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グラコス王国編 〜燃ゆる水都と暁の章〜
アーサーの最期
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アレンは楼船が入港すると、船を飛び降りて全力で走った。
足の裏を怪我していても、肋骨を折っていても気にしなかった。重篤という事はまだ生きている。だがいつ死んでもおかしくない。⸺もしかしたら、アーサーはアーサーでも別のアーサーかも知れない。
僅かな希望を胸に本丸まで辿り着くが、その希望はいとも容易く圧し折られた。その凄惨さに立ち竦むと、遅れて傷が痛んでくる。
「…嘘、皆は…!?」
本丸へ続く坂道には踏みつぶされた死体が残り、別の場所では死体が山のように積み上げられて焼かれている。美しかった本丸は黒く汚れ、窓硝子は全て割れていた。
此処へ来る途中、街中には焼死体や腐乱死体も転がっていた。
「ちょっと、通るぞ」
ガタイの良い男二人が担架で全身を火傷した黒焦げの人間か何かを運んでいる。しかし数はこれだけじゃない。
「こっちは駄目だ!担架は?」
「死体は放っとけ。先ずは生存者からだ!」
「駄目だ、こっちも腐ってる。そっちは?」
「こっちもだ。酷え匂いだよ」
「こいつは何とか生きちゃいるが…駄目だな。焼却だ」
いたる所から黒い肉塊が瓦礫の下から引っ張りだされ、まるで野菜のように無情に選別されていく。
アレンの初陣、ヨルムも出陣したフェリドール・リサリア戦争ではこのような状況だったのだろうか。もうあれから十五年の月日が経過した。今となっては確かめる術も無い。
アレンはその場から逃げるように本丸へ向かって走り出した。〈神風〉の名に劣らぬその速さは怪我をしていても健在で、傍から見れば身内の訃報か何かを聞いた者が慌てて避難所へ駆け込んでいるようにも見える。しかし半分正解で、半分不正解だ。アレンは只、アーサーの無事を確かめたい、無事だと信じたいだけで、同時に凄惨過ぎるその光景と過去の罪過から逃れたい。この二つだけだった。
「アーサーっ!」
本丸の扉を勢い良く開けて叫ぶが、上手く呼吸出来ずに掠れた声だけが出る。だが一人、アレンに気付いた者が居る。
「阿蓮!」
美凛だ。
美凛は口布で鼻と口を覆っているが、その布の下にある口はわなわなと震えている。
「アーサーが…アーサーが!」
「案内して!」
美凛はアレンの手を掴むと、床に寝かされた怪我人の間を縫うように走った。
城の廊下を走る絨毯はどこもどす黒い血か何かで汚れ、開放された窓から入って来る潮風はいつもの爽やかな磯臭さではなく、腐敗臭と肉の焼ける匂い、そして死の匂いを運んで来る。
アレンと美凛はキオネの執務室に辿り着いた。執務室にはダルカンやゼオルなど、〈プロテア〉の幹部と除霊師、パカフ、そして硝子職人のジョンブリアンが集まっており、泣きじゃくるパカフを除霊師が抱き締めている。
「アーサー、アレンが来たよ」
ゼオルは顔を真っ白にしながらそう言った。
アレンが近付くと、〈プロテア〉の面々は左右に分かれてアレンに道を開ける。〈プロテア〉の幹部に囲まれて横たわっていたのは、四肢を欠損した一人の少女とアーサーだった。
「…アーサー…?」
服を脱がされたアーサーは身体中を包帯で巻かれているが、包帯は腐った血で汚れており、腐敗臭がきつい。
「…アレ、…ン?」
ゼオルは水晶盤を持ったまま言った。水晶盤の向こうには苏月が居るが、その表情からは何も読み取れない。
「…その女の子を助けた直後にあのガスを浴びたらしい」
しかしアレンには何も聞こえなかった。腐敗臭に吸い寄せられる蝿のようによろよろとアーサーに近付くと、へたり込むように座った。
「ごめ、ん…なぁ…」
死に逝く者の口から出たのは謝罪だった。
「…ごめんって、何がだよ」
「こんな、ナリで…怖い思いを…させ…て、ごめ、…な…」
口から真っ黒な血が溢れて包帯を汚す。掠れた声はもう嘗てのように歌を歌えない。アーサーは、確実に死への坂を下っているのだ。
だがアレンは認めたくなかった。
「治す」
そう言って魔導書を取り出すと、誰かが叫んだ。
「アレン待って!」
走るのが遅いフレデリカは社龍におんぶして貰って此処へ来たようだ。
フレデリカは社龍の背を降りるとアレンの手を掴んだ。
「君の身体じゃ無茶だ」
「いや、魔導書がある」
しかしフレデリカは叫んだ。
「命あるモノの時を戻す魔法は!」
そう言って魔導書を取り上げる。
「君の技術では扱いきれない!魔導書に頼っても、君の魔力は増加する。そうしたら身体が⸺」
「じゃあどうしろってんだよ!」
アレンの怒鳴り声にフレデリカは何も返せなかった。愛しい者へ、「叔父の命を諦めろ」と面と向かって言うだけの度胸がフレデリカには無かった。そんな度胸はこの数ヶ月で失くしてしまった。
「お前はさっきの戦いで魔力を全部使っただろ、俺じゃなきゃ治せねぇだろうが!今俺以外にあのガスを吸った奴を治せる奴は居ないだろ!」
そう言ってアレンはフレデリカから魔導書を取り返すと、以前地震で散らかった部屋を元に戻した時のように魔法を使おうとした。
「アレンやめて!」
アーサーの左腕に手を掲げると、アレンはアーサーと少女の身体がすっかり元通りになる様を想像した。しかしアーサーの左腕が元へ戻り始めたその瞬間、アレンの指先から亀裂のような裂傷が走る。
「アレン!」
フレデリカが叫ぶと同時に、アーサーの腐った左腕がアレンの魔導書を弾き飛ばした。その勢いで骨まで腐った腕は千切れ、汚い音を立てて床に落ちる。
「アーサー、何で…」
アレンの問いにアーサーは笑って答えた。
「俺ぁ…お前を、傷付けてまで…生き長らえようと…思わねぇよ」
アーサーは執務室に居る一同を見て言った。
「最期に、叔父貴と…アレンと…俺の、三人で話したい」
フレデリカは拳を握ると、水晶盤に浮遊魔法を掛けて部屋を出た。それに続くように一同が部屋を出て行く。
パカフの鳴き声が分厚い扉で小さくなると、アーサーは口を開いた。
「叔父貴…、俺が死んだら…アレンの、こと…宜しく、頼む…こいつは今、帰る…家が、無いんだ」
水晶盤の向こうに居る彼の表情からは何も汲み取れない。しかし、苏月は一瞬目を伏せると低い声で言った。
『最期の頼みはそれだけか?』
「ああ…。迷惑、掛けて…ごめんなぁ」
『承知した。じきに本家討伐も終わる。封鎖令を解こう。〈プロテア〉の通行を許可する。アーサー、私はお前が嫌いだった。だが、一人の少女を助けようとした勇気は称賛に値する』
そう言うと苏月はアレンの方を向いた。
『最期の時だ。二人でゆっくり、後悔の無いよう話すと良い。…では、さらばだ』
そう言って水晶盤が真っ暗になると、アーサーは空間魔法で大剣を取り出した。くり抜かれた刀身に太さの違う弦が張られた楽器のような武器。
アレンの前に現れたそれを見ると、アーサーは言った。
「何か…歌って、くれよ」
そう言ったアーサーの目はもう開かない。死の時が近付いているのだ。
(どうしよ、俺何が歌える…!?)
アレンの焦りを感じたのか、アーサーは掠れた笑い声を漏らした。
「落ち着け…。お前の声は、母さん、譲りの…綺麗な声だ…だから、焦らなくて、良い」
アレンは廃村に隠れていた時アーサーがやったように弦を弾いた。しかし声が震えてアーサーのように上手く歌えない。息を吸い直そうとしたその時、肋骨が痛む。
「アレン…、泣くなよ。人はいつか…、フレデリカ以外、死ぬんだから…」
アレンが歌うのを止めそうになると、何とか腐っていない右手で床をコツコツ叩く。
「アレ、ン、大好き、だぜ…俺の分、まで…長生きして、くれ、や…」
「俺も…だから、だから…!」
「鎮魂歌が…甥からの、子守唄…良い、最期だ…」
アーサーは喋らなくなった。
「アーサー…?アーサー!アーサー!!」
アレンの怒鳴り声に〈プロテア〉の幹部達が部屋へ雪崩込んで来る。そこには息絶えたアーサーと彼が助けた少女、そして剣を抱き締めるように、静かに泣き崩れるアレンが居た。
足の裏を怪我していても、肋骨を折っていても気にしなかった。重篤という事はまだ生きている。だがいつ死んでもおかしくない。⸺もしかしたら、アーサーはアーサーでも別のアーサーかも知れない。
僅かな希望を胸に本丸まで辿り着くが、その希望はいとも容易く圧し折られた。その凄惨さに立ち竦むと、遅れて傷が痛んでくる。
「…嘘、皆は…!?」
本丸へ続く坂道には踏みつぶされた死体が残り、別の場所では死体が山のように積み上げられて焼かれている。美しかった本丸は黒く汚れ、窓硝子は全て割れていた。
此処へ来る途中、街中には焼死体や腐乱死体も転がっていた。
「ちょっと、通るぞ」
ガタイの良い男二人が担架で全身を火傷した黒焦げの人間か何かを運んでいる。しかし数はこれだけじゃない。
「こっちは駄目だ!担架は?」
「死体は放っとけ。先ずは生存者からだ!」
「駄目だ、こっちも腐ってる。そっちは?」
「こっちもだ。酷え匂いだよ」
「こいつは何とか生きちゃいるが…駄目だな。焼却だ」
いたる所から黒い肉塊が瓦礫の下から引っ張りだされ、まるで野菜のように無情に選別されていく。
アレンの初陣、ヨルムも出陣したフェリドール・リサリア戦争ではこのような状況だったのだろうか。もうあれから十五年の月日が経過した。今となっては確かめる術も無い。
アレンはその場から逃げるように本丸へ向かって走り出した。〈神風〉の名に劣らぬその速さは怪我をしていても健在で、傍から見れば身内の訃報か何かを聞いた者が慌てて避難所へ駆け込んでいるようにも見える。しかし半分正解で、半分不正解だ。アレンは只、アーサーの無事を確かめたい、無事だと信じたいだけで、同時に凄惨過ぎるその光景と過去の罪過から逃れたい。この二つだけだった。
「アーサーっ!」
本丸の扉を勢い良く開けて叫ぶが、上手く呼吸出来ずに掠れた声だけが出る。だが一人、アレンに気付いた者が居る。
「阿蓮!」
美凛だ。
美凛は口布で鼻と口を覆っているが、その布の下にある口はわなわなと震えている。
「アーサーが…アーサーが!」
「案内して!」
美凛はアレンの手を掴むと、床に寝かされた怪我人の間を縫うように走った。
城の廊下を走る絨毯はどこもどす黒い血か何かで汚れ、開放された窓から入って来る潮風はいつもの爽やかな磯臭さではなく、腐敗臭と肉の焼ける匂い、そして死の匂いを運んで来る。
アレンと美凛はキオネの執務室に辿り着いた。執務室にはダルカンやゼオルなど、〈プロテア〉の幹部と除霊師、パカフ、そして硝子職人のジョンブリアンが集まっており、泣きじゃくるパカフを除霊師が抱き締めている。
「アーサー、アレンが来たよ」
ゼオルは顔を真っ白にしながらそう言った。
アレンが近付くと、〈プロテア〉の面々は左右に分かれてアレンに道を開ける。〈プロテア〉の幹部に囲まれて横たわっていたのは、四肢を欠損した一人の少女とアーサーだった。
「…アーサー…?」
服を脱がされたアーサーは身体中を包帯で巻かれているが、包帯は腐った血で汚れており、腐敗臭がきつい。
「…アレ、…ン?」
ゼオルは水晶盤を持ったまま言った。水晶盤の向こうには苏月が居るが、その表情からは何も読み取れない。
「…その女の子を助けた直後にあのガスを浴びたらしい」
しかしアレンには何も聞こえなかった。腐敗臭に吸い寄せられる蝿のようによろよろとアーサーに近付くと、へたり込むように座った。
「ごめ、ん…なぁ…」
死に逝く者の口から出たのは謝罪だった。
「…ごめんって、何がだよ」
「こんな、ナリで…怖い思いを…させ…て、ごめ、…な…」
口から真っ黒な血が溢れて包帯を汚す。掠れた声はもう嘗てのように歌を歌えない。アーサーは、確実に死への坂を下っているのだ。
だがアレンは認めたくなかった。
「治す」
そう言って魔導書を取り出すと、誰かが叫んだ。
「アレン待って!」
走るのが遅いフレデリカは社龍におんぶして貰って此処へ来たようだ。
フレデリカは社龍の背を降りるとアレンの手を掴んだ。
「君の身体じゃ無茶だ」
「いや、魔導書がある」
しかしフレデリカは叫んだ。
「命あるモノの時を戻す魔法は!」
そう言って魔導書を取り上げる。
「君の技術では扱いきれない!魔導書に頼っても、君の魔力は増加する。そうしたら身体が⸺」
「じゃあどうしろってんだよ!」
アレンの怒鳴り声にフレデリカは何も返せなかった。愛しい者へ、「叔父の命を諦めろ」と面と向かって言うだけの度胸がフレデリカには無かった。そんな度胸はこの数ヶ月で失くしてしまった。
「お前はさっきの戦いで魔力を全部使っただろ、俺じゃなきゃ治せねぇだろうが!今俺以外にあのガスを吸った奴を治せる奴は居ないだろ!」
そう言ってアレンはフレデリカから魔導書を取り返すと、以前地震で散らかった部屋を元に戻した時のように魔法を使おうとした。
「アレンやめて!」
アーサーの左腕に手を掲げると、アレンはアーサーと少女の身体がすっかり元通りになる様を想像した。しかしアーサーの左腕が元へ戻り始めたその瞬間、アレンの指先から亀裂のような裂傷が走る。
「アレン!」
フレデリカが叫ぶと同時に、アーサーの腐った左腕がアレンの魔導書を弾き飛ばした。その勢いで骨まで腐った腕は千切れ、汚い音を立てて床に落ちる。
「アーサー、何で…」
アレンの問いにアーサーは笑って答えた。
「俺ぁ…お前を、傷付けてまで…生き長らえようと…思わねぇよ」
アーサーは執務室に居る一同を見て言った。
「最期に、叔父貴と…アレンと…俺の、三人で話したい」
フレデリカは拳を握ると、水晶盤に浮遊魔法を掛けて部屋を出た。それに続くように一同が部屋を出て行く。
パカフの鳴き声が分厚い扉で小さくなると、アーサーは口を開いた。
「叔父貴…、俺が死んだら…アレンの、こと…宜しく、頼む…こいつは今、帰る…家が、無いんだ」
水晶盤の向こうに居る彼の表情からは何も汲み取れない。しかし、苏月は一瞬目を伏せると低い声で言った。
『最期の頼みはそれだけか?』
「ああ…。迷惑、掛けて…ごめんなぁ」
『承知した。じきに本家討伐も終わる。封鎖令を解こう。〈プロテア〉の通行を許可する。アーサー、私はお前が嫌いだった。だが、一人の少女を助けようとした勇気は称賛に値する』
そう言うと苏月はアレンの方を向いた。
『最期の時だ。二人でゆっくり、後悔の無いよう話すと良い。…では、さらばだ』
そう言って水晶盤が真っ暗になると、アーサーは空間魔法で大剣を取り出した。くり抜かれた刀身に太さの違う弦が張られた楽器のような武器。
アレンの前に現れたそれを見ると、アーサーは言った。
「何か…歌って、くれよ」
そう言ったアーサーの目はもう開かない。死の時が近付いているのだ。
(どうしよ、俺何が歌える…!?)
アレンの焦りを感じたのか、アーサーは掠れた笑い声を漏らした。
「落ち着け…。お前の声は、母さん、譲りの…綺麗な声だ…だから、焦らなくて、良い」
アレンは廃村に隠れていた時アーサーがやったように弦を弾いた。しかし声が震えてアーサーのように上手く歌えない。息を吸い直そうとしたその時、肋骨が痛む。
「アレン…、泣くなよ。人はいつか…、フレデリカ以外、死ぬんだから…」
アレンが歌うのを止めそうになると、何とか腐っていない右手で床をコツコツ叩く。
「アレ、ン、大好き、だぜ…俺の分、まで…長生きして、くれ、や…」
「俺も…だから、だから…!」
「鎮魂歌が…甥からの、子守唄…良い、最期だ…」
アーサーは喋らなくなった。
「アーサー…?アーサー!アーサー!!」
アレンの怒鳴り声に〈プロテア〉の幹部達が部屋へ雪崩込んで来る。そこには息絶えたアーサーと彼が助けた少女、そして剣を抱き締めるように、静かに泣き崩れるアレンが居た。
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