モールス信号は恋のシグナル

チハヤ

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1話

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"この先18歳未満立入禁止 ガキは家に帰って勉強でもしてろ!"

 アダルトコーナーの仕切りのカーテンには赤い文字でそう書かれていた。
 中学生の私が入れない黒いカーテンの向こう側にどんな景色が広がっているんだろう。大人が子供に隠している世界を見てみたい。きっと魅力的で、刺激的な世界だ。

 元ヤンと噂の金髪強面店長が一人で切り盛りしているレンタルビデオショップモリサキ――
 新作映画や新譜CDの入荷が遅く品揃えもマニアックなこの店は駅前のチェーン店に客を取られてガラガラだけど、私は案外気に入っていた。新作を先に借りられる心配はないし、目付きも口も悪い店長の森崎さんは貧乏学生の料金をおまけしてくれたり、実は良い人だ。
 家の近所ということもあって幼い頃からよく利用している。心待ちにしていた夏休みを迎えて浮かれる私は終業式帰りに映画を借りに来ていた。

ツートツート ツーツートツー
ツートツート ツーツートツー

 店の奥から聞こえてきたのは初めて耳にする電子音だった。店の出入口から最も遠い位置にひっそりと設けられた18歳未満立入禁止コーナーの前に立ち、首を傾げる。
 18歳未満の客に向けた警告文が目に痛い厚手の黒いカーテンは床まで垂れ下がり、この先を完全に覆い隠している。不思議な音の出所はカーテンの奥からだった。

 幼い頃、どうして私はここに入ったらいけないのか聞いてみたことがある。お母さんは少し困った顔をしてから答えた。
 このカーテンは別の世界に繋がっていて子供が入ったら二度と帰ってこられなくなるのよ、と。私は怖いから絶対に入らないと思ったのと同時にその世界に強く心惹かれた。

 以来、借りるわけでもないのにカーテン近くの白黒映画コーナーへ頻繁に足を運び続け、わかったことがある。大人は子供がいる前では決してカーテンの中に入らないのだ。
 必ず私がその場を離れた隙を見計らって入室し、出て来た大人達はみんなこぞって俯きながら足早にレジへと向かう。
 その様子は何かとてつもない秘密を隠しているように見えたから、私は馬鹿なことを大真面目に考えてしまうのだ。
 カーテンの先にあるのはアダルトコーナーや怖い世界なんかじゃない。

 空が飛べる魔法の世界、
 飴玉の雨が降るお菓子の世界、
 お姫様になれる夢の世界、
 大人はそんな楽しい世界を私達子供に隠しているんじゃないかって。

ツートツート ツーツートツー
ツートツート ツーツートツー

 不思議な音は鳴り続けている。店長の森崎さんはさっき出入口横のレジでいびきをかきながら眠っていた。となると、誰が何の目的でこの音を鳴らしているんだろう?
 ……もしや、異世界からの通信音?
 私は溜まった唾をごくりと喉を鳴らして飲み込んで、店内を見回した。
 私以外に客はいない。爆睡中の森崎さんはしばらく起きそうにないし、この店の防犯カメラが実はダミーだってことも知っている。今ならカーテンの中に入っても誰にも気付かれることはない。

 黒いカーテンの向こう側、大人が隠している世界をずっと覗いてみたかった。私を誘うような音に背中を押してもらい、ぎゅっと目を閉じカーテンをめくった。
 一歩踏み出してゆっくり目を開けると、カーテンの先は異世界でした――


 なんてことはなかった。狭い通路の両脇に棚があり、裸の女性が映った声には出せないタイトルのパッケージがズラリと並んでいる。いわゆるアダルトビデオというやつだ。
 アダルトコーナーには初めて入ったけれど多分どこの店もこんな感じだと思う。

ツートト ト トトツートト トトツー トツー ツートツー

 一つだけ普通と違うのがこの不思議な音。通路の一番奥に用意されているアダルトコーナー専用レジの方から聞こえるようだった。
 森崎さんしか店員がいないためここのレジは長らく使われていないようだ。
 私は無人のレジに近寄ると慎重に身を乗り出してレジ裏を覗き込んだ。レジ裏の床には布団が敷かれ、お菓子のゴミやゲーム機、漫画なんかが散乱していた。

「「あ」」

 布団の上で横になり、こちらを見上げていた男の子と目が合った。二人で同時に声を漏らす。
 不思議な音は男の子が手に持っているスマートホンから出ていた。
 なんだか眠たげな目をした男の子で、中学生くらいに見える。同じく中学生の私が言えた義理ではないかもしれないけど、どうして彼はアダルトコーナーでこんなにもくつろいでいるのだろう。

「スターチルドレン?」
「え?」

 彼がグミを口の中に入れて口元をもごもご動かしながら首を傾げる。が、まず"スターチルドレン"ってなに?

「スターチルドレンスターチルドレン……あ、芸能人の子供ってこと?」
「違う。地球人に転生した異星人」
「あはは、そんな人いるわけ……」
「僕がそれ」
「え……」

 カーテンの先には期待していたような異世界はなかったけれど、変わった男の子がいました――
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