ルーメンポリス(光合成都市)

大蚊豪

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第4話 ネギとショウガ

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深夜、ヴィラの正門が音もなく開いた。



室内に足を踏み入れたのは、目に刺さるほど鮮烈な赤いハイヒール。

「カツ、カツ……」とヒールが床を打つたび、金色のラメを含んだピンク色の香霧が廊下にゆっくりと広がっていく。



それはまるで意思を持つかのように流れ、警備員たちの脇をなぞり、彼らの顔に抑えきれないむず痒そうな表情を浮かばせた。



香霧はそのまま伸び、ドアの隙間から忍び込むようにネギの部屋へと入り込む。

鼻腔に触れた瞬間、彼の夢は一気に色づいた。



純白のスーツに身を包み、陽光の下で花嫁を抱きしめ、満面の笑みを浮かべている自分。

その花嫁の顔は、艶やかで眩しい——モモだった。



香霧は隣のベッドへと漂っていく。

ガリックはくしゃみを一つすると、半分眠ったまま寝返りを打ち、布団を頭まで引き上げてさらに深い眠りに落ちた。



一方ネギは、そのくしゃみによって夢を破られる。

額を押さえながら、眉をひそめて空気を嗅いだ。



——知っている匂いだ。

だからこそ、心がざわつく。



彼は勢いよく上体を起こし、香りの源を探そうと立ち上がる。

就寝前、執事は厳重に念を押していた。



「夜間の外出は、固く禁じられております」



だが、今のネギにそんな忠告を気にする余裕はなかった。

胸の奥に、言葉にできない不吉な予感が湧き上がる。

同時に、ある大胆な仮説が脳裏をよぎり——だからこそ彼は急いだ。



どうか、その考えが間違いでありますようにと願いながら。



ドアを開ける。

廊下は異様なほど静まり返り、警備員の姿は一人も見当たらない。

香霧はピンク色の小径のように、彼を奥へ奥へと導いていく。



栄養剤の余韻がまだ頭を揺らし、香霧にはかすかな麻酔作用もあるらしい。

腕は力が抜け、足元は綿の上を歩いているように心もとない。

身体が左右にふらつく中、ただ一つ残った理性が告げていた——進め、と。



そのとき、鼻腔を突き刺すような強烈な辛味が一気に流れ込んだ。

脳裏に電流が走り、酔いも霧も、一瞬で霧散する。

ネギはよろめきながら壁に手をつき、廊下の曲がり角を見た。



そこには、警備員たちが倒れ伏していた。

手足を投げ出し、舌を垂らし、白目を剥いた無残な姿。

足元には割れたガラス製の試験管が散乱し、黄色い液体が床に広がっている。



鼻を突く刺激臭はそこから放たれていた。

どうやらこの液体は極めて刺激が強く、結果的に香霧と酔いによる混乱を打ち消したらしい。



ネギは、ここでようやく完全に正気を取り戻した。



◆◇◆



「議員先生、これからは何かとお力添えをいただくことになります」



ヴィラの中でも群を抜いて贅沢なスイートルーム。

カラ・トウ氏は柔らかな本革ソファに腰を下ろし、山高帽をかぶった、土色の肌で丸々とした男と肩を並べていた。

灯りは妖しく揺れ、香りが満ちる中、艶やかな植物の美女たちが周囲を彩り、まるで温室の楽園のようだ。



ジャガイモのようなその男は、手渡された封筒を慣れた手つきで懐にしまい、への字髭を撫でて脂ぎった笑みを浮かべる。



「当然だとも」



声を潜めると、膝に乗せていた美女を押しのけ、身を乗り出した。



「……だが、あの老いぼれは、まだ見つからんのか?」



カラ・トウ氏は深く頭を垂れた。



「本日も二人ほど、愚か者が来ました。

あの男の探りでしょう。

これで七、八人目ですが、依然として手がかりは……」



ジャガイモ議員の顔色が一気に青ざめ、皮膚から芽でも吹き出しそうなほど険しくなる。

異変を察したカラ・トウ氏は、すぐに言葉を継いだ。



「どんな手を使おうと、私は一度あの男を突き落とした。

二度と土から這い上がらせはしません」



その一言で、議員の怒気はようやく収まった。

丸い身体をソファに沈め、より楽な姿勢を取る。



「……君、来なさい」



カラ・トウ氏が手招きすると、香霧をまとった若い植物の女性が素直に歩み寄り、議員の隣に腰を下ろす。

彼女が近づくにつれ、桃特有の産毛のように甘い香りがゆっくりと広がり、人の理性を絡め取っていく。



「モモちゃん……!?」



扉の隙間にいたネギは、全身を強張らせた。

予感はあった。

それでも、衝撃は大きかった。

思わず漏れた声が、室内の空気を切り裂く。



——モモの“裏の顔”を知ってしまったことよりも。



彼が今、偶然目撃してしまったのは、今夜を生き延びられなくなるかもしれないほどの極秘だった。



◆◇◆



逃げろ。



必死に、ただ逃げる。



全力で走ってはじめて、ネギはこの「ヴィラ」と呼ばれる場所が、どれほど非常識な広さを誇っているのかを思い知った。

基地と言われた方がまだしっくりくる。



警備員たちが蜂の群れのように四方八方から湧き出し、幾重にも重なって追い迫ってくる。

目的地を考える余裕などない。

頭にあるのはただ一つ——捕まるな。



だが、あらゆる逃走ルートが次々と封じられ、ネギはついに袋小路の壁際へと追い詰められた。



先頭に立つ警備員は筋肉が異様に膨れ上がり、シャツが「ブチッ」と音を立てて裂け、トウモロコシ粒のように並んだ筋繊維がむき出しになっている。

裏でどれほどの膨張剤を打ち込まれているのか、想像もしたくない。



ネギは怯まなかった。

胸元に手を突っ込むその動きに、前列の警備員たちは一斉に身構える。



——だが、取り出したのは武器ではない。

両手で「銃」の形を作っただけだった。

一瞬の沈黙。

次の瞬間、嘲笑が広がる。



しかし、その直後だった。

人差し指の先端が、春に暴走するネギ坊主のように、みるみる丸く膨れ上がった。



「バン!」



花芽が弾けると同時に、無数の高速の種子が弾丸のように飛び散り、「カン、カン、カン!」と前列の警備員の胸筋に叩きつけられる。

彼らは反射的に顔をかばったが、数秒後、まったく痛みがないことに気づいた。



激怒した前列が退き、二列目が前へ。

全員がガトリングガンを構えている。

ネギは、自分の死に様をはっきりと幻視した。



その刹那——鼻を突く黄色い激辛の煙が、目の前で炸裂した。



視界は一瞬で奪われる。



襟元を誰かに乱暴につかまれた感触だけが残り、ネギの意識は闇へと落ちた。



◆◇◆



ここでは、月が異常なほど大きい。

太陽と競い合うかのような光が空から降り注ぎ、ネギを見下ろす小さな人影に、薄い聖光のヴェールをまとわせていた。

そのせいで、彼女は実際よりもずっと大きく見える。



彼女は大きなフードを勢いよく外す。

中から現れたのは、弾けるような弾力と、目が痛くなるほど鮮やかなしょうが色のドレッドヘア。



「しょうが人間、ショウガだよ」



ニッと口角を上げた笑みは、どこか狡猾だ。



「この世界の“本当の秘密”、教えてあげる」



ネギとショウガは、ヴィラの屋上、建築家が偶然残した隅の影に身を寄せていた。

そこは今、彼らにとって唯一の安全地帯だ。



周囲には無数の警備員と、終わりの見えない危機。

こんな狭い影が守ってくれるのも、ほんのわずかな時間だけだろう。

次にどうやって逃げるか——それこそが本当の難題だった。



ネギはこめかみを押さえ、警戒を隠さずに言った。



「もう泥棒なんだろ。

どうして、君が詐欺師じゃないって信じられる?」



ショウガは、やけに無垢なほど大きな瞳をぱちくりさせる。

その仕草に一瞬、ネギの心は揺れたが、すぐに思い出す。

——女の涙は、二度と信じないと誓ったことを。



「盗みじゃないよ」



ショウガは胸を張った。



「“余ってる資源”を、本当に必要な人たちに再分配してるだけ」



ネギは、生まれて初めて、略奪をここまで堂々と正当化する言い方を聞いた。



「第5環に住む人たちが、どれだけ絶望してるか、君は知らない」



ショウガは声を潜める。



「あそこには太陽がない。

植物人間たちは、少しずつ枯れていく。

唯一の救いはね、目を閉じて死を迎えるとき、目の前の闇を“いつもの日常”だと勘違いできること。

目を開けても闇、閉じても闇。

だから、死さえも怖くなくなる」



ネギは黙り込んだ。

知っている。

——いや、知りすぎるほどに。



「だからさ」



ショウガは拳を握り、瞳を輝かせた。



「私が言ってる“光源倉庫”を見つけられれば、光を持ち帰れる。

みんなを照らせる。

ほんの少しでも」



その声は、あまりにもまっすぐで、あまりにも無邪気だった。

そして、ネギの胸の奥に、久しく忘れていた火を灯す。



彼は彼女を見つめ、ふと思った。

——もう一度くらい、賭けてみてもいいんじゃないか。



どうせ、ここで何もしなければ死ぬ。

だったら、事態をもっとかき乱してやる。

運が良ければ、生き延びられるかもしれない。



こうして——ネギとショウガの同盟は、誰にも知られぬまま、静かに結ばれた。
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