どうして僕を愛おしいという目でみるのですか

くまだった

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 倒壊してくる神殿の壁と湧き上がる白い煙に阻まれて、彼の姿が見えなくなる。僕を抱きしめてくれた彼の体は崩れた石の下敷きになっていく。僕の体は誰かわからない男に引きずられていく。

 まさか最後に彼と離れるなんて、僕はまだ彼にちゃんと言っていない。

 ありがとうも、愛しているも、ごめんねも……

 僕は彼の名前を呼ぶけど、その声は建物が倒壊する音と人々の声や喧騒にまみれて、誰にも聞こえなかった。



※※



 黒髪黒目の僕は生まれた時から両親に忌み嫌われていた。このハイランド国では黒は黒魔術に通じる不吉な色合いだとされていた。黒髪に黒目は不幸の象徴だ。ハイランド国の害をなす存在。

 物心ついた時の最初の記憶は「生まれて来なければ良かったのに」と母から何度も叩かれたというものだ。
 僕の家は、歴史のある水の魔法に因んだ家系のノルディス侯爵家で、父も母も水色の髪と瞳をしている。黒髪の僕を生んだ母は不貞を疑われたという。そのせいで母は僕を恨んでいた。

 妹は濃い青色の髪と青い瞳で生まれた。水の精霊の祝福を強く受けていると言われている。妹が生まれた時は侯爵家は喜びに沸いたという。

 その時、僕は暗くて狭い部屋に閉じ込められていた。屋敷中に響く歓声や喜びに満ちた声が聞こえてきて、何があったんだろうと思った。好奇心が押さえきれず、ドアに鍵がかかっていなかったから、みんなが集まっている部屋に見に行った。

 ドアの隙間から、長らく顔を見ていない母と乳母に抱かれた小さな赤子が見えた。

 父も嬉しそうに赤子を抱こうとしている。その時父に見つかった。喜色満面の父の顔が僕を見た途端、サッと顔色が変わった。優しい表情が強張り、使用人に怒鳴りつけている。僕は使用人につまみ出されて、後で厳しい折檻を受けた。

 折檻を受けた後、暗闇の中蹲っていると、ドアが開いた。廊下の明かりを背中に背負って、父の表情は真っ暗で見えなかった。
 手に短鞭を持っているのが見える。

 「せっかくの喜びがお前のせいで穢れた」
 「台無しになる。二度と家族と思うな」
 「存在が許されない」

 そんなことを言われたような気がする。激しい折檻のせいで気を失ってしまい、僕の記憶は曖昧だ。


 それから僕は屋根裏部屋にいつの間にか移されて、狭い一部屋でずっと暮らしていた。間違っても外に出ないように部屋には外鍵が掛けられていた。

 前の持ち主の古びた本が、古びた棚に2冊あった。「これなんだろう」
 時間だけはあった僕は、意味がわからないなりにずっと読んでいた。
 元の持ち主は字の練習をしていたのか、難しい字の隣には読み仮名みたいなものが書かれていた。それを何度もまねたり読んだりした。

 後になってそれは隣国に古くからある伝説の話や宗教の本だとわかった。本の中に後光が頭と背後から照らし、微笑みをたたえた女の人と、その腕に抱かれている安らかに目を閉じた赤子の絵姿があった。
 その子供は女の人に大切にされているのがわかる。女の人の表情やその抱き方から、子供を愛しているということが伝わってくるのだ。
 大事に大事に思っていると伝わってくる。

 僕の目から涙がこぼれていく。どうしてその絵を見て涙がでてくるのかわからない。ただただ涙が流れていく。

 見ていて気持ちのよい絵だった。母が子供を愛するのは当然のような絵。なのに悲しくなるのはどうしてだろうか。
 僕はぎゅっとその絵の載った本を抱きしめた。

 毎日1回だけ水とパンが運ばれる。骨と傷だらけの皮だけの貧弱な体と顔は骸骨みたいで不吉だと、使用人たちにも更に嫌われていた。
 1日3回あった食事がいつの間にか2回になり、ついには1回になってしまった。それさえもない時が最近はあり、斜めの天井から見える小さな窓から青い空を眺めながら
 「あーこのまま僕は死ぬのかな」とぼんやりと考えていた。

 死は僕にとっては、隠れて飼っていた家ネズミのことだ。パンのカスを狙って、壁の穴からこちらを覗く小さな存在に、僕はいつのまにか声をかけていた。
 「どうしたんだい」
 近寄るネズミを無意識に撫でていた。
 「かわいい」
 ネズミも僕に懐いてくれた。僕にとっては大切な友達だった。目がくりくりして毛並みは真っ白だった。僕と正反対の色も好ましく、とても可愛かった。

 だけどある日、めったに来ない使用人にネズミが見つかり「汚い!」といって殺されてまった。
 その時のネズミの力のない姿がいつでも浮かぶ。
 「やめてやめて」と言った僕の声は使用人には届かなった。
 使用人に縋りつくと、「汚らわしい!」と邪魔をしたと殴られ背中を蹴られた。使用人は僕を蹴った後でそのままネズミを蹴った。ネズミの鳴き声が一回聞こえた。
 「まったく仕事を増やしやがって」
 痛みにうずくまっている間に使用人は部屋から出て行った。

 ネズミは床にへしゃげたように横たわっている。血は出てないけれど、触ってもぴくりともせず、温かくて気持ちのよい毛並みやお腹はどんどんとひんやりと硬くなっていっていた。同じネズミのはずなのにもう同じではなくなっていた。
 「僕のせいだ」

 僕と同じ名もなき友。
 「ごめんね。ごめん」
 何度も謝るけど、ネズミはそのまま二度と動かなくなった。

 小さなネズミは僕そのものだ。

 名前もなく、簡単に奪われてしまう命。

 何も悪いこともしていないのに、嫌われて奪われていくだけの生。
 僕は非力だ。この小さな命も僕自身も守ることができない。

 食事が一切届けられなくなって、何日も飲まず食わずでいた暑い日。
 ただ天井にある小さな窓から明るくて澄んだ青い空だけを見ていた。母や父のように冷たい水色じゃなくて、ただただ輝いて澄んだ青。

 この部屋で唯一いい所は空が見れることだ。たまに横切る鳥はアッという間に四角い空を横切っていく。

 このまま・・・。

 もう自由になれると思っていた。






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