龍蘭帝国奇談夜話

平坂 静音

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痴蝶戯画 十 終わり

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「その白粉を異国人から最初に買うようになったのは、ある大きな妓楼で人気の妓女でした。実を言うと」
 秀蘭先生はそこでまた長い眉をしかめた。その顔は医師というより、役者のようだと、黄風はこんなときだが内心、ため息をはきそうになった。
「最初に白粉に疑惑を持ったその医師というのが私の亡き師匠にあたる人でして、細かい話を日誌に記しており、師の日誌には……その妓女は、途中から白粉が毒になることに気づいていたのではないか、とあるのです。気づいていながら、妓楼の主の妻にすすめたり、宣伝のために朋輩に安く売っていたのではないか、と。まぁ、大人なら、それほど害はないかもしれませんが、妓楼主の妻は病弱だったそうですからね。しかもその妓女、その主の妻が病気で亡くなった後、楼主とのあいだに子どもを生んで本妻におさまったそうで」
 医師の仕事場の土間でその話を聞きながら、黄風は背に冷風を感じた。ふと見ると、となりに座っている春玉の顔も青ざめている。
「その妓楼は、なんという名前なのですか?」
 春玉の問いに一瞬、秀蘭医師は口ごもった。
「……当時は《夜蝶楼》という名でした」

「そんなことって、あるんでしょうかね、お嬢様?」
 傾きはじめた日を背に、二人はとぼとぼ歩いていた。
「私も信じたくないけれど……。都で起こった事件についていろいろ記されていた書物に目を通したことがあるの。秀蘭先生がおっしゃっていたのと同じ話が載っていたのよ。異国の化粧品がはやって、幼児の死が増えたと。それで、坊やの首あたりに白粉がついているのを見て、もしやと思ったの」
 書物には、事のあらましの横に、蝶の模様が描かれた白粉の器の絵が描かれてあった。
 その絵は、料亭の椅子の背もたれに描かれたものとそっくり同じだったのだ。
「お嬢様……どうします?」
 白粉にふくまれている鉛は、健康な大人なら長期にわって使用しなければ、さほど害はないだろうけれど、赤子や幼児には充分危険性があるという。子を抱く母親の首や胸から、ふんだんに子の鼻や口に毒が入っていく。
「ほうっておくわけにはいかないわ。明日にでも眉雪さんに会わないと」
 本当は今すぐ眉雪に知らせたほうがいいのだろうが。
「……でも、お祖母さんが、血のつながった孫たちに……まさか、わざとそんなこと」
 言いながら黄風は、かつて聞いた昔話を思い出した。息子である皇帝にふさわしくないと判じた妃に毒をあたえた皇太后の話……。
 子どもが育たない家というのは、たしかにあるものなのだ。
 先夏さきなつの夕暮れどき、十六歳の春玉と十四歳の黄風は、首筋にひんやりした風を感じながら家路を急いだ。

                                 終わり
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