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第1巻 理を識る者たち
第4章 関所の門
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朝霧の中、石造りの関所が近づいてきた。
厚い木扉の両脇には槍を持った兵が立ち、旅人や商人たちを順に検めている。
旗が風にはためき、鋭い目が行き交う人々を見下ろしていた。
リュミナは人の群れに目を奪われ、そわそわと視線を彷徨わせる。
農夫の荷車、商人の隊列、子供を連れた家族――彼女にとってはすべてが初めての光景だった。
アーレンはフードを深くかぶせ、彼女の肩を抱くようにして列に並んだ。
「静かにしていろ。余計な目を引くな」
「……ひと、おおい」
リュミナは小さな声で呟き、外套の影に身を縮める。
前の商人が長々と帳簿を検められている間、アーレンは頭の中で策を巡らせていた。
学院時代の身分証はとっくに無効だ。だが、研究員の肩書きはまだ記憶している者も多いかもしれない。
危うい橋を渡るしかなかった。
ようやく順番が来る。
槍を持った兵がこちらを睨み、短く問いかけた。
「身分と行き先を」
アーレンは落ち着いた声で答える。
「行商人だ。南の村へ薬草を売りに」
兵士はリュミナに視線を移した。
「……そちらは?」
リュミナは目を伏せ、口を結ぶ。
無理に言葉を出せば、拙さが怪しまれる。
アーレンが代わりに答えた。
「娘だ。病弱で声が出にくい」
兵士は眉をひそめたが、特に追及はしなかった。
だが手を伸ばし、フードを取ろうとする。
「顔を見せろ」
リュミナがびくりと体を震わせる。
その瞬間――
後ろから大きな荷車が軋みを立てて進み出た。
荷を積みすぎた商人が兵に声をかけ、手間取らせる。
兵士の注意がそちらへ向いた隙に、アーレンはリュミナを促して歩を進めた。
重たい扉を抜け、石畳の向こうに広がる街道へ出る。
ようやく背後のざわめきが遠ざかった。
リュミナは小さく息を吐き、アーレンの袖をつかんだ。
「……こわい」
「当然だ。だが、越えた。これで一息つける」
アーレンは振り返らなかった。
彼の胸にはまだ緊張が残っていたが、同時に安堵もあった。
二人は霧の街道へと歩みを進める。
旅は、ここからが本当の始まりだった
関所を抜けると、朝霧の向こうに広い街道が延びていた。
石畳はやがて土の道に変わり、道端には野花が咲き、鳥の声が澄んで響く。
リュミナは目を輝かせて辺りを見回し、草の葉を指でなぞったり、遠くの丘を見上げたりしていた。
アーレンはそんな彼女の歩幅に合わせて進みつつ、人の姿に目を配っていた。
やがて、背中に大きな荷を背負った行商風の老人が、前方からやって来た。
肩で息をしているのが遠目にも分かる。
すれ違いざま、老人は二人に声をかけた。
「おや、関所を抜けたばかりかね? 街の方は混んでおったろう」
アーレンは軽く会釈した。
「ええ。時間を食いました」
リュミナはちらりとアーレンを見てから、恐る恐る口を開いた。
「……ひと……おおい」
老人は驚いたように目を細め、それから柔らかく笑った。
「そうだろうな。だが、ここから先はのどかなもんだ。……娘さんか?」
アーレンは「ええ」と短く答え、余計な詮索を避けるように話を切った。
しかし老人は気にも留めず、荷を背負い直して歩き出した。
リュミナはその背を見送りながら、小さく呟いた。
「……やさしい」
アーレンは少しだけ目を細めた。
「そうだな。だが、誰もがそうとは限らん」
リュミナは首をかしげ、足元の草を踏みながら歩を進める。
彼女の中で「人」という存在が、少しずつ輪郭を帯び始めていた。
街道はまだ長く続いている。
二人は小さな出会いを胸に刻みながら、その先へと歩みを進めた。
昼を過ぎるころ、街道の先に小さな村が見えてきた。
木柵で囲われた十数軒の家々。煙突から薄い煙が立ちのぼり、家畜の鳴き声と子供たちの笑い声が響く。
リュミナは立ち止まり、村の光景に見入った。
「……ひと、たくさん」
「街に比べれば少ない。だが暮らしの匂いがある」
アーレンは言いながらフードを直し、村の入口へと進んだ。
村人たちは珍しい旅人を訝しみつつも、敵意は見せなかった。
アーレンが銀貨を差し出して宿を頼むと、老婆がにこやかに案内してくれる。
「一晩なら部屋を貸そうよ。暖炉もあるから冷えはせん」
リュミナは恐る恐る老婆の手を取った。
皺だらけの掌の温かさに、彼女の瞳が丸くなる。
「……あたたかい」
老婆は笑い、「かわいらしい子だね」と頭を撫でた。
リュミナは驚いたが、拒まずに受け入れる。
その夜、宿の食卓に並んだのは素朴なスープと黒パンだった。
リュミナは匙をぎこちなく使いながら、何度も口を火傷しそうになった。
アーレンが横目で見守りつつ、スープの器を支えてやる。
「……おいしい」
リュミナがぽつりと言った。
その一言に、アーレンは胸の奥で安堵を覚える。
だが同時に、背筋を冷たいものが走った。
村人に“普通の子供”として接してもらったことはありがたい。
しかし銀の髪と澄んだ瞳――あまりに目立つ。
隠しきれるものではない。
暖炉の前で膝を抱えて眠りに落ちるリュミナを見つめながら、アーレンは心に誓う。
――どこまで行っても彼女を守らねばならない。
その決意は、炎の揺らめきとともにより強く胸に刻まれた。
翌朝。
村の広場には市場が立ち、農作物や日用品を並べる村人の声が飛び交っていた。
リュミナはアーレンの袖を握りながら、周囲をきょろきょろと見回す。
子供たちが追いかけっこをし、女たちが籠を抱えて談笑している。
その中で、一人の子供がリュミナの髪に目を留めた。
「ねえ、見て! あの子、髪が銀色だ!」
弾む声に、周囲の視線が集まる。
リュミナはびくりと肩を震わせ、アーレンの後ろに隠れた。
アーレンはすぐにフードを深くかぶせ、子供に柔らかい声で言った。
「病で色が抜けただけだ。からかうものじゃない」
子供は戸惑い、母親に呼ばれて去っていった。
だが、周りの村人たちの視線はまだ好奇心を帯びていた。
アーレンは人垣から早足で抜け出し、裏路地に入った。
リュミナは不安そうに袖をつかんだまま、小声で尋ねる。
「……わたし、へんなの?」
アーレンは立ち止まり、彼女の瞳を見つめ返す。
「いいや。君は君だ。だが――目立ちすぎる」
その言葉にリュミナは俯き、裾を握りしめた。
その時、背後からひそやかな声が聞こえた。
「銀の髪の娘……本当にいたのか」
振り向いたときには、声の主はもう人混みに紛れていた。
ただの好奇の囁きか、それとも別の意図を持つ者か。
アーレンは眉を寄せ、リュミナの肩を抱く。
「……ここを長くは留まれん。今夜には発とう」
リュミナは黙って頷き、その小さな手を強く握り返した。
厚い木扉の両脇には槍を持った兵が立ち、旅人や商人たちを順に検めている。
旗が風にはためき、鋭い目が行き交う人々を見下ろしていた。
リュミナは人の群れに目を奪われ、そわそわと視線を彷徨わせる。
農夫の荷車、商人の隊列、子供を連れた家族――彼女にとってはすべてが初めての光景だった。
アーレンはフードを深くかぶせ、彼女の肩を抱くようにして列に並んだ。
「静かにしていろ。余計な目を引くな」
「……ひと、おおい」
リュミナは小さな声で呟き、外套の影に身を縮める。
前の商人が長々と帳簿を検められている間、アーレンは頭の中で策を巡らせていた。
学院時代の身分証はとっくに無効だ。だが、研究員の肩書きはまだ記憶している者も多いかもしれない。
危うい橋を渡るしかなかった。
ようやく順番が来る。
槍を持った兵がこちらを睨み、短く問いかけた。
「身分と行き先を」
アーレンは落ち着いた声で答える。
「行商人だ。南の村へ薬草を売りに」
兵士はリュミナに視線を移した。
「……そちらは?」
リュミナは目を伏せ、口を結ぶ。
無理に言葉を出せば、拙さが怪しまれる。
アーレンが代わりに答えた。
「娘だ。病弱で声が出にくい」
兵士は眉をひそめたが、特に追及はしなかった。
だが手を伸ばし、フードを取ろうとする。
「顔を見せろ」
リュミナがびくりと体を震わせる。
その瞬間――
後ろから大きな荷車が軋みを立てて進み出た。
荷を積みすぎた商人が兵に声をかけ、手間取らせる。
兵士の注意がそちらへ向いた隙に、アーレンはリュミナを促して歩を進めた。
重たい扉を抜け、石畳の向こうに広がる街道へ出る。
ようやく背後のざわめきが遠ざかった。
リュミナは小さく息を吐き、アーレンの袖をつかんだ。
「……こわい」
「当然だ。だが、越えた。これで一息つける」
アーレンは振り返らなかった。
彼の胸にはまだ緊張が残っていたが、同時に安堵もあった。
二人は霧の街道へと歩みを進める。
旅は、ここからが本当の始まりだった
関所を抜けると、朝霧の向こうに広い街道が延びていた。
石畳はやがて土の道に変わり、道端には野花が咲き、鳥の声が澄んで響く。
リュミナは目を輝かせて辺りを見回し、草の葉を指でなぞったり、遠くの丘を見上げたりしていた。
アーレンはそんな彼女の歩幅に合わせて進みつつ、人の姿に目を配っていた。
やがて、背中に大きな荷を背負った行商風の老人が、前方からやって来た。
肩で息をしているのが遠目にも分かる。
すれ違いざま、老人は二人に声をかけた。
「おや、関所を抜けたばかりかね? 街の方は混んでおったろう」
アーレンは軽く会釈した。
「ええ。時間を食いました」
リュミナはちらりとアーレンを見てから、恐る恐る口を開いた。
「……ひと……おおい」
老人は驚いたように目を細め、それから柔らかく笑った。
「そうだろうな。だが、ここから先はのどかなもんだ。……娘さんか?」
アーレンは「ええ」と短く答え、余計な詮索を避けるように話を切った。
しかし老人は気にも留めず、荷を背負い直して歩き出した。
リュミナはその背を見送りながら、小さく呟いた。
「……やさしい」
アーレンは少しだけ目を細めた。
「そうだな。だが、誰もがそうとは限らん」
リュミナは首をかしげ、足元の草を踏みながら歩を進める。
彼女の中で「人」という存在が、少しずつ輪郭を帯び始めていた。
街道はまだ長く続いている。
二人は小さな出会いを胸に刻みながら、その先へと歩みを進めた。
昼を過ぎるころ、街道の先に小さな村が見えてきた。
木柵で囲われた十数軒の家々。煙突から薄い煙が立ちのぼり、家畜の鳴き声と子供たちの笑い声が響く。
リュミナは立ち止まり、村の光景に見入った。
「……ひと、たくさん」
「街に比べれば少ない。だが暮らしの匂いがある」
アーレンは言いながらフードを直し、村の入口へと進んだ。
村人たちは珍しい旅人を訝しみつつも、敵意は見せなかった。
アーレンが銀貨を差し出して宿を頼むと、老婆がにこやかに案内してくれる。
「一晩なら部屋を貸そうよ。暖炉もあるから冷えはせん」
リュミナは恐る恐る老婆の手を取った。
皺だらけの掌の温かさに、彼女の瞳が丸くなる。
「……あたたかい」
老婆は笑い、「かわいらしい子だね」と頭を撫でた。
リュミナは驚いたが、拒まずに受け入れる。
その夜、宿の食卓に並んだのは素朴なスープと黒パンだった。
リュミナは匙をぎこちなく使いながら、何度も口を火傷しそうになった。
アーレンが横目で見守りつつ、スープの器を支えてやる。
「……おいしい」
リュミナがぽつりと言った。
その一言に、アーレンは胸の奥で安堵を覚える。
だが同時に、背筋を冷たいものが走った。
村人に“普通の子供”として接してもらったことはありがたい。
しかし銀の髪と澄んだ瞳――あまりに目立つ。
隠しきれるものではない。
暖炉の前で膝を抱えて眠りに落ちるリュミナを見つめながら、アーレンは心に誓う。
――どこまで行っても彼女を守らねばならない。
その決意は、炎の揺らめきとともにより強く胸に刻まれた。
翌朝。
村の広場には市場が立ち、農作物や日用品を並べる村人の声が飛び交っていた。
リュミナはアーレンの袖を握りながら、周囲をきょろきょろと見回す。
子供たちが追いかけっこをし、女たちが籠を抱えて談笑している。
その中で、一人の子供がリュミナの髪に目を留めた。
「ねえ、見て! あの子、髪が銀色だ!」
弾む声に、周囲の視線が集まる。
リュミナはびくりと肩を震わせ、アーレンの後ろに隠れた。
アーレンはすぐにフードを深くかぶせ、子供に柔らかい声で言った。
「病で色が抜けただけだ。からかうものじゃない」
子供は戸惑い、母親に呼ばれて去っていった。
だが、周りの村人たちの視線はまだ好奇心を帯びていた。
アーレンは人垣から早足で抜け出し、裏路地に入った。
リュミナは不安そうに袖をつかんだまま、小声で尋ねる。
「……わたし、へんなの?」
アーレンは立ち止まり、彼女の瞳を見つめ返す。
「いいや。君は君だ。だが――目立ちすぎる」
その言葉にリュミナは俯き、裾を握りしめた。
その時、背後からひそやかな声が聞こえた。
「銀の髪の娘……本当にいたのか」
振り向いたときには、声の主はもう人混みに紛れていた。
ただの好奇の囁きか、それとも別の意図を持つ者か。
アーレンは眉を寄せ、リュミナの肩を抱く。
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