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ピアニストI
ピアニストI③
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「……」
「……」
煎れ直してもらった珈琲が二つ、丸テーブルに載る。ついでに、最初と同じように、机を壊しかねない程の重たい空気ものし掛かる。
中年男を座らせたはいいものの、男はここからどう切り出したらいいのか分からないでいた。
この曲について聞くにはまずこの人の出自を聞かなければならないだろうかいやそんな急に失礼な事をきいていいのだろうかとはいえ聞かない事には始まらないいやこちらから話すべきなんだろうか何を?
静かな空間の中で、男の思考が再びグルグルと空回り始める。
沈黙を破ったのは、再び中年男の方だった。
「……その曲を吹いていた知人とは?」
男にとって、意外な動きであった。まさか相手から話の切っ掛けがもらえるとは。しかし、この機会を逃してはなるまい、と必死に考えながら話す。
「え、えぇと、ち、知人と申しましたが、せ、正確には私の、お、恩師です。こ、高校時代の。わ、私の高校、あ、わ、私の実家は田舎にありまして、そ、そこで唯一の高校で、そ、そこの先生でした」
それから、辿々しいながら、必死に男は説明した。
子供の頃から吃音が酷く、上手く人とコミュニケーションが取れなかった事。
代わりにピアノが子どもの頃から好きで一生懸命やっていた事。
でも周囲からはからかわれ、笑われていた事。
中学を卒業する時、やめてしまおうと思った事。
高校に入ってすぐ、ピアノ好きが入学すると知っていた恩師から「続けるんだろ?」と当然の事のように言われた事。
「止めます」と言ったら残念がられた事。
理由を聞かれて「笑われるから」と言ったら怒鳴られた事。
それから、音楽室の鍵は渡しておくから、好きに使えと言ってくれた事。
3年間、ただの一生徒に鍵を預け、好きに使わせてくれた事。
そのお陰で好きなだけピアノを弾けて幸せだった事。
後で聞いたら、恩師の独断でやった事だったらしく、校長達と大層揉めていたらしい事。
でも、恩師は卒業間近まで、微塵もそれを私に感じさせなかった事。
高校3年間を終え、ピアノの道に進みたいと強く思った事。
それを聞いた先生が「おう! やれやれ!」と、笑顔で応援してくれた事。
そして今、しがないピアニストとしてようやく少しやっていけるようになった事。
一呼吸置く。そして続ける。
ピアニストとして忙しくしていて、連絡をサボっていた間に恩師が亡くなっていた事。
それについてとても後悔した事。
恩師がたまに音楽室で一緒に演奏してくれた事。
時々内緒で一人サックスを吹いていた事。聞いた事のある曲、ない曲を。
そしてその聞いた事のない曲をずっと探していた事。
私のとても好きな曲。とても激しく、騒がしく、しかし何故か哀愁を含む、不思議な曲。何という曲だろうと、十年以上も必死になって探し続けてきた事。
そして今日遂にその手がかりを見つけ、声を掛けた事。
必死に、正直に話す。こんな口調だから、一通り説明が終わる頃には二杯目の珈琲は熱をすっかり失っていた。
こんなに長時間話す事など、男のこれまでの人生にとって一度たりとて無かった事だ。喉が痛い。頭も回しすぎて頭痛が酷い。しかし話し続けた。目の前の珈琲に手を付ける事も忘れる程、必死に。
中年男もまた、根気よくそれに付き合った。聞き取りにくい話し方だろうに、一度たりとて催促をせず、怒らず、ただ頷いていた。時折男の話が横道にそれる事もあったが、それらも漏らさずきちんと聞いた。目の前の珈琲に手を付ける事も忘れる程、真剣に。
「……そ、そういう訳なんです。よ、ようやく見つけたて、手がかりなんです。……何でも構いません、お、教えて頂け、ませんか。お願いします」
改めて男は頭を深く下げ、懇願した。
男は、話している中で、様々な事を思い出していた。
恩師との楽しい時間。叱られながらも一人の普通の人間として扱ってくれた、その嬉しさ。
そんな恩師に、日々の忙しさに追われて、高校の卒業以来連絡をちゃんと取っておらず、亡くなった事も知らず、葬式にも出られなかった事。その後悔。
そして今更になってではあるが、必死に恩師との繋がりを取り戻そうとしている。その事について、誰が見ても一目で分かる程、見苦しいまでに男は必死であった。
沈黙。男には中年男が一体何を知っていて、何を考えているか想像もつかない。いや、もう想像する必要もない。賽は投げた。後は幸運を祈り、黙って結果を待つのみである。
壁に掛かる時計の分針が二歩程進んだあたりで、中年男はゆっくりと話し始めた。
「……見つかる訳がないだろうな。何せこの曲は、俺とあいつで作った曲だから」
嗄れた声に、どこか喜びが垣間見える。男には、言葉の意味する事がすぐには分からなかった。
「それはどういう……?」
「何て事はない。俺と、お前の恩師は同級生なんだよ。で、この曲を一緒に作った。そういえば曲名をつけていなかったな……」
男は驚きのあまり、言葉を失った。そんな偶然があるだろうか。自分の恩師と、たまたま通りがかった街の、名も知らぬサクスフォン吹きが同級生だったなんて!
男は驚きが行きすぎて、何も考える事も、言葉を発する事も出来なかった。
中年男は、それに構わず独り言のように言葉を続けた。
「そうか、奴はこの曲を大事にしてたのか。ずっと練習し続けていたのか。誰かにくれてやっても良かったろうに、全く……
おい、聞いても良いか?」
「は、はい!」
男の声が緊張のせいで裏返る。中年男はびっくりしていたが、少し笑って問いかけた。
「この曲を吹いている時、奴は、どんな顔をしていた?」
男はうぐ、と言葉に詰まった。出来うる限り正直に、相手の求める物は全て答えるつもりであったが、この点は男にとっても大きな気がかりであったのだ。
「……す、すいません、わ、分からないんです。お、恩師は、か、隠れて一人で吹いてい、いたもので……」
男の答えを聞いて、中年男の顔が曇る。明らかに失望しているのが分かった。男は慌てて言葉を繋ぐ。
「あ、あ、でも、な、何だかとても、な、懐かしみながら吹くような、そ、そんな雰囲気でした」
「そうか……」
「で、でも、な、何かが足りない、そ、そんな気がしていました。わ、和音が欲しいというか。お、恩師に聞いてみた事もあ、あるんですが、ちゃんと答えてくれなくて。
でも、きょ、今日分かりました。こ、この曲は、貴方と恩師が吹く曲だったんですね」
男の心の中で、今までたった一本の旋律だった恩師の音楽が、この中年男の旋律と混じり合い、一つの音楽になって流れていた。激しさや騒がしさ、寂しさを乗り越え、何か突き抜けたような明るさと、不思議な懐かしさがこみ上げている。その音楽は、今にも外へ出たいとばかりに男の心の内をくすぐる。男にはそれがとても爽やかに感じ、心地よかった。
中年男はしばらくの間黙っていたが、思い立ったようにサクスフォンのケースを膝の上に載せ、ガサガサと漁り始める。
やがてケースのポケットから取り出し、男に差し出してきたのは、一枚のボロボロの紙切れだった。
「こ、これは?」
「この曲の譜面だ。俺と、奴で書いた原本。
十五年と言ったか。そんなにも長い間、探していてくれたんだ。きっと弾きたいんだろう?」
中年男の言葉を受けて、男の体を電撃が貫く。追い求めていた音楽の、行き着く先。その紙切れからは、確かに目の前の男と恩師の青春が詰め込まれている。それは男にとって聖遺物のような物で、とても清らかで、決して触れてはいけないような、そんな錯覚を覚えていた。
「い、いや! そんな、う、受け取れません! そ、それは」
「俺はもう全部頭の中に入ってる。いや、指が覚えているんだ。もう、必要ない。
それに、奴もその方が喜ぶ。あいつはそういう奴だ」
差し出された紙切れ。二人を結びつけていた証。それを受け取る意味を、男は良く知っていた。だから固辞した。
だが一方で、心の奥底の方に燃え始めている燻りも感じていた。
――受け取ってしまえ。お前はそれを求め続けていたんだろう?
あぁ、そうだ。十五年間。喜びも悲しみも詰め込んだ、自分の人生の半分程の時間。僕は追い求め続けていたんだ。
燻っていた火は徐々に大きくなり、上昇気流を生み出しながら炎へと変化する。おろおろとしていた迷いは、炎の熱に灼かれ徐々に失われていく。
――僕も、僕だって! 求め続けていた、恩師との確かな絆が欲しい!
男は、中年男の目を覗く。真っ直ぐな眼差し。透明な海の底のように深く澄んだ瞳だ。中年男の目には迷いは全くなかった。
この人だって、気軽に、誰だって良いから渡す、そんな人ではない。『僕』だから渡すんだ。迷いなく。それを受け取る『僕』に、迷いなんてものは、必要がない。
心の内に情熱の炎が巻き上がり、しかし不思議と落ち着いた気持ちを感じる。
男はすっと手を差しだし、譜面を受け取る。中年男が、満足気に笑う。あぁ、こんな風に笑う人だったのか。何という、何という笑顔だろう。
「ありがとう」
彼に、礼を言われた。とんでもない、礼を言わねばならないのは僕の方だ。
「こちらこそ、ありがとうございます」
すっと言葉が出る。そして握手を求める。
中年男は握手に応え、僕の手を強く握る。そして中年男は、僕の手をその両の手で握り直し、その眼に喜怒哀楽、様々な感情を宿しながら、言葉を紡いだ。
「一つだけ、一つだけ約束してくれ。
必ず、弾いてくれ」
痺れ、震えた。
「はい、必ず」
彼への、恩師への、そして自分への誓いの言葉。私自身の枷となり、そして力になる言葉。
はたと気付き、『譜面をコピーしてお返しします』。言葉にしようとして、やめた。
この譜面の持つ意味は何か。価値は何か。
ただ五線譜に音符が並んだ楽譜としての意味などではない。二人の男の青春の、魂の結晶なのだ。それを複製するなど、あまりに無粋。
こうして手渡され、託された。その意味を改めて理解し、体が震えた。
「……」
煎れ直してもらった珈琲が二つ、丸テーブルに載る。ついでに、最初と同じように、机を壊しかねない程の重たい空気ものし掛かる。
中年男を座らせたはいいものの、男はここからどう切り出したらいいのか分からないでいた。
この曲について聞くにはまずこの人の出自を聞かなければならないだろうかいやそんな急に失礼な事をきいていいのだろうかとはいえ聞かない事には始まらないいやこちらから話すべきなんだろうか何を?
静かな空間の中で、男の思考が再びグルグルと空回り始める。
沈黙を破ったのは、再び中年男の方だった。
「……その曲を吹いていた知人とは?」
男にとって、意外な動きであった。まさか相手から話の切っ掛けがもらえるとは。しかし、この機会を逃してはなるまい、と必死に考えながら話す。
「え、えぇと、ち、知人と申しましたが、せ、正確には私の、お、恩師です。こ、高校時代の。わ、私の高校、あ、わ、私の実家は田舎にありまして、そ、そこで唯一の高校で、そ、そこの先生でした」
それから、辿々しいながら、必死に男は説明した。
子供の頃から吃音が酷く、上手く人とコミュニケーションが取れなかった事。
代わりにピアノが子どもの頃から好きで一生懸命やっていた事。
でも周囲からはからかわれ、笑われていた事。
中学を卒業する時、やめてしまおうと思った事。
高校に入ってすぐ、ピアノ好きが入学すると知っていた恩師から「続けるんだろ?」と当然の事のように言われた事。
「止めます」と言ったら残念がられた事。
理由を聞かれて「笑われるから」と言ったら怒鳴られた事。
それから、音楽室の鍵は渡しておくから、好きに使えと言ってくれた事。
3年間、ただの一生徒に鍵を預け、好きに使わせてくれた事。
そのお陰で好きなだけピアノを弾けて幸せだった事。
後で聞いたら、恩師の独断でやった事だったらしく、校長達と大層揉めていたらしい事。
でも、恩師は卒業間近まで、微塵もそれを私に感じさせなかった事。
高校3年間を終え、ピアノの道に進みたいと強く思った事。
それを聞いた先生が「おう! やれやれ!」と、笑顔で応援してくれた事。
そして今、しがないピアニストとしてようやく少しやっていけるようになった事。
一呼吸置く。そして続ける。
ピアニストとして忙しくしていて、連絡をサボっていた間に恩師が亡くなっていた事。
それについてとても後悔した事。
恩師がたまに音楽室で一緒に演奏してくれた事。
時々内緒で一人サックスを吹いていた事。聞いた事のある曲、ない曲を。
そしてその聞いた事のない曲をずっと探していた事。
私のとても好きな曲。とても激しく、騒がしく、しかし何故か哀愁を含む、不思議な曲。何という曲だろうと、十年以上も必死になって探し続けてきた事。
そして今日遂にその手がかりを見つけ、声を掛けた事。
必死に、正直に話す。こんな口調だから、一通り説明が終わる頃には二杯目の珈琲は熱をすっかり失っていた。
こんなに長時間話す事など、男のこれまでの人生にとって一度たりとて無かった事だ。喉が痛い。頭も回しすぎて頭痛が酷い。しかし話し続けた。目の前の珈琲に手を付ける事も忘れる程、必死に。
中年男もまた、根気よくそれに付き合った。聞き取りにくい話し方だろうに、一度たりとて催促をせず、怒らず、ただ頷いていた。時折男の話が横道にそれる事もあったが、それらも漏らさずきちんと聞いた。目の前の珈琲に手を付ける事も忘れる程、真剣に。
「……そ、そういう訳なんです。よ、ようやく見つけたて、手がかりなんです。……何でも構いません、お、教えて頂け、ませんか。お願いします」
改めて男は頭を深く下げ、懇願した。
男は、話している中で、様々な事を思い出していた。
恩師との楽しい時間。叱られながらも一人の普通の人間として扱ってくれた、その嬉しさ。
そんな恩師に、日々の忙しさに追われて、高校の卒業以来連絡をちゃんと取っておらず、亡くなった事も知らず、葬式にも出られなかった事。その後悔。
そして今更になってではあるが、必死に恩師との繋がりを取り戻そうとしている。その事について、誰が見ても一目で分かる程、見苦しいまでに男は必死であった。
沈黙。男には中年男が一体何を知っていて、何を考えているか想像もつかない。いや、もう想像する必要もない。賽は投げた。後は幸運を祈り、黙って結果を待つのみである。
壁に掛かる時計の分針が二歩程進んだあたりで、中年男はゆっくりと話し始めた。
「……見つかる訳がないだろうな。何せこの曲は、俺とあいつで作った曲だから」
嗄れた声に、どこか喜びが垣間見える。男には、言葉の意味する事がすぐには分からなかった。
「それはどういう……?」
「何て事はない。俺と、お前の恩師は同級生なんだよ。で、この曲を一緒に作った。そういえば曲名をつけていなかったな……」
男は驚きのあまり、言葉を失った。そんな偶然があるだろうか。自分の恩師と、たまたま通りがかった街の、名も知らぬサクスフォン吹きが同級生だったなんて!
男は驚きが行きすぎて、何も考える事も、言葉を発する事も出来なかった。
中年男は、それに構わず独り言のように言葉を続けた。
「そうか、奴はこの曲を大事にしてたのか。ずっと練習し続けていたのか。誰かにくれてやっても良かったろうに、全く……
おい、聞いても良いか?」
「は、はい!」
男の声が緊張のせいで裏返る。中年男はびっくりしていたが、少し笑って問いかけた。
「この曲を吹いている時、奴は、どんな顔をしていた?」
男はうぐ、と言葉に詰まった。出来うる限り正直に、相手の求める物は全て答えるつもりであったが、この点は男にとっても大きな気がかりであったのだ。
「……す、すいません、わ、分からないんです。お、恩師は、か、隠れて一人で吹いてい、いたもので……」
男の答えを聞いて、中年男の顔が曇る。明らかに失望しているのが分かった。男は慌てて言葉を繋ぐ。
「あ、あ、でも、な、何だかとても、な、懐かしみながら吹くような、そ、そんな雰囲気でした」
「そうか……」
「で、でも、な、何かが足りない、そ、そんな気がしていました。わ、和音が欲しいというか。お、恩師に聞いてみた事もあ、あるんですが、ちゃんと答えてくれなくて。
でも、きょ、今日分かりました。こ、この曲は、貴方と恩師が吹く曲だったんですね」
男の心の中で、今までたった一本の旋律だった恩師の音楽が、この中年男の旋律と混じり合い、一つの音楽になって流れていた。激しさや騒がしさ、寂しさを乗り越え、何か突き抜けたような明るさと、不思議な懐かしさがこみ上げている。その音楽は、今にも外へ出たいとばかりに男の心の内をくすぐる。男にはそれがとても爽やかに感じ、心地よかった。
中年男はしばらくの間黙っていたが、思い立ったようにサクスフォンのケースを膝の上に載せ、ガサガサと漁り始める。
やがてケースのポケットから取り出し、男に差し出してきたのは、一枚のボロボロの紙切れだった。
「こ、これは?」
「この曲の譜面だ。俺と、奴で書いた原本。
十五年と言ったか。そんなにも長い間、探していてくれたんだ。きっと弾きたいんだろう?」
中年男の言葉を受けて、男の体を電撃が貫く。追い求めていた音楽の、行き着く先。その紙切れからは、確かに目の前の男と恩師の青春が詰め込まれている。それは男にとって聖遺物のような物で、とても清らかで、決して触れてはいけないような、そんな錯覚を覚えていた。
「い、いや! そんな、う、受け取れません! そ、それは」
「俺はもう全部頭の中に入ってる。いや、指が覚えているんだ。もう、必要ない。
それに、奴もその方が喜ぶ。あいつはそういう奴だ」
差し出された紙切れ。二人を結びつけていた証。それを受け取る意味を、男は良く知っていた。だから固辞した。
だが一方で、心の奥底の方に燃え始めている燻りも感じていた。
――受け取ってしまえ。お前はそれを求め続けていたんだろう?
あぁ、そうだ。十五年間。喜びも悲しみも詰め込んだ、自分の人生の半分程の時間。僕は追い求め続けていたんだ。
燻っていた火は徐々に大きくなり、上昇気流を生み出しながら炎へと変化する。おろおろとしていた迷いは、炎の熱に灼かれ徐々に失われていく。
――僕も、僕だって! 求め続けていた、恩師との確かな絆が欲しい!
男は、中年男の目を覗く。真っ直ぐな眼差し。透明な海の底のように深く澄んだ瞳だ。中年男の目には迷いは全くなかった。
この人だって、気軽に、誰だって良いから渡す、そんな人ではない。『僕』だから渡すんだ。迷いなく。それを受け取る『僕』に、迷いなんてものは、必要がない。
心の内に情熱の炎が巻き上がり、しかし不思議と落ち着いた気持ちを感じる。
男はすっと手を差しだし、譜面を受け取る。中年男が、満足気に笑う。あぁ、こんな風に笑う人だったのか。何という、何という笑顔だろう。
「ありがとう」
彼に、礼を言われた。とんでもない、礼を言わねばならないのは僕の方だ。
「こちらこそ、ありがとうございます」
すっと言葉が出る。そして握手を求める。
中年男は握手に応え、僕の手を強く握る。そして中年男は、僕の手をその両の手で握り直し、その眼に喜怒哀楽、様々な感情を宿しながら、言葉を紡いだ。
「一つだけ、一つだけ約束してくれ。
必ず、弾いてくれ」
痺れ、震えた。
「はい、必ず」
彼への、恩師への、そして自分への誓いの言葉。私自身の枷となり、そして力になる言葉。
はたと気付き、『譜面をコピーしてお返しします』。言葉にしようとして、やめた。
この譜面の持つ意味は何か。価値は何か。
ただ五線譜に音符が並んだ楽譜としての意味などではない。二人の男の青春の、魂の結晶なのだ。それを複製するなど、あまりに無粋。
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