僕の記憶に黒い影はない。

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ルシューランにて

カルの一日4.

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 司書室を出ると、絵本を抱えたリュールが窓辺に走って行った。軽い足音が響く。
「リュール、静かにっ」
小声で促した俺の声に振り返り手を振る。あぁわかってないわ、あれ。
「こっちー」
手招きするのについて行く。
 ん、と差し出された本を見る。
「なに?」
「読んで」
図書館の時点でこの展開は予想していたが実際はそれほど時間が残っていないので早くここを出たい。探してもそれらしい本も見つからなかったし。やはりもっと人の集まる場所がいい。
  しかしリュールは最初からこのことを想定していたのだろう。おそらく彼女の中では宿を出る時点で図書館に来ることは決まっていたのだ。計画通り進んだことへの喜びか、やっと読んでもらえると頬を緩ませている。
「、、はぁ、一冊だけな」
「さん!」
「はぁ? いやいやいや、俺急いでるし。いろんなとこ行かなきゃいけないの」
「さーん!」
何でこうなった。あそこで引き受けた俺の心が弱かったのか。あーぁ、時間なくなっちゃったらどうするかなぁ。
「さーん! さーん!」
「あぁ、もうわかったから静かにっ。じゃあ二冊でどう?」
「えー」
「俺もすることあるの。お互いがーまーん」
「がーまーんー?」
不服そうに口を膨らませる彼女はまた機嫌を損ねそうだ。 
「ほらっ、早くもう一冊選んでおいで。早くしないと読む時間なくなっちゃうよ」
口を膨らませながらはっとした表情を浮かべ、絵本を俺のてに押し付けた。
「動かないでね」
そう言って駆け出していく。
「静かにー。走るな」
彼女は振り返って手を振る。まーたわかってないなぁ、もぅ。

「はーやーくぅよーんーで」
パシパシと尚も膝を叩く。

 あれから彼女は二階まで降りて本を選んできた。俺も二階に降りればよかったのだが、何となく、窓辺でいると陽光が心地好く離れがたくなったのだ。
 息を切らしながら帰ってきた彼女は両手を絵本で埋めていた。走るなって言ったのに。
「はいっ」
出窓に置かれた本はドサリと音を立てた。
「、、リュール、二冊って言ったよね」
「ごしゃつ」
増えてる、、。口を膨らませる表情は取りに行ったときと変わらない。このままいくとまた怒るかなぁ。しかたない、さっさと読んで出るか。怒らせちゃったお詫びな。
「、、いいよ、おいで。ただし、これ読んだらすぐに出るからな。さっきも言ったけどすることあるんだから」

 頷いたかどうかはわからない。けれど、嬉しそうに出窓に上ってきた彼女に今さらやっぱり駄目だとも言えない。
 四階の出窓は彼女にはまだ高い。落ちないように脚で支える。急かす声は少しずつ大きくなっている。
「わかったから、静かに。始めるよ」
カルは一冊目を手にとった。






 昔々あるところに、深い深い森がありました。森の泉には一人の妖精が仲間と共に住んでいました。妖精は他の妖精たちとは違い、美しい白銀に輝く羽を持っていました。森の生き物は皆、その美しい羽を羨みました。
 妖精たちは皆一人ずつ、特別な魔法を使うことができました。
 木の魔法。森の木々を大きくする魔法です。水の魔法。森の小川を綺麗にする魔法です。土の魔法。森を豊かにする魔法です。
 しかし、その妖精は三つのうちどの力も持ってはいませんでした。
 妖精は自分にだけ力がないことを不思議に思いました。
 妖精は森の木に尋ねました。
「どうして私には木の魔法がないの?」
森の木は風にざわざわと揺れました。
「話にならないわ」

 妖精は綺麗な小川に尋ねました。
「どうして私には水の魔法がないのかしら?」
綺麗な小川は妖精の姿を映して見せました。
「話にならないわ」

 妖精は雄大な大地を踏みしめて尋ねました。
「どうして私には土の魔法がないの? こんなにも歩くことが好きなのに」
雄大な大地は妖精の足を柔らかく受け止め続けます。
「話にならないわね」

 妖精は旅に出ることにしました。ひとりぼっちの旅です。大好きな大地を踏みしめて歩き、いくつもの小川を飛び越え、木々のざわめく方向へ向かいました。

 長い長い時をかけ、妖精はある森にたどり着きました。妖精の体は雨に濡れ、風に吹かれ、ボロボロでした。美しさを誇っていた白銀の羽は穴が開き、もう飛ぶことはできません。
 その森の中心には一本の大木が生えていました。何者にも負けない大きさを誇る偉大な木でした。
 妖精は大木を目指して歩きました。もう力は多くは残っていませんでした。一歩一歩、ゆっくりと進んで行きます。
 やっとたどり着いた見上げるほどの大木の根本には大きな穴が開いていました。
  妖精は穴をのぞきこみました。
「うわぁ」
穴の中には一本牙の小さなドラゴンがいました。ドラゴンは震えていました。驚いて大きな声を出してしまった妖精はドラゴンを怖がらせてしまったことに気づきました。
「ごめんなさい、まさかドラゴンさんがいるなんて思わなかったの」
小さなドラゴンは言いました。
「なんだ、妖精さんか。びっくりしたよ」
ドラゴンは妖精の羽がボロボロなことに気がつきました。
「どっ、どうしたんだい? 傷だらけじゃないか」
「ずっと旅をしてきたの。もう疲れたわ。中に入ってもいいかしら」
妖精がお願いすると心優しいドラゴンは何度も頷きました。
「もちろん」
ドラゴンはソファを貸してくれました。暖かなはちみつジュースをくれました。破れた羽を縫い合わせてくれました。
「どうして旅なんてしているんだい?」
ドラゴンは尋ねました。
「魔法を探しているのよ」
「魔法?」
「そうよ。どうして私には木の魔法がないの? 水も土も、私にはどうして力がないのかしら」
ドラゴンはそれを聞いて悲しげな顔をしました。
「僕もさ。牙がないんだ。皆は二本あるのに、一本折れてなくなっちゃった。それからずっと友達がいないんだ」 
妖精はそれを聞いて悲しくなりました。
「奇遇ね。私もひとりぼっちなの」

妖精とドラゴンは一緒に暮らすことにしました。毎朝暖かなはちみつジュースを飲んで、楽しい話をたくさんしました。天気の良い日は、日向ぼっこをしました。雨の日はお菓子を作って食べました。

 楽しい日々が過ぎたある朝、妖精は目覚めませんでした。傷ついたからだは妖精の意識をとうとう奪ってしまったのでした。
 朝の小鳥のさえずりで目が覚めたドラゴンは動かなくなってしまった妖精を見つけました。
 ドラゴンは泣きました。小さな妖精を抱き締めて泣きました。大きな声で泣きました。
 ドラゴンの涙はとどまることなく流れ続け、辺りは大きな水溜まりができました。
 やっと涙がとどまった頃にはドラゴンは暗い暗い水の底でした。ドラゴンはたくさん泣いて疲れていました。
 目を閉じたドラゴンは深い深い眠りにつきました。

 閉じた瞳の中で妖精はドラゴンと出会いました。

 閉じられたドラゴンの目から最後の涙がポトリと流れました。

妖精とドラゴンはいつまでも夢の中で幸せに暮らしました。






「おしまい」
 五冊。一時間経ったか。終わるとあっという間だったような気がする。彼女もそれを感じているようだ。
「もっとぉ」
「だーめ、もう行かなくちゃ。時間なくなるだろ」
「えー」
「文句言うなら宿に帰るよ」
最後の言葉が効いたようで、リュールは不服そうではあるが下に降りた。
 最初からこうならもっと良い子なんだけどな。そう思いながらも、二階に降りると素直に本を返してきた彼女には感心する。
 そしてやっと、図書館を出た。

 外はまだまだ明るい。昼はこれからだ。
「リュール、手かして」
繋いだ手を少し強く握る。
「離しちゃ駄目だよ」
「はい!」
良い返事だ。
 目の前の人混みは少し時間が経ったにも関わらず先程と変わらぬ規模で蠢いている。臆病な心が一瞬だけざわついた。躊躇する心と反対に、足を前に出すともう片方の足も当然後についてきた。
━━━いらっしゃーい!
━━━━ちょっと、押さないどくれよ
━━おい、お前。ちょっと
━━━━━━━どこ行こうかぁ
「ほんっと、どこ行けばいいんだろうなぁ」
人混みの中を当てもなくずるずると流れて行く。
 酒場は、、、やっぱり無理かな。
「なぁ、リュール」
聞こえる程度に声を上げる。繋いだ手に力が入った。聞こえているようだ。
「旅の道具屋、知ってる?」
手に力が込められる。
「案内、お願いしていいかな?」
手が握られたと思うと急に前へと進み出した。
「えっ、ちょっ、走らなくても」
その声だけはどうしても彼女には聞こえない。
 あぁ、駄目だこれは。
 その強さはだんだんと強くなる。隙間なく続く人の間を体を押し込むように入って行く。誰かの足を踏んだ。誰かの背中を押した。舌打ちを聞いたのは何度目だろうか。
 しばらくそうして多大な迷惑をかけながら進んでいると大通りが三本に別れた。左と中は上り、右は下りの緩い坂になっているようだ。体は右へと引かれて行く。坂の上の様子が気になったが斜め前方を歩く男が視界を遮った。
 右路にも他の路と同じく店が出ていた。大通りのものは髪飾りなどの装飾品から新鮮を売りにした果物屋、細工師の作品展示まで幅広く様々な形態での数々があったのに対し、そこは武器や防具、携帯食料など外の仕事や旅の必需品などが目立つ。祭りらしいものといえば占いのアクセサリーなんかで、それなりに綺麗だがカル自身にはあまり必要性が感じられない。
 人の数も降りて行くと同時に減り、いつしかまばらになっていた。しかし寂しい路、というわけではなく、やはり商人たちは声を張り上げ自慢の品を次々と勧めてくる。
「リュール、焦らずゆっくり行こう。気になるお店があったら寄るのもいい」
 先程より幾分か歩きやすくなった路で二人並んで歩く。
「あの店とかどう?」
指差してみたのは周りの空気に飲まれてしまった他より幾らか小規模な出店だった。目立たないその店に目が留まったのは、その店の店主が旅の商人であることを知っていたからだ。路に植物で編まれた敷物を敷き、その上に商品を並べている。その向かい側で男は下を向き、過ぎ行く客には目もくれずにその手の中で一心に何かを作っていた。
 リュールの手を引き近づいて行く。
「いらっしゃいませ」
低く静かに足音の方向へと声を上げた。手の中の物を背後に隠し、客を迎える体勢になったようだ。若くはないだろう。三十代後半くらいか、そんな声だ。顔は長く伸びた茶髪で鼻まで隠れ、尚且つ下を向いたままなので見ることはできない。消して目を合わせようとはしない。上を向かず、それきり言葉もないが、それがその男の様式なのだと知っている。
「また、会ったな」
カルの声に男は僅かに首を動かし、しかしそれでも足元を見つめている。
「あぁ、貴方でしたか」
「覚えてたのか」
「ええ、以前魔鉄鋼の両手剣をお買い上げいただきました」
へぇ、ちゃんと覚えてんじゃん。
 ほんの少し前の話だ。今から三週間ほど前、カルたちは小さな村を訪れていた。旅の宿もないようなへんぴな場所だった。そこに至るまでに食料が底をつきたので一日だけ、村長の家に間借りしたのだ。
 そんな人のいない場所になぜかこの男はいた。村の端っこに乾いた植物でできた敷地を置いて、今のように静かに商品を並べていたのだ。伸びっぱなしの前髪からのぞく頬は、痩せこけ影が射していた。

━━━━旅には武器が必要不可欠です。特に最近はリプラーなんていう化け物があちこちで出ていると聞きます。どうでしょう、この剣など。炎の魔鉱石を織り込んだ鉄を叩いた火の属性を持つ剣です。あの方、お連れの方でしょうか。あまり戦いに向いた方ではないと思われます。貴方のような背の高い方であればこの剣も使いこなせるかと。お二人で旅をなさるのでしたらひとつくらい身を守るものも必要ではないでしょうか。

 一息にそれを言い終わった男は大きなため息をひとつ吐き、下を向いた頭をさらに深々と下げた。剣を両手に渡し、前に差し出してくる。銀色に光る細身の剣には刃の根本部分に小さな赤い文字のようなものが三段になって刻まれていた。カルには読めない言語だった。男の様子にどこか危機迫ったものを感じたのでつい手に取ってしまったのだった。値は張ったが、リプラーの情報も話すことを条件に手に入れた。
 確かに大きな武器は持っていなかったが、それでも短剣は装備していた。それほど必要性は感じていなかったが、結果としてそれは良い機会になった。この剣のおかげでリプラーに取り込まれることもなかったわけだし。
「あれ、さっそく役に立ったよ」
「いたのですか、リプラーが」
「ここに来る途中にな。あんたが言ってた通りだったから良かったものの、リプラーっていろんな形してるそうじゃないか。もし、違う形態だったら気付けなかったかもな」
黒い影。まだ抽象的な言い方だったからよかったものの。具体的な動物の姿で現れたら見落としていたかもしれない。幸いどれも大きさの違いはあれ、奇跡的と言うべきかその姿は男の話に合った黒い影だったのだ。
 男の口の端がつり上がるのが見えた。
「それでは、新たな情報などいかがでしょう。確かな筋からの情報です。以前のようになにかお買い上げくださるならお教えしますが」
そうくると思ったよ。
「営業権は検問の際に取得しております。どの品も安全は保証されたもの。安心してお買い求めください」
営業権の取得。大通りでも何度か聞いた言葉だ。どうやらこの町では検問の際、営業権というものが付与されるらしく、それを売りにしている店も幾つかあるようだ。検問を通った商品ということが安心を生むのだろう。実際にそれを叫ぶ店には客がいたし、品数も充実しているようだった。
 この店は信用できる、そう言いたいらしい。さっと商品に目を通すといくつかあった。
 「じゃあその傷薬、それと携帯食料を幾つか。あとは、、、新しいローブとかあるかい?」
男はカルが口にしたものを選び出し前に並べていった。傷薬に携帯食料が入った小さな袋五つ。その中にローブはない。
「申し訳ない。ローブは仕入れておりません。以前お見受けしたとき、お連れの方のローブはまだ使える様子だったので」
「そうか、それなら他のところで探すよ」
「本当に申し訳ございません」
男は頭を下げた。
「こちらの携帯食料がひとつ五ペギー、傷薬は十ペギーですので、全部で三十五ペギーでこざいます」
「ちょっと高くないか」
「携帯食料は味覚調整がされておりまして、通常のものより幾らか食べやすくなっております」
「そうなのか」
「傷薬に十ペギーは妥当かと思われます。この町の周辺は乾燥地帯が広がっているのはご存じのはず。そのため薬草の入手に通常より時間がかかるのです。他店と比べていただければわかると思いますが大分安く提供しております。これ以上は、、」
男の声に力がなくなっていく。
「わかった、わかった。疑って悪かった」
金袋は今の金銭状況を正直に映し出す。薄くなった袋の中で残金がカチャリと小さく音をたてた。中を見なくてもわかるその物悲しさに目を背けながらもきっちりと三十五ペギー取り出す。
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