氷は存外簡単に溶ける

皿うどん

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 その晩、アンナは早速ディナーで新技を披露した。滑るように歩くと見せかけて滑り、フォークとナイフを操る。
 あとはひたすらカーテシーの練習のみをすれば、星辰の儀は乗り切れる。

「本当に素晴らしいわね……! どうして私は土属性ではないのかしら!」
「ミーサも、メアリー様と同じことを言っていました。火属性は敵を丸焼きに出来るし、爽快で羨ましいですよ」
「結局は、ないものねだりに落ち着くのね」

 紙の厚さほどしかない、薄い魔力を操るアンナは、フィアラークに来たばかりの頃と違って余裕が感じられる。フィリップはナイフとフォークを置いた。

「素晴らしい魔力コントロールだ。発想、着眼点、実行力、どれをとっても感嘆する。アンナは素晴らしい女性だ」
「80点。こういうときは魔法以外も褒めるものよ、フィリップ」
「50点。まずドレスやアクセサリーを褒めないといけないよ。着飾った女性は恐ろしいからね」
「55点。かなり良くなりましたけど、母上を基準にしては駄目ですよ」
「……………努力する……」

 意見を言うならば当主の前で。
 それが何故か適用され、本家が揃うディナーで口説くことになったフィリップは、がっくりしたもののすぐに持ち直した。割と鋼のメンタルなので、そういうところはアンナとお似合いだった。

「アンナ、参考までに、今の台詞のどこがよかったか教えてもらいたい」
「うーん、魔法に関するところですね」
「フィリップはそれしか言っていないからね。いいかいフィリップ、ひとつ言っておく。いい女性ほど手強く、簡単に心を開いてくれないものだ。メアリーのようにね」
「まぁ、あなたったら」

 アンナは、いちゃいちゃし始めたふたりを見やった。

「フィリップ様、口説き文句とはああいうものですよ」
「参考にする。あと……アンナ、仲睦まじく見せるため、フィルと呼んでほしいのだが」
「わかりました」
「本家にいる間や、ふたりきりの時はそう呼んでほしい。私がそう呼ぶのを許しているのはアンナ、きみだけなのを忘れないでほしい」
「43点です。一番最初の口説き文句はマイナス100点だったので、それと比べればかなりマシですよ」
「そうか」

 表情筋が死んでいると疑われるほど表情が変わらないフィリップが微笑むと、破壊力が凄まじい。なんだか負けた気分になり、負けず嫌いのアンナはにっこり笑ってやった。

「フィル、ダンスの練習をする時間が出来たので、もしかするとファーストダンスが踊れるかもしれません。わたしの、正真正銘初めてのダンスです。リードをお願いしますね」
「……むん」

 アンナの笑顔と台詞の破壊力にやられたフィリップが、にやける顔を抑えながら返事をする。肯定かもわからない言葉に、アンナはにやりと笑った。

「メアリー様、勝ちました!」
「よくやりました、アンナ。恋愛は勝負です。殿方を手のひらでごろんごろん転がしてこその勝利ですよ」
「……父上、今更だけど、恋愛の先生を替えたほうがいいのでは?」
「セドリック、それ以上言ってはいけないよ」

 フィアラーク本家は今日も平和だ。


 ディナーを終え、自室で湯船に浸かったアンナは、ベッドに横たわった。毎日することがたくさんあり、忙しいが楽しい。
 マッサージオイルを温めながら、ララは微笑んだ。

「今日も楽しそうで何よりです。マナーの進捗はいかがですか?」
「何とかなりそう。ララは?」
「変わらず、お茶の淹れ方を習っております。一日も早くアンナ様のお世話が出来るよう頑張りますね」

 いつもは数人の侍女が控えている広い部屋に、いまは二人しかいなかった。
 ララはアンナの世話を任せるレベルに達しておらず、まだ研修中の身だが、就寝前のマッサージを任されている。世話されることに慣れてきたアンナだったが、やはりまだ体が強ばることが多い。アンナが唯一リラックスできるのはララとふたりの時だけだった。
 こういう場合、ララは妬みの対象になりやすいが、メアリーとミーサが情報操作していた。噂でララの生い立ちを広めると、アンナの体中の傷と相まって、同情が集まった。
 同情されている間にどれだけ技術を身につけることが出来るかが、ララの勝負所だった。

「トトは元気……?」

 眠気でとろりとした瞳でアンナが尋ねる。

「もう完治しております。庭師になるのだと言って習っていますよ」

 病気のあいだ、窓から外を眺めるしかなかったトトは、草木や庭などに興味を持ったらしい。泥まみれになって毎日元気に外へ飛び出していると聞き、アンナは安心して目を閉じた。

「王城へ行っているあいだ、ララと離れるのが嫌……」
「アンナ様、戦場は違えど目的は同じです。揃って勝鬨をあげましょう」
「うん……ズタボロにしてくる……」
「毎日フィリップ様に求婚されているそうですね。フィリップ様は、トトとわたしをアンナ様のお側に置いてくれる恩人です。どのような方ですか?」
「んー……フィルは……」

 それっきりアンナの声が途絶える。マッサージする手は止めずに覗き込むと、アンナはすやすやと眠っていた。
 ララは、この時間が好きだった。渇望していた、アンナが何にも害されず健やかに眠れる時間。

(私がアンナ様に望むのは、幸福になることだけ。フィリップ様のことを好きになるのなら、それでも構わない。フィリップ様は、きっとアンナ様を幸せにしてくださるわ)

 ララはそっと温めたタオルでオイルを拭い、寝間着を着せた。

「おやすみなさいませ、アンナ様」


 ララは翌日、アンナにフィリップへの気持ちの続きを聞いたが、なにを言おうとしたかアンナはまったく覚えていなかった。けれど、長年アンナと寄り添ってきたララには、アンナの変化がよくわかった。
 ララは幸福で微笑む。

「アンナ様、今日もいい天気ですよ」

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