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その四:尻尾から
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秋の風はちょっと寒い。わたし達は、家から一五分ほどで着く学校へ向かって歩き始める。
「ねーみこ、お腹空かないの?」
「あっ……空いてる空いてる」
その瞬間、狙いすましたかのようなタイミングで「ぐきゅ~るるっ」とお腹が鳴る。
「おー空腹時消化器鳴動音だ。みこの空腹時消化器鳴動音もかわいいね」
「なに? 医学用語的な? しずほお医者さんなのか? いやそれはないか。お父さんがお医者さん?」
難しい言葉を使うしずほ、なんか凛としてていいなあ、って思ってしまう。もっともっと難しいことを言ってよ。なんかグッとくるから。
「あたしのお父さんは温泉屋さんだよ。おばあちゃんと経営してる。お母さんは死んじゃった。殺されちゃったの」
……後半、重いわ。ボウリングボール四つ分くらい重い……。まあ、あえてそれ以上は聞かないけどさ。
「ふーん、じゃあそのうち、行ってみたいなあ、温泉でしょ? わたし最近すごく行きたくて、温泉」
「ちょっと遠いけど、これるの?」
「行けるでしょ、泊まりでも。秋休みも近いし何日くらいあるっけ」
「おー、じゃあ近いうちに行くことになるから。よろしくね」
あのぅ、休み何日ありましたっけ? 無視かよ。……行くことになる、か。なんだろう。用事? それに、今の会話でなんか引っかかるところがあったような気がするけど、さほど詮索するまでもないか。
「あ~、わたしお腹空いてたの忘れてた」
「でも学校着きそだねー」
もう学校のある交差点だ。ちょっと回り道すれば歩道橋があって、信号機を待たずにすむ。今日の気分的に、わたしは上から下界を見下ろしたい。
……ふと、思い出した。たしか歩道橋を渡った先に、鉄板でなんか焼いて食べるやつ……名前忘れたけど、それの屋台みたいなお店があったはず。
道路を挟んだ向かい側に目をやる。雑然と並んだ建物群を、歩道橋の終わりを中心に左右にキョロキョロとして…………あった! あれだ。あのお店だ。「鉄板焼き」だって。看板がある。
「みこ、あそこのお店で買い食いしたいんでしょ。顔に出てたよ。ちなみにすぐ隣にコンビニがあるけど、そっちは認識してないってところまでわかっちゃった」
「え、わたしってそんなに分かりやすい? 顔?」
「わかりやすいよ、みこは。たとえば、歩道橋。あそこから下にいる人たちを見下ろしたいんでしょ。見下したいんでしょ? どう、当たった?」
「当たってる、けど。言葉からは全然読み取ってくれてないでしょ、しずほ。毎回そう」
悔しいから悪態をつく。
「ひどい、みこ。あたしいろいろみこのこと知ってるのに、分かってるのに。言ってることもね」
「そう」
もう、そういうことにしてあげた。
歩道橋まで来た。さっきから人が少ない道を選んで横に並んで歩いてきたけど、ここは狭いからここで私が前に。——行こうとしたんだけど、それより先にしずほが前にずいっと出てきた。階段を上り始める。どっちでもいいけど。
「あたしがみこをリードしてると思う。ふふ」
「なにいきなり。前に出ただけじゃん。一段上だから背が高くなったとか? アホくさ」
「そっちのリードじゃない。競走じゃないの。あたしが導いてるって意味。みこをいい方向にねー、導いてるってこと」
「なるほどねー」
いや、あまり分かってないけど。しずほの提案からこうして外に出てきたって意味ではそうか。ははは、リードね。恋人同士か?
「みこ、今わかってないって感じの顔」
「バレたか」
「わかるって。すきだよ」
「うへー、なんだなんだ」
こんなに私を好いてるしずほ。なんでだ。
階段を上りきる。あとはまっすぐ行って目的の方向へ下りてく。
しずほが立ち止まってわたしたちが向かう先を指さす。
「今、階段を上ってきたでしょ、でもねー、あっちから来た人は、今あたしたちが上ってきたところを下りてくの。不思議だね」
「不思議かな」
「不思議だよ。あたしたちは向こうから来る人が上ってくるところを下りてくの。どういうことだろう」
「どういうことだろうね」と返す。
突き当たりまで進んで、しずほは「鉄板焼きのお店、あっち!」と、方向を変えてとととっと階段を下りていく。一段抜かしたかと思えば、同じ段に両足を着けてみたりと、訳のわからない下り方だ。ときどき危なっかしい。すっ転んでごろごろ落ちていくんじゃないかな。
そんなしずほを観察しながら、わたしは普通に階段を下りる。
わたしが半分もいかないうちに、しずほは下に着き、こっちを振り返って待ってる。また犬みたい。
「遅いよ」
「あんたが早いの」
「そっか」
わたしが追いつく直前にして、もう歩き始めるしずほ。待ってよ。
****
わたしがちょっと早足になって、ようやく並べたところでお店に着く。『屋台の鉄板焼き』だって。屋台の、か。わたしはそんなに好きじゃないな。
覗く。お祭りの屋台みたいなんだけど、よく見るとパイプ椅子がいくつか置いてある。親切だ。座ってもいいんだ。入るか。
「いらっしゃいませーい!」
威勢のいい、四十代くらいのおじさん。彼の目の前にある鉄板の上にはなにもない。わたしたちの他にお客さん居ないしね。店主かな。陰におばさんもいた。夫婦でやってる、って感じ?
メニューを見てみる。当たり前だけど鉄板で焼くやつがいっぱい並んでる。サラッと目を通す。お好み焼きにソース焼きそば……たこ焼きもある、へー。
お財布にも相談しようとカバンをまさぐってみたけど……お財布が無い。やらかした。家に忘れてきちゃったよ。
「あのさ……しずほ。お財布忘れちゃった」
「お茶目だね、かわいいね」
「えっと、だからさ。お金、貸してくれない?」
「いいよ、って言いたかったの。だけど、わたしもお金ない。三〇〇円しかもってない」
「そっかぁー、じゃさ、半分ことかは?」
「いいね、そうする。じゃあたい焼きにするね」
「えー? なんで。たい焼き一六〇円じゃん。このさ、くるくるお好み焼き? ってやつ三〇〇円だよ。量もきっとあるよ。これにしようよ」
「やだ。たい焼きが食べたい。あたしがお金出すの。みこのことはだいすきでなんでもしてあげたいけど、たい焼きがいい。他のはだめ」
たい焼きを半分か。なんでこんなに意地っ張りなんだ。でもしょうがない。
「ごめん、あんたの言う通り、たい焼き半分こ」
「聞き分けが良くてよかったよ、みこ。えらいね」
ムカつくなあ。恵んでもらう立場なんだけど。
「じゃあ頼んでくるからみこは椅子でまってて」
「はいよ」
カウンター脇、お世辞にも綺麗とは言えない粗末なパイプ椅子にわたしは腰掛けた。表面がズタズタになりすぎて中身見えてる。ボロ。
わたし以外の人としずほがどう会話するのか、意識して見たことがなかったので、カウンターへぱたぱた走っていく後ろ姿を目で追う……おじさんの前に立った。
「……あの……たい、焼き、ひとつくださいっ。あっ、中の……中のやつは、ぁ……あんこです……っ!」
カウンターでおじさんに注文をするしずほ……いつもの口調はどうした? すっごくおどおどもじもじしてる。声は大きいんだけど。
「はい、たい焼き、あんこ一つね! 一六〇円です」
「は、はい」
おじさんがカルトンをカウンターにストンと置くと、しずほはビクンっと跳ねた。なにビビってるの? ウケる。
しずほの小学生みたいなリュックから、これまた小学生の使うようなお財布が出てくる。ピンク色。ベリベリするやつとジッパーがハイブリッドになってて、なんかのキャラクターが描かれてるように見える。んで、そっから出てきたのはたくさんの硬貨。ジャラジャラ。あれは確実にお財布の中身全部出した感じだ。カルトンの上でひっくり返したままのお財布をぶんぶん振ってる。あはは、間抜け。
「えっと……に、し、ろく……六〇円、あと一〇〇円だから……いちにーさん、よん……」
……? 何やってんだ。数学の課題全部やってるんじゃないの? 算数もできないんかい。
おじさんはニコニコ待っている。やさしい。接客なら当然か。わたしだったら頭にチョップしてやるよ、コツンって。戻ってきたらしてやる。
「はい! にー、しー、ろー、はー……えー、ちょうどね。 はい伝票! ちょっとお待ちくださいねー」
代金を受け取ったおじさんはわたしのいるパイプ椅子のところに向けて手をスーッとやった。座って待っててねってことだ。
「みこ、買えたよ」
「なにさっきの」
「なにって?」
「さっき注文するとき、あんたすごかったよ、なにあれ」
「すごかった?えへへ」
「や、褒めたんじゃなく、あれは、さ。さすがにヤバいよ。ヤバい」
「…………」
「……そこで黙っちゃう」
「べつに、いいでしょ。みこは……ちゃんと人と話せるの」
「分かってんじゃん。んで、わたしはちゃんと話せるよ。先生でも友達でも。……お店の人でも」
「ずるい」
「ずるくない。あんたがダメなだけ。あと、さっきのお金……お財布から必要なぶん出せばいいじゃん。あれ持ってきた三〇〇円全部出してから要らない分引っ込めたでしょ。それに……算数もできないわけ? ははっ。数学の課題は全部やってるとか話してたじゃ」
「うるさい!」
しずほが蹴った。わたしの隣のパイプ椅子。ズガーンってなって、後ろに倒れる寸前でゴトンと持ち直した。
怒っている。初めて見た。怒るんだ。
なんか、かわいい。ゾクッとした。
「みこ、しんじゃえ、すきだけど。きらい。なんでそんなこというの」
そして泣き出した。えーんって。ほんとに「えーん」って声を出して泣いてる。
おばさんがこっちを見てる。正確に言うと、しずほとわたしを交互に見ている。
「あの、ごめん。ここまでしずほが気にすると思わなくて。ごめん、ね」
「ぅ……ひどい、みこ。ゆるさない」
あーもうどうすればいいの。おばさん、助けて。はあ。
……すると、わたしの心の祈りが通じたのか、おばさんがやってきた。
「どうしたのあんたたち? お姉ちゃんと喧嘩?」
しずほの方を向いて話すおばさん。
「お、お姉ちゃんて……」
わたしは制服。しずほは小学生みたいな服。ああ、たしかにそうなるわ。しずほが妹で、わたしがお姉ちゃんね……。
おばさんは、ちょっと待ってな、って言うと裏に引っ込んで、すぐ何か持って戻ってきた。
飴だ、飴玉。両手で輪っかを作った程度のサイズの缶に色んなのが入ってる。個包装。こんなんで泣いてる子が大人しくなるとお思いでいらっしゃるわけ?
「ほら、飴。持ってきな、好きなだけとって」
心なしかしずほの表情が少し明るくなる
「……ありがとうございます」
え、この子ありがとうって言えるんだ、意外。
しずほが缶から気が済むまで飴をふんだくると、おばさんは何も話さずすっと戻って行った。面白い対応。
「みこ、ごめんね」
「いいよ、ってか悪いのわたし」
飴で機嫌がいくらか良くなってる……。嘘みたいだ。子供かよ。ま、子供か。
でもなんか気まずくて、黙っていたけれど、たい焼きが出来上がったらしい。おばさんがまたこっちにきて、「ありがとね」と添えて、しずほにたい焼きを手渡した。
「あたしが先に食べていい」
「いいよ。あんたが買ったんだから」
たい焼きで半分こ。どう食べるんだろ、まあ二通りだよね。頭からいくか、尻尾からいくか。どっちかな。
がぶり、と噛みついたのは尻尾だった。あんたはそっち派ね。オーケー。ちなみにわたしは頭派だから上手くやってけるよ。
勢いよく噛みちぎる。そしてしずほはそこにまた口をつけて……噛んでない。
断面からあんをぺろぺろと舐めている、あるいは吸っている。なんてはしたない食べ方だ。
「はいっ、半分こ」
「半分? はっ。冗談」
「皮いっぱいあるから」
たしかに、しずほが食べた皮の部分は尾ヒレの部分だけ。だけど。
「あん、食べ過ぎ」
器用に、明らかに半分、いや。よく見るとそれ以上だ……殆どと言っても過言でない量のあんを食べている。半分こってなに? 要するに、わたしがたい焼きの半分として渡されようとしているものは、尾ヒレのないたい焼きの皮。は?
「ふざけてんの?まあもらうけど」
わたしは頭から。あんの残滓を感じながら。
最後はしずほがぺろぺろしていた尾ヒレの付け根を。ベロチューじゃん。実質ディープキスじゃん。初キスです。間接ディープキス。たい焼き。
「おいしかったね、みこ」
「まあ」
「気に入らない?」
「まあ」
「かわいいね、顔でわかるよ」
顔じゃなくても分かるだろ、自分が渡さんとしたものに疑問を感じなかったか? あんなたい焼きの食べ方があるか。知らん。ばーか。でもお金出してもらったし。あまり悪く言えない。
お店を出た。「ありがとねぇーぃ!」と、おじさんの気分のいい挨拶があったから、また今度はちゃんとお金を持って訪れたいと思った。学校のすぐ近くだしね。
だいぶ本来の目的を忘れてた。学校へ向かわなきゃね。
「みこ、あたし制服じゃないけど入れるかな」
突然、しずほがすっとぼけたことを聞いてくる。
「あんたがその服でいいって言ったんじゃん。……入れはすると思うけど、大丈夫かどうかはわからない」
「そうなの。だけど不安になって」
「あんたでも不安になることってあるんだ」
「あるよ、将来宝くじを当ててしまったらお金をどこにしまおう、とかね」
「それはくじを買ってから考えろ。あとそんな不安になるような大金は現金で渡されるわけじゃない」
ちょっと心配して損したじゃんか。薄ら寒いコントみたいになったじゃんか。ばか。
****
そんなこんなで無事に学校着。制服じゃないことを気にしてそわそわしてるしずほが一歩後ろを着いてくる感じで校門をくぐる。
グラウンドには誰もいない。帰宅部だから部活のことは全く分からないんだけど、野球部とかテニス部とか、日曜は休みなのかな、流石に。
「野球部のこと考えてた。でしょ?」
「残念でした~っ、テニス部と陸上部もでーす。出直しなさい」
「いじわる。一個、あてたじゃん」
まあでも、すごいとは思うよ。わたしがグラウンドをただぬぼーっと見てただけでそれは。
「あのねー、日曜でも大抵どこかで練習してるんだよ。練習試合で遠征とかかもね」
「そなんだ。詳しいね」
あんまり興味無い。
しずほは、部活のこと分かるんだ。そういえば。
「あんたって、何部?」
「何部だろう」
「いや、なんで。自分のことでしょ」
「んー、文化部だったんだよね。写真部だったか、漫画・美術同好会か、文芸部だった……と思う」
「なんで曖昧」
「おぼえてないの。だから学校終わったらそのまま家に帰ってる。だけど帰ってから写真撮ったり、漫画や小説を書いたりして、いつかやってくる『いつまで幽霊部員やってんだー』って怒られる日に備えて生きてるよ。授業で出る課題もやらなきゃだし、毎日大変だよー」
「そりゃあなんてハイスペックでランクの高い帰宅部」
だけど、記憶が無いの? それってどうなの? って思ったけど。ひとまずは昇降口へ黙って歩くことにした。
「開いてた」
ちょっと後ろにいたしずほがまたぬるっと出てきて私より先に校舎の扉にタッチ。スライド。
「ほー、一応開いてんだね」
いつも登校する時は開放されてる扉。それを自分たちで開くってなんかいいな。日々当たり前だと思ってることは、こうやって誰かがやってるんだ。しみじみ。
校舎に入る。上履き入れから自分のシューズを出して足元にぱこっと放る。音がよく響く。もしわたしが曲を作ってたらこういうのから閃いたりすんのかな。ぱこーっ。ずんたかずんたか。みたいな。
毎朝やってることだけど周りに誰も居なくて、静かで……。
「こういうのってさー」
「なあに、みこ」
「あー……語彙力が死んでるから適当な表現ができないわ。今のなし」
「かわいいね」
くそーっ。そういやこういう風に何度か『かわいいね』って言ってきてるなー。ちょっとキュンと、なんか刹那、切なくなったり……はしないな。しずほは女の子だし、大人な女性とかに惚れてしまうとかならまだしも、こんなクソださい小学生みたいな。ない。
「はやくー」
「急かさないで。ちなみに昨日あんたに踏まれたつま先」
「ごめんね。すきだから、つい」
「はぁー? なにそれ。まだ痛いの。慰謝料」
「慰謝料」
振り返るしずほ。急に。ぶつかる、よ。
頬に生ぬるい感触。
あっ、これ。おい。
触れたのは、しずほの唇。と、鼻先。
キス。キッスだぞ。あの、接吻ですよ?
「まさかこれが慰謝料とか、そういう気取った少女漫画みたいな、思い出して枕に顔を埋めたくなるような、なんというか、恥ずかしいことを言うわけではあるまいな」
混乱。
「いまのが、慰謝料。なんもあげられないから。ちょっと良くなった?」
何が? なんも良くなんないって。
「あたしのうちでは、そういうことになってる」
「知らんって」
「ばんそうこ、貼って、そこをちゅって。良くなる、おまじない」
「知らんよ」
じゃあ、カットバン貼ってからやりなよ。しきたり的なやつ大切にしてよ。あ、つま先だよ? もう突っ込まない。
****
「行こっか、みこ」
「はあ……調子狂う。行くよ。……どこに?」
ここからどこに行くかそういえば、分からなかった。数学の井上を殺すから、来たんだけど。吹奏楽部の練習が終わって一人になったとこを……かな。よくわかんないけど。
「吹奏楽部だから第二音楽室だと思う」
なるほどね。
「あー。同じ音楽室なのに第一と第二で場所離れてるし、授業で行ったことないから……場所分からない」
「もう三年生なのにわかんないの?」
「あんたは算数わからないでしょ、ばか」
「いじわる」
「あんたが先でしょ。お互い様」
「もう。あたしはみこと違って第二音楽室知ってるからえらい。ついてきて」
ふふん、と鼻を鳴らす、誇らしげなしずほについて行く。
誰も居ない校内。なんか寂しい。いつもはすごく五月蝿くてつまんない学校。
今はすごく静かでつまんない学校。
「静かだから感傷に浸ってたの? そんな顔してるよ」
「いや、どんな顔。でもそう、寂しい感じがする。静かすぎて、世界に二人きりになっちゃった、みたいな。はは。なんてベタな。ちょっと痛い。つま先じゃなくてわたしが」
「さびしさは鳴るからね、うるさいよ。さびしいなら静かじゃない。綿矢りさが言ってた」
「誰?」
「みこって本読まないの? 意外。芥川賞」
「それってその人が言ったの? 本の中の話?」
「本の中で言ってた」
「そっか」
ほんとにその人はそんなこと言ったのかな。しずほのことだからきっとなにか自分の都合のいいように解釈してるんじゃないかな。そのうち読んでみよ。さびしさは鳴る、って表現なんか気に入ったし。なんてタイトルの本だろう。
なんて考えてるうちに着いた。ここが第二音楽室か。……知ってる場所だった。たまに移動教室で来る教室の隣だった。なんで知らなかったんだろ。
「着いたね。ここだよ、みこ」
「ごめん知ってた、ここ。いやちょっと違うか」
「うん。静かだね。吹奏楽部、いるの?」
また話聞いてない。でも、しずほの言う通り、静かだ。防音設備がしっかりしてるにしても静かすぎ。
「ねえねえ、開ける?」
「開けないよ、もしいたら邪魔になるでしょ……」
「じゃあ何しに来たの」
「井上を……だけどさ、よく考えたら練習がもう終わってるとかじゃ?」
「あっ」
わたしと話す間中ずっと、しずほは忙しなく辺りを見回していた。それで、今なにか見つけたみたいだ。
「なに?」
「みて、あれ」
指をさした方向には掲示板みたいなもの。大きボードに、紙がいくつか画鋲でとめられている。
あっ、あれか。わたしも見つけた。しずほが指していたもの。
再生紙に【吹奏楽部定期演奏会】と印刷されている。なるほど。そして開催日は、今日、九月二十九日。
「……行く、んだよね、うん」
「行くよ。あたしは行きたい。でもみこがいやならもう帰るよ」
「わたしも行く。もう戻らない」
自分でもわからないくらい決意が固い。使命感みたいな。なんでだろ。だって別に今日じゃなくていいのに。
「みこ。ありがとう。だいすきだよ、愛してるよ」
後ろからぎゅっと抱き締められた。強い。痛いくらい。
「しずほ、痛い」
「ごめんね、でもやめない」
少しだけ緩めてきた。でも意地でも離さない感じがまだある。わたしはじたばたと暴れだしたくなる。
「ずっとこうしてたい、みこ、みこ」
「え、どうしたどうした、一旦離れな」
解けない……。困る。
「すきなの、みこ。離せない。あたし、おかしい?」
「うん、あんたはおかしい、しずほ。わたしに話しかけてきたときからそう思う……いや、その前からおかしかったから、わたしに近付いてきたんじゃない? あは。変態。わたし女の子だよ、離して」
「やだ」
「カットバン貼って。わたしのカバンの中。裏側の薄いポケット。ボールペン二本ささってるとこのとなりね。チャック付きの袋に入ってる。つま先が痛い。さっき言ってた変なおまじないみたいなの、やってよ」
「わかった」
素直だ。ようやく離してくれた。
でもすごく温かくて、柔らかくて……。なんか……よかった。ちょっと名残惜しい。——失われる語彙力。わたしもどうかしてる。
「あった、カットバンって、これ? ばんそうこ、あたしのうちではサビオって呼んでたよ」
「合ってる。絆創膏のことカットバンって呼んでる。仙台の人はみんなそうじゃない? サビオって……北海道とかだっけ……?」
「そう、北海道なの。あたし、まえは北海道に住んでたよ。小学五年生のときにお母さんがくまに殺されちゃって、こっちにひっこしてきたの。あっちでのこと、あんまり覚えてないけど」
「つらかった?」
「覚えてない」
「そう」
「ばんそうこ、貼るね」
くつ下を脱いで傷を露出させる。結構いってる。こりゃ痛いわけだ。痣ができて、薬指と小指からは血も出てる。半乾きでぬらっと赤黒い。
ふといい匂いがする。安心する。森の中みたいな。これがしずほの匂い。
なぜかカットバンを持つ手よりも顔の方がつま先に近い。いや、貼ってよ。
瞬間、ぺろっと舐めた。
わたしのつま先を。小指の外側。舐めた。目を離した一瞬だったけど、確実。しずほの鼻息が指に触れたとき、ひんやり、濡れてる。
それからまた舐めた。次はわたしも見ている。見つめている。何が起きているのか分からないけど、いや、分からないから。
血の出ている、小指と薬指を何度も舐めている。さっきまで乾いてた血がまた鮮やかになっていき、やがて少しずつ舐めとられていく。
わたしは抵抗しない。あえて抵抗しない。
「ちゃんとやって、しずほ」
「ちゃんとやってるよ、みこ」
「ばか」
このまま膝から下をくいっと上げればこの顔に一撃喰らわせられる。もしかしたら眼に指が入って失明するかもね。足の爪、あんまり切んないから伸びてる。やってみようか? やらないけど。
「くすぐったい」
「生きてるね、みこ。痛いでしょ?」
「うん。痛い」
「よかった。みこ。すきだよ。生きてる。あたしも」
「そう。よかった」
「ごめんね。痛くして。もう貼るから、ばんそうこ」
「ううん。ありがと、貼って」
しずほの顔がつま先からすっと離れて、そこにすぐさまカットバンがあてがわれる。
傷口はとてもきれいに汚された。不潔で、清らかだ。きっとしずほの口から何千万という数の細菌がわたしの傷口に入り込んだ。
化膿でもしたら、また慰謝料を請求するよ。そしたら、また、あんなのが返ってくるのかな。
しずほは、わたしのつま先に、不器用に何枚かカットバンを貼ると、その一つ一つにキスをした。黴菌だらけの傷口に、清潔なカットバン。その上に。具だけが清潔で、不衛生のサンドイッチ。
「これが、おまじない。すぐ治るよ」
「あんたが踏んづけてきたんだから、そうじゃなきゃ困るの。責任とってね」
尻尾からたい焼きの中身を啜るしずほ。つま先からわたしの体液を汲み上げるしずほ。
反芻する。それらはどの面から観測しても乖離しないから、堪らなく愛おしく想ってしまう。
しずほ。しずほ。……しずほ。
もしかするとわたしは、恋をしてしまったのかも。
「ねーみこ、お腹空かないの?」
「あっ……空いてる空いてる」
その瞬間、狙いすましたかのようなタイミングで「ぐきゅ~るるっ」とお腹が鳴る。
「おー空腹時消化器鳴動音だ。みこの空腹時消化器鳴動音もかわいいね」
「なに? 医学用語的な? しずほお医者さんなのか? いやそれはないか。お父さんがお医者さん?」
難しい言葉を使うしずほ、なんか凛としてていいなあ、って思ってしまう。もっともっと難しいことを言ってよ。なんかグッとくるから。
「あたしのお父さんは温泉屋さんだよ。おばあちゃんと経営してる。お母さんは死んじゃった。殺されちゃったの」
……後半、重いわ。ボウリングボール四つ分くらい重い……。まあ、あえてそれ以上は聞かないけどさ。
「ふーん、じゃあそのうち、行ってみたいなあ、温泉でしょ? わたし最近すごく行きたくて、温泉」
「ちょっと遠いけど、これるの?」
「行けるでしょ、泊まりでも。秋休みも近いし何日くらいあるっけ」
「おー、じゃあ近いうちに行くことになるから。よろしくね」
あのぅ、休み何日ありましたっけ? 無視かよ。……行くことになる、か。なんだろう。用事? それに、今の会話でなんか引っかかるところがあったような気がするけど、さほど詮索するまでもないか。
「あ~、わたしお腹空いてたの忘れてた」
「でも学校着きそだねー」
もう学校のある交差点だ。ちょっと回り道すれば歩道橋があって、信号機を待たずにすむ。今日の気分的に、わたしは上から下界を見下ろしたい。
……ふと、思い出した。たしか歩道橋を渡った先に、鉄板でなんか焼いて食べるやつ……名前忘れたけど、それの屋台みたいなお店があったはず。
道路を挟んだ向かい側に目をやる。雑然と並んだ建物群を、歩道橋の終わりを中心に左右にキョロキョロとして…………あった! あれだ。あのお店だ。「鉄板焼き」だって。看板がある。
「みこ、あそこのお店で買い食いしたいんでしょ。顔に出てたよ。ちなみにすぐ隣にコンビニがあるけど、そっちは認識してないってところまでわかっちゃった」
「え、わたしってそんなに分かりやすい? 顔?」
「わかりやすいよ、みこは。たとえば、歩道橋。あそこから下にいる人たちを見下ろしたいんでしょ。見下したいんでしょ? どう、当たった?」
「当たってる、けど。言葉からは全然読み取ってくれてないでしょ、しずほ。毎回そう」
悔しいから悪態をつく。
「ひどい、みこ。あたしいろいろみこのこと知ってるのに、分かってるのに。言ってることもね」
「そう」
もう、そういうことにしてあげた。
歩道橋まで来た。さっきから人が少ない道を選んで横に並んで歩いてきたけど、ここは狭いからここで私が前に。——行こうとしたんだけど、それより先にしずほが前にずいっと出てきた。階段を上り始める。どっちでもいいけど。
「あたしがみこをリードしてると思う。ふふ」
「なにいきなり。前に出ただけじゃん。一段上だから背が高くなったとか? アホくさ」
「そっちのリードじゃない。競走じゃないの。あたしが導いてるって意味。みこをいい方向にねー、導いてるってこと」
「なるほどねー」
いや、あまり分かってないけど。しずほの提案からこうして外に出てきたって意味ではそうか。ははは、リードね。恋人同士か?
「みこ、今わかってないって感じの顔」
「バレたか」
「わかるって。すきだよ」
「うへー、なんだなんだ」
こんなに私を好いてるしずほ。なんでだ。
階段を上りきる。あとはまっすぐ行って目的の方向へ下りてく。
しずほが立ち止まってわたしたちが向かう先を指さす。
「今、階段を上ってきたでしょ、でもねー、あっちから来た人は、今あたしたちが上ってきたところを下りてくの。不思議だね」
「不思議かな」
「不思議だよ。あたしたちは向こうから来る人が上ってくるところを下りてくの。どういうことだろう」
「どういうことだろうね」と返す。
突き当たりまで進んで、しずほは「鉄板焼きのお店、あっち!」と、方向を変えてとととっと階段を下りていく。一段抜かしたかと思えば、同じ段に両足を着けてみたりと、訳のわからない下り方だ。ときどき危なっかしい。すっ転んでごろごろ落ちていくんじゃないかな。
そんなしずほを観察しながら、わたしは普通に階段を下りる。
わたしが半分もいかないうちに、しずほは下に着き、こっちを振り返って待ってる。また犬みたい。
「遅いよ」
「あんたが早いの」
「そっか」
わたしが追いつく直前にして、もう歩き始めるしずほ。待ってよ。
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わたしがちょっと早足になって、ようやく並べたところでお店に着く。『屋台の鉄板焼き』だって。屋台の、か。わたしはそんなに好きじゃないな。
覗く。お祭りの屋台みたいなんだけど、よく見るとパイプ椅子がいくつか置いてある。親切だ。座ってもいいんだ。入るか。
「いらっしゃいませーい!」
威勢のいい、四十代くらいのおじさん。彼の目の前にある鉄板の上にはなにもない。わたしたちの他にお客さん居ないしね。店主かな。陰におばさんもいた。夫婦でやってる、って感じ?
メニューを見てみる。当たり前だけど鉄板で焼くやつがいっぱい並んでる。サラッと目を通す。お好み焼きにソース焼きそば……たこ焼きもある、へー。
お財布にも相談しようとカバンをまさぐってみたけど……お財布が無い。やらかした。家に忘れてきちゃったよ。
「あのさ……しずほ。お財布忘れちゃった」
「お茶目だね、かわいいね」
「えっと、だからさ。お金、貸してくれない?」
「いいよ、って言いたかったの。だけど、わたしもお金ない。三〇〇円しかもってない」
「そっかぁー、じゃさ、半分ことかは?」
「いいね、そうする。じゃあたい焼きにするね」
「えー? なんで。たい焼き一六〇円じゃん。このさ、くるくるお好み焼き? ってやつ三〇〇円だよ。量もきっとあるよ。これにしようよ」
「やだ。たい焼きが食べたい。あたしがお金出すの。みこのことはだいすきでなんでもしてあげたいけど、たい焼きがいい。他のはだめ」
たい焼きを半分か。なんでこんなに意地っ張りなんだ。でもしょうがない。
「ごめん、あんたの言う通り、たい焼き半分こ」
「聞き分けが良くてよかったよ、みこ。えらいね」
ムカつくなあ。恵んでもらう立場なんだけど。
「じゃあ頼んでくるからみこは椅子でまってて」
「はいよ」
カウンター脇、お世辞にも綺麗とは言えない粗末なパイプ椅子にわたしは腰掛けた。表面がズタズタになりすぎて中身見えてる。ボロ。
わたし以外の人としずほがどう会話するのか、意識して見たことがなかったので、カウンターへぱたぱた走っていく後ろ姿を目で追う……おじさんの前に立った。
「……あの……たい、焼き、ひとつくださいっ。あっ、中の……中のやつは、ぁ……あんこです……っ!」
カウンターでおじさんに注文をするしずほ……いつもの口調はどうした? すっごくおどおどもじもじしてる。声は大きいんだけど。
「はい、たい焼き、あんこ一つね! 一六〇円です」
「は、はい」
おじさんがカルトンをカウンターにストンと置くと、しずほはビクンっと跳ねた。なにビビってるの? ウケる。
しずほの小学生みたいなリュックから、これまた小学生の使うようなお財布が出てくる。ピンク色。ベリベリするやつとジッパーがハイブリッドになってて、なんかのキャラクターが描かれてるように見える。んで、そっから出てきたのはたくさんの硬貨。ジャラジャラ。あれは確実にお財布の中身全部出した感じだ。カルトンの上でひっくり返したままのお財布をぶんぶん振ってる。あはは、間抜け。
「えっと……に、し、ろく……六〇円、あと一〇〇円だから……いちにーさん、よん……」
……? 何やってんだ。数学の課題全部やってるんじゃないの? 算数もできないんかい。
おじさんはニコニコ待っている。やさしい。接客なら当然か。わたしだったら頭にチョップしてやるよ、コツンって。戻ってきたらしてやる。
「はい! にー、しー、ろー、はー……えー、ちょうどね。 はい伝票! ちょっとお待ちくださいねー」
代金を受け取ったおじさんはわたしのいるパイプ椅子のところに向けて手をスーッとやった。座って待っててねってことだ。
「みこ、買えたよ」
「なにさっきの」
「なにって?」
「さっき注文するとき、あんたすごかったよ、なにあれ」
「すごかった?えへへ」
「や、褒めたんじゃなく、あれは、さ。さすがにヤバいよ。ヤバい」
「…………」
「……そこで黙っちゃう」
「べつに、いいでしょ。みこは……ちゃんと人と話せるの」
「分かってんじゃん。んで、わたしはちゃんと話せるよ。先生でも友達でも。……お店の人でも」
「ずるい」
「ずるくない。あんたがダメなだけ。あと、さっきのお金……お財布から必要なぶん出せばいいじゃん。あれ持ってきた三〇〇円全部出してから要らない分引っ込めたでしょ。それに……算数もできないわけ? ははっ。数学の課題は全部やってるとか話してたじゃ」
「うるさい!」
しずほが蹴った。わたしの隣のパイプ椅子。ズガーンってなって、後ろに倒れる寸前でゴトンと持ち直した。
怒っている。初めて見た。怒るんだ。
なんか、かわいい。ゾクッとした。
「みこ、しんじゃえ、すきだけど。きらい。なんでそんなこというの」
そして泣き出した。えーんって。ほんとに「えーん」って声を出して泣いてる。
おばさんがこっちを見てる。正確に言うと、しずほとわたしを交互に見ている。
「あの、ごめん。ここまでしずほが気にすると思わなくて。ごめん、ね」
「ぅ……ひどい、みこ。ゆるさない」
あーもうどうすればいいの。おばさん、助けて。はあ。
……すると、わたしの心の祈りが通じたのか、おばさんがやってきた。
「どうしたのあんたたち? お姉ちゃんと喧嘩?」
しずほの方を向いて話すおばさん。
「お、お姉ちゃんて……」
わたしは制服。しずほは小学生みたいな服。ああ、たしかにそうなるわ。しずほが妹で、わたしがお姉ちゃんね……。
おばさんは、ちょっと待ってな、って言うと裏に引っ込んで、すぐ何か持って戻ってきた。
飴だ、飴玉。両手で輪っかを作った程度のサイズの缶に色んなのが入ってる。個包装。こんなんで泣いてる子が大人しくなるとお思いでいらっしゃるわけ?
「ほら、飴。持ってきな、好きなだけとって」
心なしかしずほの表情が少し明るくなる
「……ありがとうございます」
え、この子ありがとうって言えるんだ、意外。
しずほが缶から気が済むまで飴をふんだくると、おばさんは何も話さずすっと戻って行った。面白い対応。
「みこ、ごめんね」
「いいよ、ってか悪いのわたし」
飴で機嫌がいくらか良くなってる……。嘘みたいだ。子供かよ。ま、子供か。
でもなんか気まずくて、黙っていたけれど、たい焼きが出来上がったらしい。おばさんがまたこっちにきて、「ありがとね」と添えて、しずほにたい焼きを手渡した。
「あたしが先に食べていい」
「いいよ。あんたが買ったんだから」
たい焼きで半分こ。どう食べるんだろ、まあ二通りだよね。頭からいくか、尻尾からいくか。どっちかな。
がぶり、と噛みついたのは尻尾だった。あんたはそっち派ね。オーケー。ちなみにわたしは頭派だから上手くやってけるよ。
勢いよく噛みちぎる。そしてしずほはそこにまた口をつけて……噛んでない。
断面からあんをぺろぺろと舐めている、あるいは吸っている。なんてはしたない食べ方だ。
「はいっ、半分こ」
「半分? はっ。冗談」
「皮いっぱいあるから」
たしかに、しずほが食べた皮の部分は尾ヒレの部分だけ。だけど。
「あん、食べ過ぎ」
器用に、明らかに半分、いや。よく見るとそれ以上だ……殆どと言っても過言でない量のあんを食べている。半分こってなに? 要するに、わたしがたい焼きの半分として渡されようとしているものは、尾ヒレのないたい焼きの皮。は?
「ふざけてんの?まあもらうけど」
わたしは頭から。あんの残滓を感じながら。
最後はしずほがぺろぺろしていた尾ヒレの付け根を。ベロチューじゃん。実質ディープキスじゃん。初キスです。間接ディープキス。たい焼き。
「おいしかったね、みこ」
「まあ」
「気に入らない?」
「まあ」
「かわいいね、顔でわかるよ」
顔じゃなくても分かるだろ、自分が渡さんとしたものに疑問を感じなかったか? あんなたい焼きの食べ方があるか。知らん。ばーか。でもお金出してもらったし。あまり悪く言えない。
お店を出た。「ありがとねぇーぃ!」と、おじさんの気分のいい挨拶があったから、また今度はちゃんとお金を持って訪れたいと思った。学校のすぐ近くだしね。
だいぶ本来の目的を忘れてた。学校へ向かわなきゃね。
「みこ、あたし制服じゃないけど入れるかな」
突然、しずほがすっとぼけたことを聞いてくる。
「あんたがその服でいいって言ったんじゃん。……入れはすると思うけど、大丈夫かどうかはわからない」
「そうなの。だけど不安になって」
「あんたでも不安になることってあるんだ」
「あるよ、将来宝くじを当ててしまったらお金をどこにしまおう、とかね」
「それはくじを買ってから考えろ。あとそんな不安になるような大金は現金で渡されるわけじゃない」
ちょっと心配して損したじゃんか。薄ら寒いコントみたいになったじゃんか。ばか。
****
そんなこんなで無事に学校着。制服じゃないことを気にしてそわそわしてるしずほが一歩後ろを着いてくる感じで校門をくぐる。
グラウンドには誰もいない。帰宅部だから部活のことは全く分からないんだけど、野球部とかテニス部とか、日曜は休みなのかな、流石に。
「野球部のこと考えてた。でしょ?」
「残念でした~っ、テニス部と陸上部もでーす。出直しなさい」
「いじわる。一個、あてたじゃん」
まあでも、すごいとは思うよ。わたしがグラウンドをただぬぼーっと見てただけでそれは。
「あのねー、日曜でも大抵どこかで練習してるんだよ。練習試合で遠征とかかもね」
「そなんだ。詳しいね」
あんまり興味無い。
しずほは、部活のこと分かるんだ。そういえば。
「あんたって、何部?」
「何部だろう」
「いや、なんで。自分のことでしょ」
「んー、文化部だったんだよね。写真部だったか、漫画・美術同好会か、文芸部だった……と思う」
「なんで曖昧」
「おぼえてないの。だから学校終わったらそのまま家に帰ってる。だけど帰ってから写真撮ったり、漫画や小説を書いたりして、いつかやってくる『いつまで幽霊部員やってんだー』って怒られる日に備えて生きてるよ。授業で出る課題もやらなきゃだし、毎日大変だよー」
「そりゃあなんてハイスペックでランクの高い帰宅部」
だけど、記憶が無いの? それってどうなの? って思ったけど。ひとまずは昇降口へ黙って歩くことにした。
「開いてた」
ちょっと後ろにいたしずほがまたぬるっと出てきて私より先に校舎の扉にタッチ。スライド。
「ほー、一応開いてんだね」
いつも登校する時は開放されてる扉。それを自分たちで開くってなんかいいな。日々当たり前だと思ってることは、こうやって誰かがやってるんだ。しみじみ。
校舎に入る。上履き入れから自分のシューズを出して足元にぱこっと放る。音がよく響く。もしわたしが曲を作ってたらこういうのから閃いたりすんのかな。ぱこーっ。ずんたかずんたか。みたいな。
毎朝やってることだけど周りに誰も居なくて、静かで……。
「こういうのってさー」
「なあに、みこ」
「あー……語彙力が死んでるから適当な表現ができないわ。今のなし」
「かわいいね」
くそーっ。そういやこういう風に何度か『かわいいね』って言ってきてるなー。ちょっとキュンと、なんか刹那、切なくなったり……はしないな。しずほは女の子だし、大人な女性とかに惚れてしまうとかならまだしも、こんなクソださい小学生みたいな。ない。
「はやくー」
「急かさないで。ちなみに昨日あんたに踏まれたつま先」
「ごめんね。すきだから、つい」
「はぁー? なにそれ。まだ痛いの。慰謝料」
「慰謝料」
振り返るしずほ。急に。ぶつかる、よ。
頬に生ぬるい感触。
あっ、これ。おい。
触れたのは、しずほの唇。と、鼻先。
キス。キッスだぞ。あの、接吻ですよ?
「まさかこれが慰謝料とか、そういう気取った少女漫画みたいな、思い出して枕に顔を埋めたくなるような、なんというか、恥ずかしいことを言うわけではあるまいな」
混乱。
「いまのが、慰謝料。なんもあげられないから。ちょっと良くなった?」
何が? なんも良くなんないって。
「あたしのうちでは、そういうことになってる」
「知らんって」
「ばんそうこ、貼って、そこをちゅって。良くなる、おまじない」
「知らんよ」
じゃあ、カットバン貼ってからやりなよ。しきたり的なやつ大切にしてよ。あ、つま先だよ? もう突っ込まない。
****
「行こっか、みこ」
「はあ……調子狂う。行くよ。……どこに?」
ここからどこに行くかそういえば、分からなかった。数学の井上を殺すから、来たんだけど。吹奏楽部の練習が終わって一人になったとこを……かな。よくわかんないけど。
「吹奏楽部だから第二音楽室だと思う」
なるほどね。
「あー。同じ音楽室なのに第一と第二で場所離れてるし、授業で行ったことないから……場所分からない」
「もう三年生なのにわかんないの?」
「あんたは算数わからないでしょ、ばか」
「いじわる」
「あんたが先でしょ。お互い様」
「もう。あたしはみこと違って第二音楽室知ってるからえらい。ついてきて」
ふふん、と鼻を鳴らす、誇らしげなしずほについて行く。
誰も居ない校内。なんか寂しい。いつもはすごく五月蝿くてつまんない学校。
今はすごく静かでつまんない学校。
「静かだから感傷に浸ってたの? そんな顔してるよ」
「いや、どんな顔。でもそう、寂しい感じがする。静かすぎて、世界に二人きりになっちゃった、みたいな。はは。なんてベタな。ちょっと痛い。つま先じゃなくてわたしが」
「さびしさは鳴るからね、うるさいよ。さびしいなら静かじゃない。綿矢りさが言ってた」
「誰?」
「みこって本読まないの? 意外。芥川賞」
「それってその人が言ったの? 本の中の話?」
「本の中で言ってた」
「そっか」
ほんとにその人はそんなこと言ったのかな。しずほのことだからきっとなにか自分の都合のいいように解釈してるんじゃないかな。そのうち読んでみよ。さびしさは鳴る、って表現なんか気に入ったし。なんてタイトルの本だろう。
なんて考えてるうちに着いた。ここが第二音楽室か。……知ってる場所だった。たまに移動教室で来る教室の隣だった。なんで知らなかったんだろ。
「着いたね。ここだよ、みこ」
「ごめん知ってた、ここ。いやちょっと違うか」
「うん。静かだね。吹奏楽部、いるの?」
また話聞いてない。でも、しずほの言う通り、静かだ。防音設備がしっかりしてるにしても静かすぎ。
「ねえねえ、開ける?」
「開けないよ、もしいたら邪魔になるでしょ……」
「じゃあ何しに来たの」
「井上を……だけどさ、よく考えたら練習がもう終わってるとかじゃ?」
「あっ」
わたしと話す間中ずっと、しずほは忙しなく辺りを見回していた。それで、今なにか見つけたみたいだ。
「なに?」
「みて、あれ」
指をさした方向には掲示板みたいなもの。大きボードに、紙がいくつか画鋲でとめられている。
あっ、あれか。わたしも見つけた。しずほが指していたもの。
再生紙に【吹奏楽部定期演奏会】と印刷されている。なるほど。そして開催日は、今日、九月二十九日。
「……行く、んだよね、うん」
「行くよ。あたしは行きたい。でもみこがいやならもう帰るよ」
「わたしも行く。もう戻らない」
自分でもわからないくらい決意が固い。使命感みたいな。なんでだろ。だって別に今日じゃなくていいのに。
「みこ。ありがとう。だいすきだよ、愛してるよ」
後ろからぎゅっと抱き締められた。強い。痛いくらい。
「しずほ、痛い」
「ごめんね、でもやめない」
少しだけ緩めてきた。でも意地でも離さない感じがまだある。わたしはじたばたと暴れだしたくなる。
「ずっとこうしてたい、みこ、みこ」
「え、どうしたどうした、一旦離れな」
解けない……。困る。
「すきなの、みこ。離せない。あたし、おかしい?」
「うん、あんたはおかしい、しずほ。わたしに話しかけてきたときからそう思う……いや、その前からおかしかったから、わたしに近付いてきたんじゃない? あは。変態。わたし女の子だよ、離して」
「やだ」
「カットバン貼って。わたしのカバンの中。裏側の薄いポケット。ボールペン二本ささってるとこのとなりね。チャック付きの袋に入ってる。つま先が痛い。さっき言ってた変なおまじないみたいなの、やってよ」
「わかった」
素直だ。ようやく離してくれた。
でもすごく温かくて、柔らかくて……。なんか……よかった。ちょっと名残惜しい。——失われる語彙力。わたしもどうかしてる。
「あった、カットバンって、これ? ばんそうこ、あたしのうちではサビオって呼んでたよ」
「合ってる。絆創膏のことカットバンって呼んでる。仙台の人はみんなそうじゃない? サビオって……北海道とかだっけ……?」
「そう、北海道なの。あたし、まえは北海道に住んでたよ。小学五年生のときにお母さんがくまに殺されちゃって、こっちにひっこしてきたの。あっちでのこと、あんまり覚えてないけど」
「つらかった?」
「覚えてない」
「そう」
「ばんそうこ、貼るね」
くつ下を脱いで傷を露出させる。結構いってる。こりゃ痛いわけだ。痣ができて、薬指と小指からは血も出てる。半乾きでぬらっと赤黒い。
ふといい匂いがする。安心する。森の中みたいな。これがしずほの匂い。
なぜかカットバンを持つ手よりも顔の方がつま先に近い。いや、貼ってよ。
瞬間、ぺろっと舐めた。
わたしのつま先を。小指の外側。舐めた。目を離した一瞬だったけど、確実。しずほの鼻息が指に触れたとき、ひんやり、濡れてる。
それからまた舐めた。次はわたしも見ている。見つめている。何が起きているのか分からないけど、いや、分からないから。
血の出ている、小指と薬指を何度も舐めている。さっきまで乾いてた血がまた鮮やかになっていき、やがて少しずつ舐めとられていく。
わたしは抵抗しない。あえて抵抗しない。
「ちゃんとやって、しずほ」
「ちゃんとやってるよ、みこ」
「ばか」
このまま膝から下をくいっと上げればこの顔に一撃喰らわせられる。もしかしたら眼に指が入って失明するかもね。足の爪、あんまり切んないから伸びてる。やってみようか? やらないけど。
「くすぐったい」
「生きてるね、みこ。痛いでしょ?」
「うん。痛い」
「よかった。みこ。すきだよ。生きてる。あたしも」
「そう。よかった」
「ごめんね。痛くして。もう貼るから、ばんそうこ」
「ううん。ありがと、貼って」
しずほの顔がつま先からすっと離れて、そこにすぐさまカットバンがあてがわれる。
傷口はとてもきれいに汚された。不潔で、清らかだ。きっとしずほの口から何千万という数の細菌がわたしの傷口に入り込んだ。
化膿でもしたら、また慰謝料を請求するよ。そしたら、また、あんなのが返ってくるのかな。
しずほは、わたしのつま先に、不器用に何枚かカットバンを貼ると、その一つ一つにキスをした。黴菌だらけの傷口に、清潔なカットバン。その上に。具だけが清潔で、不衛生のサンドイッチ。
「これが、おまじない。すぐ治るよ」
「あんたが踏んづけてきたんだから、そうじゃなきゃ困るの。責任とってね」
尻尾からたい焼きの中身を啜るしずほ。つま先からわたしの体液を汲み上げるしずほ。
反芻する。それらはどの面から観測しても乖離しないから、堪らなく愛おしく想ってしまう。
しずほ。しずほ。……しずほ。
もしかするとわたしは、恋をしてしまったのかも。
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