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門の向こう 一
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双珠楼秘話
「輪花、本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ、緑鵬兄さん。心配しないで」
輪花は幼馴染みに向けてせいいっぱい微笑んでみたつもりだが、不意に涙ぐみそうになって、あわてて目をそらした。そらした目線の先には、純白の夏椿の花が今を盛りに咲き誇っている。広々とした庭園のなかを歩き進みながら、輪花は庭の花に見とれているふりをした。
「心配だな。おまえに女中の仕事なぞ出来るかどうか……」
「あら、大丈夫よ。私、こう見えても身体を動かすのは好きなのよ」
言っていて自分でも白々しく聞こえて面映ゆくなる。深窓の令嬢とまではいかぬものの、中流家庭の子女としてそれなりに大事に育てられた輪花は、外を出歩くことも少なく、いつも家のなかで刺繍や読書をして過ごし、身体を動かすことなどあまりなかったのだ。
「うちに……、もう少し余裕があったら、おまえ一人ぐらい、いつまでも養ってやれるんだが……」
緑鵬が男らしい濃い眉を憂いにしかめた。
数日ほどまえ十七になったばかりの緑鵬は、この春から〝進士〟の資格をとるため都にあがって勉学に励むことになっており、地方の中流官吏である緑鵬の父親にとっては、この留学の費用を捻出するのは大変だった。いつまでも輪花が緑鵬の家に世話になっているわけにはいかない。
輪花がかるく首をふると同時に、黒髪をたばねている薄桃色の飾り紐が輪花の白い項あたりで揺れ、それを見る緑鵬の目は、気のせいか潤んだように光る。
「五歳のとき親を亡くしてから、もう十年も兄さんのお宅でお世話になっていたんですもの。いつまでも甘えていられないわ。そろそろ自分で頑張らないと」
「そうか……。そうだな、輪花も、もう十五、いや、もうすぐ十六になるんだったな。……本当なら、嫁入り先を捜さなければならないのだが……」
やはり薄桃色の衣のなかで、輪花の胸がきしんで悲鳴をあげそうになった。
「嫁入りだなんて。そんなこと言える立場じゃないわ」
輪花はひっしに笑顔を作った。気をぬくと泣いてしまいそうで怖い。
「……しかし、本当に見事なお屋敷だな、呂家は。古いとはいえ、さすがに名門の家だ」
言葉の後半は声をひそめつつ、緑鵬は賛美した。実際、庭は本当に広いのだ。門を入ってからかなり歩いたような気がするが、それでも家屋は遠い。
庭木の緑葉がどこまでも空をおおい、石畳は果てしなく長く、まるでどこか違う世界へと続いているようだ。昔話に聞く深山の秘園に迷いこんだ旅人の気分に、二人ともなってきた。
「輪花、本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ、緑鵬兄さん。心配しないで」
輪花は幼馴染みに向けてせいいっぱい微笑んでみたつもりだが、不意に涙ぐみそうになって、あわてて目をそらした。そらした目線の先には、純白の夏椿の花が今を盛りに咲き誇っている。広々とした庭園のなかを歩き進みながら、輪花は庭の花に見とれているふりをした。
「心配だな。おまえに女中の仕事なぞ出来るかどうか……」
「あら、大丈夫よ。私、こう見えても身体を動かすのは好きなのよ」
言っていて自分でも白々しく聞こえて面映ゆくなる。深窓の令嬢とまではいかぬものの、中流家庭の子女としてそれなりに大事に育てられた輪花は、外を出歩くことも少なく、いつも家のなかで刺繍や読書をして過ごし、身体を動かすことなどあまりなかったのだ。
「うちに……、もう少し余裕があったら、おまえ一人ぐらい、いつまでも養ってやれるんだが……」
緑鵬が男らしい濃い眉を憂いにしかめた。
数日ほどまえ十七になったばかりの緑鵬は、この春から〝進士〟の資格をとるため都にあがって勉学に励むことになっており、地方の中流官吏である緑鵬の父親にとっては、この留学の費用を捻出するのは大変だった。いつまでも輪花が緑鵬の家に世話になっているわけにはいかない。
輪花がかるく首をふると同時に、黒髪をたばねている薄桃色の飾り紐が輪花の白い項あたりで揺れ、それを見る緑鵬の目は、気のせいか潤んだように光る。
「五歳のとき親を亡くしてから、もう十年も兄さんのお宅でお世話になっていたんですもの。いつまでも甘えていられないわ。そろそろ自分で頑張らないと」
「そうか……。そうだな、輪花も、もう十五、いや、もうすぐ十六になるんだったな。……本当なら、嫁入り先を捜さなければならないのだが……」
やはり薄桃色の衣のなかで、輪花の胸がきしんで悲鳴をあげそうになった。
「嫁入りだなんて。そんなこと言える立場じゃないわ」
輪花はひっしに笑顔を作った。気をぬくと泣いてしまいそうで怖い。
「……しかし、本当に見事なお屋敷だな、呂家は。古いとはいえ、さすがに名門の家だ」
言葉の後半は声をひそめつつ、緑鵬は賛美した。実際、庭は本当に広いのだ。門を入ってからかなり歩いたような気がするが、それでも家屋は遠い。
庭木の緑葉がどこまでも空をおおい、石畳は果てしなく長く、まるでどこか違う世界へと続いているようだ。昔話に聞く深山の秘園に迷いこんだ旅人の気分に、二人ともなってきた。
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