紙飛行機のゆくえ

黒井羊太

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とある喫茶店にて

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 おや、またいらしたんですか。ああ、今日は雨がひどい。雨宿りにどうぞお使い下さい。
 何か温かいものでも出しましょう。いえ、こちらも商売なので。こちらがメニューです。少し火に当たるといいですよ。こちらへどうぞ。これ、タオル。
 温まっている間、退屈しのぎに何かお話でもしましょうかね。お望みとあらば。いえ、こちらは商売じゃございませんで、お代は結構。

 世の中には不要な物が多い。なんて思った事はありませんか?
 例えば英語のgh。中国語のg。これらは文語体では必要なのに、いざ発音すると不要となる。
 スペイン語のd 。フランス語のt。これらは特殊な例で、単語の終わりに付くと、まるで存在しないかのように、当たり前に無視される。
 じゃあ何で書くのさ、と私に聞かれましても困ります。
 だって、そういう物なんですから。
 文句があるなら、大昔の人に言ってやってくださいな。
 何、分かりにくい?むむむ。
 分かりました。ではもっと身近なお話をしましょう。思い当たる節なんて幾らでもありますからね。
 わずらわしい人間関係だとか、古くさい因習いんしゅうだとか。小うるさい法律だとか、無くならない戦争だとか。どうです、要らないものばかりでしょう?
 必要な物だけが棚に並んでいて、必要な分だけ取り出せるような、そんな社会ならきっと良かったでしょうにね。
 お客さんもそう思った事が一度や二度、あったんじゃないですか?……はは、やっぱり。
 でもね。それだけになった世界ってのは、多分息苦しいんですよ。
 楽しい物を思い浮かべてご覧なさい。全部、人生にとって余計な物だ。
 美味しい食べ物も、薫り高いお酒も、刺激的な遊びも、美しい景色も。
 下らない会話も、一夜の夢も、楽しい絵物語も、激しいセックスも。
 喜びも、悲しみも、怒りも苦しみも。
 全部、ただ生きるには、無駄です。
 でもきっと、それなしに人間は生きられない。不要な物無しに、人生は完成しない。
 そういうものなんでございますよ。
 私のこの店だって、誰からも必要とされないかも知れない。でも、きっとそれでは誰かの人生が完成しない。
 事実お客さん、つい最近までこの店の事を知らなかったでしょう? 先日は大雪、今日は大雨の雨宿りに、たまたま見つけただけ。私ゃここで30年近くも店を開けているのにね。
 まるで七等星だ。
 昼間は太陽の目映い光に掻き消され、夜は月明かりに眩む。場合によっては星明かりにすら負けてしまって、肉眼では見る事が出来ない。
 だけど、そんな七等星だって夜の天球てんきゅうの構成物なんですよ。
 例えばこんな雨降りの夜の何も見えない時に、ふと目に映ったりするんですよ。
 何も見えなくなって心が弱る時に、誰かの人生の完成の為にここに在り続けるんですよ。
 ……多分ね。

 はい、お代わりですね。少々お待ち下さい……はい、ホットワイン。案外温まるでしょう? ウチの自慢なんです。美味しすぎて、すぐに飲み干してしまう方が多いんですよ。
 ……ホットワインは飲んでしまえば無くなってしまいます。それが役割ですし、正しい事です。飲まれないワイン程虚しい物はありません。
 ですが、今この時。あなたがこの店にいた、という事実は少しも変わらないのです。
 過去がどのような物であったとしても、未来がどのようになっていくとしても、現在この店にいる事は未来数千年先だって変質することはないのです。
 その事に気が付くと、人生は何と素晴らしいものかと思うのです。私達は、断続的な時間を生きる不連続存在などではなく、連続し続ける存在なのだと自覚するのです。
 一晩寝たら事実が消えて無くなる訳じゃない。例え私が死んで消滅してしまっても、消えて無くなりはしない。
 ……とてもワクワクしませんか?
 この店を私がいつまで出来るか、分かりません。何せ30年もやってると、色々ありましてね。
 でも、30年もやってる訳ですから、それなりに愛されてる自負はあるんですよ、これでも。七等星ですが。

 おっと、私の愚痴のような話になってしまいましたね。あまり話が得意ではないもので。普段だってこんなに喋ったりしませんよ。……いや、本当に。
 でも長話の甲斐もあって、少し小降りになってきましたね。今なら急げば帰れるかも知れませんよ。その前にお会計ですが。
 ……面白かったですか? それは良かった。こんな話でよろしければ、いつでも語りましょう。
 少しは心が温まりましたか? それは重畳。こんな雨降りの寒い時には、またお立ち寄り下さい。
 私はここにいますよ。見つけたなら、いつでも、何度でもおいで下さい。足下には気を付けて。
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