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一夜妻
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「たぶん、これほどには辛いとは思わなかったろう」
花鈴はその言葉を喜んでしまっている自分に気づいた。
(わたしって……嫌な女……)
そんな花鈴の想いを知ってか知らず、秋封はあらたな吐息を薄闇にこぼす。
「わたしは、卑怯な人間なのだ」
「そんなこと、ありませんよ」
欲望や保身、嫉妬、邪な感情は人間だれしも多少は秘めているものだ。すくなくとも秋封はそのことを認め、恥じ入る品位をちゃんと備えている。
「小心で、世間知らずで……今の状況は、結局は自分の甘さと愚かさから招いたものかもしれない」
「まさか」
「いや。我が家が失権したとき、世間のなかにはそれを喜ぶものも大勢いたのだ。やはり時流に乗っていたとき、それに胡坐をかいて傲慢になっていたのかもしれない」
「お父様はご立派な方だったと聞きました」
「それも人によっては、独善的だと言う人もいる。他者に厳しすぎるところもあった」
「そんなに、ご自分たちを責めないで」
花鈴は思わず秋封の夜目にも判じられるほどの濃緑色の袖をとった。
月の女神が下界にとどけた鈍色の光が花鈴の白い頬に落ちる。庭の花梨の花が、案じるように夜の微風に薄紅色の花弁をゆらす。
(後悔する。わたしは、きっと後悔する……)
桜玉のきつい、けれど純情な瞳が、悔しげに潤む。遣り手婆の眉が怒りにゆがむ。面紗の向こうで楼主がため息をはく。それら幻をすべて振りはらって花鈴は秋封の腕をつよくにぎった。
「若様」
秋封はまぶしいものでも見るように花鈴の顔を見る。
(いいわ。後悔したって。今、こうしなければ、また別の後悔にさいなまされて生きることになるのだもの)
意を決して花鈴は唇を噛んだ。
「秋封様、とお呼びしていいですか?」
秋封は凛々しい眉をかすかに寄せた。
「だめだ」
一瞬の沈黙。
それにつづく、どちらが吐いたかとわからぬ甘い吐息のこぼれる音。
「秋封様ではなく、秋封と呼んでくれ」
気を利かせるように月の女神は雲の面紗をかぶって見ないふりをしてくれた。ふたりは、深まる闇のなかで互いの唇のやわらかい感触を味わった。風も止み、庭の花梨の花はあきらめたように、揺れるのを止めた。
歓楽の都で連綿と語り継がれてきた、愚かで未熟な恋人同士の、ありふれた物語がまたひとつくりかえされ、その夜かぎりの新郎はやはり一夜だけの新妻にいざなわれ、翠の帳もあざやかな真紅の閨に通された。
花鈴はその言葉を喜んでしまっている自分に気づいた。
(わたしって……嫌な女……)
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「わたしは、卑怯な人間なのだ」
「そんなこと、ありませんよ」
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「小心で、世間知らずで……今の状況は、結局は自分の甘さと愚かさから招いたものかもしれない」
「まさか」
「いや。我が家が失権したとき、世間のなかにはそれを喜ぶものも大勢いたのだ。やはり時流に乗っていたとき、それに胡坐をかいて傲慢になっていたのかもしれない」
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「そんなに、ご自分たちを責めないで」
花鈴は思わず秋封の夜目にも判じられるほどの濃緑色の袖をとった。
月の女神が下界にとどけた鈍色の光が花鈴の白い頬に落ちる。庭の花梨の花が、案じるように夜の微風に薄紅色の花弁をゆらす。
(後悔する。わたしは、きっと後悔する……)
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「若様」
秋封はまぶしいものでも見るように花鈴の顔を見る。
(いいわ。後悔したって。今、こうしなければ、また別の後悔にさいなまされて生きることになるのだもの)
意を決して花鈴は唇を噛んだ。
「秋封様、とお呼びしていいですか?」
秋封は凛々しい眉をかすかに寄せた。
「だめだ」
一瞬の沈黙。
それにつづく、どちらが吐いたかとわからぬ甘い吐息のこぼれる音。
「秋封様ではなく、秋封と呼んでくれ」
気を利かせるように月の女神は雲の面紗をかぶって見ないふりをしてくれた。ふたりは、深まる闇のなかで互いの唇のやわらかい感触を味わった。風も止み、庭の花梨の花はあきらめたように、揺れるのを止めた。
歓楽の都で連綿と語り継がれてきた、愚かで未熟な恋人同士の、ありふれた物語がまたひとつくりかえされ、その夜かぎりの新郎はやはり一夜だけの新妻にいざなわれ、翠の帳もあざやかな真紅の閨に通された。
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