僕の記憶に黒い影はない。

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ルシューランにて

カルの一日5.

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「ありがとうございます」
「それで、リプラーのこと。教えてくれるんだよな」
「もちろんです。、、、個体ごとに形態が違うということはご存知でしたね。何から話せばいいものか。、、、以前、リプラーには消して触れてはいけないと申し上げましたが、その理由については?」
「取り込まれるんだろ、聞いたよ」
「ほう、物知りなお方がいらっしゃったようで。どなたでしょう、一度会って情報を交換しておきたいものです」
青年の姿を思い出す。この男、悪いやつではないだろうが。青年の白髪をどう思うだろうか。少し胡散臭い雰囲気を醸し出しているのもこの男の特徴に思える。全面の信頼を寄せるということは到底できそうにない。
「その話しは今すべきことじゃないはずだ」
男は少し長めに落胆の色を含ませた息を吐き出した。
「ではリプラーの、語源なんていうのはいかがでしょう」
「語源?」
「はい。リプラーとはご存知、あの黒い生物。いえ、生物と言い表していいものか。様々に形を変えるあの黒い物体です。その黒さ故にリプラーはリプラーと呼ばれているのです」
沈黙で続けるよう促す。
「あの深い黒、見るだけで吸い込まれてしまいそうな底無しの黒です。リプラーの存在を初めて世間に伝えた者。つまりリプラーから初めて逃げ延びた者が言ったのです。あれは世界の裂け目だと」
「裂け目?」
思わず口を挟む。男はゆっくりと頷き、途切れた話を縫い合わせるように息を吸った。
「正確には世界の裂け目から来たと言いたかったのでしょう。人々はその黒い物体を裂け目という意味を持つ言葉を用いてリプラーと呼ぶようになったのだとか。おそらくその言葉というのは生還者の国の独特な言い回し。特有のものなのでしょう。リプラーの名前の意味を知らない者がいるのは不思議なことではありません。離れた地域ではそもそも別の名で通っている可能性も否定できませんし。実際リプラーがどの地域まで確認されているのかもまだ不詳ですがね」
ふっと、鼻の音がした。笑ったのか。
「不思議なのは裂け目から来たという話がただの比喩とも言い切れないことです」
「本物の裂け目」
「ええ、本当に世界のどこかに裂け目があるのかもしれません」
「そう思う根拠は?」
「それは、、、いえ、この事は私から申し上げるより本人に直接うかがった方が良いかもしれません」
「本人?」
「酒場に、実際にリプラーに腕を取り込まれたと言う者が出入りしているのです。どうでしょう、明日にでも立ち寄ってみては」
男は退屈そうにしているリュールの方を向く。しかしその視線は依然として足元に向いたままだ。
「今日のところは、可愛らしいお連れの方もいることですし観光など楽しんではいかがでしょう」
不審そうに男を睨み付けていたリュールの顔が一瞬にして綻んでこちらを見上げた。期待の色を帯びた瞳が爛々と輝いている。男も余計なことを言ってくれたものだ。
「はぁ、、あぁ。そうするよ」
手を振って別れを告げる。
「そうそう、リプラーには火属性の魔法が効くそうです」
「、、そうなのか。とすると通常攻撃は効かないということか」
「はい、おそらくは。あの剣をお売りして正解でした。またお会いすることができた」
また商品を売り付ける相手に出会えた、か。男の口元が笑っている。何だか複雑だな。
 リュールが服の袖を引く。退屈も我慢の限界に達したようだ。仕方なく彼女の手を取った。
「行こうか」
「またのご利用をお待ちしております」
男は深々と頭を下げる姿を最後に視界から消えた。


 残った四十三ペギーが袋の中で揺れる。

ガチャ

 開いたドアの向こうにベッドの上で座り呆けているあいつの姿があった。手には毛布を握っている。
「ただいま」
「おかえり。楽しかった?」
緩く首をかしげたサリュの髪には寝癖がついている。
「ずっと寝てた?」
「うん、そうみたいだ。お昼食べ損ねた」
渋い顔をするサリュの横でベッドに身を預ける。
「疲れた」
「何かあった?」
「あぁいや、まぁ」 
 あれからリュールが大変だった。行く先々で見つけたものを欲しいとねだり駄々をこねるので困らされた。仕方なく安そうなお菓子をひとつ買った。木の棒の先にふわふわとした甘いスポンジ状のものを巻き付けたもので、これくらいならと買ったのだが。案外おとなしくなり、町の様子を見て回ることもできた。分かれ道の坂の上は食べ物屋が集まっており、新鮮なフルーツジュースなんかは見ていて買いそうになった。楽しげな雰囲気が漂うその場所で、彼女もそこそこに楽しめたようだった。
 本当に大変だったのはその後だ。なかなか帰ろうとしないから、帰ってくるまでに思ったより時間がかかった。結局もうひとつお菓子を買うことで話をつけ帰ってもらったが、おかげで六ペギーを失った。残り少なくなった袋の中身を思う度にため息が口からこぼれて行く。
 楽しかったが、もうしばらくは子守りはしたくなかった。
「なんだ、楽しそうじゃない」
「まぁ、、まあまあだな」
つまらなくはなかった。
「お土産、ないのかい?」
「明日、一緒に出るだろ?」
お金はないけどね。町の地形は大体把握したつもりだし案内くらいならできるだろう。
「あぁ、そうだね。楽しみだ」
ほっこりとした笑みを浮かべるサリュを見ると帰ってきたのだなと思う。何か、こう、人の心を緩くするものがこいつにはある。
「そうだ、下でおばちゃんが晩飯の用意してたぞ」
「ほんと!」
サリュの顔がパッと輝く。そんなにか。
「あ、あぁ。でもまだ時間ありそうだし、、、先に風呂入ってこいよ。汚いままじゃ晩飯に失礼だぜ」
サリュは少し考え込む様子で髪を触った。寝癖に手が行き、そして頷いた。
「うん、そうするよ。出てくる頃にはできてるだろうか」
「たぶんな」
「できてるといいな」
微笑んでサリュは部屋を後にした。



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