一畳半のボート

山田輝

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一畳半のボート

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 ピクニックに行きたいと言い出したのは、彼女の方だった。自作のお弁当を、僕に振る舞いたいからだという。彼女と付き合い始めてから、一ヶ月経ったが、彼女の手料理を食べたことはなかった。一体彼女はどんなお弁当を作ってくれるのだろう? 料理の腕前はどうなんだろう? いくつかの疑問が、頭の中に浮かんでは消える。彼女のお弁当に対する好奇心や期待感は、インドア派の僕がピクニックへ出掛ける理由としては、もう十分であった。

 ピクニックの舞台には、都内の公園が選ばれた。この公園には、ボート乗り場が設けられるくらい大きい池がある。真っ白い夏雲をバックに、黄緑から深緑までのグラデーションの新緑が生い茂っている。大きく息を吸い込めば、ほのかに土の匂いがした。ああ、気持ちがいいと思ったそのとき、

「こういう、ザ・アウトドアみたいな場所もいいでしょ!」

と彼女が顔を覗き込んできた。慌てて頷く僕を見て、彼女は笑った。

「さっそく食べよー!」

そう告げる彼女に先導され、僕たちはベンチに腰掛け、膝にお弁当を乗せた。パカッと蓋を開けると、夏のぬるい風に乗って、お弁当の香りが漂ってくる。

「「いただきまーす」」

最初に目に付いたのは玉子焼きだった。美味しそうに丸みを帯びたそれを口の中に放り込む。僕は咄嗟に、

(甘い・・・・・・!)

と感じた。僕の家族はしょっぱい玉子焼きが好みだった。だから、しょっぱい玉子焼きを食べて僕も育ってきたのだ。どこかで口にしたことはあるのだろうが、初めて食べる味な気がした。甘い玉子焼きもアリだと思いながら、自分とは真逆の性格だからこそ、彼女に強く惹かれたことを思い出した。

 お弁当を食べ終わった僕たちは、公園内をふらふらっと散策した。誰が仕組んだ訳でもないが、予定調和のように僕たちはボート乗り場の前に来ていた。彼女がそれに乗りたいという顔をしていることは、言うまでもない。受付で料金を払うと、僕たちは、一畳半もあるかどうかのボートに乗り込んだ。

オールを握っているのは彼女の方だ。普通こういうのは、男の僕が漕ぐものだと思うが、彼女はそれを積極的に嫌った。

「楽しい! けどけっこう疲れるよ。交代!」

十メートルくらい進んだところで、彼女は僕にオールを渡してきた。意外だと思った。僕の知っている彼女なら、飽きるまで徹底的に漕いでいる。少なくとも、数十メートルは漕ぎそうなものだった。この小さなボートの上に、まだ知らない彼女がいることを知った。

オールを貰うと、僕も精一杯漕ぎ始めた。しかし、思うように前に進まない。左右の力を均等にして、絶妙なタイミングで漕がなければ、推進力は生み出せない。頭では分かっているのだが、実際にやってみるとぎこちない。必死な姿の僕を見て、彼女はクスリと笑った。僕も自分の必死さに気付き、恥ずかしくなった。それを悟られないように、俯いて、より必死に漕いでいる素振りを見せる。今の僕たちの距離は、まさに一畳半だと思った。僕たちはこれからお互いのことを知っていくのだろう。どんなに時間を掛けても近付いていく。そんな僕たちを乗せたボートからは、少しの推進力を感じた。
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