人間の私

山田輝

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人間の私

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 私は、誰も居ない湖のほとりに立っていた。湖上の紅葉もみじが風に揺すられ、行ったり来たり泳いでいる。そうしていると、また風が吹き、より一層、湖を緋色ひいろに染め上げるのであった。

 私の父が死んでから随分と経った。父は、金品目当ての盗賊に殺されたのだ。

 私たちの家庭は決して裕福とは言えなかった。貧しい暮らしであった。しかし、年に一度、たった年に一度だけ、夕食が豪勢になる日があった。ーー私の誕生日である。

 私の村はそう大きくはないので、この日は隣町へ使いに行かなければならない。父は、その路の途中で襲われた。

 盗賊の男は、直ぐに捕らえられた。私は男に、なぜ殺したのか、と問うた。すると男は、窃盗をしなければ自分が飢えて死ぬのだ、と言った。私は続け様に、誰でもよかったのか、と訊いた。そして男は、誰でもよかったのだ、と答えた。私はーーああ、と思った。そして、心に黒々とした炎を覚えた。私は、悔しかったのだ。

 私の父を殺すことで、男は生き延びる可能性を模索した。一方、男が窃盗などせず、黙って野垂れ死んでくれれば、父は今も生きていた筈だ。よもや、この世に両者の生存は有り得なかったのである。

 結局、男は村の裁判にかけられ、逆さ吊りの刑に処される事となった。その断末魔だんまつまの始終を、私はただ見つめているのみであった。男は抵抗など一切しなかった。

 それから暫くし、私はもしかしたら、心の何処かで男を救いたかったのかも知れない事に気付いた。彼とて、生きる為に必死であったのだ。どうやら先の悔しさは、男が父を殺した事に対するものではなかったらしい。
 
 ーーこの湖の畔に立ち続けて、一体どれくらい経ったであろうか。辺りは暗くなり始め、風は冷たくひんやりとしてきた。この畔に居る人間は私だけだ。

 そう云えば、昔、異端とされ、処刑された者が居た。彼は常に、神など居らぬ、と呟いていた。もし神が居るならば、このような非情な事はせぬ、と彼は言った。その年の飢饉で、彼は家族を失っていた。

 そして彼は、人々から異端視され、忌み嫌われ、挙句あげく宗教裁判にかけられ、とうとう絶望の淵に死ぬ事となった。民衆は恐れたのだ。唯一の心の拠り所が揺らぐのを。ーー孤独な心が、人を殺したのだ。

 民衆は、神の否定を恐れた。一方、彼は、神の肯定を恐れた。詰まるところ、民衆も彼も、本質的には何の違いも無いのである。深い所で、同じ旅路をゆく、虚しい旅人なのだ。

 ところで、私の村には牛や豚の肉を食う人々がいる。私もその内の一人だ。我々は、平然と彼らの肉を食う。そうでもしないと、餓死してしまうからだ。

 しかし彼ら獣とて、生きてゆく為に他の生物を死に追いやる事は、往々にしてある。そして、その時死に追いやられた別の生物もまた、他を退けながら生きてきたのだ。こうして、脈々と受け継がれてきた幾千年いくせんねんの孤独の延長線上に、我々は立たされているのだ。

 人間だけでは無かった。孤独なのは、人間だけでは無かったのだ。この星に生きとし生けるあらゆる生命、全て孤独であった。なるほど、先の私の悔しさは、皆同じ路を歩きつつ、互いにしいたげ続けなければならない、非情な運命に対するものであったのか。

 ーーもはや、湖畔こはんは闇に包まれていた。この辺りはさほど開拓されておらず、灯りのひとつとして見えない暗さなのだ。
 
 私はそろそろ村に帰ろうかとも思った。そうして湖を背にした時だ。森の方から、何者かのうごめく気配がした。人らしくはないが、こちらに向かって駆けて来る。それ程距離は近くはなかったが、非常に素早い。草をわける音は次第に大きくなる。そして、私はようやくその正体を捉えた。ーー狼であった。

 狼は飢えているらしかったが、そう思う間にその狼は私の脚に喰いかかった。狼の目は血走っている。私は何とか振り払おうと懐の短刀を手に取ろうとした。しかし、やめた。次は自分の番なのだと思った。役目を果たす時が来たのだ。この狼には、同じく飢えている家族がいるのだろうか。そして私が死んだ後に、皆で久々の晩餐ばんさんを囲うのだろうか。そして命を繋ぎ、長く生きた後でまた、別の生命に取って喰われるのだろうか。死ぬ恐怖とやらは全くなかった。人間は人間、狼は狼、鳥は鳥ではないのだ。今までずっと、この星の皆で次の世代に生命を継承してきたのではないか。ああ、それが今回はここに居るこれっぽっちの私の番。今この星にある生命は皆、過去の者に生かされている。種が途絶えた者もあろう。彼らは天から見守ってくれているだろうか。

 いよいよ人生の幕を閉じるかという時、自分でも何を思ったのかわからない。咄嗟とっさに懐から短刀を取り出し、かの狼を切りつけていた。狼は血を流して横たえた。私の目には涙が溢れた。何処どこの狼かも知らぬ狼よ、すまない、すまない。全く、私という人間はつくづく自分勝手だ。この土壇場において、生きることを選択したのだ。全く自分勝手であった。この星の生命は平等だと言っておきながら、人間の私は自分を生かしたいのだ、昔からずっと。私は喰いちぎられた脚を引きり、湖の前まで行くと嗚咽おえつした。
 
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みんなの感想(3件)

はるまちゃ
2019.05.09 はるまちゃ

羅生門みたい

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ユウイ
2019.04.20 ユウイ

全体の印象としては文章も伝えたいことがまとまっていて読みやすかったです。
気になった点としては、灼熱の炎という表現なのですが恨み、悔しさを醸し出すには怨嗟の炎などの方がストレートに伝えられるのではと思いました。
私は小説などには疎い方なので参考程度に考えて頂ければと思います。
これからの躍進に期待してます。

2019.04.20 山田輝

丁寧なご感想ありがとうございます!
ユウイさんのご意見、とてもおもしろいなー、って思いました。意見を頂いたからって、すぐ変えるのもどうなの?って問題がありますが、今回はめちゃくちゃ的確な指摘だったので、是非修正させて頂きます!

解除
春山 一貴
2019.03.13 春山 一貴

私は一匹犬を飼っているのですが、
より一層命を大切にしていこうと思わせてくれる作品だったと思います!

2019.03.14 山田輝

感想ありがとうございます!
そのワンちゃんにも長生きしてもらいですね!

解除

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