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小さな村
山奥の村にて
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「僕は記憶が飛んでしまうんです」
「記憶が飛ぶ?」
「はい。いつの間にか知らない場所にいて、知らない人と話してて。さっきまで何をしていたのかも思い出せない。そういうことがよくあるんです」
それはまるで場面が切り替わるように一瞬にして世界が変わってしまう。場合によれば全く馴染みのないものに囲まれていることもある。だからこそ最初はどうしようもない不安に怯えていた。
いつ消えるかもわからない脆い記憶で旅をするのは危険だった。自分が今どういう状況におかれているのか、消えた記憶が長いときに至っては推測することも困難だった。何度か騙されたことも、金を奪われたこともある。そのこともあり、記憶が消えた後は全員が怪しく見えてしまう。
今でこそ大体の話には合わせられるようになったが、それでも消えてしまったときの不安はどこにも捨てることができなかった。
「これが僕が賢者を探す理由です」
そう、この事態をどうにかできるのは賢者しかいないのだ。町医者では原因不明で手を振られてしまう。状況は何も変わらなかった。それでも、万事に通じると言われる賢者であればもしかすると。
しかし、あらゆる文献を探ってもその存在はどうにも不明瞭で、実在するのかどうかも怪しい。
「僕はこの病気を治したい。カルはそれに付き合ってくれているんです。僕のなくした記憶はいつもカルが埋めてくれる」
「あぁ、だからさっき」
「はい。僕には町を出てからの記憶がありません。僕はルビアナさんに挨拶をしていないし、ここまで歩いたことも、すでに一日経過してしまっていることも今はじめて知りました。それでも運が良かったのは、二人のことを忘れなかったことです」
説明は以上です、そう言ってサリュは笑った。
わかりきっていたことだが二人は困惑しているようだった。
「それっていうのは…その、次また記憶が消えたら俺たちのことも忘れるかもしれないってことか」
どこか遠慮がちにコーストは尋ねた。
「どうでしょう。僕にもわかりません。全部忘れてしまうので。覚えていないことも覚えていないんです。…だけど、カルの話だと一度に消える記憶というのはそう多くはないようなので」
カルが頷く。
「とりあえずは大丈夫ってことか」
サリュは頷かない。ただ笑みを浮かべるだけだった。
「それ以上は誰にもわかんねぇよ」
カルが助け舟を出す。
しばらくの沈黙の後、コーストは何かを振り払うように勢いよく首を縦に振った。
「…おう、わかった! 信じるよ。もしサリュが俺たちのことを忘れちまったら、また自己紹介から始めるさ」
なぁ、リファーナ? 不安の表情を向けるリファーナ近づき頭にポンと手を置くとコーストはにたりと笑う。答えるように彼の袖を握るリファーナは、それでもその言葉に信用はないようだった。
「だいじょーぶだ。何も心配するこたぁはないぜ」
「あぁ、まぁ俺もいるし、別になんとかしろということじゃない。知っておいてくれればそれでいい」
カルもまた、どこか冷めた表情で二人を気遣った。
結局村らしき場所にたどり着いたのは辺りが暗くなってからのことだった。山に入った四人は皆それぞれに文句をぶつぶつと呟きながら、時にぶつけながら、落葉や蜘蛛の巣を引っかけてようやくたどり着いたときには、ひとより大きなコーストの頭は小枝に引っ掛かったりだなんだでボサボサになっていた。
辺りには民家の光がポツポツと点在している。それほど家の数もなく、果たして宿があるのかさえ怪しかったが、辛うじて小さな宿は見つけられた。他の民家との差もなく、どうにも見つけにくい場所だった。
「あれぇ、お客さんかね」
奥から出てきたのは白髪混じりの髪を後ろで束ねた老婆だった。
「泊まりたいのですが部屋はありますか」
「あぁはいはい。ありますよ」
老婆はカウンターに入り、その内から台帳を取り出す。
「ここに名前と人数をね。最近多いものだから把握しきれなくてねぇ」
「僕たち以外に誰か?」
「えぇいますよ。男の方が一人と小さなお子さんが。昨日からねぇ。こんな山奥に最近は珍しくひとが多いんですよ」
記入し終えると老婆は台帳を残したまま四人を奧へと案内した。
宿というような内装でもなく、どこかひとの家を間借りしたような感覚で案内された小さな部屋に腰を下ろす。
質素な部屋だ。特に飾りなどもなく大きめの窓がひとつとベッドが二つ。あとはクローゼットと壁に掛けられた鏡があるのみ。ベッドは、足りない分後で布団を用意してくれるそうだ。
隣で泊まっているのだろう、確かに幼い少女の楽しそうに騒ぐ声が聞こえてくる。
「こんなところに来るやつがいるなんてなぁ。やっぱりあれか、あの町の事件で逃れてきたやつらはここを通ったんだろうか」
「かもしれませんね。皆ではないだろうけど、最近増えたというならここを通ったひともいるんでしょう」
「主様も通ったかなぁ」
期待の顔でニヤリと笑うコーストを横目にカルが低く唸った。
「なぁ、早く飯に行こうぜ。婆さんが用意してくれてんだろ?」
「あぁ、そうだね。今日はもう早く食べて眠ろうか。きっと明日には出発するのだろうし」
サリュは荷物から着替えを引っ張り出すコーストを見て笑った。
太陽が顔を出すより少しだけ早く、サリュは目を覚ました。まだ皆眠っている。
ベッドのひとつはリファーナ、もうひとつはサリュが使っていた。リファーナは何となく優先され、残った方も何となくサリュに譲られたのだった。
再び眠る気にもなれずサリュはベッドを抜け出した。
ひ弱なことも時にいいことがある。柔らかいベッドで眠ったので疲れもとれたようだった。
足音を忍ばせて部屋を出ると朝のひやりとした廊下が新鮮だった。老婆はすでに起き出しているようで台所からは明かりと朝食の香りが漏れ出ていた。
足音で気づいたのだろう。老婆が台所から出てきてサリュを見つけた。
「あらあら、早いですねぇ。まだ朝食には少し時間がかかるんだけれども」
「お早うございます。大丈夫です。少し朝の空気を吸ってきます」
台所に戻っていく老婆を見送ってサリュは宿を出る。
太陽の気配が木々の向こうにあり、辺りは薄明かりに包まれていた。夜に見た光と同様に村は質素な様子だった。決して多くはない民家と畑が幾つか。中央には川が通っており、向こうの方には泉の様なものも見えた。木々に囲まれたのどかな風景が空気も綺麗にしてくれていた。
しばらく歩くとすぐに村の端についてしまった。やはり広い村ではなかった。予想より人は住んでいるようだったが、珍しいものはこれといってなく、のんびりと散歩をした。
少し明るくなったのでそろそろ戻ろうかとサリュが振り返ると、来る途中にあった泉のところに一人の人影があった。少し離れてしまったのでよくは見えないがどうやらカルたちではないようだ。
人影は伸びをした。こちらには気づいていないようだった。サリュは人影に向かって歩き出す。丁度少し人と話したくなっていたところだった。
人影は欠伸をした。その姿がはっきりと見えるようになると、サリュの視線はその髪の色に引き付けられた。
「白い…」
朝の白みを帯びた空気の中でも際立って白かった。そのひとはすべてが白だった。上から下まで白い服に身を包んでいる。だから近づくまでわからなかった。肩に掛かる雪のようなそれに。
そのひとはふとこちらを見つめた。そしてサリュを見とめると微笑みを浮かべた。
「やぁ、おはよう」
高いが男性の声だった。同じくらいの背格好の青年。彼はゆっくりと白いフードを頭に掛けた。
「おはよう、早いね」
なんとかそれだけ言い返すと、また意識は彼の観察に戻ってしまう。フードの間からのぞく白銀の髪。白い肌に唯一の色を残す青い瞳は、引き込まれるような深みがあった。
「…なに」
青年は不思議そうにまた笑う。
「君は…白いね。真っ白だ」
少し躊躇ったが、それ以上の適当な言葉は見つからなかった。
「うん、白い。…」
視線を感じた気がしてサリュは咄嗟に頭を押さえた。フードが…ない。隠すことを忘れていたことに今更ながらに気づいた。
急いでフードをかぶる。
向かい合って立つ顔を隠した二人の青年。
「隠さなくてもいいよ。僕はその色が好きだ」
青年は静かにそう言った。
「えっ、と。そっか、ご、ごめん」
「どうして謝るんだい? 君がその色をどう思ってるかも、どうして隠すのかも大体は察しがつく。僕はその様な輩ではないから、気にすることはない」
「…うん」
青年はどこか不思議な雰囲気を纏っていた。青年の周りは冷たく冷えている。そんなはずはないが、そんな気がした。
「君はどうしてここへ?」
気がついたときには言葉が口を離れていた。その白い姿は朝の空気に溶け消えてしまいそうで、引き留めようとでもしたのだろうか。
青年は泉の柵にもたれ掛かる。古びた柵がキシリと立てた音がやけに澄んで響く。
「鏡を探しているんだ」
「鏡?」
「大きな鏡だよ。この泉よりもっと」
青年は上体を捻り泉を視線で示す。
「見てごらん」
近づくとやけにはっきりと周りの景色の様子が泉に映り込んでいた。それはまさに天然の鏡と言うにふさわしい光景。
「その泉はどこまでも澄んでいて鏡のように光が跳ねる。中を決して見せようとしないそうだ。まるで、古の竜を隠すように」
青年は悪戯っぽく笑う。
「そんな、竜だなんて」
「いいんだ、そんなこと。そこにいなくてもいづれ」
「どういうことだい?」
青年は答えない。どこか遠くを見つめながら
「僕らは出会うのだから」
そう呟いたかと思うと彼は背を向けて歩き出した。
「どこにいくの?」
「村を出るよ。ここにいては眠ってしまいそうだ」
「ね、ねぇっ、ちょっとっ」
青年は足を止めた。首だけで振り返る、がその顔はフードに隠れている。
「…君はいったい」
「ゼンだ…覚えていても忘れてくれても構わない。好きにしてくれ」
その言葉を最後に突然白い靄が青年を包み込んだ。うっすらと残る後ろ手が手を振った次の瞬間には青年の姿はなかった。
「記憶が飛ぶ?」
「はい。いつの間にか知らない場所にいて、知らない人と話してて。さっきまで何をしていたのかも思い出せない。そういうことがよくあるんです」
それはまるで場面が切り替わるように一瞬にして世界が変わってしまう。場合によれば全く馴染みのないものに囲まれていることもある。だからこそ最初はどうしようもない不安に怯えていた。
いつ消えるかもわからない脆い記憶で旅をするのは危険だった。自分が今どういう状況におかれているのか、消えた記憶が長いときに至っては推測することも困難だった。何度か騙されたことも、金を奪われたこともある。そのこともあり、記憶が消えた後は全員が怪しく見えてしまう。
今でこそ大体の話には合わせられるようになったが、それでも消えてしまったときの不安はどこにも捨てることができなかった。
「これが僕が賢者を探す理由です」
そう、この事態をどうにかできるのは賢者しかいないのだ。町医者では原因不明で手を振られてしまう。状況は何も変わらなかった。それでも、万事に通じると言われる賢者であればもしかすると。
しかし、あらゆる文献を探ってもその存在はどうにも不明瞭で、実在するのかどうかも怪しい。
「僕はこの病気を治したい。カルはそれに付き合ってくれているんです。僕のなくした記憶はいつもカルが埋めてくれる」
「あぁ、だからさっき」
「はい。僕には町を出てからの記憶がありません。僕はルビアナさんに挨拶をしていないし、ここまで歩いたことも、すでに一日経過してしまっていることも今はじめて知りました。それでも運が良かったのは、二人のことを忘れなかったことです」
説明は以上です、そう言ってサリュは笑った。
わかりきっていたことだが二人は困惑しているようだった。
「それっていうのは…その、次また記憶が消えたら俺たちのことも忘れるかもしれないってことか」
どこか遠慮がちにコーストは尋ねた。
「どうでしょう。僕にもわかりません。全部忘れてしまうので。覚えていないことも覚えていないんです。…だけど、カルの話だと一度に消える記憶というのはそう多くはないようなので」
カルが頷く。
「とりあえずは大丈夫ってことか」
サリュは頷かない。ただ笑みを浮かべるだけだった。
「それ以上は誰にもわかんねぇよ」
カルが助け舟を出す。
しばらくの沈黙の後、コーストは何かを振り払うように勢いよく首を縦に振った。
「…おう、わかった! 信じるよ。もしサリュが俺たちのことを忘れちまったら、また自己紹介から始めるさ」
なぁ、リファーナ? 不安の表情を向けるリファーナ近づき頭にポンと手を置くとコーストはにたりと笑う。答えるように彼の袖を握るリファーナは、それでもその言葉に信用はないようだった。
「だいじょーぶだ。何も心配するこたぁはないぜ」
「あぁ、まぁ俺もいるし、別になんとかしろということじゃない。知っておいてくれればそれでいい」
カルもまた、どこか冷めた表情で二人を気遣った。
結局村らしき場所にたどり着いたのは辺りが暗くなってからのことだった。山に入った四人は皆それぞれに文句をぶつぶつと呟きながら、時にぶつけながら、落葉や蜘蛛の巣を引っかけてようやくたどり着いたときには、ひとより大きなコーストの頭は小枝に引っ掛かったりだなんだでボサボサになっていた。
辺りには民家の光がポツポツと点在している。それほど家の数もなく、果たして宿があるのかさえ怪しかったが、辛うじて小さな宿は見つけられた。他の民家との差もなく、どうにも見つけにくい場所だった。
「あれぇ、お客さんかね」
奥から出てきたのは白髪混じりの髪を後ろで束ねた老婆だった。
「泊まりたいのですが部屋はありますか」
「あぁはいはい。ありますよ」
老婆はカウンターに入り、その内から台帳を取り出す。
「ここに名前と人数をね。最近多いものだから把握しきれなくてねぇ」
「僕たち以外に誰か?」
「えぇいますよ。男の方が一人と小さなお子さんが。昨日からねぇ。こんな山奥に最近は珍しくひとが多いんですよ」
記入し終えると老婆は台帳を残したまま四人を奧へと案内した。
宿というような内装でもなく、どこかひとの家を間借りしたような感覚で案内された小さな部屋に腰を下ろす。
質素な部屋だ。特に飾りなどもなく大きめの窓がひとつとベッドが二つ。あとはクローゼットと壁に掛けられた鏡があるのみ。ベッドは、足りない分後で布団を用意してくれるそうだ。
隣で泊まっているのだろう、確かに幼い少女の楽しそうに騒ぐ声が聞こえてくる。
「こんなところに来るやつがいるなんてなぁ。やっぱりあれか、あの町の事件で逃れてきたやつらはここを通ったんだろうか」
「かもしれませんね。皆ではないだろうけど、最近増えたというならここを通ったひともいるんでしょう」
「主様も通ったかなぁ」
期待の顔でニヤリと笑うコーストを横目にカルが低く唸った。
「なぁ、早く飯に行こうぜ。婆さんが用意してくれてんだろ?」
「あぁ、そうだね。今日はもう早く食べて眠ろうか。きっと明日には出発するのだろうし」
サリュは荷物から着替えを引っ張り出すコーストを見て笑った。
太陽が顔を出すより少しだけ早く、サリュは目を覚ました。まだ皆眠っている。
ベッドのひとつはリファーナ、もうひとつはサリュが使っていた。リファーナは何となく優先され、残った方も何となくサリュに譲られたのだった。
再び眠る気にもなれずサリュはベッドを抜け出した。
ひ弱なことも時にいいことがある。柔らかいベッドで眠ったので疲れもとれたようだった。
足音を忍ばせて部屋を出ると朝のひやりとした廊下が新鮮だった。老婆はすでに起き出しているようで台所からは明かりと朝食の香りが漏れ出ていた。
足音で気づいたのだろう。老婆が台所から出てきてサリュを見つけた。
「あらあら、早いですねぇ。まだ朝食には少し時間がかかるんだけれども」
「お早うございます。大丈夫です。少し朝の空気を吸ってきます」
台所に戻っていく老婆を見送ってサリュは宿を出る。
太陽の気配が木々の向こうにあり、辺りは薄明かりに包まれていた。夜に見た光と同様に村は質素な様子だった。決して多くはない民家と畑が幾つか。中央には川が通っており、向こうの方には泉の様なものも見えた。木々に囲まれたのどかな風景が空気も綺麗にしてくれていた。
しばらく歩くとすぐに村の端についてしまった。やはり広い村ではなかった。予想より人は住んでいるようだったが、珍しいものはこれといってなく、のんびりと散歩をした。
少し明るくなったのでそろそろ戻ろうかとサリュが振り返ると、来る途中にあった泉のところに一人の人影があった。少し離れてしまったのでよくは見えないがどうやらカルたちではないようだ。
人影は伸びをした。こちらには気づいていないようだった。サリュは人影に向かって歩き出す。丁度少し人と話したくなっていたところだった。
人影は欠伸をした。その姿がはっきりと見えるようになると、サリュの視線はその髪の色に引き付けられた。
「白い…」
朝の白みを帯びた空気の中でも際立って白かった。そのひとはすべてが白だった。上から下まで白い服に身を包んでいる。だから近づくまでわからなかった。肩に掛かる雪のようなそれに。
そのひとはふとこちらを見つめた。そしてサリュを見とめると微笑みを浮かべた。
「やぁ、おはよう」
高いが男性の声だった。同じくらいの背格好の青年。彼はゆっくりと白いフードを頭に掛けた。
「おはよう、早いね」
なんとかそれだけ言い返すと、また意識は彼の観察に戻ってしまう。フードの間からのぞく白銀の髪。白い肌に唯一の色を残す青い瞳は、引き込まれるような深みがあった。
「…なに」
青年は不思議そうにまた笑う。
「君は…白いね。真っ白だ」
少し躊躇ったが、それ以上の適当な言葉は見つからなかった。
「うん、白い。…」
視線を感じた気がしてサリュは咄嗟に頭を押さえた。フードが…ない。隠すことを忘れていたことに今更ながらに気づいた。
急いでフードをかぶる。
向かい合って立つ顔を隠した二人の青年。
「隠さなくてもいいよ。僕はその色が好きだ」
青年は静かにそう言った。
「えっ、と。そっか、ご、ごめん」
「どうして謝るんだい? 君がその色をどう思ってるかも、どうして隠すのかも大体は察しがつく。僕はその様な輩ではないから、気にすることはない」
「…うん」
青年はどこか不思議な雰囲気を纏っていた。青年の周りは冷たく冷えている。そんなはずはないが、そんな気がした。
「君はどうしてここへ?」
気がついたときには言葉が口を離れていた。その白い姿は朝の空気に溶け消えてしまいそうで、引き留めようとでもしたのだろうか。
青年は泉の柵にもたれ掛かる。古びた柵がキシリと立てた音がやけに澄んで響く。
「鏡を探しているんだ」
「鏡?」
「大きな鏡だよ。この泉よりもっと」
青年は上体を捻り泉を視線で示す。
「見てごらん」
近づくとやけにはっきりと周りの景色の様子が泉に映り込んでいた。それはまさに天然の鏡と言うにふさわしい光景。
「その泉はどこまでも澄んでいて鏡のように光が跳ねる。中を決して見せようとしないそうだ。まるで、古の竜を隠すように」
青年は悪戯っぽく笑う。
「そんな、竜だなんて」
「いいんだ、そんなこと。そこにいなくてもいづれ」
「どういうことだい?」
青年は答えない。どこか遠くを見つめながら
「僕らは出会うのだから」
そう呟いたかと思うと彼は背を向けて歩き出した。
「どこにいくの?」
「村を出るよ。ここにいては眠ってしまいそうだ」
「ね、ねぇっ、ちょっとっ」
青年は足を止めた。首だけで振り返る、がその顔はフードに隠れている。
「…君はいったい」
「ゼンだ…覚えていても忘れてくれても構わない。好きにしてくれ」
その言葉を最後に突然白い靄が青年を包み込んだ。うっすらと残る後ろ手が手を振った次の瞬間には青年の姿はなかった。
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