僕の記憶に黒い影はない。

tokoto

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ルシューランにて

音色の放出

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「━━━おい、起きろ」
その一言がカルの意識を引き戻した。
 カルの体は石門の隅に寄り掛かるように寝かされていた。
「っ! サリュっ」
周りを見渡すがサリュの姿はない。
「女将が宿に運んだよ。リファーナもついていった」
コーストの声が上から降り注いだ。見ると手を差し伸べられている。
「お前にはもう少し仕事が残ってる」
手を取ると勢いよく引き上げられた。コーストの顔はにやついている。
「さぁ、魔鉱石を設置しに行くぞ」
「他のやつらは?」
「生憎だが残ってたのはそこにいる一人だけだ」
コーストの後方に見える痩せた一人の男。
「お前、、」
それはあの怪しい商人だった。
「他のやつらは早々に町を出たそうだ」
そんなコーストも不思議そうに男を観察している。
「しかしなんで━━」
「なんで逃げなかったんだ」
コーストの言葉を遮っていつの間にか言葉を発していた。
「もっと良い薬が必要かと思いまして」
男は震えながら笑っている。その顔はフードの中に隠れ、くつくつと笑うつり上がった口だけが不気味にのぞいている。
「なんだよ」
「赤く染まった傷もたちまちに直してしまう。そんな薬を貴方は求めているはずなのです」
「あぁ、求めている。でも、今すぐ売ってほしいんだが今は手持ちがない」
「えぇ、今回はお代は頂きません。ただし、、」
「ただし?」
「貴方の今お持ちのお金全てでこちらを買っていただきたいのです」
そう言って男が取り出したのは小さな黒い玉だった。手の平大の大きさの光沢のある玉は中央に細い溝が彫られてあり、その溝に赤い石が埋め込まれている。
「なんだよそれ」
「お守りです」
「なんで俺に?」
「旅のお守りほど信用に値しないものはないようで。どなたも買っていかれませんでした」
男は理解ができないという様子で不思議そうに答える。
「売れ残りってことか」
「それでも薬と比べていただければ」
安い、か。押し付けられる感覚が強いが、それで薬が手に入るならなんでもいい。
「わかった。これだけしかないんだが」
袋から三ペギーを取り出し手の平に広げる。、、さすがに足りないか。
「、、サリュ、、、ごめん!」
男に近づき三ペギーを渡す。
「俺が持ってるのはこれだけだ」
「ほう」
「もちろん、それだけで売れとは言わない。宿に直接薬を持って行ってくれ。俺の連れの袋にまだ少しだが入ってる。全て取ってかまわない。それを確認してからでいいから女将に薬を渡してくれ」
男は納得したように頷いた。
「かしこまりました。では宿のほうにこちらも置いておきましょう」
「早く行け」
男は軽く礼をし宿の方へと歩いて行く。
 残された二人も動き出す。魔鉱石を担ぐコーストは変わらずしっかりとした足取りで先を行く。
「はぁ、、はぁ、嘘だろ」
休むことに慣れ、先程よりも動きにくくなった体を無理やり動かしてコーストの後を追う。
 大通りの分かれ道、コーストは右の道を下って行く。
「おい、こっちじゃないのかよ」
高台へは真ん中の通りを上らなければならない。しかしコーストは首を振る。
「橋が渡れない。重すぎるんだ」
「まさか階段で上まで行く気か?」
「あぁ、それしかないならそうするしかねぇなぁ」
話ながらもコーストは歩みを止めない。
「…代わるよ、下ろせよ」
「あぁ、いや。大丈夫だ」
「でも…」
鉱山からずっと背負ったままなのだ。顔には出さないが疲れているだろう。
「悪いが、お前には無理だ。俺も一回下ろしたらもう持ち上げる力なんて残ってねぇよ。お前にはお前の仕事があるからそれまで待ってろ」
そのまま背を向けて進んで行くコーストに反論もできない。確かにコーストほどの巨体を持ってしてもあの魔鉱石を持ち上げられているのは少し不思議だ。大きさはそれほどでないにせよ、他の物質に比べ重いのが魔鉱石。だからこそ無下にもできない。

「扉を探してくれ」
塔の真下に着くとやっとコーストはカルに指示を出した。
「でも、外階段が」
「あぁ、だがさすがに危険だ。お前、上まで落ちずに上れるか?」
「…そうだな」
今のカルでは無理だ。足はふらつき、気を抜けば崩れてしまいそうだ。風でも吹けば落下しないとも限らない。
 高さがあるだけに塔の回りはとても広い。
「この手の建物には内階段も同じようについてる」
コーストの言うように裏手にカルは扉を見つけると彼をそちらへと誘導した。
 扉には鍵はかかっておらず誰でも出入りができるようになっていた。中は殺風景でなにもなく、ただ螺旋階段がひたすら上へと延びている。果てしなく遠くに見える天井がカルの心を萎えさせる。
「ほら、いくぞ」
コーストはそれでも先を行く。カルをおいて一段一段確かな足取りで進んで行く。
「化けもんかよ」
後を追うカルの足取りの方が遅い。コーストの背中を反対側の壁に見ながら距離を詰められるよう必死で登り続ける。
 一つ目の踊り場。そこでコーストは待っていた。ふらつく足で上りきるとコーストは笑った。
「ほら頑張れ。もう少しだ」
何を持ってしてもう少しというのか。天井までの距離は最初と然程変わっていない。
「少しじゃねぇよ。まだまだ先があるじゃないか」
「まぁそんなこと言うなって」
コーストはカルを試すような口ぶりで続けた。
「サリュを助けたいんだろう? 早く医者を呼ばないとな」
サリュは今も苦しんでいるのだ。一刻も早く町を戻してちゃんとした医師に診せる必要がある。薬は効いているだろうか。ぐずぐずしている間に症状が悪化していたらと思うと足が自然と前に出た。すでにとても疲れている。だがどうにも止まれなかった。
 コーストはヒューと口笛を吹く。
「やるじゃねぇか。じゃあ少しばかり急ぐぞ」
先程より少しペースを上げて上って行くコーストにカルも負けじと食らいつく。

 ちょうど塔の中程まで来ると、さすがのコーストも額に汗を浮かべ、息も荒くなっていた。
「なぁ、はぁ、カル?」
「…何だよ」
「後ろから押してくれるか、はぁ」
「あぁ…はぁ、はぁ任せろ」
最初より前屈みに丸くなったコーストの背を目一杯に押して一段上る。そしてまた一段。

「ほら、本当にもう少しだぞ!」
コーストの汗が服の上からでもカルの手を濡らす。もうどこから出た汗かわからないほどに全身が汗まみれになってようやく目的地は近づいてきた。
「うおおおぉぉぉ!」
残った力をコーストに預け最後の一歩を踏み出す。
「はぁはぁ…や、た。やったぁ」
「あぁ、あぁよかった。はぁ、」
コーストは壁に身を預けしばし息を整える。
「はぁはぁ…っはぁ。俺、先に…中見てくるよ…」
その顔は苦しげに下を向いたままだが、コーストは手を上げて返事をした。

 錆び付いた金具の音を聞くのはこれで二度目だ。足を引きずるように中央の巨大な楽器に近づいて行く。
 箱形の機械の蓋は開いたまま。中身が丸見えになった機械の奥、パイプに囲まれた中央部にくすんでしまった魔鉱石はあった。あの男が外したのだろうか、手前の二本が外れているために魔鉱石を取り出すこともできそうだ。
 しゃがみ込みパイプの束に手を伸ばす。金属の感触の中にごつごつとしたものを見つけ引っ張る。何やら皿のようなものに乗っていた魔鉱石が低い音をたてて落ちた。力を失った魔鉱石。魔力の消費と同時にその重さも変わったようだ。
「そこに置けばいいのか」
振り返るとコーストが袋から取り出した魔鉱石を抱えて立っていた。
「あぁ、そうらしいな」
落ちた衝撃で砕けてしまった古い魔鉱石を手で掻き出す。
「ここに」
コーストに場所を譲ると、荒く息を吐きながら魔鉱石が皿の上に置かれた。最後にパイプを元に戻したコーストが機械から顔を出す。
 ハーノパルの鍵盤はひとりでに動き出す。

パーン、パーンパラーン

澄みきった音が部屋に響く。床に彫られた魔方陣に光が走り、パイプが黄金に輝きだす。音はみるみる大きくなって行き、頭にずきずきと響き出した。
「出よう」
コーストが叫ぶ。いつの間にか入り口で耳を塞ぎながらカルを待っていた。
「早くしろ!」
コーストが先に扉を出た。音は二人を追うように大きくなっていく。
 コーストについて転びそうになりながら階段を駆け下り、扉まで来ると外に出た。
橋を渡ったところでやっと振り返って塔を見る。最上階の窓から魔方陣の光が溢れ出ている。頭がくらくらとするなか、二人はへたりと座り込む。もう限界だ。動けなかった。
「やったな」
コーストが橋の下をのぞいている。体を引きずって近づくと、にやつくコーストの視線の先に崖の下で手を振る小さなルビアナの姿をカルも見つけた。
「あぁ、やったな」
上空の風がカルの髪を撫でて行く。これでサリュも助かるだろうか。
 町中に響く塔の音色。よくやったと誉める風に身を任せ、しばらくは動くことができなかった。
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