モールス信号は恋のシグナル

チハヤ

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3話

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"・・・ー  ・・ ・・ー・ー ・ーーー ーー・ーー ー・ ・ーー・・ ー・ーー・ ・・ー・・ ーー  ・ー・ー ーーーー  ーー・・ー ・・  ー・・ー ーーー・ー"
"ぐみをあたえるとよろこびます"

 ポスターの上に貼られていた暗号文と、モールス信号の本に載っていた符号を照らし合わせたらトーイくんのことが一つわかった。
 モールス信号にはそんなに興味がない。でも、トーイくんには大いに興味がある。
 トーイくんのことをもっと知りたいと思うからグミを手土産に今日も彼に会いに行く。


 コンビニでトーイくんの好きそうなグミを買って意気揚々と入店したものの――
 本日の森崎さんの心のお天気は雲一つない快晴。「おう、元気か?」なんて片手を上げ、上機嫌で迎えてくれた理由は昨日パチンコで十万勝ったからだそうで。
 今日はトーイくんに会えない予感にうなだれながら白黒映画コーナーの前をうろうろしていると、あの黒いカーテンから男の人が出て来た。

 久しぶりに他のお客さんを見た。夏休みに入ってから初めてだ。"私以外の客"なんていう存在は都市伝説の類いだと思っていた。
 珍しい存在を思わず凝視すると、大学生くらいのその若い男の人は手に持ったDVDを気まずそうに抱えてレジへと向かう。
 そんな姿を見て一つの疑問が生まれた。トーイくんはあそこがアダルトコーナーだと理解しているんだろうか?

「おい、中学生。お前どうせまた時間掛かるんだろ? 二階にいるから用があったら声掛けてくれ」
「え、他のお客さんが来た……ら……都市伝説ですよねー…」
「……シバくぞ」

 森崎さんはCDコーナー近くの関係者専用ドアの中に入っていってしまった。
 現在三十代半ば、独身の森崎さんはこの店の二階部分である自宅で一人暮らし中だ。美味しい肉じゃがを作ってくれる彼女を募集中らしいが、競馬やパチンコに明け暮れているようでは春は遠いよね……と私はたまにお母さんと話している。
 何はともあれ、これで心置きなくアダルトコーナーに入れるのだ。
 森崎さんは私を信頼しているから店を留守にしたのだとわかるだけに裏切るのは心苦しい。けど、トーイくんに会いたい気持ちが勝った。
 帰りにアルバムを三枚借りるからと言い訳しながら不良への道を歩むしかなかった。

 今日はカーテンの奥からモールス信号が聞こえてこない。トーイくんは来ていないのだろうか?
 珍しく静かなアダルトコーナーの雰囲気にあてられ、私も息を殺してレジに近付いていった。すると、トーイくんは腰が抜けたみたいにぺたんと布団に座っていた。
 どうも様子がおかしい。ヘッドホンをしている顔は茹でダコみたいに真っ赤で、ノートパソコンの画面を見つめながら口をパクパクさせている。
 私の存在に気付かないくらいトーイくんの目を釘付けにしているものがなんなのか。好奇心が湧いて、こっそりレジ裏へ回る。
 そうして覗き込んだパソコン画面に映っていたのは、大人が子供に隠したがっている刺激的な世界。裸の男女が絡み合う映像だった。

「AV見てるの!?」
「っ! わああっ! ノックくらいして!」

 ビクッと肩を揺らして私に気付いたトーイくんがノートパソコンを慌てて閉じる。

「ご、ごめん……あ、でもノックってどこにすればいいの?」

 すかさず声を張り上げ「どこでもいいよ!」と投げやりに返してきた。
 トーイくんのこんな大きな声を聞くのは初めてだし、新たな一面を知ってしまった。教室でふざけて下ネタを言っている男子達みたいにトーイくんもアダルトビデオを見たりするんだ。
 地の利を生かすとはまさにこのことだね。

「ち、違……っ、さっきここに来た客がこれおすすめって言った! 夏々来ないし暇だから見てみようって思って。こ、こんな……っ、こんなのだって知らなかった!」

 まだ何も言ってないが私の考えていることがわかったらしい。トーイくんはノートパソコンを抱いて立ち上がるといつになく饒舌になった。
 グラビアアイドルのポスターを背に、言い訳をする声は上擦っている。視線は私の後ろ……アダルトコーナーの棚へと注がれ、右の棚を見ては左の棚を見て忙しい。

「う、家のクーラー壊れてる。この店はいつも涼しい。でも店の中で布団敷いたら怒られて……っ、ここならバレない。だからここにいた。本当だよ……!」

 いつも短く区切って話す癖のあるトーイくんはきっと、話をするのがあまり得意ではない。
 それでも私の誤解を解こうと一生懸命話してくれている。トーイくんの言葉に嘘がないことはすぐに伝わった。

「こ、こんなの見たことなかった。初めて見た……本当に本当だよ……」
「あ……トーイくん……あの」

 震える声とじわりじわりと溜まっていく涙。どうしよう。早く謝らなければいけないのに、今にも泣き出しそうなトーイくんを前にして私はうろたえるばかりで言葉が出て来なくなる。

「もう一生見ない。ここにも来ない……っ」
「トーイくん……!」

 トーイくんがノートパソコンを布団に落としてレジ裏を飛び出していく。
 アダルトコーナーの狭く短い通路を俯きながら走って走って……普段走ることがなさそうなトーイくんの全力の走りはとても不格好で、びっくりするほど前に進まない。
 こんなに足が遅い男子滅多にいないだろう。おかげでトーイくんがカーテンの外へ出る前にその細い腕を捕まえることが出来た。

「勝手に覗いて本当にごめんなさい。でももう来ないなんて言わないで。お願い!」
「っ、だって……っ、夏々にすけべな奴だと思われた……!」
「思ってな……あっ、グミ!」
「え……?」

 私の手を振り解き、再び走り出そうとするトーイくんを何とか引き留めたくて。行きに買ったグミの袋を鞄から取り出してトーイくんの前に突き出した。
 トーイくんは足を止め、きょとんとした顔でグミを見つめる。昨日トーイくんにもらったハート型で少し酸っぱいピーチ味のグミと同じものだ。
 何個も食べていたから恐らくこのグミはトーイくんのお気に入り。

「"グミを与えると喜びます"、ポスターの上に貼ってある紙ってそう書いてあるんだよね?」
「なんで……」
「モールス信号の本買って調べたんだ。トーイくんとお話したかったからだよ」
「……あ、りがとう」

 トーイくんはまるで表彰式のようにグミを両手で受け取り、くすぐったそうに笑った。細められた綺麗な瞳に涙はもう滲んでいない。
 トーイくんの笑顔を見られるのなら毎日でもグミを買って来ようなんて思ったことは秘密にして、私も笑い返した。
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