僕の記憶に黒い影はない。

tokoto

文字の大きさ
上 下
29 / 39
ルシューランにて

戦闘 対キュウホン

しおりを挟む
生物の飛んでいった方向の金属音が大きくなる。
「サリュ、リファーナを」
「いら、ない」
リファーナがサリュの腕を押し退ける。 
「でも、怪我して━━」
「サリュ、嬢ちゃんは大丈夫だ。嬢ちゃん、後で手当てしてやるからな」
コーストの背中越しの言葉にリファーナが頷く。
「すまないが、これ頼む」
「サリュ下がってろ」
コーストに後ろ手にランタンを押し付けられ、カルに押し下げられたサリュは渋々と三人の間に入る。
「行くぜ」
どこか、いや、どう聞いても楽しそうなコーストの声に背筋がぞわりと疼く。鋭い、それでいて影のそれに比べれば心地好い金属の擦れる音。コーストの大剣も影に向けて握られる。
 響き続ける影の声。あの一匹以来明かりの中に入ってくるものはない。それでも確実に両者の緊張は高まっていた。じりじりと近づく素振りを見せる影に二人もそれらの延長線へと剣を沿わせる。
 影の一匹が後方から押されてバランスを崩し光の中に足を踏み入れた。
「ううおぉぉぉああ!」
それを見逃すはずもなくカルは大声をあげた。その声に押されるように影たちが一斉に一行へと飛びかかる。
「来たか」
ニヤリと笑う。彼は敵が光の中に入ってくるのを待っていた。奴らも我慢の限界を迎えていた。驚かせば判断するの余裕も持てずに飛び出してきた。そして、姿さえ見えれば後は
「勝つだけだ」
カル目掛けて飛んで来た一陣を薙ぎ払う。背中の殻に冷たい音を響かせながら、光沢のある液体が周囲へと飛び散る。それを見てひるんだのか敵の動きが一瞬止まる。
 今では姿をあらわにした、幾つもの脚を胴から生やした未知の生物。
「九本か」
コーストの呟きが弾ける音に混ざり届く。
「はぁ?」
再び向かってきた塊を貫き、流れ伝う液もろとも振り捨てる。
「脚の数。九本かも知れねぇ」
「そんなの今どうだっていいだろ」
「いやいや、重要だぜ。蜘蛛になるには一本多かったな」
残念、とコーストが大剣の側面を使ってブンと九本かも知れない敵を打ち飛ばす。
 コースト曰くキュウホンカモシレナイは間を空けず次々と飛びかかってきた。薙いでも薙いでもきりなく現れ続ける。数をこなすほどに服を髪をキュウホンカモシレナイの液が染めていく。
「何匹いんだよ。これじゃきりがない」
 切り裂いた一匹から噴き出した液のカーテンの向こう、数匹が横並びでじわじわと距離を詰めていたことにカルは気づけなかった。振り払った瞬間に目の前に現れた想定外の敵。
「っ、」
間に合わない、そう思いながらも剣を回す。
「駄目だっ」
一匹が刃を逃れカルの肩めがけて脚を開く。振り切った腕では払い除けるには間に合わない。
ビュン
何かが空を切って飛んできたキュウホンと共に視界から消えた。視線を下にやると、潰されて無惨な姿になったキュウホンと着地の衝撃に髪をなびかせる彼女がいた。
「リファーナっ」
彼女の手足は液の色に染まり、腕に刺さったままの脚は逆に彼女の血で染まっている。
「助けてくれた、、のか」
リファーナは足元の遺骸を蹴り飛ばし、さらに近くにいたキュウホンを切り裂く。
「油断、するな、よ」
どこかで聞いたような台詞を残してリファーナは短剣を振りかざし走り出す。明かりのある狭い範囲を飛んでくる敵の間を器用に駆け抜け柔らかい腹を切り裂き蹴飛ばしていく。それはまるで踊っているようで、キュウホンの液から発せられる甘ったるい匂いと生々しい音を除けば息を飲むほどに優雅で美しい。
「カル、前!」
サリュの声に視線を戻すとそれまでまばらに来ていたキュウホンが軍勢を作り足元に迫っていた。
「うわっ、なんだよこれ」
「サリュ、これを」
コーストが何もできず立ち尽くしていたサリュに袋を投げてよこす。
「中に発力剤が入ってる、魔鉱石をできる限りつけろ」
「あっ、はい」
コーストが前方の敵をすくい上げるように剣を下から差し込み払い上げる。キュウホンが飛んでいった場所に一筋の道ができた。
「とりあえずそこにある、後は自分で探せ!」
コーストが指し示す先、微かな光の中に地面から突き出した大岩に埋まる魔鉱石がサリュにも見えた。深く呼吸をひとつしてランタンを足元にそっと置く。
 小瓶を取り出し駆け出すとやはりキュウホンが迫ってきた。
「邪魔するな!」
コーストが間に入り攻撃を妨害する。
 魔鉱石にたどり着いたサリュはそこに新たな光を灯す。
「よくやった!」
コーストの叫び声が聞こえる。光は徐々に強くなっていき、ランタンには劣るものの一行の行動範囲を広げる。
 コーストがひゅーぅと口笛を吹く。
「おぉ、これは、、見えなくてもよかったかぁも?」
照らし出されたのは予想を遥かに上回る量の敵。
「何でこんなに」
サリュはキュウホンを避け魔鉱石の埋まる岩の上に上る。サリュを追いかけ上ってくるものを蹴落としながら次の魔鉱石を探す。
「嬢ちゃん、広くなったぞ。好きに遊べ!」
コーストの言葉を受けリファーナが敵を蹴散らし舞う。向かってきたキュウホンに短剣を投げ差し、その間に寄って来ていた別の個体に足技を決める。個体が嫌な音を立てて吹っ飛ぶ頃、差された個体が勢いのまま飛んでくるので柄を掴み振り抜きながら次に狙いを定める。片腕を負傷しているとはとても思えない滑らかな一連の動きは意味を知らない興奮を撒き散らす。
「何であんな強いんだよ」
カルが疑問を溢しながらいつの間にか離れてしまったコーストの近くに移動する。半笑いのコーストの額にも汗が浮かんでいる。
「ほら、負けんじゃねぇぞ。勝つだけ、なんだろう」
「聞こえてたのかよ」
舌打ちをしてまた一陣を切る。コーストがリファーナをつれてきた理由はもはや明瞭。
━━それにだな、もしかするとこの子の方が、、
俺より強いってか。くそっ、負けてたまるか。
「あぁ、勝つしかねぇなぁ」
視界の向こうではサリュが懸命に走り回っている。都合のいいことにどこにでも岩が突き出しているようなので危なくなればその都度避難しているようだ。しかし移動を始めると止まることができないため必要であれば踏み潰してでも次まで駆けなければならないようだった。少し遠いがサリュの顔が不快な感触に歪んでいるのは容易に想像できる。
 明かりはどんどんと増えて行き、敵の全体像も見え始めた。どうやら先程から敵の数は変わっていないと見える。
「増えてるのか」
「そんな感じだなぁ。おぅいサリュ、もういい。それよりこの敵の数、どうなってんだ」
最初の岩に戻ったサリュはコーストに手を振る。了解の合図だ。彼が次に何を求めているか、それは敵の出所を調べること。靴の中まで入ってきた液体に軽い吐き気を覚えながら岩の上に立ち、明るくなった洞窟内を見渡す。洞窟内は鍾乳洞のような不思議な作りになっていて地面から突き出した岩と同じように上からも白みを帯びた岩が垂れ下がっている。そこから視線を下ろしていくと
「あった」
隅の影に穴が。キュウホンは今も次々とそこから出てきている。
どうすれば、どうすればいい? 頭の中で反芻する。穴を塞ぐ必要があった。何かないか。
 ふと目が行ったのは先ほどの上から下がる白い岩。よく見ると無数の大きな穴が開いて、その穴を白い物体が埋めている。いや、あれは巣だ。白いまゆのようなものが呼吸するように僅かに動く。
「コーストさん、あれ。あれを落としてください!」
コーストが手近な一陣を散らしながら振り向くと、サリュが垂れ下がる大岩を指差していた。
「おいおい、さすがにこれでも岩は微妙だぜ」
大剣をサリュに振って見せ、横から飛んできた遺骸をしゃがんで避ける。
「いけます、多分!」
岩は奴らの巣があるために多数の穴が開き脆くなっているはず。
「そうかぁ、じゃあ」
コーストはへへっと笑う。
「なぁんて言えるほど身軽じゃあないんだよなぁ。おいカル!」
「何だよ」
「俺が投げるからお前があの岩をぶった切れ」
「はぁ、投げる?」
「うぉら、いくぞ!」
そう言うとコーストはカルに向かって剣を低く持ちながら走ってくる。
「嘘だろ⁉」
避けようと飛び上がるとその動きにに合わせるように剣も上がってくる。追い付かれたカルの足は大剣の上でしゃがんだ体勢に陥る。そのまま上へと弾き上げられる勢いと共にどうしようもなく飛び出した体は空を切り、岩を目の前に言われるがまま無我夢中で力を込めて剣を振る。
グヮン
鈍い音を立てて跳ね返った剣がカルの手を離れる。剣が回転しながら落ちていく姿を最後に、カルの体は勢いのまま岩へと突っ込む。
バァーン
打ち付けられた体に痛みが走る。視界を飛び散った細かい石が塞ぐ。地面を背に落ちながら岩の様子を呆然と眺めると、岩はカルが与えた衝撃で折れて落下していた。
 カルの体はゆっくりと下降する。異様なほどにゆっくりと。体の向きを変えることもできず風が上へと吹き抜けていく。
━━━あぁ、駄目だ。
カルはぎゅっと目を閉じた。
バシュッ
━━ふぅ、間に合った」
受け止められる感覚。目を開く前に地面に放り出され崩れ落ちる。直後近くで岩が盛大に崩れる音がした。
「ほら立て。まだ終わってないぜ」
目を開くと目の前に敵との間に立ちはだかるコーストの背中があった。
「死ぬところだったんだぞ!」
「大丈夫大丈夫。剣はあっちだ」
顎で差された方向に顔を向けると両手剣の柄がうごめく敵の背の隙間に見えた。取りに行こうとするが足に力が入らない。
「無理だ、立てない!」
切羽詰まって大きな背を見上げる。
「ふぅん、そうかぁ」
するとしぶきを散らしていたコーストが急に剣を振るう手を止めた。
「おい、何して━━」
迫り来る敵を前にしてコーストはその一団を避けた。壁を失ったカルのもとへキュウホンの体が飛んでくる。
「っ、くそ!」
前屈みにこれ以上ないほどに力を入れて踏む。ガクンと落ちた体の上をキュウホンが過ぎるのを感じながら地面に擦る寸前で足がやっと前に出る。
「なぁんだ、いけんじゃねぇか」
コーストの戯言たわごとを聞き流し駆け出したカルはその勢いのまま剣の場所に飛び込む。いち、に、さん歩。キュウホンの殻が潰れる音を聴きながら柄を掴み引き抜くとそのまま気配のした方へと切り払う。
「サリュ、どうだ? 何か変わったのか!」
コーストの声に応えてサリュは大きく頷く。
「はい、 おそらく今見えているので全部です!」
「よし」
それまで防戦が中心だったコーストが走り出す。岩の上からその様子を眺めていたサリュはその顔から目が離せなかった。
「笑ってる」
そこにあったのは嬉々として剣を振るう姿。それまでの陽気なコーストは完全に鳴りを潜め、飛び散るキュウホンの体液に血を踊らせる。
「うわぁ!」
体に大きな影がかかる。コーストに目を奪われている間に上ってきていたのだろう、飛び上がった敵が一体サリュに覆い被さるように落ちてくる。咄嗟に両手で盾を作るがそこに絡み付いてきた。太く尖った脚がサリュの腕を拘束し固定の意を込めて皮膚を貫く。鋭い痛みがサリュを襲う。振りほどこうともがくほどに相手も強くしがみつく。八本の腕がサリュの肉を抉った。
「あぁぁぁ」
言葉にならない叫び。必死に腕を振り上げるが金属音は耳元で鳴り響く。九本目が首へと延びた。
「サリュ!」
呻き声を聞いて駆けつけたカルが岩に駆け上がりキュウホンを引き剥がした。
「大丈夫か」
視線を落とすとドクドクと流れ出す赤い液が取り残された幾本かの脚を染めていた。
「触るな、後で抜いてやるから」
傷口に延びる腕をカルが止める。その腕は震えていた。
「カル、カル、血が━━」
「サリュ、大丈夫だ。すぐ終わらせる。約束する」
待ってろ、とサリュの肩を揺すり再び岩を降りたカルを待っていたとばかりに敵が取り囲む。哀れにも奴らは彼が怒っていることを知らない。彼は感情に任せ、剣を染める液体を目の前の個体と混ぜていく。その剣捌きは先程までより格段に冷酷に、殺戮さつりくを目的としたもの。数秒もせず、生々しい耳障りな音が空間内を埋め尽くした。
しおりを挟む

処理中です...