愛があれば、何をしてもいいとでも?

篠月珪霞

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始まり

「おいで」と優しく差し伸べられた手をとってしまったのが、そもそもの間違いだった。
何故、あのときの私は、それに縋ってしまったのか。
生まれ変わった今、再びあの男と対峙し、後悔と共に苦い思い出が蘇った。

「我が番よ、どうかこの手を取ってほしい」

過去とまったく同じ台詞、まったく同じ、焦がれるような表情。
まるであのときまで遡ったようだと錯覚させられるほどに。






そう、私には前世の、ティエラ・アルジェントだった記憶がある。物心つく頃くらいに、自然と思い浮かんできたもの。徐々に薄れていき、思い出すこともなくなっていた記憶。






──アルジェント家は伯爵位を賜っていたが、取り立てて目立つところはない、平凡な家門だった。裕福でも貧しくもなく、至って普通の。
ティエラは子爵家次男の父と伯爵家長女だった母との長子で、れっきとした伯爵令嬢だった。母が亡くなったと同時期に父は再婚し、後妻とその娘がやってきたのが11歳のとき。普通だった私の生活が普通でなくなったのは、それからだった。

義母からすれば、前妻の娘など目障りでしかないのは分からないでもない。とはいえ、それは虐げてもいい理由にはならないが。
血筋的にティエラが正統な後継であろうとも、他に後見もいない成人前ではなすすべもなく、使用人同然の扱いを受けるようになった。
始めは抵抗の意思を見せていたが、罵倒、暴力に加え、食事を抜かれた。実に楽し気に告げられるそれらに、罰と称した憂さ晴らしなのだと気付いてからは逆らうことをやめた。

従順にしていれば、少なくとも衣食住には困らない。それが、母が存命だったときとは比べるべくもなく、質が劣るものであっても。朝から夜まで働きどおしだったとしても。娼館に売られたり、嗜虐趣味のある人間に嫁がされないだけまだマシだと思っていた。
ドレスもアクセサリーも奪われてしまい衣服すらろくになくても、母の残してくれた本だけは残った。知識を得るのに書物だけでは限界があるにせよ、何も残らないよりは遥かにいい。捨てられたり破られたりしなくて本当によかった。月明かりのほの暗い中で、大切に読んだものだった。

祖父母はとうに亡く、母もまた。使用人も義母たちに阿るような人間ばかり。どこにも1人も味方などいない私は、家を継ぐことなど考えもしなかった。
幸いとは言えないかもしれないが、1人で生活するために必要なことは、すべて覚えた。掃除、洗濯、料理、平民並みの金銭感覚すら。
ただ、自由になりたかった。
生きていく以上、何かしら柵があり、完全な自由が存在しないことなど分かっていたけれど。家族とも呼べぬ血から、縛るだけの貴族の血から、私を私として見ないすべてのものから、解放されたかった。
他人に決められ押さえつけられる人生から、自分で選んで生きていけるように。
いずれ、この家を出ていく。
それだけを希望に、言いつけられた雑事を黙々とこなしていくのが日常だった。

その雑事のひとつに、町への買い出しがあった。末端とはいえ上位貴族であるから、出入りの商人に言いつけるだけで済むのだが。町までは少し距離があったので、平たく言えば嫌がらせの一環だったのだろう。
私が逃げたり助けを求めたりするとは考えなかったのだろうか、とは思った。すぐにその理由にも気付いた。
たとえ私が助けを求めたところで、町の人間にはどうすることもできないのだと。匿えば、罰を受けるだけ。逃亡に手を貸しても、発覚すれば同じこと。そして、人の目はどこにでもあるのだと。
分かっていて、領民を犠牲にするようなことはできなかった。それ以前に私が、領主である伯爵の娘とは誰も気付かなかったけれども。母と視察に来ていた頃はまだ幼少の時期であったのと、当時の私は令嬢らしからぬ様相だったから。
その日は、息を切らしながら両手の荷物を落とさないように持ち、帰宅している途中だった。

──出逢ってしまったのだ、あの男に。

『見つけた!』という喜色に満ちた若い男の声がしたと同時に、抱き締められたのだ。後ろから。
不意打ちに、思わず持っていた荷物を取り落としてしまったのを覚えている。必要のないものと知っていても、傷んでしまった事実を嬉々として責められるだろうことがありありと予想できたからだ。
肩を落とした私を抱き締めたまま気遣う男。初対面で無作法どころではなかった。

『君は俺の番なんだ!!』
『俺は狼の獣人なのだが、番というのは唯一の運命の人で、君がそうなんだ!』

言い募る男に、だから何だとしか思えなかった。不審者、いや変質者以外の何者でもないと冷ややかに見返すと、男は目の前で跪いた。

『我が番よ、どうかこの手を取ってほしい』

当然即、断った。男が、それまでティエラが見たことのないほど野性味あふれる美形で気品ある佇まいだったとしても、同意なく突然抱き締めるような輩は願い下げだ。ついでに番だの運命だの、そんなことに割く余裕はなかった。心も身体も。それで終われば、話は簡単だった。
荷物は傷んだものだけ弁償してもらい事なきを得たが、それから家を出るたびに付き纏われ、求愛され、家を知られたときはタイミングよく、いや悪く、修羅場だった。



町で男といるのを見かけたと他の使用人から報告を受けたらしい、義母から呼び出され。
使ってみたかったのよねえ、と舌なめずりしながら義母は真新しい鞭をしならせた。
ここ数年はつけ入る隙を見せなかったのが、却って悪かったのだろうか。今までは人を使っての殴打程度で、あからさまに傷が残るような痛めつけられ方はされなかったというのに。
振り上げられた鞭に、まず1度目は衣服ごと皮膚が裂けた。
悲鳴を上げ、誤解だと許しを乞うても無駄だった。躾など、口実に過ぎなかったから。
肉が裂け、血だらけになりながら、熱さと痛みで朦朧としかかったときに、あの男は現れたのだ。どこから入り込んだのか、義母はどうなったのか、痛みに呻いていた私には分からなかった。
新たな衝撃が突如なくなったのを怪訝に思いながらも、この屋敷で助けなど来ないはずなのにと。
霞む視界の中、朧げに映ったのは見覚えのあるアンバーの瞳。傷ましそうな、自分こそが傷を受けているような顔。
もう大丈夫だと、ここから連れ出してあげると。
そして言ったのだ、『おいで』と。

救いが来たのだと思ってしまった。
この痛みから逃れられるのだと、思ってしまった。


あの頃の私が、何よりも求めていたもの。
必死に伸ばした手の先は、その”自由”から最も遠いところにあるのだということに。


新たな地獄の始まりだと、気付かずに。










─────*─────*─────*─────*─────*─────*─────

前回、お気に入りやいいね下さった方、申し訳ありません(>_<)
数年ぶりに書き出して、ようやく書き方を思い出したので、一度削除して改稿しました。。

書くきっかけになったのは、番もので、嫌い嫌いで結局ほだされている話に思うところがあったので。
感想 1

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