四季の聖女

篠月珪霞

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エスタシオン国には、四季を司る4人の聖女が存在する。大陸に季節をもたらし恙なく過ぎるよう、管理者としての役割を担っているが、聖女自体に特別な力はない。
選定は人によるものではなく、神の遺物と言われている腕輪が持ち主を選ぶ。複製不可能なその腕輪は、出自、身分、年齢、容姿は基準とならず、あくまでも当人の資質によって選ぶのだという。

春の聖女、エアリノス=プランタンもその1人であった。










「エアリノス=プランタン! 喜べ、お前は俺の側に侍ることを特別に許された!」
「……」

聞き覚えのない声に自身の名を呼ばれ振り返れば、面識はないはずの男がふんぞり返っていた。見覚えは一応ある。
護衛だろう数名と共に声高に言い放ったのは、この国の第二王子ヴット=エスタシオン。式典で数度、遠目に見ただけではあるが。

「…王子殿下にご挨拶申し上げます」
「うむ。そんなことより、今夜の段取りは分かっておるな?」
「……申し訳ございません。先ほどおっしゃったことも含め、ご説明いただけないでしょうか?」
「はあ? お前、こんなことも分からないのか? 頭が悪いのか?」

呆れたような目を向けられるが、初対面の相手に訳の分からない独自の理論を展開しないでいただきたい。…と言えたならどんなにいいかと、エアリノスは溜息を内心で押し殺す。素行不良で名高かろうが、腐っても王族。不敬罪で投獄でもされたら理不尽どころの話ではない。

「お前を伽の相手として選んでやったのだ! 心配するな、俺が飽きるまではお前だけだと約束しよう! どうだ、光栄だろう!!」

はいいいいい?!と危うく声に出しそうになる。淑女たるもの、慌てず騒がず動じず、物事は冷静に、を一瞬でも忘れさせるほどのインパクト。

「…殿下」
「話は分かったな? では、忘れずに来い。話は通しておく」
「お待ちください」

こちらの話も聞かず、一方的に切り上げようとしたヴットを呼び止める。承諾したなどと思われたらたまらない。冗談ではなかった。

「何だ? これ以上話すことなどない」
「私には婚約者がいます」
「だから何だ。解消すればよかろう」

どこまでも勝手なことを宣うヴットに苛つくが、相手は王族、と何度も唱え冷静さを保つ。

「ご存知かと思いますが、婚約は家同士の約束です。明らかな瑕疵を除き、一方的な解消は認められません。また、そのつもりもありません」
「何が言いたい」
「殿下のお申し出はお断りいたします」
「何だと?!」
「そもそも、初対面で閨の相手を、それも学園内で指名されること自体、王族の品位が問われるかと」
「無礼な!!」

どっちがだ、と実は事の成り行きを見守っていた周囲の多数が声に出さず突っ込んだ。登校の時間である。むしろ学生であふれていた。
何しに学園通ってるんだ…とか、寝言は寝て言えとか、こんなのが王族か、とか、遠巻きに見ていたギャラリーがひそひそしているのをこの王子だけが気付いていなかった。

「わかったわかった」

ふー…とこれ見よがしに溜息をついたヴットの台詞にエアリノスは嫌な予感がする。きっと何もわかっていないに違いない。

「側妃にしてやればいいんだろう。正妃ではないし、伯爵家だから父上も反対はすまい。ったく、強欲な女だな。本当に聖女なのか」
「……」

誰が、そんなことを、望んだと?
一言でも言ったか?といっそ張り倒してやりたい。ついでに侮辱発言について、証人は探すまでもなく多数いることだし、後日訴えてみてもいいかもしれない。
溜息くらいついても許されるのではないかと思ったが、堪えた。

「………先ほども申し上げましたが、お 断 り い た し ま す」

正直もうこの言語の通じない王族もどきとは会話したくないという気持ちが、ついお断りを強調する形になってしまった。

「おい、この俺が、側妃という地位まで用意してやったのに、何だその態度は!」
「再三、申し上げますが、婚約解消の予定もなければ、殿下の夜伽も側妃もお断りいたします」
「この俺に向かって、何たる言い草! 王族に仕える栄誉を何と心得る!!」
「生憎と、私の家が忠誠を誓っておりますのはこの国であって、殿下個人ではございませんので」
「なっ…なっ…!!」

顔を真っ赤にしたヴットは、怒りのあまり言葉を継げずにいるようだが。
断られるのがそんなに予想外だったのだろうかと、エアリノスは呆れる。権力をかさに着て、我儘好き放題しているとの噂を耳にしていたが、ここまで非常識且つ傍若無人だとは思いもしなかった。確かヴットは同年で16歳のはず。
王族教育ってなんだろうと遠い目をしてしまった。

「それでは、授業が始まりますので、失礼いたします」
「っ待て!」

と言われましてももう鐘の音が響いておりますので。
エアリノスは返事をせずにその場を立ち去った。憎々しげに背中を睨む、ヴットの視線を感じながら。



─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*




「─────ってことがあったのよ」
「………」

朝から疲労感を覚えたわ、と苦笑交じりのエアリノスに幼馴染兼婚約者の応えがない。口数は多くないが、相槌を打ちながらいつも話を聞いてくれるのに、と首を傾げる。

「シエル? どうしたの…?」

プランタン家、料理長自信作のお弁当(2人分)に舌鼓を打ち、満足気にデザートまで平らげたばかり。さっきまでは普通だったわよね?と思い返しつつも、俯き、言葉を発しない、今までにないシエルの様子に気が焦る。
幼い頃と違い、騎士を目指し修練を積んでいる彼には余暇というものがほとんどない。2時間もある昼食休憩の時間は、シエルと一緒にいられる貴重な時間だ。何か気に障ることを言ってしまったのであれば、謝らなくては。しかし、理由も分からずただ謝るだけでは何の意味もない。
幼馴染であるのに甘えて、聖女であるのに、愚痴ばかりで嫌になってしまったとか?
それとも、エアリノスが鬱陶しくなってしまったとか?
鍛錬に時間を割きたかったのに、婚約者の誘いは無下にできなくて、仕方なしに付き合ってくれてたとか?

「……エア」
「あ、ごめんなさい!」

ぐるぐると考え込んでいて、反射的に謝ってしまったが、目の前の彼はそんなエアリノスに無言で疑問符を飛ばす。何故謝るのか?とその目は言っている。
咎める眼差しではなく、単なる疑問を浮かべた色に、ほっと息をつく。

「な、何でもないの。それより、何を言いかけたの?」
「…その、第二王子とかいう奴だけど」
「うん」
「叩きのめしちゃっていいかな?」
「うん…え?!」

普段は冷静、穏やかな幼馴染から過激な発言が出てきた!

「エアの意思を無視しただけじゃなくて、貶めて、恫喝。…とても許せそうにない」

シエルはどうやらエアリノスのために怒ってくれていたらしい。嫌われたわけじゃなくてよかったと胸を撫で下ろす。
いやそんな悠長なことを考えてる場合ではなかった。
怒りのオーラを立ち昇らせ、今にも戦闘に突入しそうな物騒な気配が隣からしているのでは。

「待って待って。あれでも一応、曲がりなりにも第二王子、王族よ?」
「正式な決闘なら?」
「シエルが負けるとは思ってないけど、逆恨みされたらどうするのよ。嫌よ、私のせいで侯爵家に迷惑がかかるの」

シエルの家は国の貢献度で並ぶものなき騎士の家系。忠実に誠実に、国家に身を捧げている由緒ある家だ。エアリノス個人のいざこざで巻き込みたくはない。

「だが…」
「いいの。侯爵家の婚約解消なんて、王族でも個人の一存じゃできないでしょ? まして夜の相手としてだなんて」
「……エア」
「そりゃ、嫌な思いはしたけど。シエルが怒ってくれたし」
「当然だろう。怒らない方がおかしい」

ふふっと笑みが漏れる。
貴族の結婚は家の結びつき。政略が当たり前の世界なのに。
幼馴染で婚約者というだけではなく、シエルはエアリノスを心から大切にしてくれる。だからというわけではないが。

「…シエル、好き」
「俺も好きだよ、エア」

返してくれる優しい声に、髪を撫でる柔らかい手に、幸せな気持ちで満たされる。



─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*



『エアは綺麗なんだから、そいつだけじゃなくて、くれぐれも気をつけて。…1人にならないように』

低い心地よい声を、今日はいつもより聞けたことがエアリノスの気分を浮上させる。彼の声をもっと聞きたいと思うのに、聞いてほしいことが後から後から出てきて、結果的にあまり聞くことができない。それはそれで、幸せなことであるのかもしれないけれど。

エアリノスのために怒ってくれたのが嬉しくて。心配してくれたのが嬉しくて。
浮かれていたのかもしれない。
油断していたのかもしれない。

1人になるな、と言われていたのに。聖女といえど、身を護るための力も術もないことは十分わかっていたはずなのに。

友人と別れ、家の馬車が待つ、学園の入口まで歩いていたとき、それは起こった。


「─────っ?!」


突然口を布のようなもので塞がれ、抗えないほどの強い力で薄暗い繁みへ引きずり込まれる。そのまま地面へと投げ出されて小さな悲鳴が漏れた。すぐさま起き上がろうとするエアリノスを顔の見えない男が抑え込む。
何が起こっているのか状況が掴めないにしても、助けを呼ばなくてはいけないことは理解できる。だが、無理やり押し込まれた布によって、上げかけた声は殺された。

「んー、ん─────!」

じたばたと手足をばたつかせるが、びくともしない。両手を頭上で纏め上げられ、ろくな抵抗もできない。

「はっ、いいザマだな、聖女サマ?」

顔はやはり視界が暗く見えづらいが、声で誰なのかはわかった。

「よくも、この俺に恥をかかせてくれたな!」

始めから最後まで勝手に喚いていただけで、恥も何もあったものか。

「よって、お前に罰を与える」

顔は見えないのに、目つきはギラギラしていた。興奮しているのか、息は荒い。気持ち悪い。
これから何をしようとしているのか。されるのか、わかりたくないがわかってしまった。おぞましさに震えが止まらない。

「なんだ、怖いのか? 聖女の力とやらで逃げてみたらどうだ」

身に纏うものが無造作に引きはがされ、肌の上を這う獣の手。感覚をひたすらなくし、ただ耐えた。


「─────っ!!!!」


何度も何度も蹂躙され、やがてエアリノスは意識を失った。



─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────*




目が覚めると、見慣れた自室のベッドの上だった。

「母様…?」

視線を巡らすと、気遣わし気な色を湛えた母の目が側にあった。
エアリノスの目覚めを待っていたのだろうか。

「エア、どこか痛くはない…?」

母の言葉に何の気なしに身じろぎすると、身体の奥が鋭い痛みを訴えた。

「え、何…?」

何、この痛み?
いや、そもそも就寝した覚えがないのに、何故ベッドに…。 


『聖女の力とやらで逃げてみたらどうだ』

『気持ちいいのか? いいんだろう?』

『オラッしっかり受け止めろ! 王の子種を出してやるからな!』


フラッシュバックする、身の毛のよだつ、声。声、声!

「……っ…い、」
「…エア?」
「いやああああああああああああああああああっ…!!!!!!!!!!!!!」

思い出した! 思い出した! 思い出した…!!

気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!!!!!!


絶叫し、その場で嘔吐したエアリノスは、再び気を失った。







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