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第Ⅴ章
夜襲 三
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夜が明けて、攻城の総指揮を執る安家の家宰緒賢は愕然とした。
昨夜の夜討ちで、打ち破られた仕寄りは十九、倒された井楼・吊り井楼は四十一、兵の死者は七百近い。壊された木砲、大鉄炮はその数が知れなかった。特に柳営の脇腹を破るべく進めていた北の平地から北西双鳳門近くの仕寄りが、徹底的に荒らされている。
仕寄りの内外に、城方が残していった死骸は二百ばかり。優に三倍以上の兵が殺された勘定になる。
「まさかこれほどとは・・・・・」
声をあげて慨嘆する副将に、緒賢は言う。
「戦である。斯様なこともあろう」
集めた敵兵の遺骸の腹を割いた諸家の陣は、さらに騒然となった。将と思しき兜首の腹また雑兵の腹にも、自分たちの陣では主将も食べていない白飯が詰まっていたのである。
江和の廻船と水軍の着到来、一時の危機こそ去ったが、糧食の不足はなお深刻なものがあった。更なる長陣に備え、兵にわたされる兵糧はぎりぎりまで削らざるを得ない。
「これでは、どちらが城を囲んでいるのか、分からぬではないか」
腹を割いた敵の遺骸を見て、部将が憤然と不満を吐きすてた。兵の多くは暗澹たる気分で柳営の長城を眺める。もう三月に入っていた。戦はいつまで続くのであろうか。国に帰らねば、田を耕すことも出来ない。
実のところ冬門は、籠城中討って出た兵の腹を割いて見る、東国の戦の倣いを知っていた。兵糧攻めの効をそれで確かめるのである。士卒には、討ち入りの力を与えるためと、白飯を喰わせ酒を飲ませた。もちろんそれもあるが、兵が討ち死にしたとき、寄手が骸の腹を割くことも勘定に入れていたのである。寄手の戦意を削ぐために、味方の骸も道具として利用する。不遜極まりないが、冬門らしいと言えばそうであろう。
その冬門は微睡みの中にいた。香が薫る。鬼丸が日頃衣に焚きしめている香だ。顔回の東青楼で酔いつぶれてしまったのだろうか。右手に鬼丸の手が添えられ、細く軟らかい指が手の甲をさする。悪い気はしない。薄く眼を開けると、そこにあるのは様々な花を描いた妓楼の格天井ではなく、黒く煤けた自分の屋敷の天井である。
薄目を開けた冬門に、鬼丸が声をあげた。
「良かった・・・・。お目をお開けになられた・・・。親父様が、殿様を連れ帰ってくださった・・・・・」
眼を開けた冬門が最初に見たのは、見慣れた屋敷の天井、次に自分の手を一心にさすっていた鬼丸である。ぬばたまの髪と白玉のような肌が眼に滲みた。再び香が鼻孔をくすぐる。反対側に鎧姿の太宰、縁には顔回が控えていた。
どうやら自分は、死ぬことなく屋敷に担ぎ込まれたらしい。腹と股に激痛が走る。
「動いてはなりませぬ。お医者様の話だと、一時はお命さえ危うかったのですから・・・」
冬門を心配する鬼丸のあとに、条衛が言う。
「屋敷に妓生を連れ込むような遊蕩の輩には、とてもではないが娘はやれん」
冬門が痛みを堪えながら身を返した。
「では、あのお約定・・・・・」
「約定は、約定。小萩の件はしかと守ろうぞ」
条衛は立ち上がり、座敷を出ていく。去り際に付け加えた。
「おかげで、民の避難、七割方進みつつある。とりあえずは、心安らかに養生せよ」
縁へ出ると、控えていた顔回に両膝をつく。
「おぬしのおかげで、小弐が生きて戻れた。この条衛心より礼を申す」
将家の太宰に頭を下げられ、顔回がどうしてよいかおろおろしている。
「そんな、あっしは馴染みの殿さまを連れ帰っただけ、別にあたりまえのことをしただけでござい・・・」
「あたりまえ・・・、あたりまえと申すか。おぬしの如く良き漢、将家家中とてそういるものではないぞ。小弐は良き友を持ったな」
忙しい戦場から来ていたのだろう。馬に鞭をくれる音がする。鎧姿の条衛は、あわただしく齊家の屋敷を去った。
「あの御方の娘御が、殿様ご執心の姫君にございますな。妬ましい・・・・」
鬼丸が白布を巻いた股の傷口を、ぽんと叩く。再び激痛が走った。
「何を言っておる。そのようなものでは無い」
痛みで顔を顰めながら、冬門が応えた。
「かよう、殿様に思って頂ける姫君は幸せ者にございます」
「そのようなものでは無いと言っておろう」
そう言いながら、冬門は思う。確かに自分は執心しているのかもしれない。自分やこの鬼丸には叶うべくもない真宗と小萩の幸を・・・・・。
「鬼丸」
「はい」
「そなたの親父様を呼んでくれ。この冬門、まだ何も礼を言っておらぬ」
信じがたいことだが、乱戦の中、顔回は傷付き気を失った冬門を担ぎ、隧道まで逃げ戻ったのである。冬門を屋敷まで担ぎ込むと、女手の少ない屋敷で、冬門の面倒を看させるため、廓から鬼丸を呼んだのであろう。
縁から座敷に上がった顔回に言う。
「おぬしには言葉にならないくらい世話になった。顔回と鬼丸にはとても返せぬ借りが出来てしまったな」
「とんでもないことで。あっしは殿様とまた酒が飲みたかっただけでございますよ。もっとも、早いとこ、腹の傷をふさいでいただかないことには、飲んだ酒がみんな漏れちまっていけねえ」
「まったくだ。養生に努めよう」
からからと笑った後、冬門は顔回に訊ねる。
「何人だ」
「は・・・・」
「何人、戻れた?」
「殿様とあっしの所で、二十八。全部で百ばかりと」
「そうか・・・・・すまぬ」
再び気が遠くなってきた。鬼丸がさすってくれる右腕が心地よい。
昨夜の夜討ちで、打ち破られた仕寄りは十九、倒された井楼・吊り井楼は四十一、兵の死者は七百近い。壊された木砲、大鉄炮はその数が知れなかった。特に柳営の脇腹を破るべく進めていた北の平地から北西双鳳門近くの仕寄りが、徹底的に荒らされている。
仕寄りの内外に、城方が残していった死骸は二百ばかり。優に三倍以上の兵が殺された勘定になる。
「まさかこれほどとは・・・・・」
声をあげて慨嘆する副将に、緒賢は言う。
「戦である。斯様なこともあろう」
集めた敵兵の遺骸の腹を割いた諸家の陣は、さらに騒然となった。将と思しき兜首の腹また雑兵の腹にも、自分たちの陣では主将も食べていない白飯が詰まっていたのである。
江和の廻船と水軍の着到来、一時の危機こそ去ったが、糧食の不足はなお深刻なものがあった。更なる長陣に備え、兵にわたされる兵糧はぎりぎりまで削らざるを得ない。
「これでは、どちらが城を囲んでいるのか、分からぬではないか」
腹を割いた敵の遺骸を見て、部将が憤然と不満を吐きすてた。兵の多くは暗澹たる気分で柳営の長城を眺める。もう三月に入っていた。戦はいつまで続くのであろうか。国に帰らねば、田を耕すことも出来ない。
実のところ冬門は、籠城中討って出た兵の腹を割いて見る、東国の戦の倣いを知っていた。兵糧攻めの効をそれで確かめるのである。士卒には、討ち入りの力を与えるためと、白飯を喰わせ酒を飲ませた。もちろんそれもあるが、兵が討ち死にしたとき、寄手が骸の腹を割くことも勘定に入れていたのである。寄手の戦意を削ぐために、味方の骸も道具として利用する。不遜極まりないが、冬門らしいと言えばそうであろう。
その冬門は微睡みの中にいた。香が薫る。鬼丸が日頃衣に焚きしめている香だ。顔回の東青楼で酔いつぶれてしまったのだろうか。右手に鬼丸の手が添えられ、細く軟らかい指が手の甲をさする。悪い気はしない。薄く眼を開けると、そこにあるのは様々な花を描いた妓楼の格天井ではなく、黒く煤けた自分の屋敷の天井である。
薄目を開けた冬門に、鬼丸が声をあげた。
「良かった・・・・。お目をお開けになられた・・・。親父様が、殿様を連れ帰ってくださった・・・・・」
眼を開けた冬門が最初に見たのは、見慣れた屋敷の天井、次に自分の手を一心にさすっていた鬼丸である。ぬばたまの髪と白玉のような肌が眼に滲みた。再び香が鼻孔をくすぐる。反対側に鎧姿の太宰、縁には顔回が控えていた。
どうやら自分は、死ぬことなく屋敷に担ぎ込まれたらしい。腹と股に激痛が走る。
「動いてはなりませぬ。お医者様の話だと、一時はお命さえ危うかったのですから・・・」
冬門を心配する鬼丸のあとに、条衛が言う。
「屋敷に妓生を連れ込むような遊蕩の輩には、とてもではないが娘はやれん」
冬門が痛みを堪えながら身を返した。
「では、あのお約定・・・・・」
「約定は、約定。小萩の件はしかと守ろうぞ」
条衛は立ち上がり、座敷を出ていく。去り際に付け加えた。
「おかげで、民の避難、七割方進みつつある。とりあえずは、心安らかに養生せよ」
縁へ出ると、控えていた顔回に両膝をつく。
「おぬしのおかげで、小弐が生きて戻れた。この条衛心より礼を申す」
将家の太宰に頭を下げられ、顔回がどうしてよいかおろおろしている。
「そんな、あっしは馴染みの殿さまを連れ帰っただけ、別にあたりまえのことをしただけでござい・・・」
「あたりまえ・・・、あたりまえと申すか。おぬしの如く良き漢、将家家中とてそういるものではないぞ。小弐は良き友を持ったな」
忙しい戦場から来ていたのだろう。馬に鞭をくれる音がする。鎧姿の条衛は、あわただしく齊家の屋敷を去った。
「あの御方の娘御が、殿様ご執心の姫君にございますな。妬ましい・・・・」
鬼丸が白布を巻いた股の傷口を、ぽんと叩く。再び激痛が走った。
「何を言っておる。そのようなものでは無い」
痛みで顔を顰めながら、冬門が応えた。
「かよう、殿様に思って頂ける姫君は幸せ者にございます」
「そのようなものでは無いと言っておろう」
そう言いながら、冬門は思う。確かに自分は執心しているのかもしれない。自分やこの鬼丸には叶うべくもない真宗と小萩の幸を・・・・・。
「鬼丸」
「はい」
「そなたの親父様を呼んでくれ。この冬門、まだ何も礼を言っておらぬ」
信じがたいことだが、乱戦の中、顔回は傷付き気を失った冬門を担ぎ、隧道まで逃げ戻ったのである。冬門を屋敷まで担ぎ込むと、女手の少ない屋敷で、冬門の面倒を看させるため、廓から鬼丸を呼んだのであろう。
縁から座敷に上がった顔回に言う。
「おぬしには言葉にならないくらい世話になった。顔回と鬼丸にはとても返せぬ借りが出来てしまったな」
「とんでもないことで。あっしは殿様とまた酒が飲みたかっただけでございますよ。もっとも、早いとこ、腹の傷をふさいでいただかないことには、飲んだ酒がみんな漏れちまっていけねえ」
「まったくだ。養生に努めよう」
からからと笑った後、冬門は顔回に訊ねる。
「何人だ」
「は・・・・」
「何人、戻れた?」
「殿様とあっしの所で、二十八。全部で百ばかりと」
「そうか・・・・・すまぬ」
再び気が遠くなってきた。鬼丸がさすってくれる右腕が心地よい。
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