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第Ⅰ章
蘭陵君初陣 一
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「柳営」は東夷八道の盟主「将家」の陣所あるいはその居所を意味する言葉であるが、転じて「将家」の御所のある都城そのものを指す。
将家の都城たる柳営は、三方が山、一方のみが海へと開く天嶮要害の地である。都を囲む山々は、街の外側の斜面を削り落とした十丈の岩壁となり、ここに設けられた街の出入り口は五つ、西の白虎門、北西の大門である双鳳門、北の玄武門、東の青龍門、東南の朱猿門、(柳営にはこの他に海中に立つ朱雀門があるが、儀式用のものであり城門には数えない。)そのことごとくが岩山を穿った洞門で、この五口を除いて陸側に入り口は無い。
柳営は「龍蟠虎踞(龍とぐろをまき、虎うずくまる)」と、永くその金城鉄壁ぶりを謳われてきた。とぐろを巻く龍とは、柳営を囲む山の峰々をめぐる岩を削りだした長城そのものを指し、一般の城門が敵を噛み砕くという願をかけ虎口と呼ばれるのに対し、柳営の五口のみは特に龍口と呼ばれる。五口の周囲は特に念入りに築城され、各洞門に近づくには山を削った切り通しを通らねばならず、しかも道の頭上には幾段もの岩棚を設けて守兵の足場とし、門に迫る敵勢の四方から矢石を浴びせかける仕掛けになっていた。この五口は、文字通りとぐろを巻いた胴から伸びる五つの龍頭というわけだ。噛み砕く力は虎ごときの比では無い。
将家の歴史とともにあるこの城壁は、幾度も敵を退け、将家と柳営の都を守ってきた。
五百年前、大陸(もろこし)全土を席巻し海を渡ってきた西戎の兵を阻み、東夷全土を守ったのもこの壁である。十万騎と号した西戎の大軍は、将家禁軍一万騎が守る柳営を囲んだが、岩壁から放たれた矢で動きがとれず、龍口を攻めては、山上から落とされた大石の下敷きとなり、五万余の屍を残して去っていった。この時、たたりを恐れた近在の百姓が、敵を供養した無数の石塔が街道沿いに並び、柳営を守った将家とその禁軍(旗本)の武威を後世に伝えるものとなった。「柳営を攻めに街道を上るものどもは、石塔の山を見て馬首を返す。」と謳われる。
しかしこの三百年、どの家も寸土を争い、戦を繰り返す中、東夷八道の主、大君将家の武威は地に落ち、将家と柳営の都は世から半ば忘れられた存在となって久しい。柳営を囲む龍は眠りにつき、石の城壁は鬱蒼と茂る木々に覆われた。五口の洞門に設けられた城門のみが、旅人をあらため、盗賊、浮浪人を取り締まり、乱世とこの街を隔ててきた。嵐は街の外に渦巻き、戦の風は時に全てのものを薙ぎ倒したが、街を囲む山々を越えては、微風たりとも吹き込みはしなかったのである。
三百年にわたった龍の眠りを覚ました男がいる。将家太宰東条衛である。当主欽宗の許しを得ると、領内の民を募って長年にわたって城壁を覆っていた竹木を切り、降り積もった土を払い落とした。峰々には箭楼・炮楼を配し、山の頂には必ず鼓楼を設けた。太宰は龍を覚ましたばかりではない。柳営の街の外にあった将家のべっそう別業で勅使供応の施設でもある鴻館に、新たな塁濠を付し、四周を囲んだ蓮池を浚って、出城に変えてしまった。
「国家危急の時」十一月に将家当主欽宗の令を記した高札が、将家領内の村々に掲げられた。領内の百姓総てに、田の刈り入れが済み次第、家族・糧食とともに、柳営の壁の内側に入ることが命じられた。万に一つ、村に残れば、敵の人狩りに遭うという。刈りきれなかった田には火が放たれた。既に多くの領民が、翌年の年貢免除を条件に、柳営の普請にかり出されてもいる。三百年、諸道を覆い総てを焼き尽くすかに見えた戦乱は止みつつある。戦乱を止めることもできず、世から忘れられたような将家と柳営の街に何故緊張が奔るのか。
敵は、河中道の太守であり、東夷八道のうち七道の実質上の支配者になりつつある安家その当主広起。安家が将家から正式に領を認められていたのは、河中道十三郡のうち三郡にすぎない。累代の当主は戦乱の中、その版図を拡げ、広起の祖父の代には河中道のほぼ全域を手に入れた。当代の広起は、安家の歴代中一際抜き出た傑物である。十の幼さで逆臣に父を殺され、幼君として家督を継ぐや、賢臣の助けもあったが、瞬く間に逆臣を誅して、旧領を回復、河中道の太守を名乗った。長じては、東夷諸道にとっては不倶戴天の敵ともいえる西戎と通じ、入手した鉄炮、子母砲、大船をもって諸道を切り従えつつある。
広起は、昨年「天王」を称した。仏道で「王」は大陸(もろこし)におわす仏法の守護者、十善の君たる金輪聖王のみに許された称号、そして「天」とは宇宙、仏法を守る諸神、時に仏そのものを意味する言葉である。どちらにしても人に使って良い字などではない。諫めた家臣や僧は、耳を切られ、鼻を削がれ、あるいは生きながら焼き殺されたと聞こえている。天魔といい、また人妖と呼ばれる安広起。形ばかりとはいえ金輪聖王から東夷の主に任じられている将家としては、詰問の使者を送らざるをえない。が、安家当主の返答は意外なものだった。
「将家、ご謀反」
将家が大陸の聖王に使いを送って十万の援兵を乞い、安家を滅ぼし、再び八道の君主たらんとしているというのだ。名目ではあるが、将家は八道の君、「君主の謀反」など聞いたこともない。十万の援兵など言いがかりに過ぎない。どこにいるというのだ。将家の側は弁明に努めたが、広起は聞く耳を持たない。使者に立った虎城山寺住持の道了によれば、使者の倣い、切られることなく帰ってきたが、首だけになって帰ってきた方がましという有様であったという。広起に面会を申し込んだが、本来上座にあるべき将家の使僧が、諸道諸郡の太守が居並ぶ中、下座に座らされ、年若い広起にありもしない将家の罪をなじられ、散々面罵されたと憤った。既に、東夷の主は自分であると諸道に公然と示して見せたのである。
将家の先祖が東夷に降臨して千百年余、大君たる将家の主を自らの傀儡(くぐつ)と操った奸臣、また時の大君を殺した逆臣が出なかったわけではない。そして今、将家がかつての力を失い、麾下が相い喰む戦乱を止めることも出来ないまま、城壁の中にこもっていたことも確かである。しかしここに初めて、名実ともに東夷八道の君に成ろうという者が現れたのだ。
十一月はじめ、天王広起の名で将家討伐の命が発せられた。安家本軍の出陣は、翌十二月である。諸道を平らげた安家直卒の兵三万、主兵は鉄炮、三間もの長槍、これに大鉄炮、修羅に載せた子母砲、西戎が蕃地から連れてきたという毛人の兵が続く。麾下に従う家は、南海道を除く、七道の大小名のほとんどで、その数十八万。これも続々と柳営に向かった。安家麾下の諸家、ほとんど総てが、かつての将家の臣であったと言って良い。中には、管、鳩、立の三家、三宰相家と呼ばれた将家太宰歴任の家を含め、降臨以来の名族が多数含まれていたが、今や皆新しい主安家への臣従と忠誠とを誓う身となっていた。
領境を侵した諸道の兵が、続々と柳営周囲の山野に布陣を始めた。軍勢を見る限り、安家も麾下の諸家も謳われる石塔の山を怖れた様子は無い。柳営五口のいわば正門である双鳳門の先、東西へ通じる街道に接する将家の別業鴻館──もっとも、条衛の命により周囲の蓮池を浚い水濠とし、四門の前に月城(堡塁)を付けて出城としてあったが──は、先陣鳩家五千の急襲を受け、二刻と持たず壊滅した。
御殿の大屋根に火が懸かり、その焼け落ちるのが見えると、鴻館と双鳳門を結ぶ大路に甍を連ねていた伽藍の僧侶達が恐慌をきたし、双鳳門の前へと逃げ寄せてきた。敵の間者が混じる。あるいは、敵に付け入りを許すことを危惧する将もいたが、条衛は二百の兵を殿軍に出し、その尽くを城壁の内へ入れた。これが十二月十日のことである。
鴻館陥落の三日後 、焼け落ちた別業の塁上には、主将安家の蚩尤赤旗が翻り、本陣が鴻館の濠内に入ったことを敵味方に知らせた。濠の内外に広がる安家の兵三万の前には、東国でも強兵で鳴る菅家一万余の軍、柳営西方の白虎門前には立家同じく一万、双鳳門の隣、北方玄武門への坂には鴻館を陥した鳩家五千、東方青龍門には萬家と中家合わせて九千、東南の朱猿門には海際をつたって柴家七千がせまる。それぞれ一道の太守かそれに匹敵する数郡を有する領主である。他の諸家はその後方を固めるため、柳営を囲む山々に陣を置き、その総数九万八千に達した。
残る諸家の軍も続々と着陣しつつあったが、五口に陣立てを終えた菅家等六家は、早急の城攻めを主張した。将家は領内ほとんどの民と糧食を柳営の壁の内に取り込んでいた。田畑には火を放って空野としてあり、諸家の軍勢はここから兵糧を得ることはできなかった。兵糧は各家の自弁、どの家とも連れてきた荷駄には限りがあるため、とても長期の城攻めを戦えるものではない。慌てて自領から兵糧を運ぶべく手配はしたが、遠国の領主ではとても間に合わぬ。十八万という諸家の軍総てが集まれば、事態は信じ難いほどにに悪化するだろう。陣立ての終わった今、すぐにも城を攻め落とす必要があった。金城鉄壁を謳われてはいるが、柳営の城は壁一重にすぎない。五口のうち一つを破ればよいのだ。
一方の柳営の街は、逃げ込んだ僧達を取り込んだ以外、なりを潜めて動かない。将家の禁軍三千八百余騎、将家家臣の部曲(私兵)は従者を含め七百余、諸家の軍には当たるべくもないので、領境での戦は最初から諦めている。柳営の民と壁の内に取り込んだ領民から歳十六に始まり五十に至る男衆二万六千余を徴用して守兵とした。数では守備側の条件を満たしたが、民の多くは武具の扱いを知らぬ者も多く、敵が来るであろう五口の守備には、禁軍と部曲のほとんどを充てるほか無い。五口五門にそれぞれ禁軍五百、禁軍以外の将家家臣とその兵二百から三十を配置した。百姓兵は禁軍の士三百を臨時の将として柳営を囲む長城に置き、箭楼・炮楼の禁軍三百をこの援護にあたらせる。残る禁軍の内五百を遊軍とし、二百を将家当主の護衛として御所とその背後虎城山寺に配してあった。
将家の都城たる柳営は、三方が山、一方のみが海へと開く天嶮要害の地である。都を囲む山々は、街の外側の斜面を削り落とした十丈の岩壁となり、ここに設けられた街の出入り口は五つ、西の白虎門、北西の大門である双鳳門、北の玄武門、東の青龍門、東南の朱猿門、(柳営にはこの他に海中に立つ朱雀門があるが、儀式用のものであり城門には数えない。)そのことごとくが岩山を穿った洞門で、この五口を除いて陸側に入り口は無い。
柳営は「龍蟠虎踞(龍とぐろをまき、虎うずくまる)」と、永くその金城鉄壁ぶりを謳われてきた。とぐろを巻く龍とは、柳営を囲む山の峰々をめぐる岩を削りだした長城そのものを指し、一般の城門が敵を噛み砕くという願をかけ虎口と呼ばれるのに対し、柳営の五口のみは特に龍口と呼ばれる。五口の周囲は特に念入りに築城され、各洞門に近づくには山を削った切り通しを通らねばならず、しかも道の頭上には幾段もの岩棚を設けて守兵の足場とし、門に迫る敵勢の四方から矢石を浴びせかける仕掛けになっていた。この五口は、文字通りとぐろを巻いた胴から伸びる五つの龍頭というわけだ。噛み砕く力は虎ごときの比では無い。
将家の歴史とともにあるこの城壁は、幾度も敵を退け、将家と柳営の都を守ってきた。
五百年前、大陸(もろこし)全土を席巻し海を渡ってきた西戎の兵を阻み、東夷全土を守ったのもこの壁である。十万騎と号した西戎の大軍は、将家禁軍一万騎が守る柳営を囲んだが、岩壁から放たれた矢で動きがとれず、龍口を攻めては、山上から落とされた大石の下敷きとなり、五万余の屍を残して去っていった。この時、たたりを恐れた近在の百姓が、敵を供養した無数の石塔が街道沿いに並び、柳営を守った将家とその禁軍(旗本)の武威を後世に伝えるものとなった。「柳営を攻めに街道を上るものどもは、石塔の山を見て馬首を返す。」と謳われる。
しかしこの三百年、どの家も寸土を争い、戦を繰り返す中、東夷八道の主、大君将家の武威は地に落ち、将家と柳営の都は世から半ば忘れられた存在となって久しい。柳営を囲む龍は眠りにつき、石の城壁は鬱蒼と茂る木々に覆われた。五口の洞門に設けられた城門のみが、旅人をあらため、盗賊、浮浪人を取り締まり、乱世とこの街を隔ててきた。嵐は街の外に渦巻き、戦の風は時に全てのものを薙ぎ倒したが、街を囲む山々を越えては、微風たりとも吹き込みはしなかったのである。
三百年にわたった龍の眠りを覚ました男がいる。将家太宰東条衛である。当主欽宗の許しを得ると、領内の民を募って長年にわたって城壁を覆っていた竹木を切り、降り積もった土を払い落とした。峰々には箭楼・炮楼を配し、山の頂には必ず鼓楼を設けた。太宰は龍を覚ましたばかりではない。柳営の街の外にあった将家のべっそう別業で勅使供応の施設でもある鴻館に、新たな塁濠を付し、四周を囲んだ蓮池を浚って、出城に変えてしまった。
「国家危急の時」十一月に将家当主欽宗の令を記した高札が、将家領内の村々に掲げられた。領内の百姓総てに、田の刈り入れが済み次第、家族・糧食とともに、柳営の壁の内側に入ることが命じられた。万に一つ、村に残れば、敵の人狩りに遭うという。刈りきれなかった田には火が放たれた。既に多くの領民が、翌年の年貢免除を条件に、柳営の普請にかり出されてもいる。三百年、諸道を覆い総てを焼き尽くすかに見えた戦乱は止みつつある。戦乱を止めることもできず、世から忘れられたような将家と柳営の街に何故緊張が奔るのか。
敵は、河中道の太守であり、東夷八道のうち七道の実質上の支配者になりつつある安家その当主広起。安家が将家から正式に領を認められていたのは、河中道十三郡のうち三郡にすぎない。累代の当主は戦乱の中、その版図を拡げ、広起の祖父の代には河中道のほぼ全域を手に入れた。当代の広起は、安家の歴代中一際抜き出た傑物である。十の幼さで逆臣に父を殺され、幼君として家督を継ぐや、賢臣の助けもあったが、瞬く間に逆臣を誅して、旧領を回復、河中道の太守を名乗った。長じては、東夷諸道にとっては不倶戴天の敵ともいえる西戎と通じ、入手した鉄炮、子母砲、大船をもって諸道を切り従えつつある。
広起は、昨年「天王」を称した。仏道で「王」は大陸(もろこし)におわす仏法の守護者、十善の君たる金輪聖王のみに許された称号、そして「天」とは宇宙、仏法を守る諸神、時に仏そのものを意味する言葉である。どちらにしても人に使って良い字などではない。諫めた家臣や僧は、耳を切られ、鼻を削がれ、あるいは生きながら焼き殺されたと聞こえている。天魔といい、また人妖と呼ばれる安広起。形ばかりとはいえ金輪聖王から東夷の主に任じられている将家としては、詰問の使者を送らざるをえない。が、安家当主の返答は意外なものだった。
「将家、ご謀反」
将家が大陸の聖王に使いを送って十万の援兵を乞い、安家を滅ぼし、再び八道の君主たらんとしているというのだ。名目ではあるが、将家は八道の君、「君主の謀反」など聞いたこともない。十万の援兵など言いがかりに過ぎない。どこにいるというのだ。将家の側は弁明に努めたが、広起は聞く耳を持たない。使者に立った虎城山寺住持の道了によれば、使者の倣い、切られることなく帰ってきたが、首だけになって帰ってきた方がましという有様であったという。広起に面会を申し込んだが、本来上座にあるべき将家の使僧が、諸道諸郡の太守が居並ぶ中、下座に座らされ、年若い広起にありもしない将家の罪をなじられ、散々面罵されたと憤った。既に、東夷の主は自分であると諸道に公然と示して見せたのである。
将家の先祖が東夷に降臨して千百年余、大君たる将家の主を自らの傀儡(くぐつ)と操った奸臣、また時の大君を殺した逆臣が出なかったわけではない。そして今、将家がかつての力を失い、麾下が相い喰む戦乱を止めることも出来ないまま、城壁の中にこもっていたことも確かである。しかしここに初めて、名実ともに東夷八道の君に成ろうという者が現れたのだ。
十一月はじめ、天王広起の名で将家討伐の命が発せられた。安家本軍の出陣は、翌十二月である。諸道を平らげた安家直卒の兵三万、主兵は鉄炮、三間もの長槍、これに大鉄炮、修羅に載せた子母砲、西戎が蕃地から連れてきたという毛人の兵が続く。麾下に従う家は、南海道を除く、七道の大小名のほとんどで、その数十八万。これも続々と柳営に向かった。安家麾下の諸家、ほとんど総てが、かつての将家の臣であったと言って良い。中には、管、鳩、立の三家、三宰相家と呼ばれた将家太宰歴任の家を含め、降臨以来の名族が多数含まれていたが、今や皆新しい主安家への臣従と忠誠とを誓う身となっていた。
領境を侵した諸道の兵が、続々と柳営周囲の山野に布陣を始めた。軍勢を見る限り、安家も麾下の諸家も謳われる石塔の山を怖れた様子は無い。柳営五口のいわば正門である双鳳門の先、東西へ通じる街道に接する将家の別業鴻館──もっとも、条衛の命により周囲の蓮池を浚い水濠とし、四門の前に月城(堡塁)を付けて出城としてあったが──は、先陣鳩家五千の急襲を受け、二刻と持たず壊滅した。
御殿の大屋根に火が懸かり、その焼け落ちるのが見えると、鴻館と双鳳門を結ぶ大路に甍を連ねていた伽藍の僧侶達が恐慌をきたし、双鳳門の前へと逃げ寄せてきた。敵の間者が混じる。あるいは、敵に付け入りを許すことを危惧する将もいたが、条衛は二百の兵を殿軍に出し、その尽くを城壁の内へ入れた。これが十二月十日のことである。
鴻館陥落の三日後 、焼け落ちた別業の塁上には、主将安家の蚩尤赤旗が翻り、本陣が鴻館の濠内に入ったことを敵味方に知らせた。濠の内外に広がる安家の兵三万の前には、東国でも強兵で鳴る菅家一万余の軍、柳営西方の白虎門前には立家同じく一万、双鳳門の隣、北方玄武門への坂には鴻館を陥した鳩家五千、東方青龍門には萬家と中家合わせて九千、東南の朱猿門には海際をつたって柴家七千がせまる。それぞれ一道の太守かそれに匹敵する数郡を有する領主である。他の諸家はその後方を固めるため、柳営を囲む山々に陣を置き、その総数九万八千に達した。
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一方の柳営の街は、逃げ込んだ僧達を取り込んだ以外、なりを潜めて動かない。将家の禁軍三千八百余騎、将家家臣の部曲(私兵)は従者を含め七百余、諸家の軍には当たるべくもないので、領境での戦は最初から諦めている。柳営の民と壁の内に取り込んだ領民から歳十六に始まり五十に至る男衆二万六千余を徴用して守兵とした。数では守備側の条件を満たしたが、民の多くは武具の扱いを知らぬ者も多く、敵が来るであろう五口の守備には、禁軍と部曲のほとんどを充てるほか無い。五口五門にそれぞれ禁軍五百、禁軍以外の将家家臣とその兵二百から三十を配置した。百姓兵は禁軍の士三百を臨時の将として柳営を囲む長城に置き、箭楼・炮楼の禁軍三百をこの援護にあたらせる。残る禁軍の内五百を遊軍とし、二百を将家当主の護衛として御所とその背後虎城山寺に配してあった。
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