僕の記憶に黒い影はない。

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ルシューランにて

夕刻

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 しばらく待ってみたが帰ってこない。
「出掛けたのかな」
腹の中でグルグルと音が鳴っている。大分時間も経っているし、今から行ってもお昼は残っていないだろう。夕飯の支度が始まってもおかしくない時間帯だ。
 カルが帰ってこない。物寂しく感じた手が訳もなく肩から滑り落ちてそのままの毛布を握る。柔らかな感覚がオレンジの光と混ざり、サリュを包み込む。
 静かだ。別に彼がうるさいとかそういうことではなく、足音や話す声、普段は聞こえないはずの呼吸音でさえそこにないとわかると何か物足りない。
「駄目だなぁ、僕は」
 口が皮肉な笑みを浮かべた。思ったより強く依存してしまっているようだ。

 何にも知らないのにね。

 出会った場所すら覚えていない。気がつくと同じ荷馬車に揺られていた。それがカルとの出会いだ。最初に目に入ったのはカルでも馬でもなく、骨組みに布を被せた簡単な構造の屋根だった。視線を落とした先に見えた、反対側の壁にもたれて座る赤髪を見て第一に思ったことは今でもはっきりと覚えている。居場所がわからない恐怖が混ざった不安と、それでも見とれるほどの日の光に照らされた赤い髪。まるで太陽をそのままに彼の赤に宿らせたようだと思ったのだ。

━━━━ただいま
扉のところにカルの姿があった。帰って来た。
「おかえり」
 何だか疲れている。バサッと豪快に音をたて、ベッドに倒れ込んだカルはその方向に大きなため息を溢した。
「何かあった?」
「あぁいや、まぁ。ちょっとな、子守りを頼まれちゃってさ」
枕に顔を埋めたカルがもごもごと今日一日の出来事を語りだす。
「彼女のことかい」
「うん、外に出ようとしたらついてきた」
 かなり賑やかな一日になったようだ。カルの話にはリュールに振り回される場面が多々うかがえ、それでいてただひたすらに何もない場所を歩き続けた五日間と比べるとよほど生き生きとして聞こえた。
「なんだ、楽しそうじゃない」
「まぁ、、まあまあだな」
否定しないところを見ると彼も満更でもないようだ。
「そういえば、」
カルが思い出したように顔をあげた。
「下でおばちゃんが晩飯の準備してたぞ」
「ほんと!」
グルグルという音が体を通して再び耳に届く。
「あ、あぁ。でもまだ時間ありそうだし、、、先に風呂入ってこいよ。汚いままじゃ晩飯に失礼だぜ」
半分冗談。そんな感じだ。ふとカルの視線が頭にあるような気がして髪に手が行く。汚れと汗でごわごわとして、おまけに寝癖もついていた。でも、、お風呂は本気かな。
 カルの言うとおりご飯の前にお風呂にしようか。
 毛布を離しベッドから降り立つ。寝過ぎたのかボーッとする頭を押さえながらサリュは荷物を持って部屋を出た。

 湯煙が立ち込める浴場を出ると、新鮮で少し冷たい空気が濡れた体にまとわりついた。外は寒いだろうか。なんてことを考えながら棚に幾つか用意されているタオルを手に取り、水滴を拭って荷物の中から取り出した服に着替える。基本的に服は着ているもの以外にもう一着持つようにしている。体を洗える機会があれば着替え、汚れた方はその場で洗い、乾けば次の機会まで荷物の中で眠るのだ。
 もう一枚持っておいた方がいいだろうか。随分と汚れた服を肩のところを持って広げる。土汚れが目立つ。洗えば落ちそうだ。
 周りを見渡す。浴場内もそうだったがこの場にも服を洗ってもよさそうな場所は見当たらない。
「後でルビアナさんに聞いてみようか」
下手に行動を起こして迷惑になっては仕方ない。
 服をなるべく綺麗な面が表に来るよう畳み、荷物の中の布袋に突っ込む。上手く入らなかったのか少し膨らんでしまった鞄を肩から斜めにかけ、ふっと息を吐いた。
 他に人がいなくてよかった。
 湯浴みで艶やかな色が戻った黒髪をローブで隠し、ロビーへ続くドアを開けた。

 ロビーに人の姿はなかった。厨房の方がカルの言うように賑やかで、何やら香ばしい匂いが鼻を撫でた。諦めたかのように黙りこくっていた腹も刺激を受けたのか再び動き始める。

 階段を上り部屋へと戻るとカルが本を手に窓辺の椅子でくつろいでいた。交差させた脚を前に出し、背凭れに身を預けながら肘掛けに頬杖をついている。背が高いからか組んだ脚が妙に様になっている。反対側の手に本を。頬杖をついていた手がページをめくり、その手は再び頬に戻る。その繰り返しを見ていると何だかカルを見ているような気がしない。
 物音にカルが視線を上げた。
「おかえり、綺麗になった?」
「言わなきゃわからないかい?」
「いや、綺麗になったよ。寝癖もとれてる」
部屋の中なのでフードは脱いでいる。乾ききっていない髪にフードは湿っていた。
「久々のお風呂は気持ちがいいね」
サリュはベッドに腰掛ける。

 その後もとりとめのない会話を続けていると扉の向こうで足音がした。ノックされる。
「はい」
「もうご飯だよ。下に用意してあるから冷めないうちに食べにおいで」
ルビアナの声だ。
「はい! すぐ行きます」
二人が顔を見合わせる。お互いがお互いを見てにやにやとしていた。サリュの顔は今日一番に輝いている。
「行こうカル! 僕はもうお腹が空いて死にそうだよ」
「んな、大袈裟おおげさな。おい、フード忘れてるぞ!」
立ち上がり早足で部屋を出るサリュの後をカルも慌てて追いかけた。

食堂に入ったサリュに後ろから追いついたカルが背中に垂れていたフードを被せる。
「あぁ、忘れてたよ」
サリュが笑うとため息と共に笑顔を返す。
 食堂にはすでに何人か人がいた。やけに派手な格好をしている。
「あそこだな」
カルの指差す先、部屋の奥の窓辺のテーブルにそれらしきものがあった。
 そこここで食事を取る人々を眺めながら席に着く。サリュと向かい合うように置かれた料理に合わせカルが正面に座る。
「うわぁ、美味しそうだね」
サリュが視線を落としている間、カルはどこか落ち着きなく周りの人々を見ていた。
「ね!、、、カル?」
返事がないので顔を上げる。
「、、、え? あぁ、なんでもない。食べよう、俺も腹へった」
カルが料理に箸をつける。野菜と肉を炒めたものに、こんがりと焼き色のついている白いふわふわとした何かが添えてある。
「お箸かぁ」
サリュが慣れない手つきで二本の棒を握る。
「大丈夫か?」
サリュは先日箸の存在を知ったばかりだ。スプーンとフォークの国で育ったサリュには箸の習慣がない。使えないのも無理はない。しかしある時点から立ち寄る村や町に箸の習慣が出てくるようになった。初めてのときは戸惑い、カルを見ながら箸を握りしめて固まっていたサリュも、まだぎこちないにしろ使い方は覚えたようで正しい持ち方に握り直す。まだ慣れないのか苦手意識があるようだ。
「どうする? フォークもあったから変えてもらうか?」
カルの言葉に首を振る。
「少しずつ慣れていかないと。いつまで続くかわからないからね」
そう言ってゆっくりと箸の先を開閉した。落としそうになって慌てて握りしめるとその姿をカルに笑われた。
「まだまだだな」
「もぅ、こっちは一生懸命やってるんだから」
 カルはさっさと食べ進める。どういうわけかカルは箸を上手く使いこなしている。サリュに使い方を教えたのもカルだ。確か、カルと出会ったのはまだフォークの国の圏内だったように思うが。カルの箸捌はしさばきはどこから来たものなのか不思議だった。
「そういえば、さっき誰を探してたの」
「ん? あぁ、いや。昼飯のときにいたやつがさ、いないなぁって思って」
「ふーん。もう宿を出たとか?」
「かもな」
モグモグと口を動かすカルは、今はもう口に入れた肉に顔が解れている。その人物に特別用事があるというわけでもないようだ。
 サリュももう一度持ち直した箸をふわふわとした何かに刺す。
「それじゃあ箸の意味ないじゃん」
カルが笑う。
「うるさいなぁ、まずは一口。全てはそれからさ。、、、何にやにやしてんの」
もぅ、と一口には大きすぎるふわふわにかぶりつく。
「ん。、、ん? ん━━━━━!!」
「どうしたんだよぉ」
カルのにやけが止まらない。
「ほっ、ほいひい」
ふごふごと口の中のふわふわに邪魔されながら声を上げる。
「だろぉー!」
にっと開いたカルの口が嬉しそうに笑みを浮かべる。まるで自分が作ったかのように得意気な顔をしている。
「うん、スパイス料を取るだけある。すごく美味しい」
「そうかい」
振り返るとルビアナが調理場のドアの方から歩いてくるのが見えた。
「ルビアナさん! これ、これはなんですか!」
白い何かを指差して尋ねる。
「あぁ、これはホクだよ。知らないんだねぇ。あんたたちよほど遠いところから来たんだろ」
「まぁ、国外ではあるかな」
カルが答えた。
「なるほど、知らないわけだね。国境の先のことは私も知らないよ」
「そんなもんだな。それが普通だよ」
「ルビアナさん、これすごく美味しいです」
サリュが目を輝かせているのをルビアナも満足そうに見た。
「そうだろ。うちのは他と比べても絶品だよ。なんたって私が作ってるんだからね」
「なっ、何か隠し味が?」
「おや、知りたいかい?」
期待の眼差しにルビアナは悪い顔で笑う。
「内緒だよ。隠してなきゃ隠し味じゃないだろう?」
「そんなぁ、ルビアナさんまで僕をからかうなんて」
サリュの眉尻が下がる。
「ん、まで?」
カルの方を向いたルビアナに、カルが箸を見せた。
「これ。こいつ箸使えないんだ。下手くそでさぁ」
「言わないでよぉ」
「あぁ、そうなのかい? ちょっと待っておいで」
すたすたと調理場へ戻って行くルビアナの背中を見送る。すぐに戻ってきた彼女の手にはフォークが握られていた。 先程とは打って変わって優しい微笑みを浮かべそれを差し出す。
「ほら、使いな。食べづらくて大変だったんじゃないかい? 練習もいいけどお腹空かしてるときくらい思いっきり食べなきゃね。あんた昼飯食べに来なかったろう」
ほら、と押し付けられて受けとる。
 フォークだぁ。
「ありがとう。すごく助かります」
フォークを野菜に突き立て、口に運ぶ。
「んー! これもおいひい!」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。しっかりお食べ」
サリュを見るその顔は優しい母親の顔だ。ひたすらにフォークを動かす。
 二人を眺めていたカルが何か納得がいかないように首をかしげた。少しの間そのままで、
「まぁ、旨いからいいか」
呟いてカルも再び箸を動かし、しかしすぐに止めた。
「そうだ、気になってたんだけど」
カルが顔を上げてルビアナを見た。
「なんだい?」
「あの人たち、なんであんな格好してんの」
視線で周りの人々を示す。赤や黄、青など様々ならラインの入った服や、鱗のようなものに覆われたキラキラと輝く服、柔らかそうな真っ白のモコモコを着込んでいる人もいる。どれもこれも眩しく主張するので背景が煩い。ルビアナは視線をたどり納得したように口を開いた。
「曲技団さ。何日か前から町に来ててね。大通りをまっすぐ行ったところに広場があるんだけど、そこで曲芸をしてるのさ。夜、、、かわずの刻くらいかねぇ。広場も人が詰めて大変だよ」
なるほどとカルが頷く。
「祭りでもあんの」
「あぁ、いや、この町は元々賑やかな方なんだけど。曲技団が来るのに合わせて商人も増えてるって感じだね。特に誰かが企画したものではないよ。気になるなら行ってみるといい」
大通りをまっすぐだよ、そう念押しし、ルビアナは手を振って調理場へと帰っていった。
「面白そうだね」
ひたすら口に詰め込んでいたサリュが手を止める。
「そうか? 行きたいならついてくけど」
「カルはあまり興味ないのかい?」
「あー、いや。興味ないっていうか、見飽き、、てい、、」
言葉が尻すぼみになっていく。
「ん、 何?」
誤魔化すように首を振って
「なんでもない。行こう、面白そうだな」
「いいのかい?」
サリュが首をかしげる。
「行きたいんだろ。なら行こうぜ」
「あぁ、うん。すごく、楽しみだよ」
頬を食べ物で膨らませたサリュが笑う。
「ほら、口に詰めすぎ」
「むぅ、、、」
 しばらくモグモグと口を動かした後再び口を開いた。
「それでさ、蛙の刻っていつ?」
「知らないのか」
呆れたと言わんばかりに背凭れに寄りかかるカルを眺める。しかし答えはなかなか返ってこない。
「カル?」
「十時、、、くらいかな」
「なんだ、カルだって自信ないんじゃないか」
カルの言葉が詰まった。
「っ、仕方ないだろ、国が変わったんだから」
サリュがどこか嬉しそうに微笑む
「カルにもわからないことがあるんだね」
「俺だって万能な訳じゃない」
少し拗ねたように返された言葉は、さらにサリュを愉快にする。
「後でもう一度ルビアナさんに聞いてみよう」
「あぁそうだな」
サリュの笑顔に苦笑して返すカルが最後の肉片を口に入れた。
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