龍王様の半身

紫月咲

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3章 なつなの初恋

恋の足音

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とてつもなく胸が痛い。痛い、痛い。
どうしてこんなに苦しくなるの。
こんなにも、痛くて、泣きたくなるものなの…?




「では、行きましょうか…アナマリア王女殿下。――サーナ、また。」
「はい。それでは失礼致しますわ、殿下。」

彼女に微笑みかけた彼。
それに応えるように可憐な微笑みを返して、私に淑女の挨拶をする王女殿下。

誰の目から見ても、お似合いの美男美女。
彼女をエスコートするために、自然と重ねられた2人の手のひら。

こちらを振り返らずに去っていく姿に、無意識に――涙が零れていた。






    *





「——なつな?何だか元気がないね…何かあった?」
「え…」

ふと気遣う声が聞こえてぼんやりと顔を上げれば、心配そうな瞳で私を見つめるレイの姿。
そこで私は、またため息をついてぼーっとしていた自分に気づき、慌てて首を振った。




「ううん、ごめんね。何でもないの!…今日は暖かいから、ぼーっとしていたみたい。」
「そう?ごめんね、折角こうしてきてくれたのにお茶に付き合ってあげられなくて。本当は、執務なんて放り出したいんだけど…」
「ダメだよ、そんなこと!ただでさえ私は、まだ手伝えないことが多いんだもの。邪魔するのは本意じゃないから。」
「うん、なつなならそう言うと思った。もう少しだけ待っていて?目処がたちそうなんだ。」

そう言って微笑んでくれたレイに頷いて、私は紅茶に口をつける。
その時に、心配そうに私を見つめる視線に気づいて、苦笑いを浮かべながら心話しんわで語りかけた。





(…大丈夫。ホントにぼーっとしていただけだから)
《なつな様…。最近、上の空な様子が多いのでは…。何か気にかかることでも?》
(ううん、何も。きっと春だからかもしれないわね)

気遣う声にそう返して、私は話を区切るように窓の外を見る。
するとその視線に気づいたレイが、何か思いついた様子で、口を開いた。




「――そうだ。なつな、庭を散歩しない?」
「え?」
「まだあまり外には出たことがなかっただろう?今の時期は、アメリアの花――君がいた世界でいう、バラの花が見頃なんだよ。ねえ、シェリア?」
「ええ、そうですわね。白や黄、紫やピンク…様々な色の花びらが美しいんですのよ。きっと、なつな様もお気に召されますわ。」

2人の話に、心が少し浮上する。
そんな私の気持ちが表情にも表れていたんだろう。
柔らかく微笑んだレイは、シェリアさんを見る。




「シェリア。申し訳ないけど、先になつなを庭に案内してあげてくれる?僕も執務を終わらせて、すぐに向かうよ。」
「かしこまりました。さあ、なつな様…ご案内しますわ。」
「ありがとう。シオンとコハクも行こう!」

私の弾む声にどこか嬉しそうな様子で頷いたコハクの背に乗り、シオンも頷いてくれる。
そしてレイの執務室を後にして、廊下に出る。
シェリアさんの案内で階下に降りて、バルコニーに出ようとした時。





「――まあ、これは殿下。ご機嫌麗しく存じます。」

鈴が鳴ったような声っていうのは、きっと彼女の声のことを言うのだろう。
視線を向ければ、そこにはウェーブのかかった長い金髪を揺らし、可憐に微笑む美女。
あの王太子殿下の妹で――このところ私の心に波紋を広げる、アナマリア王女殿下の姿があった。




「王女殿下こそ、ようこそ。」

その姿に、侍女であるシェリアさんは私の後ろへと下がる。
そして私は既に習慣となりつつある外向きの微笑みを貼り付けて、形式通りの挨拶を返す。




「このようなところでお会い出来るとは、思ってもみませんでしたわ。殿下はどうして?」
「…庭を散策するところだったんです。龍王から、アメリアの花が見頃だと聞いたので。」
「まあ、そうでしたの。確かにこの時期のアメリアの花はお勧めですわ。香りも楽しめますのよ。」
「そうですか。王女殿下は――ライナスとの面会でしたね。」

そう言った私の言葉に、微かに赤く染まる頬。
こんな可愛い反応をするのに、私より年上だっていうんだから恐ろしい、なんて。
自分が思ったことに痛む胸をごまかすように、微笑みかける。




「ええ、そうですの。水龍様には、最近お時間を取って戴けることが多く…とても光栄で、心より嬉しく思っておりますの。」
「…そうですか。」
「あまりにお話が弾んで、いつも時間が足らなくなってしまって…こうして何度も足を運んでしまいますの。でも水龍様は、いつもわたくしのことをお優しく迎え入れて下さって…」
「…っ…そう、ですか。」

彼女の口から聞かされる2人の仲睦まじさに、胸の痛みが強くなる。
心の波紋もどんどん広がっていくようで、この感じたことのない苦しさに、私は思わず瞼を伏せた。




「殿下。このようなことをお伺いするのは、とても恐れ多いことなのですけれど…水龍様はどういったお召し物がお好きかご存知ではなくて?」
「え…?」
「龍の皆様はあまり凝ったお召し物はお好きではないと聞いたので、気をつけてはいるのですけれど…少しでも水龍様に好感を持って戴きたくて。」
「…っ…」
「お兄様の意見は当てになりませんの。近頃はいつも殿下のお話ばかり…仲がよろしくて羨ましいですわ。」
「…は?」
「お2人も白王宮でよくお会いになっていらっしゃるようですし…これからもお兄様をよろしくお願い致します。どなたが見ても、お似合いのお二人ですわ。」
「ちが…っ、」

見当違いな王女殿下の言葉を私が否定しようとした時、響く足音。
それに嫌な予感がして振り返ろうとすれば、それより早く聞こえた、今この場では聞きたくなかった低いテノール。





「――サーナ?」
「ライナスさん…」
「ああ、王女殿下もご一緒でしたか。」

私を見つめて柔らかく微笑んだ後、すぐに私の傍にいた王女殿下の姿に気づき、ライナスさんは目を細める。
その仕草がどこか特別なもののように見えて、また私の心に激しく波紋が広がっていく。




「どうしてこんなところに?」
「あ、あの…庭を散策しようかと思って。レイに勧められたんです。自分も後から行くからって。」
「――そうですか。王が…」

何やら含んだ物言いをしながら頷いたライナスさんを見つめていると、そんな彼に歩み寄り、王女殿下がその腕に触れる。
それがとても自然な仕草に見えて、私は思わず息を呑む。




「水龍様、これからお伺いするところでしたの。この間のお話、お兄様に伺ってきましたのよ?」
「ああ、そうでしたね。ただこのような場で話すのもなんですから、僕の部屋に参りましょう。」

見つめ合いながらそう話し、ライナスさんは、また自然に自分の腕に触れる王女殿下の手を取る。
2人のそんなやり取りを見たくなくて、私は目を逸らす。
そして思わず、痛む胸を両手で握り締めた。




「…サーナ?どうか――」
「水龍様?参りませんの?」

私に対して何か言いかけたライナスさんの言葉を聞く前に、王女殿下がそれを遮る。
それに話の腰を折られる形になったライナスさんは、ふっとため息を漏らすと、王女殿下に微笑みかけた。




「いえ…。では、行きましょうか…アナマリア王女殿下。――サーナ、また。」
「はい。それでは失礼致しますわ、殿下。」

そうして2人が去った後。
そんな2人の姿を見続けることが出来なくて、俯くことしか出来なかった私は。
そっと腕に触れたたおやかな手の感触にノロノロと視線を上げれば、私を見つめる紫とピンクのオッドアイ。

その瞳が慈しむように優しくて、私は思わず縋りついていた。






    *





「……?」

ふと開いた扉に顔を上げて、レイは自分の瞳に飛び込んだその光景に凍りついた。
そしてほとんど反射的に持っていた書類を荒々しく手放し、扉に走り寄った。




「なつな!一体どうしたの?!」

彼女の目の前に立ち、思わず抱き寄せれば、はらはらと大粒の涙を流すその泣き顔が、更に歪む。
その姿に耐えきれず、レイがその身体を抱き上げれば、なつなは縋りつくようにレイの首に腕を回した。
自分の首に腕を回されて、初めて感じる己の半身の身体の震えに、レイは込み上げる怒りをなんとか噛み締める。




「シェリア、一体何があった?」
「それが…」

言い淀む彼女に、レイは何かを感じ取ったのか、なつなの顎を優しく持ち上げると、額と額を合わせる。
途端に流れ込んでくる映像と、彼女の悲痛な感情。

それを全部受け止め額を離すと、レイはそのままソファーに歩みを進めて腰掛けると、なつなの髪を優しく撫で、そっと囁いた。




「――ライナスが、好きなんだね?」
「…っ!」

その囁きにびくりと肩を震わせたなつなを慈しむように抱き締めて、レイは続ける。




「遅い初恋なんだ。すぐに気づけなくてもおかしくないんだよ。誰だって、初めて感じる感情の答えをすぐには見つけ出せない。…だから、なつな。君が感じた感情だって、決して醜くなんてない。」
「…っ…」
「君にそう感じさせたライナスが悪いんだ。自分のつがいだというくせに、そのつがいを一番に思いやれないなんて、雄龍の名折れだ。…なつなは何も悪くない。」
「レ、イ…」
「僕はもうこれ以上、こんな風に悲しそうに涙を流すなつなは、見たくない。だから…今日はもうおやすみ。」

そう囁いて額にキスを落とせば、ふっと、なつなの意識が遠退いていく。
そしてなつなの意識が眠りへと落ちた瞬間、まるでそれを待っていたかのように、窓の外の景色が一変する。

不意に訪れる漆黒の闇。
前触れもなく降り出した激しい雨と、轟々と唸りを上げる風。
白王宮全体を揺らすように、がたがたと窓が音を立て、そして白王宮を覆うようにぞわりと肌が戦慄くような濃密な魔力の気配。
——それは、『見えざる者』達の激しい怒り。

魔力を持つ者なら、誰もが感じ取れるほどの異質な魔力の波動を感じながら、力が抜けた身体をそのまま抱き寄せて、伏せられた瞼から流れ落ちた涙を指で拭うと、レイはその表情を見えざる者達以上の怒りに変えた。






「ライナス…なつなを傷つけないと誓ったのに、傷つけたね。」
“もう少し賢いと、思っていたんだけれどね。あれの考えは手に取るように分かるが…なつなをここまで傷つけたのはいただけないな”
「はあ、女心の分からない子だとは思っていましたが…ここまで愚かだなんて。」
《なつな様を泣かせるなんて…赦せない》

なつなを囲む龍王と眷族と神と聖獣は、怒りの矛先である男を思い浮かべ、忌々しく口にする。
誰もに共通するのは、激しい怒りだ。

そして眠りに落ちたなつなは、気づかぬ内に堕ちていた初恋に傷つき、その瞼に溜まっていた涙を流すのだった。






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