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1章 4本の聖樹
閑話 城下町へ4
しおりを挟む鍛冶屋『フォードリエン』を後にし、ヴェリウスの案内で、商業区の中でも飲食店が建ち並ぶ区画に足を運んだなつな達。
いわゆる“買い食い”を希望したなつなに、そういった行動をしたことがないレイが賛同し、露店が並ぶ広場を歩き、串焼きからサンドイッチ、様々な料理を食べ歩く。
まさかそうした希望が出てくるとは思っていなかったヴェリウス達は、今日この日まで何度となくなつなに提言をしたのだが、護るべき2人が楽しみにしている様子に苦笑いを浮かべながら、了承するより他なかったのだ。
彼女が異なる世界の、市井で育ったのは間違いないようだと納得する、貴族の令嬢であれば絶対に望まないであろう行動。
けれど、目の前で極度の緊張に冷や汗をかきながらも、礼を伝えながら受け取り、躊躇うことなく料理を口に運ぶなつなの姿を、酷く感激したように涙を浮かべながら喜ぶ店主の姿を見れば、きっとこれが主が何より望んだ、民達との接し方なのだろうと思えて。
自分達にも料理を手渡してくれるなつなに、酷く恐縮しながらも、ヴェリウス達は普段ならあり得ないこの昼食の時間を、楽しむことにしたのだった。
*
「——サーナ様、次はお買い物をご所望でしたね。どういった物をご購入されたいのか、ご希望はございますか?」
「ええっと…具体的には決めていませんでした。商業区に、どういったお店があるのか分からないので…」
「それならば、ウィルクスに案内をさせましょう。彼ならば女性が好みそうな店を把握しているでしょうから。陛下、水龍殿。よろしいでしょうか?」
「構わない。サーナの望むままに。」
「僕も異論はありません。」
2人に確認をしたヴェリウスの背後で、深い深いため息を漏らしたウィルクスは、上司に対して思わず反論する。
「団長、誤解を招く発言は控えて頂けませんか…」
「おや、真実だろう?」
「当家のことを御存知の団長にとってはそうですが、サーナ様方には、そこに含む意味までをご理解戴けないでしょう…」
「…ああ、そうか。済まない…私の言葉が足らなかったようだ。」
自分の言葉が示す意味に漸く思い至ったようで、素直に認め謝罪するヴェリウスに、ウィルクスはため息を漏らしてから、なつなに向き合った。
「御説明致します。当グランヴィア家には、5名の姉弟がおりまして…私は末子になります。故に昔から、兄と共に姉の供を務めることが多く…必然と女性が好むものに詳しくなりまして。」
「なるほど…」
「ですのでサーナ様さえよろしければ、その中でも人気の店にご案内させて戴きますが…いかがでしょうか?この時間帯ならば、来店客もいないことでしょうし。」
ウィルクスの提案に、なつなは屈託のない笑顔を見せて、頷く。
妙齢の女性が好きなものに、違いなどないのだ。
今日は休日ではない、民も貴族も買い物を楽しむのは早くても夕方からである。
まだ日も高く、この時間帯ならば警護も最低限で済むだろう。
ウィルクスが、なつなにこれから向かう場所についての説明をする傍ら、ヴェリウスがそっと道端へ視線を向ければ、そこに気配を消すように立っていた1人の騎士が頷き、静かに立ち去っていく。
これで、店主には気づかれることなく、店内の確認と周辺警備は整うだろう。
視線だけで確認し合った騎士達は、足取りも軽く変わらぬ笑顔で歩くなつなの様子に穏やかな瞳を向け、そんな半身の姿を愛でていたレイに話しかける番の気を引くように、ライナスは嫉妬の炎を瞳にくゆらせて、なつなを抱き寄せるのだった。
*
「――まあ、ウィルクス坊ちゃま。お務めのお時間に、当店にどんなご用件が?」
入口の扉に付けられたベルが、涼やかな音色を響かせながら開かれると、店内へと現れた馴染みの青年の姿に、店主であるご婦人は窘めるような響きを持たせて、声を掛ける。
その昔から変わらぬ呼び方と扱いに、ウィルクスは思わず眉をしかめながら、声を漏らす。
「…フローラ、もういい加減“坊ちゃま”はやめてくれないか。僕ももう、成人してからだいぶ経つ。いつまでも子供ではないのだから。」
「まあ、それは失礼を致しました。…では改めまして、ウィルクス様。まだお務めのお時間でございましょう。当店に、どのような用向きにございますか?」
「今日は、騎士の任務で来たんだ。フローラも存じ上げているだろうが…さる御方をお連れした。城下でのお買い物をご希望されていたのでね。」
そう説明した後、自らの手を敬うように差し出したウィルクスに、その手を預けながら姿を見せた女性に、フローラは一瞬瞳を見開かせ、だが次の瞬間には淑女の礼を取っていた。
「ようこそお出で下さいました、殿下。『アシュルクレール』店主、フローラ・フィオ・アシュルクレールと申します。当店では、様々な服飾品と装飾品を取り扱わせて戴いております。」
「フローラの祖父は元々侯爵位を賜っていたのですが、国から賜っていた領地が、鉱山と広大な織物の材料の産地だったことから、服飾品や装飾品を作ることでは右に出る者がいない街でした。ジョルジュ侯も、そういった技術にとても精通された方で、ライエン殿と同じように爵位を返上されたのち…この店を開かれたそうです。今では、王国一の人気を誇っているのですよ。」
「恐れ多いことですわ。私どもは、初代の教えを守っているだけのこと…全てはお客様のため。『平民も貴族も関係なく、等しい商いを』と望んだ…初代の想いを引き継いでいるだけですから。」
そう話すフローラの言葉には、確かな理想と想いがあって。
それを感じ取り、なつなは彼女に向けて柔らかく笑んだ。
「だからこのお店は、とても輝いているんですね…。お祖父様やフローラさん達の想いが、お店のあちこちから感じられます。ただ売ることを目的にしたお店ではなく、誰かのために役立ちたいと…」
「殿下…」
「どうかサーナと呼んでください、フローラさん。ウィルクスさんもありがとうございます、こんな素敵なお店に連れてきてくれて。」
2人に向けてそう言ったなつなを見つめ、フローラは気づかれぬようにさりげなく、その人となりを窺い知る。
仕事柄幾人もの人間を見てきた彼女ですら、その姿勢や態度には驚くばかりで。
万物に唯一愛される、尊き女性。
そう教えられていても、どこか漠然とした、想像することが難しい、その姿。
しかしいざ、かの方を目の前にした時、今まで想像することも難しかった、曖昧なその輪郭がはっきりと見えた。
決して周りを欺くような、自分をより良く見せようとする、偽りの言葉ではなく。
真っ直ぐに瞳を見て話すその姿勢は、中々身につくものではない。
自分をよく見せようとする者ほど、その瞳には真実が映し出されるもの。
『人ならざる者』達には、それがよく分かるのだろう。
かの方が唯一愛されるその理由を幾つか垣間見たようで、彼女はそっと息を吐き出した。
…これは、より最高の仕事をしなければ。
この御方には、アシュルクレールの全てを賭けて、尽くす意味がある。
きっと、祖父も父もそう言うだろう。
慕わずにはいられない、と。
「――では、サーナ様。本日はどういった品をご希望でございましょう?『アシュルクレール』の名に賭けて、御満足戴けるものを御用意させて戴きますわ。」
*
フローラはその言葉に違わぬ仕事ぶりを見せた。
なつなをたくさんの服が置かれた一角に案内すると、彼女に似合うであろう服を瞬時に見極めつつ、その傍らに立つ龍王や水龍が好むであろう、華美ではない服を選び、体へとあてがっていく。
その一着一着はどれも外れがなく、その証拠になつなが止めるのも聞かず、試着が済む度にその服達は一着も残されずに、龍王や水龍によって購入されていく。
そんな彼らを見守る騎士達は、そのやり取りに苦笑いを浮かべつつも、それも仕方がない程に似合っていた姿に、頷いてもいたのだった。
「――…あ、このネックレス…」
そんな着せ替えごっこならぬ、買い物にひどく満足した様子の龍王と水龍とは異なり、どっと疲れた様子を見せながらも、宝飾品がガラスケースの中に展示された一角に案内されたなつなは、そこである品に目が留まる。
水の雫を思わせる形をした輪が、幾重にも連なる白銀のチェーン。
ここまでの細かな仕事は、あの世界でも見たことがない。
その中央を飾るのは、同じく雫の形を模した青い大きな石。
台座も何もない、至ってシンプルなそのネックレスは、それ故にその宝石の美しさを際立たせて。
彼の瞳を、想わせた。
「…お目が高いですわ、サーナ様。お客様の誰もが目にも留めない品、けれど私が何よりもこだわった品ですの。実は、これだけではありませんのよ。」
少々お待ち下さいませ、そう告げて店の奥へと消えたフローラを見送り、けれどなつなはそのネックレスから瞳を逸らせず、ただじっと魅入っていた。
そして暫くののち、その両手に布地張りの入れ物を持って戻った彼女は、それをなつなの前に恭しく差し出すと、被せてあった布を取る。
「……!」
すると現れたものに、なつなははっと息をのむ。
そこにあったのは、6本のネックレス。
このネックレスの輪と同じように細かな、光を模した輪が、幾重にも連なる白銀のチェーン。
その中央を飾るのは、楕円形の緑の大きな石。
その隣には、炎の揺らめきを模した輪が、幾重にも連なる白銀のチェーン。
その中央を飾るのは、三角形の真紅の石。
それぞれ意匠が異なるその6本のネックレスは、まるでなつなが良く知る龍達を現しているようで。
「これって…」
「サーナ様のお考えの通りですわ。これらのネックレスは、龍王陛下を始め、属龍様方を表現させて戴いたものにございます。」
「レイ達を…」
「『アシュルクレール』では、初代からになりますが…その代の龍王陛下や半身殿下、属龍様方を表現する宝飾品を作製しております。父の代では先代様がお亡くなりになり…今代では私がその役割を引き継ぎました。」
「……」
「献上することが出来ないことは、存じ上げております。しかし初代は…祖父は、職人として形となった敬意を、表現せずにはいられなかったのです。初代が作製した宝飾品については、『アシュルクレール』の店主のみが入ることの出来る蔵にて、厳重に保管しております。この品も、本来ならばそうするべきもの。…しかしこれは、全て私どもの個人的な行い。身勝手な行いを致していたこと…当代としてお詫び致します。」
そう言って深く頭を下げたフローラに、なつなは首を振ってからその入れ物の中に手を伸ばし、ネックレスの一つを手に取る。
「どうして謝るんですか、フローラさん。こんなに素敵なネックレスなのに…」
「サーナ様…」
「どのネックレスも、レイやライナスさん、アルウィン兄さん達…全員を的確に表現されているじゃないですか。どうしたら、こんなに素敵なものを作れるんですか?」
「……」
「この炎の揺らめきなんて、こんなに細かいのにどうやって作ってるんだろう…兄さんに凄く似合いそう。ねえ、レイ。きっとレイに似合うよ、このネックレス。」
楽しそうに笑い、次に手に取ったネックレスを龍王へと見せながら、表情を多彩に変えるなつなに、フローラは瞠目する。
そしてその光景を見つめながら、かつて祖父がふと漏らした言葉を思い出した。
『――いつか、いつか龍王陛下や殿下がこの店を訪れ、このネックレスを一瞬でも目に留めてくれたなら。そして、もしこの品をお気に召し、身につけて戴いたなら…それ以上の幸福はないのだろうね』
ああ、お祖父様が語った憧憬が、願いが叶う日が…きたのかもしれない。
「――サーナ様、もしよろしければこちらのネックレス全て、お受け取り戴けないでしょうか?」
「!え…っ、」
「王城のバルコニーでサーナ様を拝見してから、今日までずっと相応しいものをと考えて…御用意したいと思っていました。ですがその前に、このネックレスをお受け取り戴きたいのです。」
「でも…」
「それが、祖父の願いでもありました。私の代で、漸くそれが叶う機会に恵まれたのも…何かの縁でございましょう。どうかサーナ様から、皆様に。」
そう言って差し出されたそれをなつなは戸惑ったように見つめた後、静かに頷くと、フローラに向けて微笑む。
その微笑みに彼女は、祖父の願いが叶えられたことを知る。
「…レイ、ライナスさん。つけてみてください、きっと似合います。」
「サーナが見立ててくれたものなら、間違いないね。…ありがとう、フローラ。大切にするよ。」
「僕も喜んで身につけましょう。」
「ああ、待って。私がつけてあげる。」
ネックレスを手に取り、その首へと飾っていくなつなに向けられる穏やかな龍王の微笑み。
そして愛しげに細められる水龍の瞳。
その光景と祖父を想い、浮かんだ涙を拭いながら、フローラは満ち足りた微笑みを浮かべた。
「――さあ、サーナ様に相応しい宝飾品を見立てて差し上げなくては。腕輪などはいかがでしょうか?」
「えーっと…そういえば指輪はないんですね。」
「指輪、ですか…。こちらでは魔術師の方が身につけるくらいでしょうか…」
「そうなんですか…。私がいた世界では、男女問わず指輪をつけたりするんです。恋人同士だと、ペアリングをしたり…婚約指輪や結婚指輪なんて文化もありますし。」
「まあ、そんな文化が…」
そのなつなの言葉に、目ざとく反応した水龍は、けれどそれを口には出さずに、何かを思案するように黙り込む。
そんな水龍に気づいた龍王は、如何にしてそれを邪魔しようかと、同じように思案する。
そんな2人に気づかないのは彼女のみで、フローラは王達を見つめ、何もかもを見通すような、艶やかな笑みを浮かべたのだった。
そうして、なつなの初めての散策は、当人にも、そして龍王や水龍にとっても、満足のいくものとなった。
そして彼女が持ち帰ったネックレスは、彼女によって他の属龍に贈られ、その初めての贈り物に彼らはひどく喜び、その日を境に、『アシュルクレール』には、ただ1人の女性のために似合う品を探しに、属龍達が足を運ぶ姿が目撃されることとなるのだった。
◆全4話、気になっていた部分に大幅な加筆修正をしました。
次回からは聖樹篇に戻ります。
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