笑う門には鬼が来る!?

Holy

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プロローグ4 傷痕を残して

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 吹き荒れる爆風から幼児をとっさに守り、起き上がった夏樹は周囲を見渡すと部下の内村正守が船橋部の壁面に衝突し、重体に陥っていた。
 「正守!どうした!返事をしろ、正守!?」
 夏樹の必死の呼びかけにも応じず、正守は項垂れている。
 「しまった!先生は――」
 振り返ると、李朝雲がいた壁際には少しばかりの血だまりしか残っていなかった。



 距離は十分にとった上に、姿も隠した。
 相原莉子はかつてない強敵に恐れおののき、震えが止まらなかった。
 「さっきまでの威勢はどうしたんだい、お嬢ちゃん?いくら、言ノ刃になったとはいえ、君には手痛い一撃をもらっているんだ。どうか、吹き飛んでいった彼のようにお返しさせておくれよ?」
 高らかに声を上げる謎の男は高周波ブレードで断ち切られた腕の止血に構うことなく周囲の散策を始める。
 あふれんばかりの狂気。莉子の脳内では非常サイレンが鳴りやまない。
 「何よ、あの変態。死んでも近づくもんですか…」
 




 「ならば、君の手足を砕いて、抱き殺してあげよう」
 「ッ――!!!?」
 先ほどまで視界にとらえていた筈が、背後に回った男に反射的に右足で蹴りを見舞う。
 しかし、まるでわかっていたとでも言わんがばかりに伸びきった足首を男は左腕で捕らえ、握りしめる。
「なん…で、左腕が…」
「すこしばかり、人間をやめていてね。どれ、少し力を加えてやれば…」
「イヤァァァァァアアアアア!!!?」
「フム、いい声で啼いてくれる…それに、よく鍛えてある。これならば、潰すまえに味見をしても悪くはなかろう…」
 男は気色の悪い舌を出すと震え続ける莉子の右足を嘗め回す。
 まるで、欲に駆られた犬のように嘗め回す様に莉子は痛みと屈辱感に襲われ、動けずにいた。
「いいぞ、ただ叫ぶのであればもう少し――」
 
 言葉を紡ごうとする男の腕は砕け、思わず口を紡ぐ。
 痛覚はないのか、男は痛みに声をあげることはない。
 突然、振り落とされた莉子が向けた視線の先には鋭い刃が床板に突き刺さっていた。
 その刃は刀身だけではなく、長い柄があり…すなわち、それは槍であった。
 
 そして、その先には薄暗い影が現れる――――
 
 「まったく、どいつもこいつも人の左腕をおもちゃみたいに砕いてくれるな…えぇ!?」
 男が見上げた先、柄尻に年老いた男――李朝雲がいた。
 「馬鹿弟子が…今すぐ残りの脚も砕いて海の藻屑にしてやろう。海燕よ…」
 「死に損ないないか…おとなしく寝ていればいいものを!?」
  男――李海燕は殺意をむき出しに朝雲へ飛びかかる。
 柄尻から飛び降りた朝雲は床板から槍を抜き放つと、襲い掛かる海燕目がけて豪速の突きを放つ。
 決着は一瞬。武器も防具もない海燕は槍に成す術もなく貫かれ、刃が抜かれると同時に俊足の蹴りに吹き飛ばされた。
 「怪我はないかい?確か君は夏樹の部下の…えーと―」
 「あ、相原莉子です!」
 「そうだ、そうだ思い出した!!」
 「うちの馬鹿弟子が迷惑をかけたね…今から、海に叩き落としてくるが慰謝料代わりに足を治しておこう。幸いにもコトワザは使われていないようだ……」
 朝雲がそっと莉子の右足に触れると、瞬く間に痣は消えさり痛みも吹き飛んだ。
 「す、すごい…」
 「ふむ、これで船から脱出するぶんには動けるだろう。私が奴とやりあってる間に夏樹のもとにいってやってくれ。夏樹には私の大事なものを渡したのでな…一緒にそれを無事に持ち帰ってくれ。頼めるか?」
 「は、はい!光栄です!!」
  やや、上ずった声で莉子は答えると夏樹のいる船橋部へと走り始めた。
 「ふぅ…若いのは素直で助か―グッ!!?」
朝雲は膝を付き、自身の口から漏れ出したものが己の血であることに気付く。
 「いやはや、驚いたよ。流石はお師匠様といったところか…私のコトワザを込めた銃弾で即死に至らないとはね」
 声の主は何事もなかったかのように舞い戻った海燕であった。
「ふん、細工をした弾丸の一発や二発を不意に当てた程度で図に乗られては困るな…先の一撃は夏樹のかわいい後輩を逃がさんがためにわざと放りなげてやったが、よもや自分からむかってくるとわな…」
 「あんただって、何番弟子か知らねぇがテメェのかわいい弟子を連れて逃げ帰りゃよかったじゃねぇか?」
 「ふん、いくら馬鹿弟子とはいえ、一番弟子だ。即死に至らしめることは叶わずとも私を生きて返すような真似はすまい。それに夏樹には悪いがあの子を託した以上、生きて帰るよりも貴様を葬るために命を賭けたくなったのでな…」
 「可愛い可愛い一番弟子に容赦はなし…と?」
 「情けは人のためならず…そう言うだろう?」
 その言葉を口にした瞬間、朝雲の周囲に緑色の閃光が迸る。
 「そういえば、あんたのコトワザはそれだったか…おぉ、やだやだ。手塩に掛けた一番弟子を手にかければ覆水は盆に返らねぇってのによぉ!?」
 海燕も同じく、周囲に緑色の閃光を迸らせる。しかし、その光は神々しく輝く朝雲とは対照的に黒みがかった濁った光であった。
 

 そして、両者の光はぶつかり、死闘が始まった。




 まばゆい光と共に最後の戦いが始まったことを察すると、正守の応急処置を終えた夏樹は名も知らない幼児を抱えて脱出の準備を始めた。
 「このことを見越して私に救援要請を寄越したのか…全く、先生には最後まで敵わないなぁ」
 「でも、やっぱり素敵な人でした…」
 足が完治した莉子は夏樹が用意した救護ポッドに正守を入れるとひっそりと呟いた。
 「あぁ…だから、あの人の最後の望み位は叶えなくちゃいけない。だから、私は備えて、これ以上憂いがないようにしなきゃいけない」
 そう呟き返すと夏樹の周囲から淡い緑色の光が灯り、空間が振動を始める。あらゆる、物理法則を捻じ曲げ、言霊の呼応するままに空間から物質を吐き出す。
 それはまるで、神話の箱舟のように幻想的で白く丸みを帯びた飛行船であった。旅客船の両隣に、現れたソレは海水に浸かることもなく浮遊し、主が降り立つのを静かに待っているようであった。
 
 「さて、行くか。私はこの子を抱えて行く。アンタには悪いけど、そのタンクごと正守を引っ張ってくれ。台車がついているから動かせると思うが、着地には気を付けてくれ。それと―――」
 
 「いいんですか?」
 「いいんだよ」
 「最後の言葉は交わしたのですか!?」
 「いいや―」
 「なら!!」
 「いいんだよ!!!」
 
 迷いなく、夏樹は、はっきりと応えた。
 「私を呼んだ時から…いや、下手すりゃこの子を迎えに行く時からあの人の決意は揺るがなかった…今更、それを踏みにじるような真似を私にさせないでくれ」
 「ごめんなさい…私―――」
 「いいんだ…さぁ、行こう……」
 二人はそれぞれに傷ついた者を背負って飛行船に降り立った。一人は激戦の中で果敢に戦い、名誉の負傷を負ったもの。もう一人はこれから一生消えることのない心の傷を負ったもの。
 そして、恩師の願いを受け入れ、一生を賭けて闘い続けることを誓った一人の女は断腸の決断の末、進み始めることを決めた。動き始める飛行船と共にまっすぐ前を見つめ、決して振り返らないように生きていこうと誓い、運命に抗い続ける道を選んだのであった。
 
 飛行船が進み始めると旅客船からたちまち火の手が燃え上がった。
 (先生、おさらばです――――)







 燃え盛る船内でぶつかり合う、二つの光は勢いを増し、船の耐久性能も限界へと近づいていた。
 「まったく、本当に容赦がねぇなぁ!!えぇ!?」
 「加減なしで叩き込んでいるのに何度も蘇る貴様に言われたくはない!!」
 一閃。確かに、朝雲の槍は海燕を捕らえて切り裂くが、何事もなかったかのように蘇る。
 それどころか、海燕の身体は人間のソレを大きくかけ離れ、ちぎれた傍から腕を生やし、抜き手を放っては朝雲の豪槍に対抗する。
 すれ違う一撃は互いの急所を一突きするが、海燕がすぐさま立ち直る動きに対して、趙雲は膝をつき動けそうにもない。
 「言ノ刃をも取り込んで、そのような邪法を手に入れたか…このうつけ者が!?」
 「うつけ者?そんな台詞、ガキのころから聞き飽きて、今じゃ大うつけさ!!」
 飛び出す海燕を前に、朝雲は殴打の連撃を放つ。容赦なく、慈悲なく、躊躇いなく―――それだけが力の根源であり、最後の戦いへ命を滾らせる男の覚悟であった。
 だが、それも長くは続かない。
 海燕の力によって、癒えることのない傷口は朝雲の身体を蝕み続け、生命の灯を絶やそうとしている。
 拳は震え、視界がぼやける。
 情けをかけてはならない。そう理性に言い聞かせるが過去の記憶が許さない。
 懐かしき日々がぼやける視界の代わりにフラッシュバックされる。
 
 「チっ…これじゃ、きりがねぇな」
 「あぁ、だから終わりにしよう…」
 「!?」
  不意に放たれた言葉に一瞬の揺らぎを見せた海燕はその胴を槍に貫かれ、引き抜かれることもないまま、朝雲が共に火の海に飛び込んできた。
 「テメェ…さっさと槍を放せ!放せば、まだ!!」
 「離して…どうする?不死の体を持っているのであれば、このまま深海の底に落ちるまで、刺し続けるのみよ!!」
 「馬鹿な男だと思っていたが、ここまで筋金入りの馬鹿だとはな!?」
 「恨みたくば存分に恨め…私は可愛い一番弟子すら救えぬ愚かな師匠だからな…」
 「この、くそったれがぁぁぁああ!!?」

 二人を業火が包み、燃え上がる。
 師匠の容赦のない一撃は最後まで弟子を放すことなくその身を貫き続け、片や弟子の叫びは取返しのつかない心の傷を師匠に刻み続けた。
 そして、死闘は燃え崩れた船が沈むと共に終わりを告げた。





 全てが終わったその後、傷ついた戦士は目覚めた。
 「ここは…私は、一体?」
 
 正守は目覚めると、救護ポッドの隔壁を内部から開け、起き上がると周囲を見渡した。
 飛行船には部屋と呼べるものは無く、紙飛行機のような平面上に人が乗って霊子操作する他ない。 霊子によって周囲の空間を安定させ、一切の抵抗もなく移動し続ける。
 任務が始まった時のような深い夜は明け、朝日が昇り始め、正守の視界がくらむ。
 その隣で莉子が静かに座ったまま寝ていたのを見ると、起こさないように正守はそっと立ち上がり、夏樹を探した。
 飛行船の遥か舳先。一歩踏み外せば海に落ちかねない場所に夏樹は幼子を抱きかかえたまま、飛行船を制御している姿を見た。朝日のせいで上手くは見えないが、夏樹の肩は少し震えていた。
 「泣いてるね」
 不意に話しかけられ、振り向くと莉子が背後にいた。
 「えぇ、忘れられませんね」
 「うん、忘れられない…夏樹さんがきっと最後に涙を流していい日になる筈だから…」
 「そう…ですか……」
 「詮索しないんだ?」
 「あの人は十分傷つきました…今、私にできることは何もありません」
 「今は…か」
 「えぇ…今は、です」
 二人の呟きが夏樹に届いていたかは定かではない。
 ただ、名もなき幼子は母となる女の涙を頬に受け止めて、ようやく眠りから覚めた。
 幼子の大きな泣き声は夏樹の悲嘆を打ち消すように響き続けるのだった。




 目を開けた夏樹は二度と流さないと決めた涙が出かかっていることに気付いた。
 「思い出したくないことを考えながら見る泡沫の夢なんて碌なもんじゃない…か」
 夏樹はベッドから起き上がると、かわいい我が子のために今日も奮闘するのであった…




 物語は一度ここで区切りをつける。

 一人の女が嘘で塗り固め、ひたすら穏やかな日々を作り上げようと奮闘した日々は直に終わる。女にとっては半生を賭けた戦いが―――片や何も知らずに育った少年の人生が――――変わろうとしている。
 運命の歯車は急速に回りはじめ、最早誰にも止められない。
 狂人も長い眠りから目覚め、再び牙を磨いては何も知らない少年に迫る。
 
 少年は知り、直面することとなる――自らの運命に。
 運命を受け入れ、信じるのか。それとも、抗うのか。はたまた、全く異なる道をえらぶのか…
 所詮は運命。始まってみなければわからない。
 
 故に物語は続く。
 静かに。そして、残酷に…
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