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4巻
4-1
プロローグ
グラウ=ベリア大森林、それは南大陸の中央部から南西にかけて広がる最大の森林地帯だ。南北に最大で一四〇〇キロ、東西に二六〇〇キロの広さを誇り、サザント大陸のじつに二〇パーセント弱の面積を占める。
亜熱帯と熱帯地域をまたぐように広がるこの森は、貴重な植物素材の宝庫であり、そして同時に凶悪な魔物たちの棲処でもある。
森の奥へと探索の手を伸ばすためには、高ランク冒険者のパーティが数個単位で臨まねばならない――そんな危険な場所に、その男はいた。
比較的上質な麻布で作られた平服の上に、たくさんのポケットがついた、見る人が見れば『ハンティングベスト』と言いそうな上着を身につけ、フード付きのマントを羽織っている。
胸元にある〝ショットシェルポケット〟に筒状の各種薬瓶を弾薬よろしく差し込み、自分の身長よりも長い棒を杖のように扱う男は、その場に悠然と立っていた。
「シャアアアッ‼」
そんな彼に向かって、大口を開けた大蛇――フォレストバイパーが襲いかかる。森の悪魔とも称されるBランクモンスターは、不快感と恐怖心を煽る音を奏でながら、自らの長大な胴体を伸ばしてマント姿の男――シン目がけて頭を突き出した。
頭から食われる! そう思われた瞬間――
「はい、残念」
緊迫した場面にそぐわない、軽やかな口ぶりでシンが呟く。すると、フォレストバイパーの頭は彼の眼前で急停止する。その姿はまるでピンと張った竪琴の弦のようで、弾けば音が出るかもしれない。
襲撃に失敗したフォレストバイパーは、その後も二度三度とシンに向かって頭を突き出すが、やはり彼の目の前で急停止してしまい、彼の体を口に収めることは叶わなかった。
「ったく、腹に重しを入れた暴れ鹿を食べさせてやったのに、まだ足りないってか? やれやれ、繁殖期のメスに遭遇するってのは、悪夢以外の何ものでもないな」
シンの言葉が示す通り、フォレストバイパーの腹は不自然に膨らんでいる。そして言葉通りだというのなら、それは彼の仕掛けた罠なのだろう。腹を支点に動きを制限された魔物は、なおも食欲に支配され、目の前の獲物に向かって無謀な突撃を繰り返す。
シンは慌てることなく、腰の異空間バッグから二〇センチほどの壺を取り出すと、それを目の前で大きく広げられた大蛇の口に投げ込んだ!
蛇の口が閉じて壺が喉を通るとき、くぐもったパリンという音と同時に喉の膨らみが消える。すると間を置かず、フォレストバイパーの体はビクンと一度、大きく跳ねた。
シンの放った壺の中には冷却剤が詰まっており、体内にぶちまけられたそれは、周囲の水分と反応し、フォレストバイパーを内側から瞬間的に冷却する。体から熱を奪われた魔物は、派手な音を立てて地面に崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
「さて、頭を切り落とせばおしまいなんだが……さっきより腹の膨らみが小さいな」
頭が冬眠したままでも元気に活動するフォレストバイパーの胃袋に、シンは手に持ったナイフを腰の異空間バッグに仕舞い込む。
もし仮に目の前の獲物をすぐに仕留めた場合、解体時に消化途中の暴れ鹿を見る羽目になるだろう。シンはそう判断すると、後ろの大木にもたれかかり、空を見上げた。
「せめて、メシくらいは美味いもん食べねえとなあ……」
――グラウ=ベリア大森林へ入るため、ファンダルマ山脈を越えたシンが道なき道を踏破する間に、異世界はひっそりと新年を迎えていた。
二つの世界――シンをはじめ人間たちが住む世界と魔族が住む世界が衝突し、やがて両者の間で大規模な戦争が起きた。しかしその戦争も、繋がった世界を遮るように大結界が張られて終焉を迎え、今年で九八七年。一三年後に大結界の消失を控えた世界は、いまだ予兆すら感じさせず、それゆえ人々の顔に、不安の色は見られない。
シンにとって一人寂しい年末年始ではあったが、バラガの街で新年を迎えたとしても、あれだけ色々あった後では、盛大に祝い事をすることもないだろう。
などと、無理矢理納得していた彼に向かって――
『バラガの街も昨年は色々ありましたからね。「せめて来年は!」ということで、今年は例年以上に盛大に祝いましたよ♪』
以前立ち寄った街で仲良くなった、普段は『森エルフ』の姿に扮し、冒険者ギルドでギルドマスターをしている魔竜の言葉が、シンの心を深く抉る。さらには――
『シン、減らした分の人口については、増やす努力もしてくださいね』
『ああシン、残念なお知らせだけど「巨乳の森エルフ」なんかその森にはいないから。期待しても無駄だから』
胸元の神器から聞こえてくる女神と暇神の声が、シンの心に止めを刺した……
そんなこともあって、現在地味に傷心中のシンは、五〇年に一度と言われるフォレストバイパーの大繁殖期に立ち会うことだけを目標に、グラウ=ベリア大森林を探索中というわけだ。
フォレストバイパーの胃袋が中身を消化し終えるのを、大木にもたれかかりのんびり待っていたシンだったが――
「――――――――‼」
「……ん?」
不意の音に耳を叩かれ、シンは首を巡らせる。
硬い金属音だった。魔物が跋扈する森の中、取り立てて不思議というほどでもない。なにせ、目の前で動けなくなっているフォレストバイパーも、その体は鉄よりも硬い鱗で覆われているのだから。
「……………………」
そんな日常の風景に、しかしシンは眉を顰めると、音のした方向をジッと見つめる。
「鳴った音が一度だけ、てのがなあ……仕方ない」
シュッ――‼
半日は眠ったままのフォレストバイパーをその場に捨て置き、シンは森の中を駆け出した。
■
「ブフゥゥゥ……」
「くっ……まさか私がオークごときに」
――油断した。
否、油断と表現することすらおこがましい。フォレストバイパーを捜すことにこだわるあまり、背後に迫る危険に気付かないなど、戦士としてあるまじき失態!
不意討ちで右肩を砕かれ、とっさに左へ持ち替えた剣はヤツの棍棒で折られた。片手では弓を扱えるはずもなく、肩の鈍痛は魔法を行使するための集中力を奪っていく。なにより、目の前の『女』が逃走することを、オークが許すはずもない。
これは詰んだか――いや、アナンキアの戦士が軽々しく諦めてなるものか! 私の命も、純潔も、こんなブタ野郎などには絶対くれてやらん‼
「……ブ、ブフ?」
そんな私に臆したのか、こちらに向かってにじり寄ってきたオークが急に立ち止まると、困惑したように身じろぎする。
――チャンスだ!
私は今のうちに呼吸を整える。これで魔法が使える程度に肩の痛みを抑えられれば、相手はたかだかオーク一体、切り抜けることはそう難しくない。
「すぅ……ふぅぅぅぅ――む?」
トクン――
気取られぬよう静かに深呼吸をした私は、そこで自身の異変に気付く。
顔が熱い……いや、それだけではない。気がつけば呼吸は荒くなっており、心臓が早鐘を打っている。剣を握る手にも力は入らず、足元がおぼつかない。
「これ、は……?」
感覚が麻痺してきたのか、次第に右肩の痛みは消え失せ、オークに向かって構えていた左手が下がる。やがて、半ばから剣身を失っている剣は、カランと音を立てて地面に落ちた。
えっと、私は今、何をしているんだっけ……
「ブッフゥゥゥゥゥ!」
「きゃああっ⁉」
眼前のオークは、持っていた棍棒をポトリと落とすと、歓喜に震える咆哮を上げながら私を押し倒す。
コラ、強引すぎるぞ! こっちにも心の準備というものが……せめて手順くらい踏まないか、馬鹿者!
そんな思いも込めて、キッと睨みつけてやったのだが――
「ブヒィィィィィィ‼」
残念ながら彼は、微妙な女心というものを理解してくれない。まったく……
……ん?
「さっきから私は何を――」
私は――そう、確か私は今まで、彼と戦闘を……チョット待て。オークに向かって彼だと⁉
……そう、彼だ……彼は私を押し倒すと、情熱的な眼差しをこちらに向け……じゃなくて‼
……ダメだ。考えがまとまらない。というよりも、少しでも気を緩めたら、目の前の彼がとても魅力的な存在に思えて……だからしっかりしろ、私‼
「やめろ……来るな……」
必死に正気を保ちながら、その場を離れようと後ずさりした私だったが、足首を掴まれ引き戻されてしまう。そして、興奮が頂点に達してしまったオークは、その昂りのまま私の胸元に腕を伸ばし、革をなめして作られた鎧の胸当てを、内側の服ごと力ずくでむしり取った!
「ブヒイイイイ‼」
「キャアアア‼ ひあっ⁉ や、やめ――!」
あらわになった私の胸を、オークはその太い舌でベロンと舐める。この期に及んで、恐怖や嫌悪感よりも羞恥心が先に立つのが腹立たしい。本当に、私はどうなってしまったのか。
しかしてオークの方はといえば、貧相とはいえ私の裸体によほど興奮したのか、まるで遠吠えする狼のように、その体をのけぞらせて天を仰ぎ見る。
……いや、違う。なんだか様子がおかしい。
「ブフンッ! ブ、ブギ……ブ……」
「――――?」
動かずに何やら呟くように鼻を鳴らしている隙をつき、私は這い出るようにオークの下から抜け出す。だが、それでもオークは何も反応を見せなかった。
やがて――
オークはそのまま後ろに倒れ込み、大きなイビキを立て眠りはじめた。
「は――え? どういう……んっ⁉」
グワンと目の前の光景が歪んだかと思うと、私の体もその場に倒れ込み、猛烈な睡魔に襲われる。一体何が?
次から次へと予測不能な事態に見舞われる中、意識が完全に失われる前に私が聞いたのは、ドサリと何かが地面に落ちてきた音と――
「はああ、これが〝森エルフ〟かあ……」
何やら不満を訴えるかのような、盛大なため息だった――
「……ん、うぅん……」
…………パチ……パチン!
乾燥した枯れ枝が、火にあぶられて爆ぜる音が耳に届く――
ゆっくりと目を開ける。
どうやら既に夜になっているらしい。木々の間から陽の光は届かず、代わりに焚き火の明かりが私の目に映る。はて、この状態は一体……?
確か、フォレストバイパーを捜しに森に入って――
「ああ、起きましたか?」
「――⁉」
バッ‼
半開きだった目を大きく見開いた私は、焚き火の揺らめく炎の向こう側に人影を見つけると、すぐに体を起こして、人影とは逆の方向に飛び退く。そして――
「あ、そっちは!」
ズボォッ‼
……盛大に落とし穴に落ちた。
「痛ぅ……」
「やれやれ、落とし穴の中にそれ以上の罠を仕掛けておかなくてよかったですよ」
落とし穴から私を引き上げつつ、ヒト種の男が暢気な声で話しかけてくる。一応このあたりは森の中でも特に危険地帯のはずなのだが……男からは緊張感というものが感じられない。
「なんでこんな近いところに落とし穴なんかを……?」
「別に大した理由ではありませんよ。魔物避けは一応していますけど、それでも来るとすれば、木々が密集しているそっちかなあ、と。後は、ついでにコイツを埋めるためです。そういえば自己紹介がまだでしたね。私はシンと申します」
シンと名乗った男は、丁寧な口調で話しながら、自分の後ろを指差した。そこには、解体途中の魔物の肉が吊るされている。うん、まあ起き抜けに見るものではないな……
――ん? アレは……
「……と、すまない。助けられたこちらから名乗るべきだったな。私はフィーリア、アナンキア氏族の戦士が一人にして、族長ナハトの娘である」
「げっ……んんっ、エフン! これはとんだご無礼を」
「いや、お気になさるな。族長と言っても、氏族のまとめ役というだけのこと、貴殿ら只人の領主や王家とは似て非なるものだ」
頭を垂れようとする彼を手で制すと、そのまま謝意を示すように自分の胸に手を当て……そこで自分の状態に気が付いた。
革鎧をオークに剥ぎ取られ、露わになった胸元には、薄手の布が巻かれていた。
顔を上げると、シンは死んだ魚のような目をしたまま横を向く。ふむ、確かに気まずくはあるが、言うなれば緊急事態だったわけだから、私も責めるつもりはないぞ?
「シン殿――」
気にすることはないと言おうとする私の声を遮るように、彼が盛大なため息をつく。なぜだろう、そこはかとなく不愉快な気持ちになった。
「……どうか、したのか?」
「いえ、大したことではありませんよ。ただ、普段はくだらない嘘ばかりつく知人が、今回は珍しくも本当のことを語っていたのが口惜しいというか、なんというか……はあ」
……ヒト種はよく分からないな。
「――おかわりだ‼」
「……構いませんが、これで四杯目ですよ? 一体、その細い体のどこに収まっているので?」
うるさいな、別にいいではないか。アナンキアの戦士にとってこのくらいは普通だぞ? 狩りともなれば、時には飲まず食わずで長期の活動を強いられることもあるんだ。『食い溜め』は、戦士にとって必要な技能と言ってもいい。
さっきも、私の話し方がどうのと言っていた。まったく、些細なことを気にする男だ。
「それにしても、この『とんこつラーメン』と言ったか、実に美味い。オークの骨だけを煮出すとこのようなスープができるとは、ヒト種の料理人は天才だな‼」
「ははは、気に入っていただけたようで幸いです。ただ、手持ちがないため平麺にしましたが、欲を言えば細麺で作りたかったですねえ。その方がスープが麺によく絡んで美味しいんですよ」
「里に戻れば用意できる。ぜひ里の者に作り方を伝授してくれ」
「……別に否やはありませんが、『森エルフ』がそんなに簡単によそ者を招き入れてもいいんですか?」
本当に些細なことを気にする男だな。
「いいに決まっているだろう。シンは私の命の恩人で、おまけにフォレストバイパーの毒袋を四体分も譲ってもらうのだからな。賓客として招待するぞ……なんだ、その顔は?」
「いえ、Bランクの魔物であるフォレストバイパーを単身で狩りに来たフィーリアさんが、なぜオークごときに後れを取ったのかと思いまして。どこか体調でも悪いようでしたら言ってくださいね。私は薬師ですから、よく効く薬をご用意しますよ」
「た、体調は悪くなどない! 用を足して気が緩んでたところに不意討ちを食らっただけだ‼」
戦場に赴く戦士が体調管理を怠るはずがないだろう! ……なんだ、その残念な生き物を見るような目は? いや、それよりも!
「チョット待て、シン。キミが薬師? てっきり高ランク冒険者とばかり思っていたぞ」
「このナリを見て、どうしてその結論になりますかね……」
シンは羽織っているマントを指でつまむと、前を広げて私に見せつける。
マントの中に鎧や防具の類はなく、変わった形のベストに薬瓶が差し込まれていた。
確かに、前衛で戦うようには見えない。仮に魔道士だとしても、呪文の詠唱が必要な彼らが、一人で危険地帯をうろつくわけがない。とはいえ、落とし穴から引き上げられたときに握った手は、明らかに強者のそれだった。薬師だと言われても、到底納得などできない。
「あのな、私が言うのもおかしな話だが、ここはサザント大陸最大の森にして、周辺諸国から魔境と恐れられる〝ゾマの森〟だぞ」
ゾマの森――森の外ではグラウ=ベリア大森林の名で呼ばれているここは、冒険者たちの間では踏破不能の自然迷宮として知られている。
危険な魔物は当然のことながら、なにより森の広さそのものが冒険者にとっては脅威と言っていい。どんなに腕に覚えのある冒険者でも、単独パーティで潜るのは二の足を踏むほどだ。
それを、冒険者でもない薬師がたった一人で……一人だと⁉
イヤイヤイヤイヤイヤ。無理だ。絶対に無理だ! アナンキア氏族をはじめとする私たちが、この森を単身でも自在に移動できるのは、聖樹の加護があってのこと。それを持たないシンが、これほど森の奥に来られるはずがない。彼は一体何者なのだ?
「シン……キミは命の恩人だ。だから疑いたくはないし、危険視したくもない。正直に答えてくれ。キミは何者で、何が目的だ?」
「いえ、ですから薬師ですよ? ホラホラ」
そう言ってシンは、腰に提げた鞄から薬瓶を次々と取り出す。いや、いくら薬を大量に持ち歩いているからといって……って、多すぎはしないか? 到底鞄に収まる量ではないぞ?
……あ。
まさか異空間バッグか!
「シン、そんなモノの存在を軽々に明かすなど」
「これぐらいの秘密がある人間だと知っていただいたほうが、フィーリアさんも納得できるでしょう? それから……ハイ、これです」
「大きな鱗だな……ドラゴンのものか?」
「その言葉を聞いたら、きっと怒るでしょうねえ。コイツは大地の魔竜の鱗ですよ。実は最近友達になりまして」
「なっっっ‼」
魔竜の鱗……いや、それよりも、魔竜と友達だと? そんな荒唐無稽な話が⁉
シンがどうぞと差し出す一枚の大きな鱗を受け取ると、私はそれを丹念に調べた。
鑑定スキルを持たず、素材の識別や良し悪しなど分からない私だが、それでもコレがとんでもないものだというのは分かる。本体から剥がれ落ち、ただの素材となった鱗一枚に、アナンキアの戦士が気圧される。確かにこんなもの、魔竜以外に考えられない。
「こんなもの、一体どうやって……」
「まあ、友情の証? ということで。代わりに、なかなかの金銀財宝や希少な素材を強請られましたよ」
そういう問題ではないだろう。そもそも売ってもらえるようなものではないぞ?
ハハハと笑うシンに目眩を覚えたが、魔竜と友達だというならまあ納得も行く。おそらく、魔竜の背に乗せてもらい、森の奥まで入ってきたのだろう。かの魔竜は、相手が明らかな敵対行為を取らない限り、いたって温厚だと聞いたことがある。
とはいえ、なんとも非常識な話だ。
「まあ、事情は理解した。したくはないが納得もしよう。それで、目的は?」
「実は、フォレストバイパーが繁殖期に入ると聞きましたので、見物でもしようかと思いまして。なんでも、今年は五〇年に一度の大繁殖期というじゃありませんか。そんな大イベント、見ないわけにはいきませんよ♪」
……彼は、非常識を通り越してバカなのだろうか?
「はあ、深くは考えない方がいいのだろうな……フォレストバイパーといえば、シン、今さら聞くのもなんだが、あの高ランクの魔物をどうやって倒したのだ? まさか、その棒で倒したなどと言うなよ?」
綺麗な状態でフォレストバイパーの毒袋を手に入れるには、頭部への攻撃は御法度だ。だからといって、あの硬い胴体に対して棒による打撃は相性が悪すぎる。
「ああ、それなら簡単ですよ。まずは低ランクの魔物を生け捕りにしてですね。そいつの腹に重しを詰め込んで放します。しばらくしてエサに本命が食らいついたら――」
本当に非常識なヤツだな、コイツは! どうやったらそんな悪辣な手段を考えつくんだ? いい加減、命の恩人に対する敬意が薄れてきたぞ。
「いやあ、それにしても――」
……まだ続きがあるのか?
「――オークからフィーリアさんを救出するときは大変でしたよ。在庫切れのせいで、いつもより数段強力な媚薬を使ったり、そのせいで興奮しすぎたオークの行動を抑えるため、今度は意識を混濁させる薬を撒いたりと。いやはや、苦労させられました」
――なんだと?
第一章 聖樹の森の戦士たち
早朝の、木々の間から日が差し込みはじめた頃、森の大樹はユサユサと枝を揺らし、葉っぱが数枚ハラハラと落ちていく。
もし、その場に誰かいたのなら、二つの人影が枝から枝へと飛び移っているのが見えただろう。
「一晩経ったのに、まだ頭が痛いのですが……」
「自業自得だ。私をオークにときめかせた罪は重いからな」
後ろから聞こえるシンの怨み節を、先導するフィーリアは振り返ることもせず切って捨てる。
魔物の遭遇を避けるためか、樹上をヒョイヒョイ移動する二人はやがて、周囲の木々とは明らかにサイズの違う、幹の太さが五メートル近くもある、スギ科の大木の前に到着した。
「ここが?」
「ああ、〝精霊回廊〟の入り口だ」
精霊回廊――世界樹や聖樹によって護られている森に点在する空間の歪み。
転移魔法のように、一瞬で別の場所に移動が可能だが、移動できる場所は限られており、また、回廊を開くことができるのは、祝福を受けた森エルフのみ。
「回廊を開く前に改めて確認するが、シンの目的はフォレストバイパーの繁殖に立ち会う、ということでいいのだな?」
「ええ、それ以上何かを要求などしませんよ。繁殖場所も自分で探しますので」
「その必要はないぞ。場所なら私たちが知っているから、案内くらいしよう」
「本当ですか⁉ いやあ、今年は幸先のいい滑り出しですねえ」
そう言って喜ぶシンは、〝精霊回廊〟の入り口と説明された大木を、ペタペタと触りながら周囲をグルグルと回り、時折り真面目な表情でブツブツと呟いている。
「それにしても、大繁殖期なら私も一度体験しているが、そんなに楽しみなものだろうか」
「フィーリアさん、ヒト種がそれに立ち会えるのは一生に一度あるかないかですよ? しかもその際には、上位種が生まれるっていうじゃありませんか」
「上位種? なんの話だ?」
上位種、その言葉にフィーリアは首を傾げた。それを見たシンもまた首を傾げると、異空間バッグからあるモノを取り出す。
「なんのと言われましても、この鎧って、そいつの素材が使われているんじゃないんですか?」
それは、修復不可能にまでズタズタにされたフィーリアの鎧だ。
叩けば金属鎧のようにカンカンと音を響かせ、衝撃を弾き返すその胸当てはしかし、徐々に力を込めると固いゴムのごとくグニャリと形を変えて、手を放せば元の形に戻る。
そんな不思議な特性を持つコレは、素材に『グランディヌスの皮』なるものが使われている。己の持つ異能【組成解析】によってそれを知ったシンは、グランディヌスと呼ばれるモノこそ、フォレストバイパーの上位種だろうと見当をつけていた。
「確かにアレは、希少種と言っても問題はないと思うが……いや、どうなのだろうな」
しかし、フィーリアの態度は些か微妙だ。
「ん? よく分かりませんが、実物を見ればはっきりしますよ」
「それもそうだな。まあ、そのためにもフォレストバイパーの毒袋が必要だったのだが、シンのおかげで四体分を手に入れることができた。全部で五体分必要なのだが、残りは別の者がなんとかしてくれるだろう。そういった意味でもシンは歓迎されるだろうから、里の滞在と待遇は心配しないでくれ」
「それはありがたい。このところ、トラブル続きで気の休まる暇もありませんでしたからね。お言葉に甘えて、里ではのんびり過ごさせていただきますよ」
「ははは。シン、誰が言い出したのかは知らないが、そういうのを『フラグ』と言うらしいぞ……どうした、変な顔をして? いいから私の手を握れ、精霊回廊を通るぞ」
差し出した手をシンが握るのを確認したフィーリアは、もう片方の手を大木に翳し、何事かを呟く。すると二人の目の前に、緑色の空間の歪みが浮かび上がった。
声も出ず、ただ目を見開くシン。フィーリアはそれを面白そうに眺めた後、シンを引っ張るように精霊回廊の中へ飛び込んだ。
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