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涙と始まり

忘れていた涙。

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 夜の雨が嘘のように晴れて、空は雲一つない晴天になっていた。


「さて、どうったかのう」
 じいちゃん達が話している。今までに見たことないくらい深刻な顔だから、俺は段々不安になってきた。
「まぁ、行ってみるしかなかろう」
 じいちゃんは話を締めると、俺たちは吉岡のおじさんの所に行ってみることにした。


 俺は父親の車に乗ると、じいちゃんの隣で黙って外を見た。
 外の風景は、驚くほど変わっていた。

 道路は茶色くなっていたし、青々と茂っていた畑の葉は、泥にまみれている。
「……お店、大丈夫かな」
 結城さんが呟いた。
 そうだ、カフェだ。何事もなければ良いのだけれど。


 吉岡のおじさんの家に到着した俺は、言葉を失った。
 おじさんの家は浸水したのだろう。もう水は引いていたけれど、家の玄関の中は泥で埋まっていた。
「あーあ、久々にえらいことになったのう(大変なことになったなあ)」
 吉岡のおじさんは、なんてことないように明るく言っている。



 俺と祐介さん、ののさんは急いでカフェへと向かった。
 そして、そのまま三人で立ち尽くしてしまった。

 カフェの中には全体に泥が入り込んでいて、壁にも泥がついている。
 一番早く動いたのはののさんだった。状況を確認するために中に入っていく。ののさんは、何度かこういう経験があるようで、動揺しながらもやるべき事が分かっているようだった。


 俺も、ゆっくりと店に足を踏み入れる。
 ……もうすぐ、お店としてしっかりと完成するはずだったのに。
 ののさんは、祐介さんが帰ってくるまでにできることは全部やっておこうとずっと頑張っていた。
 祐介さんの気持ちだって、朝聞いたばかりだ。



 なんで……どうして……。



 気がついたら、俺の頬があたたかくなっていた。
 なんだろう、これ。
 ぽたりと、水が地面に落ちる。なんだ?また雨が降り出したのか?


 俺は、自分が泣いていることに気がつくのに、しばらく気がつかなかった。だって、泣いたのなんて、一体何十年ぶりなのか分からないくらいなのだ。

 だから、俺はこの止め方が分からない。

 涙が次から次へと溢れてきて、気がついたら、声まで上げていた。


「陽介さん……そこまで……僕たちのカフェを……」
 祐介さんの、涙声が聞こえた。祐介さんは涙は流していなかったけれど、目に涙を溜めていた。

「陽介くん……」
 ののさんの声が聞こえた。それでも俺は上を向くことができずに、泣き続ける。
 苦しい、悔しい。俺も頑張ったけれど、それ以上にののさんと祐介さんのことが……きっと、俺は大好きなんだ。だからこんなことになって、こんなに苦しいんだ。そんな簡単なはずなことに、今気がつくなんて。


「もう、しゃきっとしんさいや!男じゃろ!!」
 ののさんが、明るく大きな声で言った。
 俺はびっくりして、顔を上げた。祐介さんも同じだ。
「……陽介くん、陽介くんが前日必要なものを上に上げとってくれたお陰で、大事なものが無事じゃったよ。本当にありがとう。それに、うちらの店なのに、自分のことのように泣いてくれて……ほんまに嬉しいよ」
 ののさんが、優しく笑った。
「じゃけんね、泣くだけ泣いたら、前に進もうや。うちら三人おるんじゃけえ。予定より時間はかかるけど、大丈夫よ」
 俺は、また涙が溢れ出した。
 ののさんが、一番辛いはずなのに。俺、本当に駄目だな……。



《やっぱり、優しいね》
《うん、みんな良い感じだね》



 あの声が聞こえた。何故かいつもより優しくて、あたたかかった。



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