オフィーリアたちの夜会

平坂 静音

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怖い所へ 一

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 意味が良くわからずとまどう由樹よしきに、美沙は苦い笑みを見せる。一瞬、五歳ほど歳を取ったように見えた。
「もしかしたら、井田さんがあんなことになったのは、やっぱりオフィーリアの役を演じたせいじゃないかなって気がしてきたの」
 邪気のない瞳に影がちらつく。
「オフィーリアって可哀想な女の子じゃん。あたし馬鹿だからそんなに本なんか読まないけれど、やっぱり興味あって『ハムレット』は読んでみたし、ほかのシェイクスピアの本もちょっと読んでみたの。学院の図書室には『ハムレット』が何冊もおいてあるし、シェイクスピアの本もいっぱいおいてあるの。めったに本読まない子も、やっぱりオフィーリア役が決まる十月と芝居をやる五月にはけっこう『ハムレット』の本読んだりするし、漫画で描かれたのもおいてあるから、桜庭の生徒なら、どんな馬鹿でも『ハムレット』だけは粗筋知ってるし、簡単な本や漫画なら読んだことあると思う」
 あたしみたいに、と美沙はつづけた。
 それこそ学院側の狙いだろう。そういうかたちで生徒たちに文学に興味を持たせ、情緒をはぐくむのが創立者の考えだったのかもしれない。賢明なやり方だ。
「オフィーリアって、なんか本当に不幸な子だなぁ、って思ったの」
 美沙はジュースをひとくち飲んでつづけた。
「ジュリエットみたいに自分で決めて自殺したわけじゃなくて、……なんていうの、ハムレットにいいようにされて、捨てられた、みたいな」
 捨てられた……。たしかにそう言える。由樹はむかし読んだ『ハムレット』の話を思いだして、内心うなずいていた。
「本読んでて、なんか嫌だなぁ、と思ったのは、ハムレット、自分のお父さんの復讐だけ考えて、ちっともオフィーリアのこと思ってやってないじゃない? 狂ったふりしてるんなら、そのことオフィーリアにだけは打ちあけたっていいと思うけれど。なんか、まるっきりオフィーリアのこと馬鹿にして相手にしてないって気がする。第一、オフィーリアって、ハムレットにとって恋人っていえるのかな? どこ読んでも愛してるって思えるような台詞ひとつもないんだよ」
 するどい考察だ。由樹はまたも内心、感心した。
「あたしオフィーリアが可哀想だなって思ったのは、オフィーリアが悲劇のヒロインじゃなくて、愛されなかったヒロインだからだと思う」
 茶色く染めた髪にくりくりした瞳、肩や脚がまる見えの、ちょっとお行儀悪いすがたの今どきの女の子。
 けれどその瞳には、由樹がすでにはるか遠くに置き去りにした切ない季節がやどっている。
 由樹は、恋愛感情というのとはちがうが、妙にこの少女に心惹かれるものを感じた。
「うーん。たぶん復讐のことで頭いっぱいだったんだろうね、ハムレットは。それと、自分の母親が叔父と結婚したっていうことで、女性嫌悪におちいっていたんだろうな」
 由樹はなにかで読んだ「ハムレット」にかんする評論をそのまま口にした。
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