三日月幻話

平坂 静音

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「なによ、わたしと別れるって言うなら、ローマの教皇様に告げ口してやるから! あんたがインポだって、世界中に知らせてやるんだから!」
「う、うるさい! 余が立たんのは、おまえが呪いをかけたからだ! げんに、他の女なら、立つんじゃぞ!」
 そこで、背景の黒幕にぼんやりともう一つの人形が浮かびあがってきました。同時に、王妃の人形は下がっていきます。
「王様。わたしの大好きな王様」
 妙に甘えた声で、新たな人形が王にすがりつくようにしてくっつきます。
「おお……余の愛しいアニエス」
 アニエス。偶然なのでしょうが、わたしはふと隣に立つアニエスの横顔を見ました。彼女の白い頬は、月光に妖しく光っています。
「待っていたわー、わたしの王様……フィリップ」
「おお、余の可愛いアニエス」
 二人、いえ二つの人形はくっついて大げさな愛の言葉をささやきます。フィリップとアニエス……。どこかで聞いた気がします。
 このお芝居は、何かの歴史物語をネタにしているのでしょうけれど、不勉強なわたしはなかなか思い出せません。
「おお、ほれほれ、お前となら立つぞ」
「あーん、うれしい!」
 観客の笑い声。
「まったく、おまえは、あの憎たらしいインゲボルグと違って、可愛いのぅ」
 わたしの背が一瞬、粟立ちました。
 インゲボルグ? 
 どこかで聞いた名前なのですが……。確かに歴史の本か何かで読んだ気がします。でも、たんにその名が記憶にあるというだけではない、奇妙な昂ぶりがわたしの胸を襲います。
 フィリップ、アニエス、インゲボルグ……。
 わたしは足元がぐらつくのを感じました。
 アニエス……。わたしは怖ろしくなって、隣のアニエスに救いをもとめるように声をかけました。
「アニエス、わたし、何だか変……」
 アニエスは妖しい微笑を浮かべました。
 夢の世界は一瞬にして壊れました。

 違いました。別の夢の世界が現れたのです。
 わたしは、気づくと牢獄にいました。
 身に着けているのは大昔の修道女のような黒い着物です。わたしは板の寝台に腰かけて、ぼんやりと座っていました。身体は震え、気分も悪く、自分は病気なのではないかと思いました。側には木の円卓があり、ひからびたパンのかけらがひび割れた皿に乗っていますが、随分時間がたっているのがわかります。
「ここは……どこなの?」
 両腕で自分を抱きしめ、そんな言葉をつぶやいていました。
「ご覧のとおり牢獄よ」
 いつの間にかアニエスが立っていました。
「わたし……ここで死ぬの?」
 アニエスは首をふりました。
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