氷は存外簡単に溶ける

皿うどん

文字サイズ
小 中 大 特大
27 / 28

動けない獲物

 休み明けの学院は、社交をして終わる。夏の休暇は特に長く、様々な変化をしていることが多い。
 アンナはその最たるもので、違うクラスからも続々と挨拶に来ていた。おそらく教室の外には行列が出来ているだろうと、アンナは引きつりそうな頬の筋肉を笑みの形に保った。

(久しぶりにゆっくりララと話せそうだったのに)

 学院には同性の側仕えを連れてくることを許可されており、その人数は階級によって違う。アンナはララとミーサを連れてきている。
 本家から快く来てくれたミーサは、学院にいる間にララとアンナを鍛えると燃えていた。アンナは体を鍛えたかったが、令嬢が走り回るのは非常によくないとのことだったので、当分自室での筋トレになりそうだった。

 挨拶に来た貴族の顔を一度で覚えることを放棄したアンナが、どこで切り上げようか考えていると、周囲がざわめいた。自然と道を譲られて歩んでくる銀糸に、アンナはわずかに目を見開く。

「フィル! どうしてここに?」
「驚いたか?」

 フィリップの口角はわずかに上がっただけだが、瞳はいたずらに成功した少年のように輝いていた。アンナは責めるようにフィリップを見上げる。

「驚かすのならば、わたしがします。常に先手を取れとお母様がおっしゃっていました」
「いつもアンナに負けているのだから、たまには私が驚かせてもいいだろう?」
「駄目です」

 アンナは、驚かされるのは好きではなかった。いい思い出がない。

「わかった。これから驚かせないように努力する」
「ありがとうございます。フィリップ様はどうしてこちらに?」
「以前から学院の講師にと打診を受けていただろう。アンナが学院にいるあいだは講師をすることになった。アンナと出会えたのも、打ち合わせで学院に来ていたおかげだからな」

 という設定だった。

 講師をするか迷っていたフィリップは、待遇などの話を聞くために学院を訪れていた。そこでアンナと出会い、恋に落ちる。
 フィリップはアンナを知らなかったが、アンナは相手が有名なフィリップ・フィアラークだと気がついた。アンナには婚約者がいて、身分差もある。
 あえて名乗らず別れ、叶わぬ恋に嘆くアンナ。もう言葉を交わすことはないと思っていたアンナだが、フィリップはもう一度学院を訪れた。アンナに会うために。

 アンナと語るうちに思いを抑えられなくなったフィリップは、星辰の儀の褒美にアンナとの結婚を願うと決めた。
 義を重んじるフィリップは王の許可を得ると、星辰の儀より先にワーズワースとゲーデルへ話を通して謝罪をした。それを妬んだワーズワースとゲーデルはアンナをさらに虐待し、それをフィリップが救い出した筋書きだ。

 ヴィクターは「アンナの性格に無理がある」と反対したが、普通に押し通された。


「では、フィリップ様と一緒に学院にいられるのですね?」
「アンナ、きみがそれを望むのならば」

 桃色の悩ましげな視線がフィリップに注がれる。フィリップはアンナに手を差し出した。

「ヴィクター、アンナのエスコート役を変わっても?」
「もちろん」
「ではアンナ。一緒にお茶を飲む栄誉を賜ってもよろしいでしょうか?」
「よろしくってよ」

 わざと気取った言い方をしたアンナは、水面のような瞳を輝かせて笑う。

「ヴィクターも行きましょう。皆様、せっかく挨拶に来てくださったのに申し訳ないわ。後日また来ていただけるかしら。皆様とお話できるのを、とても楽しみにしていたの」

 アンナの決定に首を振れる者はいない。
 痛いほど突き刺さる視線を受けながら教室を出たアンナは、ヴィクターがさりげなく位置を変えるのを見て、くちびるを動かさず問うた。

「いた?」
「いた。睨んできている」

 アンナは笑みを深め、突き刺さる憎悪を受け止めた。
 クラリーチェ・ワーズワース。ワーズワースで唯一アンナと近づける人物であり、生まれた時から蔑んできたアンナが幸せを掴むのが許せない、現実が見えていない人間。
 パトリツィオは財産をかき集めて夜逃げの準備をしている。ヴァレリアーナは現実を見たくなくて自室に籠もりきっている。クラリーチェは、アンナさえいなくなれば元通りになると思っている。

「逃がすわけがないのに」

 アンナのくちびるが艷やかに弧を描く。

 本当に、逃がすわけがないのに。

感想 1

あなたにおすすめの小説

専業主婦十年、夫と息子に「何もしてない」と言われたので、自分の名前で稼ぐことにした 表紙

専業主婦十年、夫と息子に「何もしてない」と言われたので、自分の名前で稼ぐことにした

「お母さん、何もしてないじゃん」 小学四年生の息子に言われた。翌朝、夫も言った。そっちは家にいるだけだろ、と。 専業主婦十年。渡される生活費は白い封筒の月3万円。家の通帳は見たこともない。 期限切れのファンデーションを塗り、フォロワー48人のアカウントに写真を上げた。「ダメ出しお願いします」。止まらない通知の中に、短い返信が一つ。 ――ひとつずつでいいよ。 早朝の新聞配達に、時給1200円の品出し。夜は簿記の参考書を開いた。額面22万円の雇用条件通知書。初めてのPR案件は、2万5千円。 その秋、夫が昼に誰と会っているかを知った。離婚届は12月24日。 一年後、私の会社の月商は500万円、フォロワーは200万人。港区のタワーマンションの鍵は、私の名前で受け取った。 「家にいるだけだろ」と言った人が、その数字を口にする番が来る。 この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 全9話。
ライト文芸 連載中 短編 R15
文字数 23,624
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る 表紙

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
恋愛 完結 短編 R15
文字数 39,481
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。 表紙

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
恋愛 完結 長編 R15
文字数 156,453
旦那様には愛人がいますが気にしません。 表紙

旦那様には愛人がいますが気にしません。

 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
恋愛 完結 長編 R15
文字数 80,220
悪役断罪?そもそも何かしましたか? 表紙

悪役断罪?そもそも何かしましたか?

明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。 男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。 あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。 えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。 勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。
恋愛 完結 短編
文字数 27,893
【完結】捨てられた侯爵夫人の日記 表紙

【完結】捨てられた侯爵夫人の日記

十五歳で侯爵家に嫁いだイベリス。 夫ハイドランジアは、愛人と別邸に住み、三年の月日が経った。 白い結婚による婚姻不履行が間近に迫る中、イベリスは、高熱を出して記憶を失う。 戻ってきた夫は、妻に仕える侍女アリッサムから、いない月日の間書き綴られた日記を手渡される。 そこには、出会った日から自分を恋しいと思ってくれていた少女の思いの丈が詰まっていた。 十八歳になり、美しく成長した妻を前に、ハイドランジアは、心が揺らぐ。 自分への恋心を忘れてしまったとしても、これ程までに思ってくれていたのなら、また、愛を育めるのではないのか? 様々な人間の思いが交錯し、物語は、思わぬ方向へと進んでいく。
恋愛 完結 短編
文字数 13,157
【完結】私の出産日に初恋の人を選んだ夫、あなたを彼女に返品します 表紙

【完結】私の出産日に初恋の人を選んだ夫、あなたを彼女に返品します

「子供っぽい嫉妬はやめろ」私が命懸けで出産した日、夫のヴィンセント侯爵は初恋の人の所へ行ってしまった。理由を説明して欲しいと言うと、子供っぽい嫉妬をやめろと厳しい声で言われてしまう。しかも初恋の相手がいきなりやってきて「侯爵様は昔から私を命懸けで助けてくれるんです」と悪びれもせずに言い放った。妻よりも初恋相手を優先する夫は必要ないので私は夫を初恋相手へ返品した。すると生まれてから一度も人に頭を下げたことのないヴィンセントが、ボロボロになって私に頭を下げてきて⋯⋯。
恋愛 連載中 長編
文字数 94,149
断る――――前にもそう言ったはずだ 表紙

断る――――前にもそう言ったはずだ

「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
恋愛 完結 長編 R15
文字数 39,845