空間の変化。
河原じゃないどこかに立っている感覚。
風が髪を撫で、小鳥が囀る音。
背に伝わる温かな陽の光。緑のにおい。
「はあ……」
眼を開けて、広がった世界に思わず息を吐き出した。
見事な緑の草原がどこまでも続き、青々とした木々が生い茂る林が各所に点在。
空は青く澄み渡り、雲は白く雄大に泳ぐ。
太陽の位置でお昼前だとわかるが、あれが太陽でいいのだろうか。太陽ってのは眩しい点にしか見えなかったはず。
何あの輝く土星みたいなでかいの。
ここが青年の言っていたマデウスという星なのだろうか。
よかった、白塗りの山賊がヒャッハーしている岩と砂だらけの世界じゃなくて。
太陽は土星状だけど太陽だとわかるし、月……は見当たらないけれど、夜になれば出てくるかもしれない。
見知らぬ場所に身一つで落とされたわけだが、慌てることがなかった。妙に落ち着いてあたりを見渡すことができるのは、地球と違うところがあまりないからだろう。
足元の草は膝を隠す程度の長さ。ススキみたいだ。
俺は茶色いブーツを履いている。つま先と踵に金属の補強がしてある、見た目は革のブーツ。こんなブーツ買った覚えはないから、俺が今身に着けているものすべては、あの『青年』が用意してくれたんだろう。
それにしても。
「かっこいいぞこれ……」
金属部分は黒ずんでいるが、細かい模様が刻まれている。
使い古されたというより、長年愛用されているようなダメージ加工。すごくかっこいい。見た目に反してとても軽い。
ズボンは黒い革パンかこれ。
ライダーみたいだな。ストレッチ素材で伸縮性抜群。これも膝部分が土で汚れているが、穿き心地抜群だ。ちんぽじバッチリ。
ファンタジーのお約束、ローブを着ている。黒茶の地味なローブだが、触り心地がいい。ふわふわした上質なシルクコットンのようだ。端の部分が金糸で縫われ、細かな刺繍がされている。これもまた凝った作り。
厚手の黒いハイネックシャツ。
その下に着ていたインナーはてろてろで光沢のある白。
何でてろてろなんだと引っ張ってみたら、これが防御力の高いミスリル銀糸で編まれた防具だと気づく。なぜそう思ったのかはわからない。ただそうだ、としかわからなかった。
視界に入る髪は黒。前髪と後ろ髪が少し伸びすぎている。髪は黒なのか。それじゃあ眼は何色なのだろう。真っ赤とか左右で違うとかやめてくれよ、格好いいとか思わないからな。
「鏡は……」
右手に持っていた茶色いショルダー状の鞄。何の変哲もない通学鞄のようなそれを開くと、真っ黒い空間が広がっていた。
一度閉めて、再び開く。
なにこの暗黒空間。
これが空間収納術、いわゆるアイテムボックスなわけか。
恐る恐る手を突っ込んでみると、脳内に一気に情報が流れ込む。
ステータスウインドウを展開したときのように、入っているものが種類別に小分けされているのがわかる。お洒落女子じゃないんだから鏡なんてあるわけないと思っていたのに、手に触れたのは手鏡。何で持っているんだ俺。
木製の手鏡を手にし、自分の顔を映す。
「うおう……」
俺、ではなかった。俺ではない誰かの顔が映っている。
面影すらない。
どっかの国とどっかの国となにかの人種をシャッフルしてミックスした顔立ち。つまり、例えられない外国人顔。
髪は漆黒で、両眼は空色だった。
青というよりも、蒼。黒目じゃない目を見るのははじめてで、しばらくほーんふーんと言いながら見入ってしまった。
若い。
『俺』よりも十歳くらいは若い気がする。髪が伸びているから全体的にもっさりしているが。
一通り自分の顔を観察し、醜いわけでも突き抜けて美形というわけでもない、だけど美形って言っちゃうよ、といった感想を持つ。
前の俺よりもイケてやがるのは少々腑に落ちない。
だって背が高い。たぶん。
そして手足も長い。腹、憧れのシックスパック! 脱いだら凄いんです系の肉体美なのか!? 股下何センチだこれ!
そしてムスコは………………Oh……マグナム……
草原の真ん中で、マイサンを確認している場合ではなかった。
この星、マデウスは剣と魔法の世界だと言っていたから、獰猛なモンスターもそこらにいるはず。旅人装束なのはいいが、有効な武器は装備していないようだ。
再度鞄に手を突っ込み、脳内リストを確認。
ナンチャラの剣とかナンチャラの弓とか、そういった武器になるようなものが入っていない。鉄のフライパンは武器にはなりそうだが、それは最終手段にしたい。
あるのは「防寒具、数着の着替え、野営用品、手鏡、毛布、布、袋×10、小袋、水袋、干し肉、黒砂糖、枝……」。
枝?
「ユグド、ラ、シルの……枝? 何だユグドラシルって」
ゲームや漫画で聞いたことのある名前。確か別名で世界樹……とかいう。どこかの世界を支えているでっかい樹、としか知らない。
手にして鞄から取り出すと、何の変哲もない木の枝だった。
指先から肘までの長さ。
こげ茶色の木肌は光の加減で時々キラキラと輝く。途中で枝分かれしており、緑色に白い斑点がある葉っぱが一枚ついていた。
もしやこれが世界樹の葉? と感動したが、いやいや武器にはならないだろうと肩を落とす。せめて鉄パイプとか釘バットとかあれば自衛ができるのに。
しかし見渡す限りの草原で、頑丈な木の枝も落ちていなさそうだ。
それならばと歩を進める。
人間の集落を探そう。旅慣れてはいるが、バックパッカーの経験はない。見知らぬ世界で野宿する勇気はちょっとないかな。
どちらに進めばいいのだろうか。街道があればどちらかに歩いていけるのに。
「こういう時こその枝か」
足元の草を踏みしめ、枝が倒れるくらいのスペースを空ける。
枝を地面に立て、そっと指を放す。
枝はふらふらしながら倒れた。
「太陽があっちだから……こっちはたぶん……南で、あっちは北。よし」
枝の指し示す南に向かうことにする。太陽の位置と方角が合っているかはわからないが、これはまあ気分の問題。
風は穏やかだし日差しは暖か。
四月の晴れた日に似た陽気。
桜が咲いていたら絶好のお花見日和だが、忘れてはいけない。ここは異世界。既に鞄の中に虚無が広がっているのを確認したため、ここが異世界であることに間違いはない。腕毛も引っ張って痛いことは確認済み。ちょっと部分ハゲができた。
太陽は相変わらず土星の形。
目的地がわからないままただ歩く、というのははじめての経験だ。夜が更けるまでに人里を見つけたいが、まあなんとかなるだろうという気持ちのほうが強い。
足早に草原を歩いているのに少しも疲れない。息も乱れないし疲労感もない。身体がものすごく軽い。空気はうまいし日差しは気持ちいい。
なんならスキップもできちゃう、らんらんるー。
+ + + + +
タケルは気づいていなかったが、『青年』が付与した祝福は、常識を超えたやりすぎなくらいやりすぎたものであった。
言語能力「世界言語」を持っている時点で、俗に言われる異常者に該当することを、もちろんタケルは知らない。
異能ではなく、異常。
ありえないこと。
いくら言語学者であっても、世界各国、各地域、各種族の言葉が全て理解できるわけではない。この世界の優秀な言語学者であっても理解できるのはせいぜい六ヶ国語程度。言語異能と呼ばれる潜在的技能を生まれもった者でも、やはり全ての言語を理解できるわけではない。
「身体能力」向上により普通の人間の数百倍の力を持ち、風のように走り、高く跳ね上がることができる。
「毒耐性」「麻痺耐性」「各種免疫」の付与で、既にタケルは人間という枠から大いに外れていた。
「恐怖耐性」によって慌てふためくことはなくなり、恐怖に震えることもなくなった。一見クールに捉えられるが、裏を返せばただのムッツリである。
「探査能力」はその名の通り探査する力であり、応用して探査魔法を展開することができる。これは価値のあるものを探し当てる能力で、秀でた探査能力者か探査を専門としたごくわずかな専門家にしか扱うことができない。
「魔力極限」はバカみたいに膨大な魔力を持つ者の特別な異能であり、魔力が全ての根源となるこの世界では何より重要視されるものである。ちなみに、バカみたいに膨大な魔力を持つ者を英雄とか魔王とか災厄などと呼ぶことがあったりする。
『青年』は自分の都合で死なせてしまったタケルに、微々たる罪悪感があった。
なので、言われたまま能力を与えたが、どれもこれもが全て一級品の能力になるとは思わなかったのだ。
ちょっとだけ強い冒険者になれば生きるのはらくちんだよね、くらいにしか考えておらず、あれこれと付与した結果――
地球ではその他大勢の一人に過ぎなかったタケルは、惑星マデウスでは災厄級のとんでもない生き物に進化してしまったのであった。
その事実をタケルは、まだ知らない。
+ + + + +
「お!」
俺は 村っぽいものを はっけんした
らんらんスキップ無双をしまくった結果、気づいたら街道に出ていた。
道はどこかに通じる。ということで、そのまま気軽にランニング。
いくら走っても全然疲れないから調子に乗って走ってしまった。すると、太陽っぽいものが頭上に来る頃、人工的な建造物の群れが目に入った。
ところどころ白い煙が空に昇り、かすかに子供の笑い声が聞こえてくる。高い建物は見つからないので、村とか集落とかそんな感じなのだろう。
さて、このまま村を訪れても不審者と言われないだろうか。石を投げられないだろうか。
小綺麗な格好をしていると思うし、顔を背けたくなるほどの不細工でもない。体臭……よくわからん。背は高くなったが、異世界ではこのくらいの背が平均的なのかもしれない。
そういえば、鞄の中に金銭はなかった。あの青年は、無一文だけど何か探して売り払えとか言っていた気がする。だが、何が金になるのかわからない。
何かを探せばいいのだろうけど、何をどう探せば。
探査能力とか探査魔法とか言われたような気がする。
憧れ……でもないが、人間一度は夢見たことのある魔法使い。使い方はさっぱりわからんが、何か呪文でも言えばいいのか?
「探査……ええと、探査………………うん、探査か」
思いついた言葉を発すると、視界に数々の光る点が現れた。
赤、白、緑と色が様々で、一番近くにあった緑の点に近づくと、生い茂る草の合間に黄色い花を見つけた。
憧れの魔法だが、ずいぶんと地味だった。もっと光がキラキラ、シャランラシャランラするものだと思ったが何もない。地味。
ともかく他にも青い花や黄色い花はあるが、緑の光がここだと主張するのはこの花だけ。他と何か違うのか?
「こういう場合は更に細かく調べるんだよな。そういう場合は……調べる……調べる……調査する? 調査だ」
【月夜草 ランクB】
三日月の夜に芽吹くと言われている黄色い花。花の蜜は精霊の好物で、疲労回復に効く。すり潰せば傷薬になる。
[備考]一般的に市場に出回る薬草ではなく、高位回復薬の材料となる。生息地域はまばらであり発見が困難。
ほほう。
脳内にひらめく情報。忘れていたものをふと思い出したときの感覚に似ている。いちいち図鑑などで調べなくて済むから、これは便利な魔法だ。
だが、地味だ。
異世界転生、はじめての素材採取がランクB。そこそこよろしいんじゃございません? このランクっていうのがわからんが。
一体いくらで売れるのか。せめて一食分になればいい。
つまりこの視界に見えた光るテンテンは、こういった素材の場所を教えているということか。それで、探し当てたものに調査をかければ名前と使い道、ランクなどがわかると。うんうん、便利だ。
緑が植物なら、赤は……石?
足元の石を拾い上げると、つるんとまるんとした川原の石のようだった。川はないのに丸い石。
続けて調査を展開。
【ハンマーアリクイの糞 ランクC】
粘着質な物質を体内で作り出すハンマーアントを捕食するアリクイのうんこ。粘着力があり、水に溶かすと強力な接着剤になる。
建材として重宝されている。
「うんことか!!」
石かと思ったらクソでした。
だが、ランクCなので投げ捨てるわけにもいかない。見た目も触った感じも石にしか思えないのに、うんこかこれ。このまま鞄に入れるのもなんか嫌だな。「袋×10」ってのがあるから、その一つに入れとくか。
うん、鞄の中身に「袋1:ハンマーアリクイの糞×1」と、表示が追加された。鞄の中の「袋」はパソコンのフォルダのようなものか。
うんこが赤表示ってことはないよな。他の赤表示は緑と白に比べて極端に少ない。それじゃあ白表示は何かと近づくと、ごつごつとした黒い石が転がっていた。
【鉄鉱石 ランクD】
需要はあるが珍しくもない鉱石。鉄素材。
白表示は鉱石なのか? 赤と白の違いがいまいちよくわからないが、追々調べていけばいいだろう。ともかく花とクソと石は見つけた。せめて一食か二食、贅沢を言えば今夜の宿代になればいい。
最初はボられてもいいから、現金を手にしたい。
さて、村に行ってみますか。
3 本より高い○○○
「おや珍しい。旅人かね」
緊張しながら集落に近づくと、簡素な門の入り口に槍を手にした男が立っていた。古びた鎧を身に着けている。すごくファンタジーっぽいぞ……
陽に焼けた浅黒い肌をした男はにこやかに話しかけてきた。言葉がわかる。良かった。
「こんにちは。こちらは何という集落ですか?」
「ここはトルミ村だよ。ルセウヴァッハ領ベルカイムの北、田舎も田舎、ド田舎さ」
自らド田舎と胸を張るとか。田舎を連呼するわりには、戸建が多数隣接している。屋台もいくつかあり、人もたくさん住んでいるようだ。
「気を悪くしないでほしいが、これも仕事で聞かなくてはいけなくてね。兄さんは何の用事があってトルミ村に来たんだい?」
これは必ず聞かれると思い、前もって返答を用意しておいた。
「俺はタケルって言います。一人で気ままな旅をしていますが、路銀が底をついて難儀していました」
ちょっと時代劇よりな話し方だが、このほうがよりらしいだろう。
失礼のないよう、丁寧にお行儀良く。
「やはり旅人かい。冒険者と迷ったが……この村に冒険者が訪れることはほぼないからな。見たところ戦士か剣士なのか? えらく……大きいな」
「えーと、素材とか集めて売ってます」
「ほう、素材採取専門家かい! こりゃあまた珍しい」
いや専門家とか誰も言ってませんよ。
「俺はマーロウ。トルミ村自警団の一人だ。ここには名所はないが、旅人を癒すことくらいはできる」
「それは良かった」
「素材屋は生憎とないんだが、雑貨屋なら一つある。ジェロムの店だ。素材なら何でも扱ってくれると思うから、そこを訪れるといい」
「わかりました。ありがとうございます」
「いいってことよ」
異世界第一村人がいい人で良かった。不審者あっち行けバーカとか言われなくて良かった。
門らしき柵を通り抜けると、行き交う村人の視線が集まった。ド田舎だと自負していたから、俺のような旅人は珍しいのかもしれない。
古き良き昔の風景。剣と魔法の世界なら、科学文明より魔法文明が発達しているのだろうか。見た限り機械で動いているようなものは見当たらない。土の地面。土壁と木の家。井戸も奥にある。周りに畑が見えるから、農業で生計を立てているのかも。
「兄ちゃん知らない顔だ」
「ほんとー誰ー?」
「でっかい!」
「父ちゃんよりでかいねー」
さて雑貨屋はどこかとキョロキョロしていると、小さな子供がわらわらと集まってきた。俺の膝くらいしか身長がない。凄く小さい子供なのか、これが平均なのか。
子供に好かれるような風貌じゃなかったはずだが、子供らは皆興味深げに笑っている。子供に嫌われると大人にも警戒されてしまうと思い、ここは懐柔策に出ておく。
腰を落として顔を下げ、子供らの視線に視線を合わせ、俺はニカリと笑う。
「俺はいろんなところを旅して回っているんだ」
「たびびとさん」
「ああ、旅人と言われるな。だが名前はタケルと言う」
「タケル兄ちゃん」
「タケル兄ちゃん」
もともと子供らが懐っこいのか人見知りをしないのか。子供らは遠慮なく俺の背や肩をぺたぺたと触ってくる。ちょっと匂うが、子供ならではの汗の匂いなので不快ではない。
「トルミの村ははじめてなの?」
「ああ。雑貨屋を探しているんだが、どこにあるのか教えてくれるか?」
「いいよ! おいらが案内してやるよ!」
「リックずるい、あたしも案内できる!」
「おいらがするんだよ!」
俺の何が子供たちの琴線に触れたのか、子供らは俺を巡って熱い戦いを……
とまではいかないが、年長者っぽい子が幼児を邪魔者にしようとしている。これはよろしくない。俺が保護者から嫌われてしまう。
「こらこらこら、喧嘩するな!」
「きゃああーーーっ!」
「うひゃああああっ!!」
今にも掴みかかろうとしていた両隣の子供らを抱え上げ、そのまま肩に乗せる。ふわりと軽い子供らは、なんら苦もなく肩に担ぎ上げることができた。
「うっひゃっひゃひゃひゃひゃ! すげえ! たっけぇー!」
「すごおおい! メルベル、すごい高いわよ!」
「いいなあアンナ、あたしも抱っこしてぇー!」
あっという間に担ぎ上げられた子供らは、怖がるどころか手を叩いて喜んでいる。お仕置き程度に驚かせたつもりが、逆に喜ばせてしまった。
俺に注目していた大人らは慌てていたが、子供らが喜ぶ様を見てほっとしたようだ。
「ほらリック? だったか? 雑貨屋に案内してくれよ」
「うひゃひゃ! 兄ちゃんすげえんだもん!」
「そうか? まあ……背はデカイほうかもしれないな」
自分の身長はこの世界の平均的背丈くらいだと思っていたが、違ったようだ。
先ほどのマーロウも俺の胸の位置に頭があったし、道行く人たちも俺より背の高い者はいなかった。
笑い転げる子供らを抱え、腕にぶらさがる子供らを引き連れる俺は相当目立っていた。
咎める人がいないので、そのまま両手両足に絡ませたまま歩く。
移動ジャングルジムか。
友好的で子供にも好かれる旅人さんですよ。これで村人たちの警戒心は薄くなるだろう。たぶん。
笑ったままのリックに案内されたのは、村の中心部にある広場近く。屋台が並ぶ一角に目当ての雑貨屋はあった。はしゃぐ子供らを何とか宥め、店の前で散会。
眼を瞑ったのはほんのわずか。
肌で感じる空間の変化。
河原じゃないどこかに立っている感覚。
風が髪を撫で、小鳥が囀る音。
背に伝わる温かな陽の光。緑のにおい。
「はあ……」
眼を開けて、広がった世界に思わず息を吐き出した。
見事な緑の草原がどこまでも続き、青々とした木々が生い茂る林が各所に点在。
空は青く澄み渡り、雲は白く雄大に泳ぐ。
太陽の位置でお昼前だとわかるが、あれが太陽でいいのだろうか。太陽ってのは眩しい点にしか見えなかったはず。
何あの輝く土星みたいなでかいの。
ここが青年の言っていたマデウスという星なのだろうか。
よかった、白塗りの山賊がヒャッハーしている岩と砂だらけの世界じゃなくて。
太陽は土星状だけど太陽だとわかるし、月……は見当たらないけれど、夜になれば出てくるかもしれない。
見知らぬ場所に身一つで落とされたわけだが、慌てることがなかった。妙に落ち着いてあたりを見渡すことができるのは、地球と違うところがあまりないからだろう。
足元の草は膝を隠す程度の長さ。ススキみたいだ。
俺は茶色いブーツを履いている。つま先と踵に金属の補強がしてある、見た目は革のブーツ。こんなブーツ買った覚えはないから、俺が今身に着けているものすべては、あの『青年』が用意してくれたんだろう。
それにしても。
「かっこいいぞこれ……」
金属部分は黒ずんでいるが、細かい模様が刻まれている。
使い古されたというより、長年愛用されているようなダメージ加工。すごくかっこいい。見た目に反してとても軽い。
ズボンは黒い革パンかこれ。
ライダーみたいだな。ストレッチ素材で伸縮性抜群。これも膝部分が土で汚れているが、穿き心地抜群だ。ちんぽじバッチリ。
ファンタジーのお約束、ローブを着ている。黒茶の地味なローブだが、触り心地がいい。ふわふわした上質なシルクコットンのようだ。端の部分が金糸で縫われ、細かな刺繍がされている。これもまた凝った作り。
厚手の黒いハイネックシャツ。
その下に着ていたインナーはてろてろで光沢のある白。
何でてろてろなんだと引っ張ってみたら、これが防御力の高いミスリル銀糸で編まれた防具だと気づく。なぜそう思ったのかはわからない。ただそうだ、としかわからなかった。
視界に入る髪は黒。前髪と後ろ髪が少し伸びすぎている。髪は黒なのか。それじゃあ眼は何色なのだろう。真っ赤とか左右で違うとかやめてくれよ、格好いいとか思わないからな。
「鏡は……」
右手に持っていた茶色いショルダー状の鞄。何の変哲もない通学鞄のようなそれを開くと、真っ黒い空間が広がっていた。
一度閉めて、再び開く。
なにこの暗黒空間。
これが空間収納術、いわゆるアイテムボックスなわけか。
恐る恐る手を突っ込んでみると、脳内に一気に情報が流れ込む。
ステータスウインドウを展開したときのように、入っているものが種類別に小分けされているのがわかる。お洒落女子じゃないんだから鏡なんてあるわけないと思っていたのに、手に触れたのは手鏡。何で持っているんだ俺。
木製の手鏡を手にし、自分の顔を映す。
「うおう……」
俺、ではなかった。俺ではない誰かの顔が映っている。
面影すらない。
どっかの国とどっかの国となにかの人種をシャッフルしてミックスした顔立ち。つまり、例えられない外国人顔。
髪は漆黒で、両眼は空色だった。
青というよりも、蒼。黒目じゃない目を見るのははじめてで、しばらくほーんふーんと言いながら見入ってしまった。
若い。
『俺』よりも十歳くらいは若い気がする。髪が伸びているから全体的にもっさりしているが。
一通り自分の顔を観察し、醜いわけでも突き抜けて美形というわけでもない、だけど美形って言っちゃうよ、といった感想を持つ。
前の俺よりもイケてやがるのは少々腑に落ちない。
だって背が高い。たぶん。
そして手足も長い。腹、憧れのシックスパック! 脱いだら凄いんです系の肉体美なのか!? 股下何センチだこれ!
そしてムスコは………………Oh……マグナム……
草原の真ん中で、マイサンを確認している場合ではなかった。
この星、マデウスは剣と魔法の世界だと言っていたから、獰猛なモンスターもそこらにいるはず。旅人装束なのはいいが、有効な武器は装備していないようだ。
再度鞄に手を突っ込み、脳内リストを確認。
ナンチャラの剣とかナンチャラの弓とか、そういった武器になるようなものが入っていない。鉄のフライパンは武器にはなりそうだが、それは最終手段にしたい。
あるのは「防寒具、数着の着替え、野営用品、手鏡、毛布、布、袋×10、小袋、水袋、干し肉、黒砂糖、枝……」。
枝?
「ユグド、ラ、シルの……枝? 何だユグドラシルって」
ゲームや漫画で聞いたことのある名前。確か別名で世界樹……とかいう。どこかの世界を支えているでっかい樹、としか知らない。
手にして鞄から取り出すと、何の変哲もない木の枝だった。
指先から肘までの長さ。
こげ茶色の木肌は光の加減で時々キラキラと輝く。途中で枝分かれしており、緑色に白い斑点がある葉っぱが一枚ついていた。
もしやこれが世界樹の葉? と感動したが、いやいや武器にはならないだろうと肩を落とす。せめて鉄パイプとか釘バットとかあれば自衛ができるのに。
しかし見渡す限りの草原で、頑丈な木の枝も落ちていなさそうだ。
それならばと歩を進める。
人間の集落を探そう。旅慣れてはいるが、バックパッカーの経験はない。見知らぬ世界で野宿する勇気はちょっとないかな。
どちらに進めばいいのだろうか。街道があればどちらかに歩いていけるのに。
「こういう時こその枝か」
足元の草を踏みしめ、枝が倒れるくらいのスペースを空ける。
枝を地面に立て、そっと指を放す。
枝はふらふらしながら倒れた。
「太陽があっちだから……こっちはたぶん……南で、あっちは北。よし」
枝の指し示す南に向かうことにする。太陽の位置と方角が合っているかはわからないが、これはまあ気分の問題。
風は穏やかだし日差しは暖か。
四月の晴れた日に似た陽気。
桜が咲いていたら絶好のお花見日和だが、忘れてはいけない。ここは異世界。既に鞄の中に虚無が広がっているのを確認したため、ここが異世界であることに間違いはない。腕毛も引っ張って痛いことは確認済み。ちょっと部分ハゲができた。
太陽は相変わらず土星の形。
目的地がわからないままただ歩く、というのははじめての経験だ。夜が更けるまでに人里を見つけたいが、まあなんとかなるだろうという気持ちのほうが強い。
足早に草原を歩いているのに少しも疲れない。息も乱れないし疲労感もない。身体がものすごく軽い。空気はうまいし日差しは気持ちいい。
なんならスキップもできちゃう、らんらんるー。
+ + + + +
タケルは気づいていなかったが、『青年』が付与した祝福は、常識を超えたやりすぎなくらいやりすぎたものであった。
言語能力「世界言語」を持っている時点で、俗に言われる異常者に該当することを、もちろんタケルは知らない。
異能ではなく、異常。
ありえないこと。
いくら言語学者であっても、世界各国、各地域、各種族の言葉が全て理解できるわけではない。この世界の優秀な言語学者であっても理解できるのはせいぜい六ヶ国語程度。言語異能と呼ばれる潜在的技能を生まれもった者でも、やはり全ての言語を理解できるわけではない。
「身体能力」向上により普通の人間の数百倍の力を持ち、風のように走り、高く跳ね上がることができる。
「毒耐性」「麻痺耐性」「各種免疫」の付与で、既にタケルは人間という枠から大いに外れていた。
「恐怖耐性」によって慌てふためくことはなくなり、恐怖に震えることもなくなった。一見クールに捉えられるが、裏を返せばただのムッツリである。
「探査能力」はその名の通り探査する力であり、応用して探査魔法を展開することができる。これは価値のあるものを探し当てる能力で、秀でた探査能力者か探査を専門としたごくわずかな専門家にしか扱うことができない。
「魔力極限」はバカみたいに膨大な魔力を持つ者の特別な異能であり、魔力が全ての根源となるこの世界では何より重要視されるものである。ちなみに、バカみたいに膨大な魔力を持つ者を英雄とか魔王とか災厄などと呼ぶことがあったりする。
『青年』は自分の都合で死なせてしまったタケルに、微々たる罪悪感があった。
なので、言われたまま能力を与えたが、どれもこれもが全て一級品の能力になるとは思わなかったのだ。
ちょっとだけ強い冒険者になれば生きるのはらくちんだよね、くらいにしか考えておらず、あれこれと付与した結果――
地球ではその他大勢の一人に過ぎなかったタケルは、惑星マデウスでは災厄級のとんでもない生き物に進化してしまったのであった。
その事実をタケルは、まだ知らない。
+ + + + +
「お!」
俺は 村っぽいものを はっけんした
らんらんスキップ無双をしまくった結果、気づいたら街道に出ていた。
道はどこかに通じる。ということで、そのまま気軽にランニング。
いくら走っても全然疲れないから調子に乗って走ってしまった。すると、太陽っぽいものが頭上に来る頃、人工的な建造物の群れが目に入った。
ところどころ白い煙が空に昇り、かすかに子供の笑い声が聞こえてくる。高い建物は見つからないので、村とか集落とかそんな感じなのだろう。
さて、このまま村を訪れても不審者と言われないだろうか。石を投げられないだろうか。
小綺麗な格好をしていると思うし、顔を背けたくなるほどの不細工でもない。体臭……よくわからん。背は高くなったが、異世界ではこのくらいの背が平均的なのかもしれない。
そういえば、鞄の中に金銭はなかった。あの青年は、無一文だけど何か探して売り払えとか言っていた気がする。だが、何が金になるのかわからない。
何かを探せばいいのだろうけど、何をどう探せば。
探査能力とか探査魔法とか言われたような気がする。
憧れ……でもないが、人間一度は夢見たことのある魔法使い。使い方はさっぱりわからんが、何か呪文でも言えばいいのか?
「探査……ええと、探査………………うん、探査か」
思いついた言葉を発すると、視界に数々の光る点が現れた。
赤、白、緑と色が様々で、一番近くにあった緑の点に近づくと、生い茂る草の合間に黄色い花を見つけた。
憧れの魔法だが、ずいぶんと地味だった。もっと光がキラキラ、シャランラシャランラするものだと思ったが何もない。地味。
ともかく他にも青い花や黄色い花はあるが、緑の光がここだと主張するのはこの花だけ。他と何か違うのか?
「こういう場合は更に細かく調べるんだよな。そういう場合は……調べる……調べる……調査する? 調査だ」
【月夜草 ランクB】
三日月の夜に芽吹くと言われている黄色い花。花の蜜は精霊の好物で、疲労回復に効く。すり潰せば傷薬になる。
[備考]一般的に市場に出回る薬草ではなく、高位回復薬の材料となる。生息地域はまばらであり発見が困難。
ほほう。
脳内にひらめく情報。忘れていたものをふと思い出したときの感覚に似ている。いちいち図鑑などで調べなくて済むから、これは便利な魔法だ。
だが、地味だ。
異世界転生、はじめての素材採取がランクB。そこそこよろしいんじゃございません? このランクっていうのがわからんが。
一体いくらで売れるのか。せめて一食分になればいい。
つまりこの視界に見えた光るテンテンは、こういった素材の場所を教えているということか。それで、探し当てたものに調査をかければ名前と使い道、ランクなどがわかると。うんうん、便利だ。
緑が植物なら、赤は……石?
足元の石を拾い上げると、つるんとまるんとした川原の石のようだった。川はないのに丸い石。
続けて調査を展開。
【ハンマーアリクイの糞 ランクC】
粘着質な物質を体内で作り出すハンマーアントを捕食するアリクイのうんこ。粘着力があり、水に溶かすと強力な接着剤になる。
建材として重宝されている。
「うんことか!!」
石かと思ったらクソでした。
だが、ランクCなので投げ捨てるわけにもいかない。見た目も触った感じも石にしか思えないのに、うんこかこれ。このまま鞄に入れるのもなんか嫌だな。「袋×10」ってのがあるから、その一つに入れとくか。
うん、鞄の中身に「袋1:ハンマーアリクイの糞×1」と、表示が追加された。鞄の中の「袋」はパソコンのフォルダのようなものか。
うんこが赤表示ってことはないよな。他の赤表示は緑と白に比べて極端に少ない。それじゃあ白表示は何かと近づくと、ごつごつとした黒い石が転がっていた。
【鉄鉱石 ランクD】
需要はあるが珍しくもない鉱石。鉄素材。
白表示は鉱石なのか? 赤と白の違いがいまいちよくわからないが、追々調べていけばいいだろう。ともかく花とクソと石は見つけた。せめて一食か二食、贅沢を言えば今夜の宿代になればいい。
最初はボられてもいいから、現金を手にしたい。
さて、村に行ってみますか。
3 本より高い○○○
「おや珍しい。旅人かね」
緊張しながら集落に近づくと、簡素な門の入り口に槍を手にした男が立っていた。古びた鎧を身に着けている。すごくファンタジーっぽいぞ……
陽に焼けた浅黒い肌をした男はにこやかに話しかけてきた。言葉がわかる。良かった。
「こんにちは。こちらは何という集落ですか?」
「ここはトルミ村だよ。ルセウヴァッハ領ベルカイムの北、田舎も田舎、ド田舎さ」
自らド田舎と胸を張るとか。田舎を連呼するわりには、戸建が多数隣接している。屋台もいくつかあり、人もたくさん住んでいるようだ。
「気を悪くしないでほしいが、これも仕事で聞かなくてはいけなくてね。兄さんは何の用事があってトルミ村に来たんだい?」
これは必ず聞かれると思い、前もって返答を用意しておいた。
「俺はタケルって言います。一人で気ままな旅をしていますが、路銀が底をついて難儀していました」
ちょっと時代劇よりな話し方だが、このほうがよりらしいだろう。
失礼のないよう、丁寧にお行儀良く。
「やはり旅人かい。冒険者と迷ったが……この村に冒険者が訪れることはほぼないからな。見たところ戦士か剣士なのか? えらく……大きいな」
「えーと、素材とか集めて売ってます」
「ほう、素材採取専門家かい! こりゃあまた珍しい」
いや専門家とか誰も言ってませんよ。
「俺はマーロウ。トルミ村自警団の一人だ。ここには名所はないが、旅人を癒すことくらいはできる」
「それは良かった」
「素材屋は生憎とないんだが、雑貨屋なら一つある。ジェロムの店だ。素材なら何でも扱ってくれると思うから、そこを訪れるといい」
「わかりました。ありがとうございます」
「いいってことよ」
異世界第一村人がいい人で良かった。不審者あっち行けバーカとか言われなくて良かった。
門らしき柵を通り抜けると、行き交う村人の視線が集まった。ド田舎だと自負していたから、俺のような旅人は珍しいのかもしれない。
古き良き昔の風景。剣と魔法の世界なら、科学文明より魔法文明が発達しているのだろうか。見た限り機械で動いているようなものは見当たらない。土の地面。土壁と木の家。井戸も奥にある。周りに畑が見えるから、農業で生計を立てているのかも。
「兄ちゃん知らない顔だ」
「ほんとー誰ー?」
「でっかい!」
「父ちゃんよりでかいねー」
さて雑貨屋はどこかとキョロキョロしていると、小さな子供がわらわらと集まってきた。俺の膝くらいしか身長がない。凄く小さい子供なのか、これが平均なのか。
子供に好かれるような風貌じゃなかったはずだが、子供らは皆興味深げに笑っている。子供に嫌われると大人にも警戒されてしまうと思い、ここは懐柔策に出ておく。
腰を落として顔を下げ、子供らの視線に視線を合わせ、俺はニカリと笑う。
「俺はいろんなところを旅して回っているんだ」
「たびびとさん」
「ああ、旅人と言われるな。だが名前はタケルと言う」
「タケル兄ちゃん」
「タケル兄ちゃん」
もともと子供らが懐っこいのか人見知りをしないのか。子供らは遠慮なく俺の背や肩をぺたぺたと触ってくる。ちょっと匂うが、子供ならではの汗の匂いなので不快ではない。
「トルミの村ははじめてなの?」
「ああ。雑貨屋を探しているんだが、どこにあるのか教えてくれるか?」
「いいよ! おいらが案内してやるよ!」
「リックずるい、あたしも案内できる!」
「おいらがするんだよ!」
俺の何が子供たちの琴線に触れたのか、子供らは俺を巡って熱い戦いを……
とまではいかないが、年長者っぽい子が幼児を邪魔者にしようとしている。これはよろしくない。俺が保護者から嫌われてしまう。
「こらこらこら、喧嘩するな!」
「きゃああーーーっ!」
「うひゃああああっ!!」
今にも掴みかかろうとしていた両隣の子供らを抱え上げ、そのまま肩に乗せる。ふわりと軽い子供らは、なんら苦もなく肩に担ぎ上げることができた。
「うっひゃっひゃひゃひゃひゃ! すげえ! たっけぇー!」
「すごおおい! メルベル、すごい高いわよ!」
「いいなあアンナ、あたしも抱っこしてぇー!」
あっという間に担ぎ上げられた子供らは、怖がるどころか手を叩いて喜んでいる。お仕置き程度に驚かせたつもりが、逆に喜ばせてしまった。
俺に注目していた大人らは慌てていたが、子供らが喜ぶ様を見てほっとしたようだ。
「ほらリック? だったか? 雑貨屋に案内してくれよ」
「うひゃひゃ! 兄ちゃんすげえんだもん!」
「そうか? まあ……背はデカイほうかもしれないな」
自分の身長はこの世界の平均的背丈くらいだと思っていたが、違ったようだ。
先ほどのマーロウも俺の胸の位置に頭があったし、道行く人たちも俺より背の高い者はいなかった。
笑い転げる子供らを抱え、腕にぶらさがる子供らを引き連れる俺は相当目立っていた。
咎める人がいないので、そのまま両手両足に絡ませたまま歩く。
移動ジャングルジムか。
友好的で子供にも好かれる旅人さんですよ。これで村人たちの警戒心は薄くなるだろう。たぶん。
笑ったままのリックに案内されたのは、村の中心部にある広場近く。屋台が並ぶ一角に目当ての雑貨屋はあった。はしゃぐ子供らを何とか宥め、店の前で散会。
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