1 / 1
とある喫茶店にて
しおりを挟む
おや、またいらしたんですか。ああ、今日は雨がひどい。雨宿りにどうぞお使い下さい。
何か温かいものでも出しましょう。いえ、こちらも商売なので。こちらがメニューです。少し火に当たるといいですよ。こちらへどうぞ。これ、タオル。
温まっている間、退屈しのぎに何かお話でもしましょうかね。お望みとあらば。いえ、こちらは商売じゃございませんで、お代は結構。
世の中には不要な物が多い。なんて思った事はありませんか?
例えば英語のgh。中国語のg。これらは文語体では必要なのに、いざ発音すると不要となる。
スペイン語のd 。フランス語のt。これらは特殊な例で、単語の終わりに付くと、まるで存在しないかのように、当たり前に無視される。
じゃあ何で書くのさ、と私に聞かれましても困ります。
だって、そういう物なんですから。
文句があるなら、大昔の人に言ってやってくださいな。
何、分かりにくい?むむむ。
分かりました。ではもっと身近なお話をしましょう。思い当たる節なんて幾らでもありますからね。
煩わしい人間関係だとか、古くさい因習だとか。小うるさい法律だとか、無くならない戦争だとか。どうです、要らないものばかりでしょう?
必要な物だけが棚に並んでいて、必要な分だけ取り出せるような、そんな社会ならきっと良かったでしょうにね。
お客さんもそう思った事が一度や二度、あったんじゃないですか?……はは、やっぱり。
でもね。それだけになった世界ってのは、多分息苦しいんですよ。
楽しい物を思い浮かべてご覧なさい。全部、人生にとって余計な物だ。
美味しい食べ物も、薫り高いお酒も、刺激的な遊びも、美しい景色も。
下らない会話も、一夜の夢も、楽しい絵物語も、激しいセックスも。
喜びも、悲しみも、怒りも苦しみも。
全部、ただ生きるには、無駄です。
でもきっと、それなしに人間は生きられない。不要な物無しに、人生は完成しない。
そういうものなんでございますよ。
私のこの店だって、誰からも必要とされないかも知れない。でも、きっとそれでは誰かの人生が完成しない。
事実お客さん、つい最近までこの店の事を知らなかったでしょう? 先日は大雪、今日は大雨の雨宿りに、たまたま見つけただけ。私ゃここで30年近くも店を開けているのにね。
まるで七等星だ。
昼間は太陽の目映い光に掻き消され、夜は月明かりに眩む。場合によっては星明かりにすら負けてしまって、肉眼では見る事が出来ない。
だけど、そんな七等星だって夜の天球の構成物なんですよ。
例えばこんな雨降りの夜の何も見えない時に、ふと目に映ったりするんですよ。
何も見えなくなって心が弱る時に、誰かの人生の完成の為にここに在り続けるんですよ。
……多分ね。
はい、お代わりですね。少々お待ち下さい……はい、ホットワイン。案外温まるでしょう? ウチの自慢なんです。美味しすぎて、すぐに飲み干してしまう方が多いんですよ。
……ホットワインは飲んでしまえば無くなってしまいます。それが役割ですし、正しい事です。飲まれないワイン程虚しい物はありません。
ですが、今この時。あなたがこの店にいた、という事実は少しも変わらないのです。
過去がどのような物であったとしても、未来がどのようになっていくとしても、現在この店にいる事は未来数千年先だって変質することはないのです。
その事に気が付くと、人生は何と素晴らしいものかと思うのです。私達は、断続的な時間を生きる不連続存在などではなく、連続し続ける存在なのだと自覚するのです。
一晩寝たら事実が消えて無くなる訳じゃない。例え私が死んで消滅してしまっても、消えて無くなりはしない。
……とてもワクワクしませんか?
この店を私がいつまで出来るか、分かりません。何せ30年もやってると、色々ありましてね。
でも、30年もやってる訳ですから、それなりに愛されてる自負はあるんですよ、これでも。七等星ですが。
おっと、私の愚痴のような話になってしまいましたね。あまり話が得意ではないもので。普段だってこんなに喋ったりしませんよ。……いや、本当に。
でも長話の甲斐もあって、少し小降りになってきましたね。今なら急げば帰れるかも知れませんよ。その前にお会計ですが。
……面白かったですか? それは良かった。こんな話でよろしければ、いつでも語りましょう。
少しは心が温まりましたか? それは重畳。こんな雨降りの寒い時には、またお立ち寄り下さい。
私はここにいますよ。見つけたなら、いつでも、何度でもおいで下さい。足下には気を付けて。
何か温かいものでも出しましょう。いえ、こちらも商売なので。こちらがメニューです。少し火に当たるといいですよ。こちらへどうぞ。これ、タオル。
温まっている間、退屈しのぎに何かお話でもしましょうかね。お望みとあらば。いえ、こちらは商売じゃございませんで、お代は結構。
世の中には不要な物が多い。なんて思った事はありませんか?
例えば英語のgh。中国語のg。これらは文語体では必要なのに、いざ発音すると不要となる。
スペイン語のd 。フランス語のt。これらは特殊な例で、単語の終わりに付くと、まるで存在しないかのように、当たり前に無視される。
じゃあ何で書くのさ、と私に聞かれましても困ります。
だって、そういう物なんですから。
文句があるなら、大昔の人に言ってやってくださいな。
何、分かりにくい?むむむ。
分かりました。ではもっと身近なお話をしましょう。思い当たる節なんて幾らでもありますからね。
煩わしい人間関係だとか、古くさい因習だとか。小うるさい法律だとか、無くならない戦争だとか。どうです、要らないものばかりでしょう?
必要な物だけが棚に並んでいて、必要な分だけ取り出せるような、そんな社会ならきっと良かったでしょうにね。
お客さんもそう思った事が一度や二度、あったんじゃないですか?……はは、やっぱり。
でもね。それだけになった世界ってのは、多分息苦しいんですよ。
楽しい物を思い浮かべてご覧なさい。全部、人生にとって余計な物だ。
美味しい食べ物も、薫り高いお酒も、刺激的な遊びも、美しい景色も。
下らない会話も、一夜の夢も、楽しい絵物語も、激しいセックスも。
喜びも、悲しみも、怒りも苦しみも。
全部、ただ生きるには、無駄です。
でもきっと、それなしに人間は生きられない。不要な物無しに、人生は完成しない。
そういうものなんでございますよ。
私のこの店だって、誰からも必要とされないかも知れない。でも、きっとそれでは誰かの人生が完成しない。
事実お客さん、つい最近までこの店の事を知らなかったでしょう? 先日は大雪、今日は大雨の雨宿りに、たまたま見つけただけ。私ゃここで30年近くも店を開けているのにね。
まるで七等星だ。
昼間は太陽の目映い光に掻き消され、夜は月明かりに眩む。場合によっては星明かりにすら負けてしまって、肉眼では見る事が出来ない。
だけど、そんな七等星だって夜の天球の構成物なんですよ。
例えばこんな雨降りの夜の何も見えない時に、ふと目に映ったりするんですよ。
何も見えなくなって心が弱る時に、誰かの人生の完成の為にここに在り続けるんですよ。
……多分ね。
はい、お代わりですね。少々お待ち下さい……はい、ホットワイン。案外温まるでしょう? ウチの自慢なんです。美味しすぎて、すぐに飲み干してしまう方が多いんですよ。
……ホットワインは飲んでしまえば無くなってしまいます。それが役割ですし、正しい事です。飲まれないワイン程虚しい物はありません。
ですが、今この時。あなたがこの店にいた、という事実は少しも変わらないのです。
過去がどのような物であったとしても、未来がどのようになっていくとしても、現在この店にいる事は未来数千年先だって変質することはないのです。
その事に気が付くと、人生は何と素晴らしいものかと思うのです。私達は、断続的な時間を生きる不連続存在などではなく、連続し続ける存在なのだと自覚するのです。
一晩寝たら事実が消えて無くなる訳じゃない。例え私が死んで消滅してしまっても、消えて無くなりはしない。
……とてもワクワクしませんか?
この店を私がいつまで出来るか、分かりません。何せ30年もやってると、色々ありましてね。
でも、30年もやってる訳ですから、それなりに愛されてる自負はあるんですよ、これでも。七等星ですが。
おっと、私の愚痴のような話になってしまいましたね。あまり話が得意ではないもので。普段だってこんなに喋ったりしませんよ。……いや、本当に。
でも長話の甲斐もあって、少し小降りになってきましたね。今なら急げば帰れるかも知れませんよ。その前にお会計ですが。
……面白かったですか? それは良かった。こんな話でよろしければ、いつでも語りましょう。
少しは心が温まりましたか? それは重畳。こんな雨降りの寒い時には、またお立ち寄り下さい。
私はここにいますよ。見つけたなら、いつでも、何度でもおいで下さい。足下には気を付けて。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる