氷は存外簡単に溶ける

皿うどん

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ミンネ

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 パーティを終えたアンナは満足しきって、ソファにゆったりと身を預けた。ワーズワースとゲーデルに、存分に立場の違いを見せつけることができた。
 しかも奴らは、今日帰宅させられる。本番の星辰の儀を見ることは許されていないのだ。

「わたしは少しスッとしましたけど、他国にこのような醜聞を教えてよかったのですか?」
「他国は虐待を禁じていないの。クレヴァリアンは法でも先駆けていると言いたいだけだから、アンナも国を利用すればいいのよ」

 アリソンのあけすけな言葉に、アンナは頷いた。

「トリーシア様にも言い返せてすっきりしましたし、星辰の儀に来てよかったです!」
「それはよかった。あの国はもう駄目だから好きに振る舞いなさい。グラツィアーナ様もそうおっしゃったから、トリーシアに言い返したのでしょう?」
「はい。どんなことを言ってもいいと」
「昔の栄光がまだ頭上で輝いていると思っているのよ。クレヴァリアンも今は勢いがあるけれど、果実はいつか腐り落ちる。アンナはそれを忘れては駄目よ」
「はい」

 話が一区切りついたところで、バルドヴィーノに目配せされたフィリップが下手な咳払いをした。

「明日はもう星辰の儀だ。アンナは、どんな勝利が望みだ?」

 フィリップは強い。勝ち方を選べる試合はいくつかあり、よほど無理なことを言われない限りは望みを叶える自信があった。
 試合に勝つのはもちろんだが、出来るならアンナにかっこいいと思われたい。あわよくば惚れてほしい。
 フィリップのーーこういうときの男の気持ちがわかるバルドヴィーノとヴィクターは、固唾を呑んでアンナの返事を待った。

「やってみたい勝ち方はあるんですけど、それをフィリップ様にさせたら非難されそうで……」

 アンナは、手入れされてなめらかになった指先を頬にあて考える。

「魔法も剣技も、わたしにはよくわかりません。フィリップ様の試合を見ても、その努力がわからないのは悔しいです」
「レディがそれらを好んでいないのは知っている」
「わたしは好んでいます。フィリップ様の努力や涙、汗、それらを積み重ねてきた精神を尊敬しているんですよ。これでも」

 どこかで聞いた台詞だった。
 アンナの照れる姿は非常に珍しく、フィリップが返事すらできず目を見開いているあいだに、アンナはわずかに頬を膨らませた。
 アンナは、努力している人間が好きだった。

「だから、試合を見ても、それらがわからないのが悔しいんです! 星辰の儀が終わればお母様に訓練をつけていただけるので、来年には少しでもわかるようにします!」
「アンナ……私は」

 愛おしさがあふれ、フィリップ自身も何を言おうとしているのかわからないままアンナを引き寄せようとした腕が、ぎりぎりと掴まれる。

「フィリップ、婚姻するまでみだりに淑女の肌に触れてはなりません」
「……はい」

 アリソンは強かった。
 考え込み、一連の流れに気づいていないアンナが顔を上げる。

「フィリップ様と一生戦いたくないと心底怯えてほしいですが、それでは英雄ではなく魔王になってしまいますね。圧勝、瞬殺とか?」
「わかった」

 フィリップは頷いた。
 どのように戦うか決めたフィリップに迷いはない。

「明日は白薔薇を贈ってほしい。アンナが私の勝利を願ってくれるなら、たとえ相手が魔王でも首をとってこよう。明日の勝利はアンナのために」

 フィリップが恐ろしいのは、これが意識した口説き文句ではないところにある。
 意識して口説いたら残念な仕上がりになるのに、ときおりハートを射抜くことをさらっと口にする。このときのフィリップの口説き文句は、満場一致で過去最高点を叩き出した。


・・・


 星辰の儀は武と智に分かれている。部門ごとに三国から三人ずつ選出し、リーグ戦で戦う。
 武の会場となる広い闘技場に、アンナはひとり一番前に座っていた。出場者へ白薔薇を捧げる者は、みな最前列に座らされる。アリソンはすぐ後ろにいるが、気軽に話しかけられる位置ではない。

(せっかく初めての星辰の儀なのに、お母様とおしゃべり出来ないなんてつまらない。左右の視線は突き刺さるし、ちょっと眠いし)

 アンナの横には、同じく白薔薇を贈る令嬢や夫人が座っている。アンナは注目の的だった。
 アンナがあくびを噛み殺していると、クレヴァリアンの王が星辰の儀の開催を告げた。大きな拍手や歓声を切り裂いてファンファーレが鳴り響く。
 入場してきた選手たちの先頭を歩くのは、昨年度優勝者のフィリップだった。

 フィリップは各国の王の前に跪き、栄誉だの光栄だの全力を尽くすだの、決まりきった口上を述べた。王が立つ許しを与えると、フィリップはすっと立ち上がり、アンナの元へまっすぐ歩いてくる。
 選手がどのような言葉を令嬢にかけるか、令嬢がどう返すかは星辰の儀の見どころのひとつだ。優勝者のフィリップは何でも一番に行い、一番注目される。

 フィリップはアンナの前に跪き、うやうやしく白薔薇を差し出した。

「この世で最も麗しい私のレディ。私の勝利はすべてアンナに捧げよう。どうか白薔薇を受け取ってほしい」

 空気がざわりと揺れる。
 氷のフィリップが甘い言葉を囁くのは、あまりに衝撃的だった。昨日のお茶会の噂を聞いても、フィリップとアンナが仲睦まじいと信じない者がいたほど、フィリップが女性に冷たいことは有名だった。
 そのフィリップが今、愛を得るために跪いている。

 アンナは白薔薇を受け取って微笑んだ。メアリー直伝の淑女の笑みだが、瞳は少女のようにまたたいている。

「フィリップ、あなたが勝利を捧げてくれるのなら、わたしの勝利もあなたと共に分かち合いましょう」

 アンナの勝利、それはワーズワースとゲーデルへの復讐。
 王城でアンナの状況を知り、手助けしようと言ったら即座に拒否されたのに。
 あのころアンナに笑顔はなかった。アンナの好きな色も、食事の好みも、性格も、なにも知らなかった。
 フィリップの脳裏にアンナとの思い出が駆け巡る。照れるフィリップを見て弾けるように笑う顔。魔力を使って廊下でスケートをして、ミーサやセドリックが心底羨ましがっていた日もあった。

(いつの間にアンナの笑顔が日常になったのだろう。いつの間に……こんなにもアンナを愛していたのだろう)

「私が手伝うことをあれほど拒否していたのに、いいのだろうか」
「はい。今のフィリップ様ならば」

 すでにフィアラークの手を借りているのだから、いまさらフィリップが参加してもしなくてもアンナにとっては同じだった。
 だが、ふたりの関係がここまでよくなっていなければ、アンナはフィリップを近寄らせず、決して手伝いなどさせなかっただろう。
 フィリップの粘り勝ちだった。

 フィリップはアンナの手を取った。長い睫毛を伏せ、うやうやしく、宝物にするように手の甲へキスをする。

「私はアンナのものだ。どうか私を、アンナの騎士でいさせてほしい」

(すべてが終わったあと、アンナの中に少しでも私がいればいい)
 フィリップの心からの言葉だった。

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