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薔薇の庭 一
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「マルゴ、クララお嬢様がどこへ行ったか見ていないかい? もうすぐピアノのレッスンだというのにどこにもいないんだよ」
女中頭のベルトの声にマルゴは首をふった。
「お庭へ逃げ出して蝶々でも追いかけているのかも」
本当にしょうのないお嬢様だとマルゴは溜息をつきながらも、仕方なく庭へクララをさがしに行く。
初夏の光を受けて、庭の薔薇園は満開である。赤、白、黄の薔薇が妍を競っているが、見とれている暇は女中にはない。
「お嬢様、いらっしゃいますか? もうすぐピアノのレッスンですよ。先生がお待ちかねですよ」
くすくす、と聞こえてきた笑い声をたよりに足をすすめ、四阿にたどり着いたマルゴの視界に、クララのまとっている白いアフタヌーンドレスが、ちらりと蝶の羽のようにきらめく。
「お嬢様、何していらっしゃるんですか?」
「ふふふ。かくれんぼ」
マルゴは呆れた、と言わんばかりに首をひねってみせた。
「それどころじゃないでしょう? 先生が待っていらっしゃるんですよ。もう、十六だというのに、いつまでも子どもっぽいことを」
「そういうマルグリット、お前だって同じ十六じゃない? 生まれたのはわたしと二日違い」
マルゴの本名はマルグリットだが周囲は皆マルゴという通称で呼ぶ。クララは時折マルゴをからかうとき、あえて本名のマルグリットという名で呼ぶ。
今もそう言って笑うクララの長い金髪に、黄金の粉のような陽光が降りそそぐ。白い肌は搾りたてのミルクのようで、大きな真珠のような顔に、夏空色の澄んだ青い瞳がきらきらと夢見るように輝いている。つい、ゆるんでしまいそうになる頬をマルゴは必死に引き締めた。
「私はお嬢様とちがって大人ですよ。働いているんですからね」
マルゴは両手を腰に添えて、胸をそらし、白いエプロンを、まるで兵隊の軍服のように誇らしげに見せびらかす。
「さ、ピアノのレッスンですよ。今度、お父様がお帰りになったとき、ちゃんと弾けるようになっておかないと」
「お父様、来月にはお帰りになるかしら?」
クララの目に父への慕情が浮かぶ。仕事で忙しい父は遠い巴里の街に住んでおり、田舎のこの屋敷へクララの顔を見に来るのは数ヶ月に一度である。
クララの母は、クララが三歳にもならないころ病で亡くなり、彼女が実家にいたころから小間使いとして仕えていたマルゴの母も、数年後にはまだ幼かったマルゴをのこして女主人のあとを追うように逝った。
女中頭のベルトの声にマルゴは首をふった。
「お庭へ逃げ出して蝶々でも追いかけているのかも」
本当にしょうのないお嬢様だとマルゴは溜息をつきながらも、仕方なく庭へクララをさがしに行く。
初夏の光を受けて、庭の薔薇園は満開である。赤、白、黄の薔薇が妍を競っているが、見とれている暇は女中にはない。
「お嬢様、いらっしゃいますか? もうすぐピアノのレッスンですよ。先生がお待ちかねですよ」
くすくす、と聞こえてきた笑い声をたよりに足をすすめ、四阿にたどり着いたマルゴの視界に、クララのまとっている白いアフタヌーンドレスが、ちらりと蝶の羽のようにきらめく。
「お嬢様、何していらっしゃるんですか?」
「ふふふ。かくれんぼ」
マルゴは呆れた、と言わんばかりに首をひねってみせた。
「それどころじゃないでしょう? 先生が待っていらっしゃるんですよ。もう、十六だというのに、いつまでも子どもっぽいことを」
「そういうマルグリット、お前だって同じ十六じゃない? 生まれたのはわたしと二日違い」
マルゴの本名はマルグリットだが周囲は皆マルゴという通称で呼ぶ。クララは時折マルゴをからかうとき、あえて本名のマルグリットという名で呼ぶ。
今もそう言って笑うクララの長い金髪に、黄金の粉のような陽光が降りそそぐ。白い肌は搾りたてのミルクのようで、大きな真珠のような顔に、夏空色の澄んだ青い瞳がきらきらと夢見るように輝いている。つい、ゆるんでしまいそうになる頬をマルゴは必死に引き締めた。
「私はお嬢様とちがって大人ですよ。働いているんですからね」
マルゴは両手を腰に添えて、胸をそらし、白いエプロンを、まるで兵隊の軍服のように誇らしげに見せびらかす。
「さ、ピアノのレッスンですよ。今度、お父様がお帰りになったとき、ちゃんと弾けるようになっておかないと」
「お父様、来月にはお帰りになるかしら?」
クララの目に父への慕情が浮かぶ。仕事で忙しい父は遠い巴里の街に住んでおり、田舎のこの屋敷へクララの顔を見に来るのは数ヶ月に一度である。
クララの母は、クララが三歳にもならないころ病で亡くなり、彼女が実家にいたころから小間使いとして仕えていたマルゴの母も、数年後にはまだ幼かったマルゴをのこして女主人のあとを追うように逝った。
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